【C107サンプル】この身に代えても【ちなかな】
12/31のC107にて、東6ト08b(※評論島)を間借りして頒布予定の、かなちな小説本のサンプル。
香名江の謎と千奈の過去を軸に千奈/P視点で展開する、ミステリ風味の百合となっています。
複数の千奈コミュの内容・引用を含みますが、STEP3以外未読でも楽しめる仕様です。
大幅な捏造も含むので温かい目で読んでいただければ...
通販情報
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「わたくしをあやしてくれていたのは、同じ年のメイド見習いでしたわ」
「つい最近まで……年上だと思いこんでいましたの」
「彼女が、お爺さまに直談判をしてくれたのです」
「代々、倉本に仕える身でありながら。わきまえるよう、厳しい教育を受けてなお」
(【雪解けに】千奈コミュより)
「あなたにお嬢様を導く資格があるのかどうか――見極めさせていただきます」
「倉本グループからの必要以上の干渉を防いでくれた、香名江のおかげですわ」
(STEP3 コミュより)
――氷渡香名江の有能さと献身は、何に由来するのか?
12/31のC107にて、東6ト08b(※評論島)を間借りして頒布予定の、かなちな小説本のサンプルです。
香名江の謎と千奈の過去を軸に千奈/P視点で展開する、ミステリ風味の百合となっています。
複数の千奈コミュの内容・引用を含みますが、STEP3以外未読でも楽しめる仕様です。
文庫サイズ102ページ。
みすてま要素が少しあります。
表紙と裏表紙がとても素敵なものになっているので、ぜひ手に取っていただけたら嬉しいです。
通販情報はキャプション欄にあります。
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【千奈】
……
…………
「――お嬢様」
誰かがわたくしを呼ぶ声がします。
「――起きてください」
「んん……」
どなたでしょう、せっかく気持ちよく寝ておりましたのに。
「そこで寝ていると風邪をひいてしまいますよ。お嬢様」
懐かしい声にまぶたを持ち上げると、そこはわたくしの部屋。
どうやら椅子に腰掛けて舟を漕いでいたようでした。
「――え?」
そして目の前にいるのは、小さな女の子。
利発そうな顔立ちに、年頃に似合わぬ落ち着いた佇まい。
けれど服に着られているようなメイド装束。
どなたでしょう――いえ、この子は。
「香名江……ですの?」
「はい。お嬢様のお世話係、香名江でございます」
それは在りし日の、出会ったばかりの頃の香名江の姿でした。
「香名江……小さくなってしまいましたの?」
「? なんのことでしょうか?」
「いえ、ですから――」
言いかけて気づきます。わたくしの視界も、椅子に座っているにしては低いような?
恐る恐る右手を持ち上げて顔の前に持ってきて――
なんということでしょう! その大きさは、目の前の香名江の手と同じくらい。
慌てて姿見を確認すれば、椅子にちょこんと腰掛けているのもまた小さな女の子。
どうやら、縮んでしまったのはわたくしもおなじようです。
「それにしても……お嬢様が泣き止んでくださったようで、安心しました」
不思議な現象に目をしばたたかせていると、香名江が相好を崩します。
「わたくし、泣いていましたの?」
「それはもう、わあわあと」
「それは……なんだか恥ずかしいですわね……」
「お嬢様の境遇を考えれば、致し方ないことです。それに……そのおかげで、私の心も決まりましたから」
「? 何を決めましたの?」
「この身には過ぎた振る舞いですが。私は大旦那様に具申して参ります――お嬢様との時間を十分取ってほしい、と」
「――――」
決意を秘めた目がわたくしを射貫いて、全てを理解しました。
これはわたくしの『最初の記憶』を再演する夢。香名江のおかげで、わたくしが家族と過ごせるようになった日。
改めて見渡せば、部屋の調度品も今とはずいぶん違っていて。話し方だけ今のままなのが夢らしくて、なんだか可笑しいですわね。
こんな夢を見るのはきっと昨日のお月見会で、昔のことを先生に話したからでしょう。
「お嬢様? どうかなさいましたか?」
このあと直談判しに行った香名江の意見をお爺様が聞き入れたことで、お爺様も、両親も、ほかの親族の皆さまも、仕事よりもわたくしを優先してくださるようになりました。倉本グループのそれぞれの立場で重責を抱え、それまではほとんど会えなかったのに、です。そのおかげで皆さまに甘やかされて、愛されて。倉本千奈はのびのびと育ってきたのでした。
そう。今のわたくしがあるのが誰のおかげかと言えば――この幼い女の子。
代々仕えてくださる氷渡の子として躾けられて。肉親にほとんど会えずわあわあ泣いていたわたくしと同い年ながら、それをあやしてくれて。自分の時間も顧みずわたくしに尽くし。わきまえるように言われていただろうに、それでも勇気を振り絞ってお爺様に意見してくれた――香名江。
小さな小さな身で、大きな任を果たしてくれたのでした。
昔のわたくしがこの時なんと言ったのかは、もう思い出せませんが。
「お嬢様、何を――きゃっ!」
わたくしは吸いこまれるように香名江に抱き着き、そのままもつれながら絨毯に倒れ込んで。
「ありがとう、香名江。あなたのおかげでわたくしは今……幸せですわ」
今のわたくしは、どうしてもそう伝えずにはいられませんでした。
もっともこんなことを言われても、この香名江は困ってしまうでしょうけれど。
そんなことを思っていると、香名江もまた、わたくしを抱き返して――
「……それならよかった。千奈の幸せだけが――私の望みだから」
…………
……
「お嬢様、そろそろお目覚めになりませんか?」
「ふぁ……?」
眠い目を開くと、香名江の柔らかな微笑みがわたくしに降り注いでいました。
今度の香名江は、いつも通りの香名江です。
……?
いつも通りって何のことでしょう? 香名江はいつも香名江ですわよね?
どうやらわたくし、寝ぼけているみたいです。
「おはようございます、香名江……」
「はい。おはようございます、お嬢様。調子はいかがですか? そろそろ起きて、支度なさらないと……プロデューサーがいらしてしまいますよ?」
気づけばカーテンはすでに開け放たれ、少し高くなった日の光が差し込んでいました。
「まあ、わたくしったら……すっかり寝過ごしてしまったんですのね」
「お月見会でのパフォーマンスでお疲れだったでしょうから、仕方ありません。ふふ……改めて、昨日もとても素晴らしかったですよ」
NIAの終わりは秋の始まり。倉本の本邸では、昨日お月見会が開催されました。
孫娘に甘いお爺様はわたくしがさみしくないよう、お花見やひな祭りなど機会を見つけて多忙な親族のみなさまを集めてくださいますが、昨日はそういった機会の一つでした。
これまでとの違いは、アイドルとなってみなさまの期待を背負ったわたくしのために、ミニライブの場が用意されること。
観客が親族のみ、ということで緊張はしにくいものの、これまでに受けた恩と支援を思えば決して手を抜くなどできません。
熱を込めたライブの果て、疲れによってわたくしは寝過ごしてしまったようでした。
「よろしければどうぞ」
上体を起こすと、香名江が白湯の入ったカップを差し出してきました。ゆっくり喉を潤すと、ぼんやりしていた思考がだんだんはっきりしてきます。
「ごちそうさまですわ」
香名江にカップを返し、ベッドを降りて。
「~~~~っ」
わたくしは大きく伸びをしました。
「お顔をこちらに向けてください、お嬢様」
洗面所で顔を洗うと、タオルを構えた香名江が拭いてくれます。
いつか『自分でできますからもういいですわ』と言ったのですが、香名江は『そうおっしゃらずに』と聞いてくれず、結局今に至ります。
少し恥ずかしいですが、香名江にさっぱりとさせてもらう感覚は嫌いではありません。
部屋に戻るとわたくしは服を替え、香名江はベッドを整えます。
刺繍のあしらわれた白のブラウスを被って袖を通し、薄い紺のロングスカートを引き上げると、何も言わずとも香名江が寄ってきました。
「失礼します」
おしりのジッパーを引き上げ、ベルトを回してから、細かな位置の調整。
着替えが終わると、お次はメイクとヘアセット。ドレッサーの前に腰かけたわたくしが首を傾けると、香名江が髪に櫛を通していきます。
こう言ってしまってはプロの方に失礼かもしれませんが、どんなメイクさんよりも香名江の手つきは優しく、なにより上手だと思うのです。
最後に髪飾りをそっとつければ、朝の支度は終わりです。
そして香名江はわたくしの髪を一房取ると軽く口付けて。
「お慕いしております――お嬢様」
これが――わたくしの朝の日常。
一日たりとも欠かさず繰り返される、メイドの献身。
いえ、まあ、病気でもしたらさすがに欠けますけれど。
何はともあれ。
今日もいい日になりますようにと祈りながら、わたくしは朝食へ向かうのでした。
【プロデューサー】
倉本別邸――倉本さんの現在の自宅に来るのは、何度経っても緊張することだった。
それは平たく言えば、アウェー感によるものである。
お城のような家にも、複数のメイドさんが働いているということにも慣れて。
案内されずとも堂々と廊下を歩けるようになったが、そういうことではない。
なぜなら一挙手一投足が見張られている、そんな感覚が拭えないから。
……
…………
一度だけ、倉本の本家に足を運んだことがある。
「きみが千奈のプロデューサーかね! なかなかのナイスガイじゃないか!」
倉本さんの祖父にして倉本グループ当主――学園長が言うところの倉本爺は、豪放磊落な人だった。
いつか学園長経由で聞いた『文字ばかりの報告書は面白くない! 孫娘の可愛い写真をふんだんに使ったキュートでグレートでビューティフルでアメイジングな最高の報告書を提出するようにッ!』という指示に脚色がないと言われた時はさすがに信じかねたが、しかし学園長は嘘を言っていなかった。
孫娘を溺愛しているというのは真実のようで、応接室の棚には倉本さんの写真が無数に並んでいた。
「ご多忙の折、お時間とっていただきまして大変恐縮です」
「そうかしこまらんでよい! わしゃ肩が凝るようなのは嫌いでな!」
などと言っているが、実際忙しい立場なのは間違いない。なにせ倉本グループの要職を複数兼務しているのである。過去に倉本さんとの時間を取るためいくつかの立場を辞したというが、それでもである。
「改めて、倉本さんのプロデュースを続けることをご許可いただきましたこと、感謝申し上げます」
「千奈直々の頼みじゃったからな! あんなキュートなお願い、断るわけにいかんからな! キュートと言えば前回のパンケーキの写真はよかった! あんまり美味そうにくっとるもんだからわしまで涎が出てきたわい!」
「あれは倉本さんがお友達とお出かけした際のものですね。友人として、ライバルとして、大変よい関係を築いていらっしゃいます」
「うんうん結構結構ベリーグッド! その調子で頼むよ!」
「誠心誠意努めて参ります」
どこからどう見てもパワフルな好々爺。
初星学園のスポンサー、ひいては日本有数の名士であり、必然身構えずにはいられなかったが……思わずその緊張感が緩むようだった。
その瞬間。
「――ところで」
厳かな声と共に、纏う空気が変わった。
「ここに、捨てられた子犬がいるとする」
「……は?」
「君は……その子犬に対する一番むごい仕打ちは何だと思う?」
単なる質問に似つかわしくない、重苦しいプレッシャー。先ほどまでの和やかさは一片たりとも残っていなかった。
話に聞く圧迫面接というものともまた違う。ただ静かに問いかけられているだけなのにあまりにも空気が重く、息が詰まりそうだった。
これが日本経済の一角を背負う倉本グループの――当主。
酸素が足りない脳をフル回転させる。
むごい仕打ち。殴る蹴る。食事を与えない。だめだ、考えがまとまらない。ともかく面接では、話すことが固まらない時は時間を稼いで――
「その子犬というのは――」
「拾ったあと、もう一度捨てることじゃよ」
苦し紛れに吐いた言葉は、威厳に満ちた声にかき消される。
倉本爺は俺の返答を期待していなかった。
なぜならこれは面接ではなく――
「千奈の面倒を見るのであれば――最後まで突き通すように」
警告なのだから。
…………
……
答えを聞けば言わんとするところはわかる。希望を見せた後の絶望は――深い。
倉本さんとのファーストコンタクトは、学園長に頼まれてのものだった。それゆえ最初は『才能を見出されスカウト』という倉本さんの夢を叶える事ができず、悲しませてしまったことをよく覚えている。当然その経緯は人づてに倉本爺の耳に入っていただろう。
その後倉本さんの才能の芽に気づいて再度スカウトをやり直し、今その才能が花開いた以上決して倉本さんを見捨てるなどありえない――もとよりどんな経緯であれプロデュースをするのであればありえないことだが、ともかくプロデュースする以上は最後まで責任を取るつもりではある。
だから警告そのものを怖がる必要はないのだが、とはいえ粗相を報告されて、倉本爺にまた圧力をかけられるというのは避けたい。ゆえに、倉本別邸では気を抜けないのであった。
「ごきげんよう、先生!」
倉本さんの部屋に案内されると、いつも通りの元気な挨拶に迎え入れられる。
「ごきげんよう、倉本さん。昨日はお疲れさまでした。改めて、よいパフォーマンスだったと思います。NIAの後も気を抜かず、地道な研鑽を積んできた成果が出ていましたね」
「うふふ。ありがとうございますわ、先生! わたくしはまだまだ未熟な身。気を抜くことなんてできませんわ!」
「その意気です。さて……お月見会のステージも無事終わったことですし、今日はHIFに向けて本格的に対策を立てていこうと思います」
「いよいよですわね……!」
「ええ。その前に、まずは倉本さんの現状をおさらいしておきましょうか」
「はいっ! わたくしは先日、NIAで優勝を果たしましたわ! その実力はもはや一流アイドル……ですが!」
「ですが?」
「次なる目標、冬の『HIF』は競技性の高い大会。アイドル本人の実力こそが重要ですから……倉本の力や、ファンの皆さまからの応援に支えられているわたくしとはとっ……ても相性が悪いということ。憧れの星南お姉さまには……まったく勝ち目がありませんわね」
「適切な自己評価です。その上で、今後についてですが――」
「生徒会長……なりたくないですわぁ〜〜〜〜!!」
「プロデューサー。あまりお嬢様を怖がらせないでいただけますか」
心を揺さぶる懇願の目と、心を砕くような鋭利な視線。
HIF対策の秘策を伝えた俺に、二本の槍が突き刺さっていた。
倉本さんが生徒会長になることでさらに学内人気を高め、加えて十王星南の快進撃のイメージをなぞる――それが今回の方針だった。
倉本さんにとって突拍子もない方針だということは承知の上。だからこういう反応も想定内ではあった。想定内では、あるのだが――
「わたくしが星南お姉様と同等の活躍なんて、想像しただけで……ひえぇ」
実際にその反応を見ると、心に迷いが生じる。
『みんなに好かれる』『みんなに応援される』のが倉本さんの大きな武器だが、『みんな』というのは畢竟、プロデューサー自身も含まれるわけで。
この愛らしい少女の懇願を無下にしていいのか、やっぱり他の方法を考えたほうがいいんじゃないか――そんな思いがつい首をもたげる。
こういう状況になる度、倉本さんが甘やかされて育ってきたというのがよくわかる。むしろ甘やかされないほうが間違っているとまで言える。それが倉本さんの素質だった。
「聞いているんですか、プロデューサー?」
加えて鋭く睨めつけてくるメイド――氷渡さんである。
『氷渡香名江。倉本家の侍従を務めております。あなたにお嬢様を導く資格があるのかどうか――見極めさせていただきます』
ファーストコンタクトの際の、品定めするような眼差しを思い出す。倉本さんと同い年とは思えない落ち着いた雰囲気、達観した表情。
あれから半年以上が経ったが……いまだに彼女の態度は刺々しい。ともに倉本さんを支える、ある意味同僚なのに、交流は仕事上の事務的な会話のみ。俺が不手際をしでかさないか目を光らせているさまは、メイドというより親衛騎士だった。
かくして倉本さんの説得は、時に二重の壁が立ち塞がるのであった。
壁に逆らわず自分が折れれば丸く収まる――そんな邪念を振り払い、冷静を装って告げる。
「コホン……失礼。怖がらせたいわけではありません。ただ、挑戦する前に知っておくべきことです」
視線を合わせ、丁寧に。
「一番星になれば、これまでとは比較にならない重圧がかかります。それはわかりますね」
「……ええ。そうですわね」
一番星に思いを馳せたのか、倉本さんは噛みしめるように目を瞑る。
憧れであり、目標であり、夢。
これまでNIAで戦ってきたフィールドの延長線上に、けれどはるか先にあるもの。
「倉本さんの目指しているのはそういう場所です。だとすれば――」
「――次期生徒会長になるくらいで、臆するわけにはまいりませんわね」
次にまぶたを開けた時、その瞳に迷いはなく。
凛々しく晴れやかな顔つきは、責任に応えようとする一流アイドルのものだった。
この表情になってくれれば俺ももう迷わない。ともに進むべき道を歩いていける。
「お嬢様……!」
覚悟の表情に感銘を受けたのか、氷渡さんの口からも称賛するような音色が漏れる。
この時ばかりは、親衛騎士ではなく一人の倉本千奈ファンがそこにいた。
……俺への態度に、このやわらかさの一欠片でもあるとやりやすいのだが。
「さて、倉本さんが生徒会長選挙を戦い、さらにHIFに挑むうえでは……強力な新曲を用意したいと考えています」
「ふわぁ……! 強力な……新曲……! うふふ、いったいどのような楽曲になるのでしょう♪ わたくし、とっても楽しみですわっ」
「どんな楽曲になるかは、倉本さん次第ですよ」
「え……? わたくし次第、とは……?」
「どのような楽曲で、どのようなステージで、どのような衣装で、どのような歌にするか。今回は――ご自身で考えてみましょう」
「ええぇー!?」
生徒会選挙とHIFで楽曲を披露する観客の属性は、NIAなどとは大きく異なる。そのため、この時点での倉本さんの想いを込めた楽曲を用意し、武器にしてほしかった。
が、しかし。
「先生はまたしても、教え子にそのような難題を……!」
「プロデューサー。あまりお嬢様に無茶振りしないでいただけますか」
またしても壁が現れてしまった。
……胃が痛い!
いじめているわけでも悪いことをしているわけでもないのに……頭を抱える倉本さんもそれを庇おうとする氷渡さんも、俺の心に揺さぶりをかけてくる。
なにはともあれ、こちらの言い分に納得してもらわなければ。
「もう少し意図を説明しましょう。まず――」
【千奈】
先生は倉本千奈の手による楽曲の必要性は説明してくれたものの、それが直近の選挙やHIFにどういう意味を持つのかは『やってみればわかります』とだけ言って、ヒントを教えてはくれませんでした。とはいえ、先生ができると信じてくださっているのであれば、わたくしもわたくしと先生を信じて進むだけ! 『作ってみせますわ! 素敵な新曲の発注資料を!』と、先生に堂々と宣言したのが数時間前のことでした。
そして現在。
「新曲……むずかしいですわぁ……」
ため息とともに脱力したわたくしは、ほとんど真っ白なノートに突っ伏しました。
これまでのライブを見直したり資料になりそうな本を広げたり、机に向かって頭をひねり続けていたものの、残念ながらちっとも成果はありません。
やってみれば何か閃くかと期待しておりましたが……ぜーんぜん思い浮かびませんわ。
とその時、ノックの音が聞こえてきました。
「――失礼します。お嬢様、ご昼食はいつものお時間でよろしいでしょうか。遅らせた方がよろしければ、コックに伝えますが」
「まあ、もうそんな時間ですのね……いつも通りでお願いしますわぁ……」
「かしこまりました。……あの、お嬢様」
「なんですの~?」
「失礼ながらそのご様子は、進捗が芳しくないのでしょうか」
「……その通り、ですわぁ」
ぐだっと突っ伏したまま答えるわたくしを見かねたのか、香名江が近づいてきました。
誰かと話すのにこういう態度ではいけない、というのは百も承知なのですけれど。
香名江だけしかいない時には、ついつい甘えてしまうのでした。
「お嬢様、あまり根を詰めすぎないでください。やみくもにやったからといって、良いものができるとは限りません」
「それは……そうなのですけれど……」
「行き詰まった時は視点を変えるのも大切です。いかがでしょう……少し、気分転換しませんか?」
気分転換。香名江から提案してくるのは、珍しい気がしますわね。
「香名江がそう言うのでしたら……お願いしますわ」
「では、こちらへどうぞ」
香名江はベッドの縁に腰掛けると、わたくしに向かって微笑みました。
わたくしは香名江のすぐ隣に腰を下ろし、そのまま上半身を傾けて体重を預けます。
すぐに香名江が抱き寄せるように腕を回し、それを支えてくれました。
「悩みがあるならおっしゃってください。きっと、楽になりますよ」
……香名江は、なんでもお見通しですのね。
香名江のぬくもりと香りに包まれると、浮足立っていた気持ちがすっと落ち着く感覚がしました。
その通りです。わたくしが困っているのは、ただ進捗がないということだけでなく。
「……不安、なんですの。先生がわたくしを信じてくださっているのに……こうやって何も進まないと......期待に応えられないかもしれないと、心細くなってしまって……」
香名江は何も言わず、わたくしを抱きしめながらただ言葉に耳を傾けてくれます。
「生徒会長になる、学園や皆さまのお役に立つ、と決めた気持ちに嘘はありませんけれど……本当にわたくしなどがなっていいものでしょうか、とそんなことも考えてしまって。そうすると何も思い浮かばなくなってしまって、それでまた……」
香名江はわたくしが気持ちを吐き出し終えるのを待ってから、おもむろに口を開きました。
「大丈夫ですよ。そうやってご自身の資格を問える、責任に応えようとする態度こそが、人の上に立つ器だと私は思います。お嬢様は、大変ご立派です」
そう言うと、片手をわたくしの頭に乗せて。髪を梳かすのと同じように優しく、ゆっくりと手を動かして、けれど今度は頭を撫でてくれました。
「香名江……」
柔らかいのに、頼もしい手。うまく言えませんが、その手に撫でられることはわたくしの存在を認めてもらっているようで……心の澱が洗い流されていくような気分でした。
同時に、香名江にこうしてもらうのはちょっぴり心がくすぐったくて。表情を見られないように、わたくしは顔を香名江の胸元にうずめました――きっと香名江にはお見通しでしょうけれど。あわせてわたくしからも香名江にぎゅっと手を回すと、胸の奥にじんわりと温かいものが広がって。
そう。これがわたくしの気分転換。
後悔することや苦労することがあったとき、それを慰めて——甘やかしてくれるのが香名江でした。
高校生にもなって、という思いはあるのですけれど……でも、仕方ないですわ。きっと香名江がわたくしをあやしてくれた日から、こうなることは決まっていたんですもの。
「敢えて口を挟ませていただくなら……そうですね、お嬢様はプロデューサーのおっしゃっていたことを誤解しているのではないでしょうか」
「誤解、ですの?」
「はい。プロデューサーはお嬢様ご自身で考えるようにとおっしゃいましたが……お嬢様一人で、とはおっしゃっていませんでした」
わたくしが考えるけれど、わたくし一人である必要はない。それは――
「まあ……そうでしたわね。わたくしは、世界一未熟な一流アイドルなのですから……皆さまに、助けてもらいませんとっ」
わたくしが顔を起こすと香名江は腕をほどき、優しく微笑んでくれました。
「香名江、お昼ご飯を食べたら学園の方に参りますので、準備をお願いいたしますわ」
「さすがお嬢様です。はい、かしこまりました」
【プロデューサー】
翌日。
「できましたわ先生!」
教室で作業していると、興奮した声とともに倉本さんが飛び込んできた。
できたというのはもちろん、新曲の発注資料だろう。想像よりもずっと早いが、
「わたくしには頼れる親友がついておりますの!」
という言葉で理解する。やはり倉本さんは人に恵まれている。
「資料、さっそく拝見いたしますね」
端的に言って、楽曲資料は申し分のない出来だった。
倉本さんの想いがこれでもかと籠められているのはもちろん、体裁としても整理されていて非常にわかりやすかった。文章やまとめ方が想定レベルを大幅に超えているのは、篠澤さんの力添えによるところが大きいのだろう。
倉本さんの意図を追加で確認し、修正を施して各所にメールを送る。
生徒会選挙まで日が無いということもあるので、倉本の力を大いに活用させてもらおう。
「すみません先生、大掛かりなものになったせいで、お忙しくしてしまって……」
「いいんですよ、倉本さんの想いを伝えるのに必要なことですから。それに――お嬢様のわがままを叶えるのが、我々の喜びですから」
「まあ、先生まで、香名江みたいなことを……」
呆れるような口調だったが、しかしその表情はまんざらでもないといった様子で。その反応だけで、苦労する価値があると思わずにいられない。
わがままを叶えるのが喜びというのは、偽らざる真実だった。
「それにしても、こちらで倉本さんとお会いするのは珍しいですね」
「いつもはわたくしの部屋でミーティングをしますものね。なんだか新鮮ですわ」
「時々はこちらで話すのもいいかもしれません。……氷渡さんに秘密にしたい件なども、相談できます」
「ま、まぁ……先生ったら、教え子とどんな秘密の相談をなさるおつもりですのっ?」
倉本さんのくりくりとした瞳が、いたずらっぽく覗き込んでくる。
「その……メイドの皆さんとの関係改善についてなど……」
「……思ったのと違いますけれど、重要な案件でしたわ」
倉本さんも、俺と香名江さんの関係がドライなものであることは認識しているらしい。
各所への連絡に区切りがついたこともあり、少し聞いてみることにする。
「一昨日、お月見会の前にも少しうかがいましたが……氷渡さんはずっと倉本さんのお世話をしているんですよね」
「ええ。初めはメイド見習いという肩書きで、友達のようでもありましたが……わたくしは幼稚園などに行かずに家で育てられましたから、ほとんどいつも一緒にいたと思います。小学校に上がる少し前くらいにお爺様に直談判して、家族も時間をとってくれるようになってくれましたが……それ以上に香名江はずっと、わたくしのお世話係として傍にいてくれましたわ」
「そうすると、もう家族同然というのも納得ですね」
「そうですわね……両親より頼れる存在と言っても過言ではないかもしれません」
「そこまでですか」
「ええ。これまでずっと、身の回りのことから勉学に至るまでわたくしの世話を焼いてくれたというのもありますが……小さい頃にあやしてくれたり、あのお爺様に意見を言ってくれたりしたことへの気持ちは、言葉では言い表せませんもの。あまりにも頼れる存在でしたから、長い間……つい最近まで、年上だと思っていたくらいですの」
「まあ、そういう風格はありますよね……」
年上の俺に全く物怖じせず、冷静に品定めする眼差し。
威厳すら感じるそれは、ともすればこちらが怖気づいてしまうほどだった。
孫娘のお世話係を任されるあたり、きっと幼いころからしっかりしていたのだろう。
「香名江のお母さまはどちらかと言えばおっとりした方ですから、少々対照的でしたわね」
「ああ、氷渡さんの家は代々仕えていらっしゃるんでしたっけ」
「そうですわ。本邸の方でお勤めされていますから、先生がお会いすることはあまりないと思いますけれど」
「ちなみに、同い年だと気づいたきっかけはなんだったんですか?」
「NIAの最中、たまたまですわね。初星学園の普通科に行けばわたくしの活躍をずっとそばで見られたのに……なんてこぼすものですから。どのくらい見られるのか、一年間か二年間か聞いたら……同い年でしたわ」
「その願望は氷渡さんらしいですね」
はにかむ倉本さんに相槌を打ちながら、何かが引っかかる。
「倉本さんにとって、氷渡さんは家族同然なんですよね」
「はいっ!」
「年上だと思っていたとのことでしたが、例えば誕生日を祝うなどしたことは?」
元気よく返事をした倉本さんだが、俺の問いにわずかに曇りが差す。
「……一度、提案したことがありましたわ。ただ、一人のメイドの特別扱いはよくないと香名江に諭されてしまいまして……」
「倉本さんのお願いが聞き入れられないというのも珍しいですね」
普段の様子からすると氷渡さんの態度は単なるお世話係を超えたもののように見えるが、しかしあくまで一線を引いているらしい。
「そこは氷渡の家の子ですから。きっと厳しく言いつけられているのでしょうし……わたくしも、わがままを言いにくいですわ」
「なるほど……。では、氷渡さんの学校の話題などは?」
「学校、ですか?」
「ええ。学年や入学が話題になったりしないのかなと思ったのですが」
「そうですわね……むむ……」
倉本さんはしばし考え込んでから、
「大変ですわ先生! わたくし……香名江の学校のことを何も知りませんわぁ~!」
と困った顔になって言った。
「香名江はわたくしにお勉強を教えてくれますから、授業のエピソードであれば聞いたこともある気がしますが……それ以外の学校の話が思い出せませんわ」
「……ふむ」
氷渡さんは傍目にも聞き上手で、倉本さんを敬愛していて。倉本さんが楽しかったことを話せば喜び大変だったことを話せば慰めているが、そのぶん自身のことはあまり語っていないのだろうか。
「決めましたわ先生! わたくし、香名江のことをもっと知って……それから、先生とも仲良くなってもらいますわ! さっそく計画を立てませんとっ」
決意に燃える倉本さんは頼もしく、ありがたく、そして応援したくなる存在だった。
けれど。
「一応ですが。生徒会選挙を最優先でお願いしますね」
「……あう」