月刊地域闘争は1970年創刊です
月刊地域闘争を読む
1970年「月刊地域闘争」という小さな媒体が誕生しました。
当時の日本列島は公害列島。高度経済成長という高度経済成長の歪みが表に出た時期です。今だけ金だけ自分だけ! そんな空気が国中にまん延していました。今と変わりませんね。人間って本当に進歩しない、豪の深い生き物なんですね。
企業は環境汚染には全く責任を感じていませんでした。その典型が4大公害。水俣病、四日市の大気汚染、イタイイタイ病、新潟水俣病。
1970年8月8、9日の両日、東京立川市で第一回全国地域闘争シンポジウムが開催されました。このシンポジウムには、激化する公害や基地などと闘う住民、「学園から地域」に目を向けた学生、研究者。「発生源からの告発」に立ち上がった労働者、部落問題、入管問題などに取り組んでいる人々が全国から約70団体、のべ400人以上が参加し、討論を重ねました。
その中からそれぞれの運動体相互の情報発信、相互交流のための媒体を作ることが提案されました。
それが「月刊地域闘争」です。
このシンポ事務局を担ったのが京大などの関西の学生グループでした。
当時、彼らは淡路島の空港建設反対運動に深くかかわていました。
このシンポの呼びかけ人は、宮崎省吾(新横浜新貨物線反対同盟連合協議会) 甲田寿彦(富士市公害対策市民協議会)馬場栄治(長沼町ミサイル設置反対同盟) 戸村一作(三里塚芝山連合反対同盟) 宮岡政雄(砂川基地拡張阻止同盟) 広野広(東京都新島) 渡辺喜美江(北富士忍草母の会)
永井満(淡路町国際空港反対期成同盟) 岡田徹(東京水俣病を告発する会) 吉村功(名古屋大学)星野芳郎 地域闘争行動者連合(京大の災害研究会、公害研究会など)東大と京大の全原連(全国原子力科学技術者者連合)砂川反戦塹壕行動隊、日本大学都市問題研究会
このシンポに全国から70団体約400人が参加しました。この場で闘争体の情報交換、交流を担う媒体作りが提起されました。
それが「月刊地域闘争」です。創刊号を読み解いてみましょう。
「月刊地域闘争」創刊号より 1970年10月
討論会
〈日米共同声明と政治選択〉
宮岡正雄(砂川基地拡張阻止同盟)
私は先ほど、地域の主体性、地域住民の生活の中からの闘争、地域の自治体権力と結合した闘争の強さ、ということを申しました。しかし権力との長い対決の中では徐々に色褪せてくる。それを乗り越えるものは地域の運動と諸団体との交流を通した連帯である。それも議会制民主主義の過程においてさらに一定の限界がある。それを乗り越えるより一層の市民運動というものの連帯が砂川においては67年以降のベトナム反戦という形で起こった反安保・反戦の運動であった。
昨年の日米共同声明の路線の中で、沖縄返還を通しての日本列島との連絡、アジア侵略体制というものを考えた場合、立川基地の日米共同利用化は、70年代のこのような再軍備の方向として見逃すことのできないものがある。一体どう対処するかを考えたとき、基地、公害を問わず、ここに集まられたような人々の活動を通して、日本全体の政治選択というものがかけられているのではないかと私は考えます。皆さんのご検討をいただき、今日を一つのステップにして70年代の闘う方向を何らかの形で打ち出していただきたい、
〈住民の隠された大きなエネルギー〉
永井満(淡路町空港反対同盟)
一つの大きな問題として、住民の腹の中にある反対の気持ちをどうやって引き出してゆくのか、大きなエネルギーとなってゆくのか。それを考えないとどうしても少数者の運動になってしまう。3月と7月に関西新国際空港阻止連絡センターにより、反戦キャラバンがなされましたが、新左翼系の運動というので抵抗もあるわけですが、集会にかなりの人が集まるのです。一方、労働組合、教職員組合の意識が低いという一つの状況もあります。最後に我々の空港反対の理由をまとめると、騒音等の公害、軍事利用の恐れ、自然破壊、空港建設・コンビナート等による地域開発の4点です。


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