気功と大根の話

背中が痛い。めちゃくちゃに痛い。
わたしはパソコンやスマホを触る時間も長いし、姿勢も悪いので、もともと体が凝りやすい方ではあるが、最近の痛みは異常である。右を向けば左の肩甲骨に激痛が走り、左を向けば右の肩甲骨に激痛が走る。交差点で左右を確認するたび、首を向けた方向とは逆の肩甲骨がバキバキいうことに、人体の仕組みの不思議を感じている。いや、嘘だ。そんなことを感じる余裕もないほど、とにかく痛い。

吉祥寺にかかりつけの整体院があるが、今すぐ楽になりたかったので、近所で今日行ける整体院を探した。いくつかの候補の中から、口コミがよくて、比較的安価で、ゴリゴリのパワー系のところを選んだ。力任せにバキボキやられて四肢がバラバラになってもいいから痛みから解放されたい、とめちゃくちゃなことを考えながら整体院に向かった。

少し迷ってたどり着いた雑居ビルのエレベーターホールでハッとする。ネットに書いてあったのとは少し違う店名が書かれていたのだ。「◯◯整体院」のはずが、「◯◯気功整体院」とある。少し怯む。
わたしには、気功という文字を見ると、必ず思い出すことがあった。大根のことだ。

24、5歳の頃、わたしは精神を病んでいた。というか、23歳で初めてうつ病と診断されてから現在に至るまでずっと病んでいるのだが、診断を受け、新卒で入った会社を辞めた当初は「ストレスの多い仕事をしていたしまぁ仕方ないね、ちょっと休んでリフレッシュしたら元気になるよね」と思っていたらしい家族も、1年、2年と経ってもまったく元気になる気配のないわたしの様子を見て、だんだんと気を揉み始めていた。
「こいつ、いつになったら元気になって働くんだ?」という両親からの無言の圧がストレスとなり、ますます身動きがとれなくなり、ほとんどひきこもりのような暮らしをしていた頃のことである。
思い詰めたらしい母が「知人から、某県に気功でどんな病気でも治せる人がいると聞いた。行ってみてくれないか」と言ってきた。ヤバい、そんなんで治るわけねえ、とドン引きしたが、とりあえず行って親が安心するなら行っておくか、と思った。当時はまだ人並みに「親を満足させられるようなちゃんとした娘になりたい」という願いを抱いていた。今はそんなことはこれっぽっちも思っていない。

わたしは夏の気配が漂い始めた蒸し暑いある日、鈍行列車に揺られてひとり某県に向かった。指定された駅に着いてしばらくすると、真っ赤なワゴン車がすーっと近付いてきて、運転席の女性が窓を下げ「中島さんですか?」と声を掛けてきた。襟元がでろでろに伸びたTシャツの胸には、3匹のトラ猫の絵が描かれていた。この人が例の気功を使えるという……? と思ったら、自分は気功を使える人の活動をサポートしていて、今日開かれる気功の会(?)の会場までの送迎役を務めている者だ、と言う。促されるままに車の助手席に乗り込み、シートベルトをしようと体をひねったら、後部座席に荷物なのかゴミなのかよく分からないものが大量に積み上げられているのが目に入った。ぐっちゃぐちゃで、リアガラスから後方を確認することは全くできない。ゴミ屋敷ならぬゴミ自動車状態だ。この人はヤバい、と直感したがその時にはもう遅く、「では向かいますね」と走り出した女性は法定速度をはるかに超えた猛スピードで何度も赤信号を突っ切り、ウインカーを出さずに左折し右折し、暴走族並みの蛇行運転をして何度もセンターラインを越えた。怯えながら女性の横顔を窺うと、そこには何の表情もなかった。これは気功を当てられてうつがどうこうなる前に死ぬな、と覚悟したが、10分ほどの恐怖のドライブののち、奇跡的に会場に辿り着いた。一生分の運を使い切ったと思った。もしかしたら、この人は気功が使える人のサポートをしているおかげでこんなはちゃめちゃな運転をしても死なずに済んでいるのでは……? という考えもよぎったが、気功の力がこの人にこんな殺戮マシーンみたいな運転を許しているのだとしたら気功って最悪なのでは、とも思った。

会場は公民館のようなところだった。名簿に名前を書かされ、並べられたパイプ椅子のひとつに案内される。すでに名前は把握されているようだったが、名簿には念のため偽名を書いた。

会場は、閑散とした駅前の様子からは想像できないほど混雑していた。明らかに過疎化していそうな街に、こんなに人がいるとは、こんなに気功を求める人がいるとは、と思うと不思議だった。
バラエティ番組で仙人風の見た目のおじいちゃんがお笑い芸人さんなんかに「はぁっ!」と気を送り、芸人さんがよろけたり転んだりといったリアクションをする、というインチキくさいイメージしか抱いていなかったが、気功、いったい何なんだ、本当に何か力があるものなのか? と気になってきている自分がいた。

しばらくすると、女性政治家風のベリーショートに真っ白なフレアワンピースを着た、小綺麗な40代くらいの女性が現れた。会場が拍手に包まれる。つられてわたしも拍手をした。

女性による、気功がいかに素晴らしいかという話が始まる。内容は全然入ってこなかったが、本当に「どんな病気でも治せます」と断言するので、まじかよ……と思う。するとひとりの年配の女性が客席から呼び込まれ、「この人は気功でがんが治りました」と紹介される。まじかよ……と思ったが、女性は涙を流しながら、気功女性に対する感謝を述べ、気功の素晴らしさを熱弁した。会場には再び拍手が巻き起こり、すすり泣きまで響く。え、まじなの……? という困惑が胸に広がり始めたところで、気功女性が一旦引っ込み、両手に大根を持って現れた。大根? 見間違いかと思いよく見ると、片手に持った大根は、色白なごぼうかと思うほどにひょろひょろで、反対の手に持った大根はおばけ大根かと思うほどにバカデカい。何なんだ、と思っていると、気功女性がひょろひょろの大根を掲げ「こちらが普通に育てた大根です」と言い、続いてバカデカ大根をトーチのように高々と掲げ「そしてこちらが、気功を当てて育てた大根です!」と誇らしげに言う。会場からはおぉ、という感嘆の声が上がる。
サイズなんだ……と思った。気功を当てて育てたら、大根が美味しくなります! とかならまだ理解できた。でも、気功を当てると、デカくなるんだ……
そもそも、ひょろひょろ大根の方は確実に栽培に失敗しているし、バカデカ大根はそういう品種としか思えないほどバカデカかったが、仮に気功の力でデカくなっているとして、野菜ってデカければ良いってものでもないだろう。何なら大きすぎると大味で良くないという考えが一般的ではないか? でも、ここでは気功で大根がバカデカくなることは、良いこととされてるんだ、効き目があることの立派な証明になるんだ……?
そう思ったらめちゃくちゃおかしくなった。しかし女性による大根の変化についての話は続く。わたしは俯いて笑いを噛み殺しながら「じゃあ気功を当てられたらわたしもバカデカくなっちゃうってことでは?」とも思ったが、みんなすごいすごいと盛り上がっている。いや、全然すごくないだろ、冷静になれよ。
そう思って初めてちゃんと周りを見てみると、集まっているのはほとんどが老人で、中には車椅子に乗っている人や、何らかの医療機器を載せたカートを引いている人、身体障害を抱え、家族と思しき介助者に付き添われている人もいた。

あ、みんな真剣なんだ、と思った。自分は実のところ半分冷やかしのような野次馬根性のような気持ちでやってきたが、集まった人たちは、こちらが言葉を失うほどの切実さを漂わせていた。祈るような目で、すがるような目で、ひょろひょろ大根とバカデカ大根を見つめていた。
来るんじゃなかった、正確に言えば、来るべきではなかった、と思った。

気功女性は、病んだ人たち、老いた人たちの追い詰められた視線を一身に集めながら、満面の笑みで気功についての説明を続けている。気功は何にでも効く、どんな病気も治せる、気功を当てられると幸せになれる、と言い切る。
とんでもねえことしてるなこいつ、と思った。もしかしたら本当に効くこともあるのかもしれない、当てられていないから真偽のほどは分からない。でも、「何にでも効く」治療法なんて存在しない。この世に絶対はない。気功がインチキかどうかは置いておくとして、おそらく医療の範囲ではもう何の手立てもなくなり、藁にもすがる思いでやってきた人たちの前で、「絶対に治る」と最新医療でも断言できないことを言い切って希望を持たせているのは、疑いようのない悪だと思った。

この会は別に参加するのに金もとられないし、少なくとも表向きは完全な慈善事業として行われている。おそらく公民館を借りる金も気功女性、もしくは先ほどの暴走女性のような「サポートをしている人たち」が出しているのだろうし、気功女性が金銭的に、あるいは物質的に何か得しているわけではないだろう。でも、だとしたら尚更不可解だし悪質な気がした。何のためにこんなことをしているのか。おかしな大根を使って病人と老人をたくさん集めて、この人は何がしたいんだろう。賞賛されたいのか? 感謝されたいのか? 認められたいのか? この人の心にあるものは、いや、決定的にないものは何だ?

わたしは猛烈に腹が立ち、席を立って会場の外へ出た。暴走女性が声を掛けてきたが「体調が悪くなったので歩いて帰ります」と言って、ひとり駅へと向かった。

暴走ゴミ自動車に乗っている間、景色を見る余裕などなかったので、どこをどうやって走ってきたのか全く分からず、駅までは1時間もかかった。その間、誰ともすれ違わなかった。もしかしたらこの街に住む全員が今あの公民館に集まっているのかもしれない、とありえないことを想像してゾッとした。

帰りの電車の中、母に「効果なかったよ」
とだけメールした。がっかりした様子の返信があった。ここにひとり希望を奪われた人間がいるよ、どんな気持ち? と気功女性に言いたかったが、もう彼女の名前すら思い出せず、座席にもたれ目を閉じて浮かんでくるのは、ひょろひょろ大根とバカデカ大根のまぬけな対比だけなのだった。

ちなみに何の関係もないが、◯◯気功整体院の施術は全く効かなかった。

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気功と大根の話|中島とう子
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