先生「シャーレに住み着く生徒と通い詰める生徒……最近多くない?」
シャーレに在中する生徒が公式で出てきたって他の先生ガチ勢生徒からしたらヤバい気がする……とりあえず先生の胃がキリキリしそう
- 609
- 931
- 14,927
朝陽が差し込むシャーレのオフィス。白を基調としたこの広い執務室は、本来ならば、私が連邦生徒会から持ち込まれた膨大な量の書類や各学園の報告書と、静かに孤独な戦いを繰り広げるための場所であるはずだった。
窓際からは暖かな光が入り、淹れたてのコーヒーから漂う香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。本来ならば優雅な一日の始まり――となるはずだが。
"……ねえ、なんか最近、ここシャーレに常駐というか、もはや住み着いている生徒の数が多くないかなと思うんだよね"
私がサインペンを止め、誰に言うでもなくぼやくと、空気を切るような静かなタイピング音が止まった。
顔を上げると、視線の先のソファに我が物顔で座っている金髪の少女と目が合う。
彼女はミレニアムサイエンススクールの生徒であり、現在はフリーランス(?)のエージェント、飛鳥馬トキ。見慣れたクラシカルなメイド服をまとった彼女は、瞬き一つせず私を見返した。
ちなみにここ数日、夜のオフィスでも彼女がソファで寝泊まりしているのを知っている。
「気のせいではありませんか。シャーレはキヴォトスの超法規的機関であり、様々な生徒が出入りするのは自然の摂理です」
"いや、出入りじゃなくて、明らかに人口密度がおかしいというか。というかトキ、君もそこに完全にカウントされてるんだけど"
「……?」
トキは青い瞳をきょとんとさせて首を傾げた。その表情には、私の言葉が本当に理解できないといった様子の見事なクエスチョンマークが浮かんでいる。
「何か問題でも? というか、何を不思議がっているのでしょうか。先生の視覚情報は正常ですか?」
"めちゃくちゃ正常だけど……"
「なら問題ありませんね。私は先生の専属エージェントにして従者であり、有能なメイドです。さらには将来のお嫁さんとして公認される手はずになっています。主人の寝所に控え、業務を共にこなすのは基本のようなものですから」
"最後のやつ自称だよね? っていうか、いつの間にトキと結婚する事になってるの……"
「忘れたのですか、先生。夕焼けに照らされながら『トキ、君がいないと私は生きていけない』と、私をきつく抱きしめたあの日を」
"存在しない記憶だから……"
何度否定してもどこからか引っ張り出してくる謎のシチュエーションにツッコミを入れていると、不意に、コンコン、という小気味よい音がした。
ガチャリとドアが開く。そこに立っていたのは、もう一人の白髪の少女だった。
「トキ、ふざけるのも大概にしてください。朝から先生の業務進行の妨げになっていますよ。あなたの口から生成されるノイズは、シャーレの生産性を低下させる極めて厄介なバグなんですよ」
呆れを含んだ、しかし凜とした冷ややかな声。
トレーの上に見事な出来栄えのモーニングプレート――スクランブルエッグとこんがり焼けたトースト、そしてあたたかなスープを乗せてやって来たのは、天童ケイである。
かつての『名もなき神々の鍵』としての人工的な響きはすでにない。その言葉は完全に「手のかかる生徒たち」と「ダメな大人」に説教を焼く、有能なプロデューサーのそれに成り代わっていた。
"おはようケイちゃん。助かったよ、いつも朝ご飯ありがとうね。……あれ?でも、今日の当番スケジュールには入っていなかったような……?"
私がカレンダーに目をやると、彼女の名前は明後日にしか入っていない。
するとケイは、すまし顔でプレートを私のデスクにそっと置き、私のコーヒーカップにさりげなくミルクを注ぎ足した。
「当番ではありません。ですが、先生の自己管理能力には多大なる疑念が残っていますので、私が自発的なチェック機構としてやってきたまでです。ゲーム開発部の世話だけではなく、あなたの生命維持にも定期的なテコ入れが必要ですからね」
"ケ、ケイちゃんまで……あの、アリスやミドリたちの開発業務のほうは面倒見なくていいの……?"
「今週のスクリプトと仕様書の精査は昨夜のうちに、完璧に片付けてきましたから何も問題ありません。それに……」
ケイはくるりと振り返り、先程から涼しい顔でお茶をすするトキをギロリと睨みつけた。
「私が少しでも目を離すと、すぐにこういう質の悪いサボりメイドが先生の横で堂々とエラーログのような戯言を吹き込むからです!私の管理下でそのような無茶苦茶なフラグ管理は許しません」
「やれやれ、相変わらず騒々しいですね。朝からカルシウムが不足しているのでは?ケイは牛乳をたくさん飲んだほうがいいと思います。骨格の発育にも」
「なっ――だ、誰が発育不足ですか!! あなたと一緒にしないでください!!」
煽りスキルに長けたトキの一言に、ケイの顔が瞬く間に茹でダコのように真っ赤になった。冷静沈着に見えて沸点が低く、いじられやすいのも今のケイの特徴だ。
二人の間には、いつのまにかゼロ距離での火花が散り始めているもし彼女たちが本気を出せば、シャーレの防弾ガラスなど1秒ももたないだろう。
"……えーっと、二人とも。仕事中だから武器は出さないでね……"
「……はぁ。相変わらず騒がしいわね、シャーレは。全く、私がちょっと席を外していただけでこれなんだから」
背後から響いた理知的な声。
私は救世主を見た思いで振り返った。そこに立っていたのは、見慣れた紺色の制服、タブレットを手にしたミレニアムの『算術の魔術師』――早瀬ユウカである。
"ユウカ。 おはよう。今日は早かったね"
「おはようございます、先生。朝一の書類決裁を持ってきただけです。……って、二人とも!何を先生の両袖を引っ張り合ってるの!」
入室するなり、状況を正確に把握したユウカがピシャリと叱を飛ばす。
「……ユウカ」
しかし、怒られたケイは引き下がらず、目をすがめてユウカを見た。
「あなたこそ、セミナーの業務で忙しい立場だというのに、毎日なにかと『領収書の確認』だの『備品の補填』だの、どうでもいい言い訳を作ってはシャーレに足を運んでいる気がするのですが?大丈夫なんですか? セミナーの他の役員に業務の負荷が掛かっていませんか?」
「うぐっ……! そ、それはっ……!し、シャーレの資金管理は先生一人じゃずさんだから、私が監査しないといけないっていうか……それにケイだって部活そっちのけで通いつめてるじゃない!」
「私の業務は爆速で全て終了しています! 最適化されたタスク管理に遅延はありません! それに対してあなたは何かと通い詰めてるじゃないですか!」
「な、なんですって!ケイ、それをあなたが言える立場なの!?」
「私と先生は未来永劫ともに過ごす予定ですので、この生活基盤において私が優遇されるのは既定路線ですね。ピース、ピース」
「トキ!あなたまで混ぜっ返すのはやめて!」
「駄メイドは引っ込んでてください!」
言い合いに発展し、シャーレの人口密度による喧騒がいよいよデッドラインを越え始めた。
私はため息をつきながら、椅子の上でそっと目を閉じた。どうしてこうも集まってくるのか。
しかも、ミレニアム組だけでもこんな調子である。もしこれがゲヘナやトリニティだったらと考えると背筋が凍る。
(……いや、まあ。正直言って楽しいからいいんだけどね)
一人で無音の部屋で徹夜しているよりは、よほど人間らしい生活を送れている。彼女たちの小言やドタバタが、ある意味では一番のカンフル剤だった。
"……ん? 待てよ"
本当に人口密度が高いのは視界に入っている範囲だけか?
このだだっ広いシャーレの施設内で、私の目の届かないところにも『潜伏』している生徒がいるのではないか?
……検証してみるか。
私は言い争っているユウカたちを他所に、立ち上がってオフィスの中心に向かった。そして───。
パンパンパンッ! と。 軽快に三回、手を叩いてみた。
「───お呼びですか、主殿っ!!!」
ドンッ!!!
手拍子の直後、天井の空調ダクトが蹴破られ、舞い散る埃と共に狐耳としっぽをつけた百鬼夜行の忍者――久田イズナが、見事な三点着地で私の目の前に舞い降りた。
"……イズナ。おはよう"
私は額に手を当てた。見事なまでに即応だった。しかも天井から。
「おはようございます、主殿!」
"一つ聞いていいかな。いつから屋根裏にいたの?"
「ふっふっふ! 忍者たるもの、いつ何時も主殿を影から護衛するべし!つまり――先週から居ました!」
"先週!? え、ご飯とかどうしてたの!?"
「大丈夫です!主殿の冷蔵庫から食料は頂いてました!」
"それ忍者っていうより家ネズミに近い生態な気がするんだけど……"
笑顔で恐ろしいことをのたまう彼女に突っ込んでいると。
コン、と窓ガラスを叩く音がした。
振り向くと、地上二十階以上の窓の外に、鮮やかな装飾を施したお面をかぶり、ロープでぶら下がりながらこちらに愛おしそうな笑顔を向ける少女の姿があった。
『災厄の狐』の異名で知られる指名手配犯――狐坂ワカモだ。
「うふふ……あなた様……おはようございます♡」
"ワカモ……おはよう。出来れば正面から入ってきて欲しかったんだけど……"
室内に華麗に侵入してきたワカモは、他の三人を一切気にも留めず私の傍へ駆け寄ってきた。
そして、ふんわりと香る火薬の匂いを残しながら、彼女は頬を紅潮させてしなだれかかってくる。
「今日のあなた様も、とっても……ああっ、最高にお美しいですわ……。お傍にいられるだけで胸が破裂しそうです……♡ あ、そうそう……ご報告がありますの、あなた様。こちらを」
そう言って、ワカモはジャラジャラと何かの配線が繋がった「小さな機械の束」を、ゴミでも捨てるように机にドサッと置いた。
見覚えのある、超小型の指向性マイク。そしてどこか電波局を中継する特注のトラッキング・デバイスだった。
"これは……盗聴器? かなり精密な作りのやつだね"
「はいっ♡シャーレの通信施設と執務室の四隅に仕掛けられていたものですから、念のために私がすべて……処分おきました」
"……コタマの仕業だね……本当に、シャーレのセキュリティがガバガバすぎるというか……ありがとう、ワカモ"
あちらこちらの通気口や植葉植物に盗聴デバイスを設置するハッカーの鑑だ。だが、その高度な電子工作も、私に対するストーキング・ラブが限界突破しているワカモの「野生の勘」と「排他主義」の前には通じなかったらしい。
「うふふふっ、あなた様の声を盗み聞きする泥棒猫なんかに、みすみすデータを渡すわけにはいきませんからね。あなた様のためなら、どこまでだって護衛して差し上げます♡」
身を捩らせながら私の腕に擦り寄ってくるワカモに、トキやユウカ、ケイたちがジロリと不穏な視線を向けた。
「先生。犯罪者には不用意に近づかないよう。エージェントとして警告します」
「だいたい何なんですかあなたたち!この神聖なオフィスをまるで無法地帯のように出入りして!即座に退去してください!」
「あなた方の『護衛』なんて私がいるから不要ですっ!
先生は私が保護します!七囚人はさっさとお帰りください!」
「あら……、雑音はあなた様のお耳を汚してしまいますね……少しお掃除しましょうか?」
火に油を注ぎ込まれ、今度こそ本格的に弾幕が飛び交いかねない空気になった。
もはや一ミリも業務などできない状況に陥った私は、「はぁ……もうカオスだ」と頭を抱えようとして――指先が、積まれていた書類の角を強くかすってしまった。
"――っ、痛っ……"
スッ、と小さく切れた指先。血が滲むほどではないが、鋭い痛みが走る。ペーパーカットだ。
――次の瞬間だった。
私が「イタタ……」と口にしたのと『全く同じタイミング』で、何もないはずの背後の観葉植物の陰から、シュッと人影が現れたのである。
「───先生っ! 大丈夫ですか!?」
救護騎士団に所属する薄ピンク色の髪の少女、鷲見セリナ。
彼女は心配そうな瞳で私の指先を取ると、流れるような滑らかな動作でアルコール綿で患部を拭い、そしてどこから取り出したのかも分からない可愛いデザインの絆創膏を、私の切れた指の傷口にぴたりと貼り付けた。
「ご心配には及びません、これくらい浅い傷ならすぐ治りますよ。ですが書類の角は危険ですから、もっと安全なファイルに入れ替えることをお勧めします。……よし、これでもう痛くありませんね?」
"セリナ……あのさ"
私は貼られた絆創膏を見つめたまま、呆然と彼女を見た。
"どこから来た……いや、毎回どうやって現れてるの……?"
「ふふっ。乙女の秘密ですよ。先生がお困りの時、救護を求めている時は、私はどこにでも現れますから。それでは、私はまた定期巡回のルートに戻りますね!失礼します
"本当に消えるのも早い……"
バサッと白い白衣を翻し、私がツッコミを入れる間もなく、セリナは忍者のイズナよりもさらに忍者のような神出鬼没さで再びスッと廊下の外へ去っていってしまった。
"……セリナに関してはもう、何も言わないことにしよう……あれは……キヴォトス七不思議の一つだね。兎にも角にもありがとうセリナ……"
「主殿!イズナも見習って絆創膏を持ち歩くべきですね! メモメモ……」
「それより先生、冷蔵庫のストックのコーラが切れてます。後で補充お願いします」
もう、自分のキャパシティは超えている。朝から起こる大渋滞イベントの連続に、私のSAN値は減りまくりだ。
コン、コン。
だが、キヴォトスの朝の連鎖はまだ止まらない。 今度は正規のルート――オフィスの正面扉から控えめにノックが聞こえた。
ケイたちが警戒してドアを睨む中、開かれたドアから顔を出したのは、少しだけ不安そうな、だが決意を宿した目をした灰色の髪の少女――。
「……先生。おはようございます。朝早くから、申し訳ありません」
"ミヤコ。 おお、おはよう"
RABBIT小隊の小隊長、月雪ミヤコだ。彼女の手にはシャンプーやボディーソープの入った小さなトラベルポーチが握られている。
「その……。昨日の夜少し冷え込んでしまって。野営地で身体が冷えてしまったので、朝のトレーニング後で少し……匂い、などが気になりまして……シャワーを、お借りしてもよろしいでしょうか……?」
"うん、もちろん構わないよ。いつものことだし、タオルの予備は更衣室の下の棚に入ってるから。お湯もたっぷり出るし、好きに使ってね。石鹸も新しいのを置いてあるから"
ミヤコは「ありがとうございます」と深く頭を下げて、バスルームの方へと向かっていく。なんだか数人の生徒から白い目で見られてる気がするが……この際仕方ない。
その背中を見送っていると、ミヤコと入れ違うように、もう一つ小さな影がススス……と忍び込んできた。
どんよりとした顔つき。今にも死んでしまいそうな虚ろな瞳。サイズの合わない大きな軍用コートを着た少女――アリウススクワッドの槌永ヒヨリだった。
「……せんせぇ……。おはようございます…………やっぱり、私たちの行き着く先は不幸なんです……お腹が、お腹が空きすぎて、もはや幻覚でパンケーキが飛んでいるのが見えるんですから……。これでもう私は、餓死する未来しかないんです……もうおしまいなんですぅ……」
ネガティブのオンパレード。これも見慣れた光景だ。 ヒヨリは腹をさすりながら、力ない手で私のシャツをぎゅっと引っ張った。
「先生……もし……よかったらでいいんです。賞味期限切れのコンビニ弁当でも、残飯のミミズでも、靴の裏の泥でもなんでも食べますから……なにか、食べさせてくれませんか……?」
"ミミズも泥も食べちゃダメだと思うけど……。ヒヨリ。よしよし、大変だったね。ちょっと待ってね"
「ううぅ……せんせぇは神様です………」
泣きすがるヒヨリを宥めながら、私は自分の足元――鍵のかかる保温ボックスを開けた。
"ちょうどいいところにあったよ。ほら、今日は特製のいなり寿司。いっぱい作ったおすそ分けってことで昨日の夜、もらったんだ"
「いっ、いなり寿司……!!?」
ヒヨリの瞳孔が一瞬にして開き、枯れていたはずの涙がよだれと一緒にドバーッと分泌される。私は丁寧にタッパーに入った美味しそうないなり寿司を差し出した。ふっくらとしたお揚げに、ごまの香ばしさが漂う。
「ありがとうございますぅ…… でも……貰ったってどこからですか……?」
"あっ、ええと……"
しまった。と、私は小さく舌打ちをした。実は今、私はとてつもない『特大の秘密』をこのシャーレに抱え込んでいる。
──元SRT特殊学園、FOX小隊。
連邦生徒会のカヤ防衛室長が起こしたクーデターの実行部隊であり、現在は連邦矯正局からの仮釈放という超法規的措置のもと、私の監視下という名目の保護下で極秘任務に就いている彼女たち。
その副隊長である吉野ニコが、「少し作りすぎたので、明日の朝食にでも」と持たせてくれたのが、このいなり寿司の入ったタッパーだった。
FOX小隊がシャーレの地下に潜伏していることは、連邦生徒会の一部上層部しか知らない最高機密だ。
当然、今この場にいる他学園の生徒たち――ましてや、先ほどシャワー室へと向かった『Rabbit小隊』のミヤコには、絶対に知られてはならない事実である。
"そ、それはね! 昨日の夜、近所の商店街で……そう! タイムセールで安売りしていたお惣菜を、たまたま買っておいたんだよ! ははは!"
「そうなんですか……?でも、この保存容器、市販のプラスチックじゃなくて、軍用の高気密コンテナみたいですが……それに、このお揚げの煮付け方、ただのスーパーのお惣菜とは思えないほど洗練されています……はむっ、あぐあぐ……ふぇぇっ、美味しいですぅ……!」
ヒヨリは涙と鼻水を流しながら、野生動物のような勢いでいなり寿司を口に放り込んでいく。誤魔化しきれたか、と安堵したのも束の間。
「……先生」
背後から、氷点下を下回るような冷ややかな声がした。振り返ると、ユウカとケイが、私の手元にあるタッパーをまるでX線スキャナーのような鋭い視線で分析していた。
「先生。シャーレの今月の経費精算と領収書の中に、そのような『軍用コンテナ』に入った食料を購入した履歴はありませんでしたよ。そんな箱に入ったいなり寿司が商店街で販売されてる訳無いじゃないですか」
「ユウカの言う通りです。第一、結果、そのいなり寿司は油抜きから味付けまで、完全な手作業で行われた痕跡があります。……先生、誰をこのオフィスに連れ込んだのですか?」
ミレニアムの誇る頭脳ふたつの前では、私の浅知恵など一瞬で見破られてしまった。
"い、いや! これは本当にただの……あっ、あれだ! 最近新しくできたデリバリーサービス!『FOX EATS』っていうんだけど……!"
「FOX……?」
「キツネ……あなた様、キツネとおっしゃいましたか?」
私の不用意な発言に、ワカモの狐耳がピクリと反応した。
やばい。ワカモはかつて、FOX小隊によって捕縛され矯正局に送られた過去がある。彼女の前でその単語を出すのは、文字通りの地雷だ。
"ち、違う! キツネじゃなくて、キ、キツツキ……いや、コヨーテ! そう、コヨーテデリバリー!"
「……先生。嘘をつく時のあなたの脈拍と発汗量、完全に閾値を超えています。尋問の必要性を感じます」
トキまでが無表情のまま、私の退路を塞ぐように背後に回った。終わった。完全に包囲された。
もう観念して、ある程度の事実を話すしかないのか……と腹を括りかけた、まさにその時。
『プシュッ……ウィーン』
不意に、オフィスの奥――地下倉庫へと繋がる隠しエレベーターの扉が、間の抜けた電子音と共に開いた。 その音に、全員の視線が一斉にそちらへと向かう。
「先生、おはようございます。昨夜お渡ししたいなり寿司ですが、お味噌汁の保温ボトルを渡し忘れてしまって――」
現れたのは、桜色の髪をふわりと揺らし、家庭的なエプロン姿のままスープ用のボトルを手にした少女――吉野ニコ。
彼女はオフィスの異様な人口密度と、自分に向けられた無数の鋭い視線に気づき、言葉を途切れさせた。
「………あら」
ニコは目を丸くして、オフィスを埋め尽くす生徒たちを見渡した。臨戦態勢のミレニアム生三人。
いなり寿司を口いっぱいに頬張って硬直しているアリウス生と1口貰って食べている忍者。そして――
「……あなた。まさか、SRTの……」
般若のお面の下で、ワカモの声が地を這うように低くなった。かつて自分を捕らえた天敵の姿。その気配を、ワカモが忘れるはずがなかった。
「……ええと。なんだか、随分と賑やかな朝食会を開かれていたのですね、先生」
ニコは一瞬の硬直の後、すぐにいつもの穏やかな、しかしどこか得体の知れない凄みを帯びた『小隊のお母さん』の笑顔を貼り付けた。
特殊部隊員としての図太い神経。さすがとしか言いようがない。
"ニコ! 今すぐ地下に戻って――!"
私が叫ぼうとしたその時、さらに最悪のタイミングで、廊下側のバスルームの扉が開いた。
「先生、シャワーお借りしました。あの、備え付けのシャンプーなんですが、いつもと違う匂いが――」
濡れた髪をタオルで拭きながら、さっぱりとした顔で現れたミヤコ。彼女は言いかけて、オフィスの中心に立つニコの姿を視界に収めた。
ぽすっ、と。ミヤコの手からタオルが落ちる。
「……はい?」
「……あら」
かつての先輩と後輩。互いに異なる「正義」を掲げ、雨の公園と地下の廃墟で死闘を繰り広げた因縁の相手。
それが今、なぜか『同じ先生のオフィスに常駐し、朝からシャワーを浴びたり朝ご飯を作ったりしている』という、あまりにも平和でカオスな状況下で鉢合わせてしまった。
「ニ、ニコ……先輩……? どうして、あなたがここに……? 矯正局にいるはずじゃ……」
「お久しぶりですね、ミヤコちゃん。少し見ない間に、随分と……先生のオフィスに馴染んでいるようですね」
ニコの笑顔の圧が一段と強くなる。 ミヤコの瞳に、混乱と、そして強烈なライバル心のような何かが火花のように散っている。
「馴染んでいるのはそちらの方ではないですか。エプロン姿で……まさか、そのいなり寿司……先輩が先生に?」
「ええ、そうです。先生の健康管理は、私たち『FOX EATS』の重要な任務ですから」
その言葉に、今度はユウカとケイが激しく反応した。
「ちょっと待ちなさい! 先生の健康管理なら私が――!」
「いいえ、私です!!」
「主殿の護衛はイズナが!!」
「……FOX小隊もあなた様を狙う姑息な輩も全員纏めて排除します。あなた様のお傍に立つのは、私一人で十分ですわ……!」
「先生、私はどうすればいいでしょうか。とりあえず全員をスタンさせますか?」
「せんせぇ……このいなり寿司、おかわり頂けたら嬉しいんですけど……ついでにスマホの充電もお願いしたいです……」
大混乱だった。それぞれの学園の、それぞれの思惑と独占欲が、シャーレのオフィスという限られた空間でビッグバンを引き起こそうとし私は頭を抱え、デスクに突っ伏した。
"……ユキノ、クルミ、オトギ……助けてくれ……"
「呼んだか、先生」
ニコの後ろから、巨大なシールドを構えたクルミと、スナイパーライフルを肩に担いだオトギ、そして絶対的な威厳を放つ小隊長・七度ユキノが、地下エレベーターからゾロゾロと姿を現す。
「……なるほど。先生を巡る、他学園と七囚人の包囲戦というわけだな。小隊長として、この状況は見過ごせない」
「あーあ。ニコがなかなか戻ってこないと思ったら。……先生、ずいぶんとモテモテだねぇ。でも、私たちの『特等席』は譲らないよ」
「先生の盾は私よ! そこをどきなさい、泥棒猫たち!」
FOX小隊まで完全武装でフル出動してしまった。
もはや弁明の余地はない。シャーレは今日、キヴォトス全土を巻き込む『先生争奪・第四次サンクトゥムタワー攻防戦』の爆心地となることが確定らしい。
"リンちゃんに今日のシャーレの修繕費の負担折半にならないか連絡しとこう……"
「……先生、何やら面倒事が始まりそうですし、イブキが寂しがってたので今から一緒にゲヘナに向かいません?」
"……居たんだね。イロハ。うん、そうしようか……胃薬飲んで行こう"
───あぁ……今日までの書類の決裁、絶対に終わらないだろうなぁ。せめて、徹夜で終わらせた書類が塵になりませんように。
私はそっと目を閉じ、祈るような気持ちで天井を仰いだのだった。
リン「嫌です、会長よろしくお願いします」