溶ける境界──母親の不倫と精神分裂
総てが悪い方向に進んでいる
不器用なりとも平穏な生活は今月のうちにすべて崩れた。母親の不倫が発覚し、その往生際に発した一言のせいで私は持病を悪化させてしまった。その病状は「統合失調症」と診断され、その急性期の只中にいる。今私はどのように生きるのが正解で、どのように生きたら正解なのかは全く見えないが、とりあえず病状と起こったことの把握のためにnoteを書く。
母親が不倫した
母親は家族一筋な人だと理解していた。他に趣味や関わりがなかったからだと不倫する前も後も思っているが、とにかく家族のこと以外には何もない人であった。そんな母が不倫したということは本当に衝撃だったし、母親の疑ってはならない前提──母親であること、より先に女であったことが大変私を苦しめた。しかし、母親が女として男の欲望の対象になっていることは私の存在からしても自明である。母は父に欲望され、だからこそ私が生まれている。だからこそこの私の苦しみというのは、母親から女性性を奪うエゴな気がする。その点で私は母親の不倫をそう強くは責めることはできない。もちろん家庭としての法的な規範を破ったことに対しては、一定の責任を負うべきだろうが。
ここまで述べたのは、母親が不倫した、という小見出しだが母親の不倫自体が私を不幸にしたというわけではないということである。ではなぜ私はこうなってしまったのかということを少し腰を据えて考えてみる。
父親とほぼ絶縁していた
父親とコミュニケーションを取らなければならないことが私にとって大変な苦痛である。というのも私は父親から身体的・心理的な虐待を受けており、人間としての存在を否定されるような言葉を何遍もぶつけられてきた。精神疾患になったことそれ自体には様々な要因があるが、その土壌を作ったのは確実に父であるし、それは医師やカウンセラーなどにも言われていることである。だからこそ私は今一人暮らしをしており、家庭(父親)はお金は出すが口は全く出さないというポリシーで私に与していた。しかし、母親が家庭としての機能を果たさなくなった今、父親とコミュニケーションをとり、金銭面以外で助けてもらうことが大変増えた。これは私にとって異常なほどの負荷を及ぼしていることは確実である。
母親がルーズであった割に母親面をしていた
父親と絶縁状態であったことは、母親に母親としての能力を求めすぎていたことになるだろう。しかし、母親がその能力を十全に果たしていたことはない。母親は父親の年間1500万円以上ある収入を全く管理できず、全てを使い果たしていた。子供の子育てに対しても適当で、特に私は何ら教育的指導も進路指導も受けたことがない。母親(だけ)が母親としての役割を果たさなければならないとは私は思わないが、とにかく、金銭面でも情緒面でも母親は母親としての役割を果たしていなかったな、そもそも能力がなかったな、ということを不倫の前後で強く思った。
最大の原因・母親の発言
とにかく、我が家は父親と息子の離縁、母親の不全という課題を孕んでいたが、そしてそれら(とりわけ前者)は私の精神疾患の発病に影響を与えているものであることは否めないが、最もそれと関係している出来事が、母親の発言である。
母親は不倫がバレた時、必死に言い逃れを考えていた。今も考えている。父親からたまに来る連絡では、不倫相手が誰かということも(石川ヒロ何とか、という隣町の家庭持ちらしい)あまり晒さず、不貞行為も全く認めようとしない。そんな母親だが、衝撃的な発言を私にぶつけた。
「不倫したのは、筆者が精神疾患を持っていて辛かったから、お前が悪い」という言葉である。
ここまで読んだ人ならわかるが、精神疾患を持ったのは自分が原因ではないし、そもそも自分に大きな非があろうと病気になったのはその人の責任ではないことが多いし、仮に生活習慣病のようにその人の行動に理由があっても、その人が責任を負わなければならないことはない。私はよく「いじめる理由はあっても、いじめてもいい理由はない」という言葉をよく話し、それを元に理由と帰属される責任の話を分離すべきだと語っている。
しかし、母親は不倫の理由とその責任を全て私にぶつけてきた。お前は家族を壊した、間接的にという言説である。
お前が家庭を壊した、がなぜ辛かったのか
別に壊れてもいいような不全性を持つ脆い家庭なのに、お前がそれにとどめを刺したと言われたことがどれぐらいショックだったのかという話である。というのもそれが全くの正論だったからである。その発言を受けた瞬間、私はあらゆることが走馬灯のように駆け巡った。高校でいじめられ、大学で失恋をし、それらが直接の引き金となって精神疾患になった。そして親のことが嫌いで、一人暮らしをした。それらって実は俺が全て悪かったのではないかと、それを思わせる力がその言葉にはあった。
高校時代のいじめ
青山(仮名)という人間を許してはならない。私を人間と見ていないからである。
安西(仮名)という人間を許してはならない。グループから私を省いたからである。
市橋(仮名)という人間を許してはならない。もちろん首謀的に私を無視したからである。
というとクラスメイト40人分の仮名を考えなければならず疲れてくるが、高校時代にいじめを受けていたことが精神疾患の引き金になったことは言を俟たない。クラスメイトからの無視は常態化し、馬鹿にされて後ろ指を刺されたことも何回もあった。もちろん繰り返すが、いじめを受けた/受けている人がこれをみることもあるだろうから繰り返さなければならないが、人をいじめて良い道理は地球儀をひっくり返しても世界中どこにもない。そこにあるのは理由付きの暴力性であり、暴力性であることはどのような理由をつけようとも純然にそこに存在している。
しかし、それと私自身がいじめを誰の責任だと思っているかは別の問題であって、母親の「お前が悪い」の引き起こした走馬灯は、私が未だ解決できずにいた「私がいじめられたのは私のせい(責任)なのか」という一抹の問いに無理やりに回答を与えた。そうか、私が悪いのか。
大学時代の失恋
恋人を悪くいうことはしたくない。素晴らしい人だった。常に笑顔で、みんながその笑顔に夢中だった。たくさん笑わせてくれたし、自分もちょっとは笑わせることができたのかな。これも当事者として苦しんでいる人がいるかもしれないので強調するが、出会いと別れは時の運である。出会うべき時に人は出会うべき人とであるし、別れるべき時に人は別れるべき人と別れる。そこに意味や原因や責任を求めるのはつらいことだ。
これもまた、私の走馬灯に入っており、私が悪いのではないかと暴力的に確定されられた。
このように、母親の発言はわたしを帰納的に全てのことの責任にし、それはすなわちお前が全て引き起こしたことだ、という重いメッセージ、そしてそこから引き出される答えとして「お前が苦しいのはお前が招いた結果」ということを導き出した。
統合失調症の急性期
ここからは、なぜ苦しむことになったのかではなく、どのように苦しんでいるかについて少し書く。まず、全く眠れなくなった。ずっと母親の発言が耳に残り、わたしが苦しいのはわたしが悪いという呪縛がまとわりついた。しかし、そんな誰がこの悲劇の責任者か?という問いより前に、純粋に辛さがやってきていたのが最初の二、三日である。
その後、妄想がとりつくようになった。俺が悪い=俺は死ぬべき=みんなが敵に見える。これには母親が事後的に残した言葉もある。「お前は精神病だから、お前を刑務所に閉じ込める」という発言である。これも相当にわたしを苦しめた。母親だけでなく誰しもが私を精神病棟に閉じ込める妄想が止まらなくなった。そして直接攻撃をされるのではないかと思った。友達がぴょんぴょん跳ねて私を見つめてくる夢を見た。質感が明らかに夢じゃなかった。これは幻覚だった。そして歩いているときに向かい側から死ねと言われた。これも現実の質感であり、幻聴であった。
統合失調症になってからあらゆるものが意味を持つように見える。意味というと優しい言葉だが、それはまごうことなき敵意である。そして一通り敵意を感じ取った後は虚脱感に襲われる。一日中寝たきりになる。今日は好きなアーティストのライブだったが、それにすら行くことができなかった。自分のことがさらに嫌いになった。
とりあえず、助けてくれる人はいる。心配してご飯に行ってくれる友達はいる。ありがたいことである。
しかし、彼ら・彼女らがいつ敵になるかはわからない。いつ責任を私に追求し、無限の敵意を私に向け続ける日が来るかわからない。
恐れながら、私は眠る。いや眠れない。
睡眠薬を使い、無理やり脳の回路を落とした。


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