なぜ「異論」が出ない?教員の相互不干渉が蔓延か…同志社国際高校・辺野古事故から考える"学校ならではの風土"の問題点
「就職から退職するまで同じ学校で勤務」の弊害
私は、ここがひっかかる。「これまで教職員会議等で疑問が呈されずに前例踏襲が続き、校長の責任で止めることがなかった」(文科省ならびに京都府の資料で述べられている同志社国際高校側の説明)。なぜ、そうなったのか。 文科省資料では、「同志社国際高等学校では、教職員は一度就職すると退職するまで同じ学校で勤務することが一般的であったが、それが教職員間のなれ合い、相互に干渉しない風土を生じさせていた」と見ている。同校に限らず、私立学校では公立と異なり、人事異動がほとんどないところは珍しくない。
関連して「心理的安全性」ということが、最近、民間でも学校組織でもよく言われるようになったが、心理的安全性とは、対人関係のリスクを取っても安全だと信じられる職場環境を指す。 あるいは、メンバー同士が健全に意見を戦わせ、生産的でよい仕事をすることに力を注げるチーム・職場のことだ。誰も異論を挟まなかった、あるいは、挟めなかったのだとしたら、同校は心理的安全性の低い職場になってしまっていたわけだ。
相互不干渉な職場、神戸市「激辛カレー事件」の例
教職員間が相互不干渉になっていないかについては、学校経営学などでもこれまで指摘されてきたし、職員室が異論を挟めない風土になってしまっていることは、ほかの事案でも問題視されたことがある。 2019年に発覚した神戸市立東須磨小学校での教員間の暴行・ハラスメント事件をご記憶の方は多いだろう。当時、激辛カレー事件などと連日センセーショナルに報道されていた。神戸市が設置した検証委員会による報告書には次の記述がある。 加害者・被害者以外の周囲の教員が本事案のハラスメントに「気づけなかった」ないしは「見ても否認した」、「見て見ぬ振りをした」ことの心理的要因として、以下のようなことが考えられる。 一般的に、学校の職員室の人間関係は閉鎖的であり、教員間で暗黙のルールや空気感といった集団規範が一度形成されると、変化しにくい。そして、それがハラスメントの容認といった道徳的に間違った集団規範であっても、集団規範に反する行動をとろうとする人は、集団の中で「空気が読めない人」や「やっかいな人」として扱われるなど、他の教員からの圧力がかかり、被害者の擁護や加害者の制止といった(集団規範に反する)行動ができなくなる。(中略) 自分以外のことは「見ざる・聞かざる・言わざる」というように相互不干渉で、おかしいと思ったことや困っていることについて、声をあげにくい職場風土であったと考えられ、互助性の弱さが伺える。 (出所)神戸市「教員間ハラスメント事案に係る再発防止検討委員会 報告書」 同志社国際高校がこれに近いものだったのか、なぜ異論の挟めない職場になってしまったのかについては、現時点の情報ではわからない。 可能性の1つとしては、神戸市の事案のように、前例どおりで、あるいは現校長の強い関与のもとで決まっていた修学旅行中のプログラムについて、意見出しするのは「空気を読めない」ことや、いまさら蒸し返す「やっかいな」ことと認識されていたのかもしれない。