「命のリスクに直結」大炎上の絵本作家が“より悪い方向”へ爆走中!一見美しい絵本が子どもを追い詰めるワケ
のぶみの主張に登場する「胎内記憶」とは
もともと「胎内記憶」とは、胎児期の記憶のことだった。お腹の中で脳や聴覚が完成すると、胎児には外の音が聞こえるようになる。そのときに聴いた声や音が、生まれてからも記憶に残る――という類の話である。 現代の「胎教」も、こうした医学的事実をベースにしているものが多いだろう。それくらいの話であれば、胎児期からの「親子のコミュニケーション」として捉えることができる。 しかし、受け入れがたくなっていくのはここから。最近の胎内記憶では、「前世」や「魂として空の上の世界で過ごしていた」という、スピリチュアルな話がメインになっている。「お母さんを選んで生まれてきた」という話は、だいたいこの文脈で使われる。
美しさと裏腹の闇
本書でも、主人公「Mr.ベイビーマン」が空の上から母親の人生を見てきたとして、こう語りかける。 「だれよりもがんばってるの ばぶたんがいちばんしってるよぉー!!」 「ママをくるしませるためにうまれたんじゃないよ」 「ママは せかいいち すばらしい」 胎内記憶界隈では「子どもは皆ママを幸せにするために生まれてくる」という言説が標準設定だが、このフレーズは美しく感動的に見えながら、実態は子どもに親の心のケアを強いる「残酷な呪縛」になりかねないように思える。 そもそも胎内記憶の多くは、親による誘導尋問が生み出したものという疑惑もある。親の望むエピソードに合わせようとするうちに、子どものなかで「偽の記憶」が作られていくリスクもありそうだ。
大人の都合に振り回される子ども
のぶみ氏は本編やあとがきで「6歳くらいまで、ママと赤ちゃんは一つ」と強調する。この点からは、親子間の境界線がもつれ、共依存を引き起こす原因になる可能性も頭をよぎる。 「胎内記憶がある特別な子」として、わが子をトロフィーのように扱い、イベントなどに連れ回す光景はこの界隈の典型例だが、そこにあるのは子どもの意思ではなく、大人の都合だけでは。 実際、スピリチュアル活動にいそしむ大人たちに囲まれて育ったある女性は、言葉のつたなかった幼少期に「この子の魂はこう言っている」と勝手に気持ちを代弁されつづけた過去をふり返り、「思ってもいないことを自分の気持ちとして話されて、本当に嫌だった」と語っていた。 子どもが空想(あるいは本当の記憶)を話し、それを親が家庭内でやさしく受け止める。そんなほほえましい「親子のコミュニケーション」で終われば何の問題もない話を、ビジネスやイベントとして「外部へ広める」からこそ、さまざまな弊害が発生する。 しかしこの手のビジネスには度々批判が噴出する一方で、熱狂的なファンが根強く存在するのも事実。「敵が多いほど、内部の結束がさらに固くなる」という、閉鎖的なコミュニティによく見られる特有の現象だと言えるだろう。 大人が求める「感動のシナリオ」を子どもに演じさせる環境は、子どもの主体性を奪い、親の愛を「条件付き」のものへと変質させる。子どもが発する都合のいい言葉を利用してスピリチュアルビジネスが成立している現状は、子どもの発達において極めて不健全な状況だと言える。