今回は、引き続き日本が敗北していく過程について書いていきたい。
アメリカを代表とする連合国軍は、アジアにおいても、ヨーロッパにおいても、劣勢を挽回し、日独伊を中心とする枢軸国は、敗北への道を進むことになる。
その決定的な戦闘は、ヨーロッパ戦線で言えば、スターリングラードの敗北、イタリア本土上陸そしてムソリーニ政権の崩壊となるだろう。
日本においては、ミッドウェー作戦の失敗、ソロモン諸島における消耗戦の末の敗北、ニューギニア戦線の拡大といった中で、軍部の中からも「敗北」の二文字が出てきた。
1943年4月の連合艦隊司令官海軍大将山本五十六の戦死は、敗北へのレクイエムとなった。
ニューギニア戦線での作戦の失敗、補給の軽視などなど様々な要因があり、「自国」の兵士すら満足に食糧・弾薬が補給されなくなり、戦死よりも病死(マラリアやアメーバ赤痢など)や餓死が多くなった。
日本の軍部にとって一番ショックな出来事だったのがアッツ島の全員戦死(玉砕)である。アッツ島は島ながらにしてアメリカ固有の領土であり、アメリカ側からすればキスカ島と合わせて、必ず奪還しなくてはならない場所だった。
時の総理大臣陸軍大将東條英機は、危機に立たされていた。そして、統帥部との意見の相違を解消することもできなかった。
そこで、東條は前例にないことを行った。陸軍大臣と参謀総長・海軍大臣と軍令部総長を兼任というマジックを行ったのだ。政権と軍部が挙国一致で同意した結果であると言える。
1943年は、日本にとってはアリューシャン列島とニューギニアが主戦場であった。
ドイツにとってはスターリングラードの敗北とアフリカ戦線の敗北という「屈辱的」な出来事のある年であった。
イタリアにとっては、地中海の制海権・制空権を失い、イタリア本土に連合国軍の上陸を許し、ムソリーニ率いる「ファシスト党」政権が崩壊した。そして、後継のバドリオは連合国に無条件降伏したのだ。
このような状況にありながら、米英ソという三国は、カサブランカ会談で日独伊の無条件降伏まで闘うことを表明した。
そもそも日本は、敗北を受け入れる思想はなかった。まさに「一億総動員」政策をとり、無条件降伏を受け入れることなく、「一億玉砕」まで闘い抜くことを宣言したのだ。
東條が陸軍大臣のときに書いた「戦陣訓」では、「生きて虜囚の辱めを受けることなかれ」と訴え、捕虜になるより「自決」せよと軍人に植え付けたのだ。
自分たちが統治する「国民」に対して、「死ね」と命令し、軍人も「捕虜になるくらいなら死ぬのが美学」だとしていた。それが、日本における戦争による「戦死者」を増やした原因でもある。
日本は、「死の美学」を掲げながら1944年に突入していく。
日本にとって1944年は悲惨な年となった。
中部太平洋戦線においては、日本海軍最大の根拠地であるトラック諸島へのアメリカ軍の空襲を受け、多くの艦船が沈められた。補給物資を乗せた輸送船も潜水艦の餌食となった。まさに軍人どもは、「兵士の命」の価値など1銭5厘の切手代にすぎないことを兵士に強要したのだ。
そうした責任を取らず、戦後「革命」に敵対し、自民党の代議士となり、自らの「言い訳」と「延命」を画したのだ。
岸信介は、東條内閣の商工大臣として、戦争協力を積極的に行い、前任地の「満州」では、中国人民に対して無慈悲な搾取を行っていた。
そういった輩が戦後をも延命できたのは、徹底的に戦争犯罪を裁くことができなかった結果である。そして、ときの政権は、アメリカの顔色を伺い、アメリカに追従した結果、現在日本帝国主義が復活してきているのだ。
アメリカ・オーストラリア軍は、中部・南部太平洋を怒涛の勢いで進んでいった。
ニューギニアは陥落し、多くの兵士を殺害することになる。
そして、中部太平洋では、マキン・タラワ・ペリュリューといった島しょを順番に攻撃していき、「玉砕」を強制した。
東京で、何の危険もなく、指揮官づらした軍人どもは、兵士の命を顧みることなく、日本人民に対しても、虚構に満ちた「大本営発表」を繰り返した。もし、「大本営発表」が事実であれば、とっくのとうに戦争に勝利しているはずである。
そうして、中部太平洋の要衝であるトラック諸島を攻略し、サイパンなどの「南洋諸島」へ歩みを進めていった。もはや日本は、軍部による「玉砕」命令を出すことで延命を図ろうとしていったのだ。
アメリカの戦略爆撃機B-29は、当初は中国の基地から北九州を中心とする戦略爆撃を始めた。サイパンを占領することで、東京をはじめとする日本「本土」のほとんどを空襲することができるようになった。
戦略航空軍司令官であったアーノルドやカーチス・ルメイは、日本「本土」に対して、無差別爆撃を決定したのである。
無差別爆撃を意図するものは、軍人だけでなく、人民をも虐殺することであった。
戦後、日本への無差別爆撃を指揮したカーチス・ルメイに対して、日本政府は天皇の名によって「勲章」を授与するという反人民的な行為に出るのだ。
もし、アメリカに対して戦争責任を追及することができるのならば、大統領ローズヴェルトの次に戦犯名簿に載せることができる軍人だ。そうした軍人に「勲章」を与えた天皇は、人民が殺されていくことを容認したに等しい暴挙を行ったのだ。
南部太平洋を進撃する陸軍大将マッカーサーを指揮官とする部隊は、フィリピンに向けて進撃していった。当初アメリカの軍部はフィリピンを通り過ぎて台湾を攻撃する計画を立てていたが、マッカーサーは日本による屈辱的な敗北を覆い隠すために、「解放軍」としてフィリピンへ凱旋したいという個人的な理由で作戦を変えてしまったのである。
1944年末から1945年まで、日本・ドイツ・イタリアは奈落の底に突き落とされていく。
次回は、引き続き、日本が敗北していく過程にについて書いていきたい。
【つづく】