なんでこうなるの?マスコミによって作られた「不良少女・関根恵子」のイメージ【高橋惠子の女優物語#3】
デビュー作は代役での主演『高校生ブルース』
昭和45(1970)年4月、15歳の私は大映最後のニューフェースとして入社。主演デビュー作は、当時の流行作家・富島健夫さん(故人)原作の「おさな妻」に決まります。富島さんは青春小説でも「リアルな性描写は欠かせない」がポリシー。私はデビュー作でヌードになる覚悟を決めました。
自分なりに台本を読み込み、「おさな妻」撮影の準備を進めていた6月のある日、撮影所の所長室から呼び出されました。私はてっきり「おさな妻」に関する具体的な指示が出るのかと思っていたのですが…。所長の話はこうでした。
高校を舞台にした青春映画の主演予定の女優がケガをしてしまい、急きょ代役を立てなければならなくなった。この“代役”を私にやってほしい――というわけです。
映画のテーマは当時の世間を騒がせていた高校生の妊娠と中絶。主役のヌードシーンも予定している、とのことです。
すでに「おさな妻」でヌードを覚悟していましたから、ヌードになること自体についての驚きはそれほどありません。それに撮影所のトップの所長の命令です。デビューさえしていない実績ゼロの私が断れるはずがありません。
こうして、私のデビュー作は代役での主演と決まりました。それがこの年の8月に公開された「高校生ブルース」です。ヌードシーンの撮影での恥ずかしさは何とか乗り切りましたが、公開前の宣伝活動で私は驚くことになります。「高校生ブルース」が10代の少女たちのリアルな性の実態を描く“大映レモンセックス路線”の第1弾に位置づけられていたからです。
演技と宣伝の〝2役〟で大忙し
もちろん、私には何も知らされておらず、そんな路線の映画ができるなんて寝耳に水。しかも、この路線の第2弾は本来ならデビュー作だった「おさな妻」だというではありませんか…。2作続けて10代の性を描く映画に主演しなければならない。想定を超える事態の連続に、私はどうしていいのか分かりませんでした。
そんな私の困惑とは無関係に、会社側は「高校生ブルース」の宣伝活動を大々的に展開します。この当時、大映宣伝部の所属になっていた私は、宣伝活動に協力しないわけにはいきません。
当時の私が他の映画会社のように俳優部の所属ではなく、なぜ宣伝部の所属になっていたのかというと、私をスカウトしてくれたスチールカメラマンが宣伝部に所属していたからです。
「スカウトマンの所属する部署の方がやりやすいだろう」という配慮からでした。ところが、それから間もなく、私は演技と宣伝との“2役”がとてつもなくハードなことを思い知らされるのです。
「初体験はしたんですか?」「小学6年生のときに終えました」
昭和45(1970)年8月公開の主演デビュー作「高校生ブルース」の宣伝のため、大映宣伝部所属の女優である私は大量の取材を受けることになりました。映画は当時の世間を騒がせていた高校生の妊娠と中絶がテーマ。斜陽期の大映が起死回生策として打ち出した、10代の少女たちの性を描く“レモンセックス路線”の第1弾でした。
当然、取材陣の関心は15歳の少女の私がヌードを披露し、リアルな性描写に挑戦したことにありました。今振り返ってみると、質問が10代の性、特に私自身の性体験に集中するのも仕方がなかったと思います。なにしろ会社側がレモンセックス路線を大々的にあおっていたのですから。
ですが、私にとってはすべてが初体験。単純に「質問が性の問題ばかりなのは、なぜだろう?」と感じてはいましたが、質問には「本当のことを答えなさい」と命じられていたので、本心のまま答えていました。
興味本位としか思えない質問をする人もいましたが、素直だった私は努めて丁寧に答えるようにしていました。例えば「初体験はしたんですか?」という質問には「小学6年生のときに終えました」。ところが…。百戦錬磨の取材陣にとって、ほとんどの質問に本音で答える私は絶好の“獲物”だったようです。
「新人女優・関根恵子は本当に不良だった!」。こんな見出しでオーバーに書かれた記事は、それでもまだマシでした。あたかも私が「高校生ブルース」の主人公以上の、数多くの性体験をしているといった内容の記事も多く、「なんでこうなるの?」と驚いたことを覚えています。
「高校生ブルース」の実際の内容はともかく、公開前に書かれた記事だけを読むと「ものすごい映画」とカン違いした映画ファンの方も多かったのではないでしょうか。
マスコミによって作られた不良少女のイメージ
ですが、会社側は大量の記事が掲載されただけで大満足の様子でした。今の私なら宣伝効果の何たるかは分かっていますが、この時は会社が大喜びしている理由をよく理解できずに、不思議に感じていたものです。
「高校生ブルース」だけでも、マスコミによって「本物の不良少女・関根恵子」のイメージが作られてしまいました。本来ならデビュー作のはずの「おさな妻」が11月に公開されると、そのイメージは確立されてしまいます。
「本当の私は映画のような少女じゃない」。そう主張するつもりならできたかもしれませんが、それも今思えば…ということ。あのころは作られたイメージを否定するなんて、思いもよりません。それに加えて、私には未熟ながらも女優としてのサービス精神のようなものが芽生えていました。
周囲が期待する通りに、イメージ通りに、積極的に振る舞っていたのです。「奔放な不良少女・関根恵子」を期待されるなら、その期待に応えないと――。この結果、私の実像とイメージはさらにかけ離れていくことになります。
たかはし・けいこ 1955年1月22日生まれ、北海道出身。70年、最後のニューフェースとして大映に入社。同年「高校生ブルース」で主演デビューを果たす。71年11月に大映が倒産するまでに7作に連続主演した。その後は映画、テレビドラマ、舞台とジャンルを問わず活躍。ドラマ「太陽にほえろ!」に婦人警官シンコ役でレギュラー出演し人気女優に。2012年、「カミハテ商店」で23年ぶりに映画主演。21年、66歳にしてミュージカル初主演。
※この連載は2012年9月4日から11月2日まで全34回で紙面掲載されました。東スポnoteでは写真を増やし、全17回でお届けする予定です。


コメント