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外国人労働政策はなぜゆがんだのか 混迷の30年を検証

労働政策研究・研修機構 労働政策研究所長 濱口桂一郎氏に聞く

BizGateインタビュー/Sustainability

人手不足が深刻化するなか、外国人材の受け入れは企業経営にとって大きな課題だ。これまで日本の外国人労働政策は、一貫した理念のもとで整えられてきたわけではなかった。霞が関の権限争い、日本型雇用の慣行が絡み合い、外国人を「労働者」として正面から受け入れる制度の導入は長く先送りされ、研修や技能実習という迂回的な仕組みが続いた。なぜ制度はゆがみ、いま何が変わろうとしているのか。労働政策研究の第一人者で『外国人労働政策』(中央公論新社)の著者である、労働政策研究・研修機構 労働政策研究所長の濱口桂一郎氏に聞いた。

濱口桂一郎氏(はまぐち・けいいちろう) 1983年3月東京大学法学部卒業、同年4月労働省(現厚生労働省)入省。労政行政、労働基準行政、職業安定行政等に携わる。欧州連合日本政府代表部一等書記官、衆議院次席調査員、東京大学客員教授、政策研究大学院大学教授等を経て、2008年8月労働政策研究・研修機構労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員、2017年4月から現職。著書に『日本の雇用と労働法』(日経文庫、 2011年)、『ジョブ型雇用社会とは何か』(岩波新書、 2021年)などがある。

「外国人問題」と外国人労働政策は別

――外国人政策が選挙の争点になるなど、最近の外国人を巡る議論をどう見ていますか。

1980年代のバブル経済の頃、外国人労働者を巡って「鎖国論」が盛り上がった時期がありました。今の状況はそれに似た空気が再び出てきているようにも見えますが、実は中身はかなり違います。当時の議論は、ヨーロッパの状況を念頭に、外国人が単純労働市場に大量に入り込み、日本人の仕事を奪うのではないか、という不安が中心でした。ところが今、社会で騒がれているのは、土地や不動産の取得、経営管理ビザの使われ方、あるいは一部地域での摩擦など、必ずしも労働市場そのものの問題ではありません。

もちろん、外国人の存在が日本社会にさまざまな緊張を生んでいるという点では共通しています。ただ、かつての鎖国論が「労働市場を外国人に奪われる」という話だったのに対し、今はもっと別の不満が噴き出している。むしろ、この30年余り、日本があまり成長できず、相対的に豊かさを失ってきたことが、こうした感情の背景にあるのではないか。そう感じています。

法務省と労働省の権限争いが発端

――では、現在の外国人労働政策は、どんな経緯で今の形になったのでしょうか。

日本で外国人労働者問題が登場したのは、バブル景気に沸いていた1980年代後半です。観光目的で入国しながら、その期間を超えて不法に残留し、製造現場や建設現場などでブルーカラー労働に従事する外国人が目立つようになりました。当時、世界第2位の経済大国だった日本の賃金水準は、アジアの発展途上国の10倍以上高く、仮に日本人の半分以下という低賃金でヤミ就労しても、母国で働くよりはるかに稼げたからです。そうしたなか、経済界からは、外国人をきちんと雇用できる仕組みを作ってほしいという要請が強く出ていました。行政側はこれに対応しようとしましたが、問題が複雑化したのはここからです。

労働省(現厚生労働省)は当初、ブルーカラー外国人労働者に対し、労働ビザを発給することを検討していましたが、その後、外国人労働者を雇いたい企業に許可を与える「雇用許可制」を提唱することになります。これに対して、入管法を所管する法務省が猛反発しました。労働ビザなら入管法の枠内ですが、雇用許可制となると完全に権限を労働省が握ることになるからです。法務省は担当審議官名の批判文書を配布し、在日本大韓民国居留民団(当時)も「就職差別を助長する」と抗議したため、労働省は雇用許可制案を事実上撤回しました。こうして、専ら法務省の主導によって1989年入管法改正が行われたのです。

結局、ブルーカラー外国人労働者の受け入れは、1989年の入管法改正により、「定住者」(日系2世・3世)と「研修」という仕組みの中で行われることになりました。このとき、研修は留学と同じ非就労在留資格とされ、労働者性を否定されたのです。その後、労働省が雇用関係の下での技能実習を主張し、1993年に両者を結合した「研修・技能実習制度」が創設されますが、労働力不足を補うためではなく、人づくりによる国際貢献が目的とされ、いびつな形で進むことになったのです。

労働者ではなく研修・実習名目で受け入れる妥協案

――日本は、実質的には外国人を労働者として正面から受け入れるのではなく、「研修」「実習」という迂回的な仕組みを選びました。

法務省と労働省の対立を背景にした妥協の産物といえます。労働省が雇用許可制を提唱したことで、法務省は「労働者として受け入れる」という発想そのものにアレルギーを持ってしまった。そこで、労働者としてではない形で入国させながら、実際には労働力として使える仕組みを模索するようになったわけです。

日本型雇用の影響もありました。日本の雇用は、遂行すべき職務である「ジョブ」を明確にして、その仕事に必要な技能を持つ人を採る仕組みではありません。何のスキルもない人をポテンシャルで採り、入社後にOJT(On-the-Job Training=職場内訓練)で育てていく。そういうメンバーシップ型の発想が強かった。外国人についても、仕事に必要な技能は会社に入ってからOJTで身につけるのが当たり前だと考えられていました。

「研修」という言葉を見ると、現場で働きながら学ぶことを自然に連想してしまう。その結果、「働きながら学ぶ人」という曖昧なカテゴリーが成立しやすかったのです。最初のきっかけは霞が関の権限争いでしたが、そのゆがみが長く続いた背景には、日本型雇用の側の「受け皿」があったともいえます。

 

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