大河ドラマ『豊臣兄弟!』の主人公・豊臣秀長の家臣・藤堂高虎の築城について歴史探偵『戦国の築城名人 藤堂高虎』の内容メモ

秀長の家臣として築城術を学び、家康の下で時代に合わせた築城の才をいかんなく発揮した藤堂高虎
(NHK 歴史探偵『戦国の築城名人 藤堂高虎』より)
秀長の下で学んだ築城術
高虎が築いた三重県熊野地方の赤木城で、その縄張りや防御力を高めた石垣などの設備を見る。三重県教育委員会の伊藤さんは、この赤木城にみる高度な築城術は高虎が仕えた主君の一人・豊臣秀長の影響ではないかと解説。
高虎の人生
1556(弘治2)年、近江国(滋賀県)の甲良に生まれる。
身長190㎝、体重110~120kgと戦国時代の成人男性の平均身長が160㎝と言われる中においては、かなりの巨漢。
秀吉が旧浅井長政領を与えられ長浜城主となる。高虎の生まれた甲良はその近くにあったこともあり、秀長に仕えることになる。
穴太衆・秀長の下での従軍経験
高虎の築城術について、城郭研究の第一人者・千田嘉博先生によると、近江国には石垣づくりで野面積みが得意な穴太衆がいて、同じ近江国の藤堂高虎が彼らを動かすことにより築城術を発揮したのではないかと推測
(NHK 歴史探偵『戦国の築城名人 藤堂高虎』より)
野面積みは、自然石をそのまま積み上げていく方法で、石の形や組み合わせ、細かい石での補強といったかなりの職人技が必要な技法で、穴太衆はそれを得意とした。
秀長軍での戦場経験として、1581年の秀吉による鳥取城攻めが紹介される。
秀吉軍は、毛利方の吉川経家を主将とする鳥取城を75の付城を築いて封鎖して包囲。
(NHK 歴史探偵『戦国の築城名人 藤堂高虎』より)
秀吉本陣の備えを現地調査し、空中からレーダーで解析。
(NHK 歴史探偵『戦国の築城名人 藤堂高虎』より)
秀吉は、多くの兵士たちが駐屯できるように山を段々に削平していることや、毛利方が攻めてきたときの対応として、その進軍スピードを遅らせる土橋や、700mに及ぶ空堀といった防御設備を実地踏破して解説。
千田先生は、こういった経験から、高虎はどのように城を攻めるのか?逆に、城を守るのか?を学んだと解説。秀長の下で最高の経験と近江国の穴太衆という最高の職人が高虎を築城の名人に育てたという見解を示す。
家康に仕える高虎
1590年に秀吉が天下統一を果たすも、1591年に高虎主君・秀長が死去。
その後、秀長後継・秀保、秀吉に仕えた後、徳川家康に仕える。
藤田達生さんによると、高虎は秀長のもとで、秀長と徳川家康の取次役を担当し、以前から様々なやり取りをしていて、良好な関係があったことが大きいと解説。
1600年の関ヶ原の戦いで、東軍・家康に味方し、恩賞で伊予国(愛媛県)の今治を恩賞にもらい、今治城を築城。
(NHK 歴史探偵『戦国の築城名人 藤堂高虎』より)
今治城は、西国の外様大名たちの動きを見張る瀬戸内海の要衝の地
海に面した砂地の上に築城された海城で、砂地ゆえの苦労があったが、それを犬ばしりなどの工夫で築城した。
今治城は天守閣があったが、江戸時代には天守閣はなくなっていた。今の天守閣は昭和に再建されたもの。藤堂高虎が意図して壊したが、その理由には諸説ある中で、千田先生は京都の亀山城の天守になったという説を紹介。
(NHK 歴史探偵『戦国の築城名人 藤堂高虎』より)
豊臣秀頼・淀君らのいる大坂城、大坂方との決戦に備えて大坂城を抑え込むように築城された城の一つが京都の亀山城、この天守として今治城の天守が使われたのではないかという伝承。
千田先生によると、築城の際に木を乾かすなどの手間を考えた場合に、違う城の天守などを解体して使うことはわりとあることと解説。今治城の天守が亀山城の天守になったという確証があるわけではないそうですが、十分ありうるとのこと。
高虎も大坂方の備えとして、伊予国から伊賀国上野に転封され、そこで伊賀上野城を整備。以前の筒井時代は東方面に備えて天守は東側に設置されていたが、高虎は大坂方に備えるべく西側に天守を設置。
石垣は、職人技の野面積みから、石の形をある程度揃えて積みやすくした積み方に変更し、30mに及ぶ石垣を作った。
天下泰平の時代・津城
大坂の陣も終わり、天下泰平の江戸時代となったとき、高虎は津城を整備。
藤堂藩時代の津城の調査をしてみると、その前の時代の富田氏がつかっていた瓦などがたくさん出土し、高虎は津城の天守閣を建て替えなかった可能性が出てくる。
石垣についても、前の富田時代の石垣に必要な部分を付け加える形での整備で、城郭の整備費用をかなり抑えていた。
(NHK 歴史探偵『戦国の築城名人 藤堂高虎』より)
戦いもなくなることから、戦いに備えるためでなくお城は政庁としての機能でよしとし、城下町は通りを広く直角で交わらせるなど、経済的に機能するように整備した。
伊勢神宮へとつながる伊勢街道も津城の城下町を通るように付け替え、伊勢別街道や伊賀街道も津につながるようにすることで、津の繁栄の礎を築いた。
(NHK 歴史探偵『戦国の築城名人 藤堂高虎』より)
感想
藤堂高虎というと家康に仕えるまでに7人の主君に仕えたと言われますが、それだけ必要とされる能力と時代に応じた自身のスキル開発にいそしんだ人物であることが分かりました。
それゆえに、秀長だけでなく、天下人の秀吉、江戸時代を開く家康とその時代の頂点の権力者に評価されたんだと思います。
築城についても時代に合わせること、コストを考えることなど、今のビジネスマンの在り方の参考になるような人物であると思います。