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LRT構想浮上の街は21年前に路面電車全廃 冷たかった行政と市民

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北沢卓也
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岐阜発!LRT構想②

 2005年3月31日、明治時代から岐阜市内を走ってきた路面電車が最後の日を迎えた。名古屋鉄道がこの日で営業を終えた4路線は、市内と近郊の市町を結ぶ総延長36.6キロ。「新岐阜駅前」停留所の前は最終電車を見送る人たちであふれた。

 岐阜の路面電車は最盛期には、岐阜県内の美濃市や当時の谷汲村(現揖斐川町)、高富町(現山県市)まで結び、計6路線、総延長は70キロを超えた。

 しかし、モータリゼーションの進展を受け、1960年代から段階的な廃線が始まった。岐阜市議会は67年、「電車軌道が交通障害の要因」「路面の高度利用を阻害し、都市美観をそこなう」などとして、路面電車の早急な撤廃を望む決議をした。

 郊外への路線の廃止に続き、88年には岐阜市中心部の徹明町から岐阜公園の脇を抜けて長良北町まで結ぶ区間が廃止された。理由は乗客の減少に加え、現在の総合スポーツ施設「岐阜メモリアルセンター」の場所で88年に開かれた「ぎふ中部未来博覧会」による道路の混雑緩和が考慮された。

 その後も乗客は右肩下がりで、93年度には1千万人近かった輸送人員は02年度には約580万人まで減少。93~02年度は毎年度12億~21億円台の赤字を計上した。

「LRTと似ていたが…」

 90年代末から系列会社の業…

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この記事を書いた人
北沢卓也
名古屋報道センター 論説委員補佐兼務
専門・関心分野
憲法が関わる社会課題、定住外国人、公共交通

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