ヘルシーでいるために――米津玄師が向き合う「内側からの解体」#アジア文化最前線
子どものころの不器用な自分をいたわる
「自分でも、本当に様子のおかしい子どもだったなと思い返すんです。13歳から23歳までの間、一度も床屋にも美容院にも行ったことがなくて、ずっと自分で髪を切っていたんですよ。人に触らせたくなくて」 「学校の勉強がしたくなさすぎて。子どものころは、学校での勉学について『冤罪によって科せられた刑務作業』みたいに感じていたんです(笑)。『なんでこんなことをしなきゃいけないの?』と。だから『いい学校に行きたい』とか『いい会社に入りたい』という意識を持ったことは、一度もないですよね。絵を描いたり、音楽を作ることが逃避先で、それで生きていくしかないと思っていました」 そんな少年がやがてミュージシャンとなり、日本の文化に欠かせない一人になった。音楽家になれなかった可能性を想い、「今思い返すと、ぞっとします」と笑いながらも、「烏」で幼いころの自分にも手を差し伸べた。 「子どものころの自分をいたわってやろうみたいな気持ちが、ここ最近すごく強くあって。二十歳超えてから、この社会で生きていくためにああしなきゃいけない、こうしなきゃいけないと思う中で、無意識に背を向けていた部分があるんじゃないかなと。35歳の今、子どものころの自分を思い返して、ちゃんといたわってやるタイミングなのかなと思っていますね」
来た道を「辿り直す」。「自分の空間」を持つ。幼き日々をいたわる。それはバトル型SNSの時代に、自分を守る足場でもある。サッカー日本代表のエンブレムが神話上の「八咫烏」なのを承知の上で、あえて「ただのカラス」を選んだ。 「昔住んでいた家の屋上によくカラスが来ていて、コミュニケーションのようなものを取っていた時期があったんです。だから自分にとってカラスって気安い友達みたいなイメージ。英雄めいたものじゃなくて、ともすればスカベンジャーとして嫌われてすらいる。でも、それがふさわしいなと」 「サッカー選手も、ピッチから一歩外れれば素朴な青年だったりする。それは自分もそう。ステージから一歩降りれば『締め切りに追われてヒーヒー言ってるうすのろ』でもある。……人間って多面的ですよね」 W杯に沸き、J-POPの世界進出に沸く「熱狂」の季節。米津玄師は健やかな「自分」でいようとし続けている。 米津玄師(よねづ・けんし) 1991年生まれ。徳島県出身。音楽家、イラストレーター。「ハチ」名義でボカロシーンを席巻し、2012年に本名の米津玄師での活動を開始。2026年、NHKサッカーテーマとして「烏」をリリース。映画『キングダム 魂の決戦』主題歌として「夜鷹」を書き下ろした。11〜12月には「米津玄師 2026 TOUR / GHOST」を開催予定。 「#アジア文化最前線」はYahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。新たな才能が生み出すエンターテインメントや豊かな歴史に根ざした伝統芸能など、最新のトレンドや伝統の再発見をお届けします。日本を含むアジア文化への理解を深め、世界とのつながりを広げることを目指します。