ホラー短編小説「木目」Part.12
第12話「絶望」
「……朝だ」
山田は床にへたり込んだまま、
窓の外を見た。
部屋の隅で丸くなっていた鈴木が、
ゆっくりと顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃになった顔に、
それでも、ひどく安心したような笑みが浮かんだ。
「私たち……助かったんですね。
山田さん、
一緒にいてくれて……ありがとう、ございました。
……帰りましょう」
山田の胸の奥から、
熱いものが込み上げてきた。
守り切った。
もう、何も奪われない。
山田は涙を堪えきれずに立ち上がり、
鈴木の顔を、間近で覗き込んだ。
「ああ、帰ろう。
一緒に――」
山田の言葉が、
そこでぴたりと止まった。
間近で覗き込んだ、鈴木の瞳。
朝の光を受けた、薄茶色の虹彩。
その小さな鏡のような表面に――
信じられないものが、浮かび上がっていた。
胸から血を流し、
絶望の表情で死んでいる
『自分自身の顔』。
そして、その自分を見下ろしているのは、
血まみれのカッターを握りしめ、
狂乱した表情の――『鈴木』だった。
――鈴木に、殺される運命にあるのは
俺自身、なんだ。
佐藤も、高橋も、
見えてしまった運命からは
絶対に逃げられなかった。
回避しようとする行動そのものが、
死の引き金になる。
すべてを犠牲にして守り抜いた女に、
自分は、殺されるのか。
「ふっ……ふふっ……あははははっ」
山田の口から、
割れたガラスを噛み砕くような、
乾いた笑いが漏れた。
愛と絶望が、完全に裏返る。
俺が殺される運命なら。
……殺される前に、俺が、殺す。
彼は笑いながら、
床に落ちたカッターナイフを拾い上げた。
カチカチカチッ、と
刃が限界まで突き出される。
「帰ろう、鈴木」
狂気に染まった山田が、
鋭利な刃を、高く振り上げた。
「……っ」
鈴木の全身から、
血の気が引いた。
山田の目に宿る、明確な殺意。
殺される。
鈴木は怯えきった悲鳴を呑み込み、
ベッドの上で必死に後ずさった。
だが、背中はすぐに、
ヘッドボードにぶつかる。
「いや……っ」
大粒の涙が溢れ出した。
「違うっ!」
鈴木は身を投げ出すように、一歩、踏み込んだ。
そして、山田の頬を、思いきり張り飛ばした。
パァンッ。
乾いた音が、めちゃくちゃになった部屋に響く。
山田の動きが、一瞬、止まる。
その隙に、鈴木は、
振り上げられた山田の右腕をくぐり、
その胸へ、まっすぐ飛び込んだ。
そして山田の両目を、ぴったりと覆った。
「もう見ないで……!」
鈴木は、山田の顔を自分の胸に強く抱き込み、
彼の視界を、自分の体で、完全に塞いだ。
山田の視界から、光が消えた。
木目も、シミも、皺も、瞳の中の死顔も――
山田を殺そうとしていた、あらゆる「形」が、
鈴木の手のひらと胸の温もりの向こうに、閉ざされた。
カッターを振り上げたまま、山田は硬直した。
見えない。何も、見えない。
その代わりに――聞こえた。
ドクン、ドクン、と。
自分の顔を抱き込んだ、
鈴木の胸の奥から。
恐怖で限界まで速くなった、心臓の鼓動が。
ドクン、ドクン、ドクン。
ただ、生きているという事実だけが、
そこにあった。
頬に、彼女の濡れた涙が落ちる。
腕の中で、彼女の体が、
怖くてたまらないというように
激しく震えている。
それでも、その腕は、
山田を離さない。
柑橘の香りが、すぐ近くでした。
「私……怖いです」
鈴木の声が、
山田の耳のすぐそばで、
震えながら言った。
「本当に、怖い。
逃げたくて、たまらない。
ドクン、ドクン、と鼓動が脈打つ。
山田の、震える手から、
ゆっくりと、力が抜けていった。
カラン……。
カッターナイフが指を滑り落ち、
傷だらけの床に、乾いた音を立てた。
山田は理解した。いや、思い出した。
俺はずっと、模様ばかり見ていた。
だが、その向こうにいる人間を――
今、こうして、自分を必死に抱きしめている生身の鈴木を、
俺は一度も、見ていなかった。
見るべきものは、模様じゃなかった。
予言より。死より。運命より。
この、形にならない鼓動のほうが、ずっと、確かだった。
山田の目から涙が溢れ出した。
山田は鈴木の手のひらにそっと自分の手を重ね、
ゆっくりとそれを目から外すと、
振り上げていた腕を下ろし、
その華奢な背中を、
両腕で力強く抱きしめ返した。
朝の光の中で、
模様ではない鈴木の顔を
まっすぐに見た。
「ごめん……
ごめん、鈴木……!」
「もう……一人で、
頑張らなくて、いいです」
鈴木は、彼の腕の中で、
力が抜けたように泣き崩れた。
「帰りましょう……一緒に」
真っ白だった部屋は、
無数の傷と、引き裂かれた布で、
めちゃくちゃになっている。
しかし、朝の光に包まれて
強く抱き合う二人の姿だけは――
どんな暗い運命にも歪められない、
確かな生と愛の証として、そこにあった。
エピローグ「木目の記憶」
あの夜から、二週間後。
山田と鈴木は約束通り、
不動産管理会社に退職願を出した。
二人とも心身の疲労を理由にしたため、
会社も深く詮索はせず、
手続きは静かに進んだ。
私物を整理するため、
休日の無人のオフィスを訪れた山田は、
たまたま居合わせた別部署のベテラン社員から、
引き継ぎのついでに、ある話を聞かされた。
「そういえば、
山田くんたちが最後に査定に行った、
あの古い木造住宅な。
結局、更地にして
駐車場にするらしいよ」
清掃をしていた山田の手が、ふと止まる。
「……あそこ、わけありの物件だったろ」
「わけあり、というと?」
ベテラン社員は、
声を少しだけ落とした。
「前に住んでた、若い男女がな。
詳しい事情は知らんが……
ある晩、家の鍵を全部、
内側から閉めてな」
山田の背筋を、
冷たいものが這い上がった。
「中で、何があったんですか」
「刃物で、刺し合ったんだと。
発見されたときは、
奥の和室が……まあ、
ひどいもんだったらしい。
だから気味悪がって、
誰も買い手がつかなくてな」
ベテラン社員はそれきり、
世間話に戻っていったが、
山田の耳には、
もう何も入ってこなかった。
内側から鍵を閉めた、密室。
刃物で刺し合う、若い男女。
和室の――押し入れの、あの木目。
山田の脳裏に、
ホテルの部屋の記憶が
鮮明に蘇った。
『……ああ』
山田は、すべてを理解した。
あの押し入れの木目は、
ただ未来の死を予言していたのではない。
あの家は――
過去に起きた凄惨な惨劇と
まったく同じ状況を、
訪れた人間を使って、
もう一度、再現させようとしていたのだ。
佐藤の死も、高橋の死も。
山田の精神を極限まで追い詰め、
鈴木とただ二人、
「密室」へ逃げ込ませるための、
巧妙な誘導だったのかもしれない。
そして最後の罠として、
瞳の中に「相手に刺される死顔」を見せ、
互いに刃を向け合わせ、
あの夜の惨劇を、なぞらせようとした。
もし、あの朝。
鈴木が、ただ逃げ出していたら。
恐怖のあまり、
山田とカッターを奪い合っていたら。
あるいは――
彼女が、あんなにも怖がりながら、
それでも目をそらさず、
形のない自分の鼓動だけを差し出して、
呪いのシナリオそのものを壊してくれなかったら。
自分たちは今頃、
あの「事故物件」の歴史の新しい一ページとして
永遠に、あの暗い木目の中に、
閉じ込められていたかもしれない。
呪いを破ったのは、
強さでも、勇気でもなかった。
怖い、と認めながら、
それでも目の前の人間を選んだ――
たった一人の、生身の体温だった。
「……山田くん? 大丈夫?
顔色、悪いよ」
「あ、いえ……
なんでもありません」
山田は愛想笑いでごまかすと、
荷物を詰めたダンボールを抱え上げた。
ふと、自分の使っていたデスクの表面に、
目が落ちる。
綺麗にプリントされた、木目調のパネル。
山田は息を止め、
持っていたガムテープの束を、
その木目の上に、乱暴に置いた。
視界から、不規則な模様を、隠すように。
――もう、お前の中には、何も見ない。
「山田さん、終わりましたか?」
オフィスの入り口で待っていた鈴木が、
柔らかく微笑んで、首を傾げる。
山田は彼女のもとへ歩み寄り、
空いたほうの手で、
その小さくて温かい手を、
しっかりと握りしめた。
鈴木は一瞬、
驚いたように目を丸くしたが、
すぐに嬉しそうに目を細め、
しっとりとした指を、
山田の手に絡め返してきた。
掌から伝わる、確かな体温。
微かな鼓動。
それは、どんな模様にもならない、
ただ生きているという、
揺るぎない事実だった。
「行こう、鈴木」
「はい」
もう二度と
冷たい模様の呪縛に
囚われることはない。
二人は互いの命の重みと
体温を確かめながら、
一度も後ろを振り返ることなく、
明るい陽光が降り注ぐ、
外の世界へと歩き出していった。
(了)
【あとがき】
ホラー小説も書いてみました。
サラッと読めて、臨場感のあるもの、
あとグロいとか、嫌な感じにならないように
そこは気を付けて書きました。
あと、これは書き終えてから知ったんですが、
パイレイドリア現象を扱った作品は
他にもすでにあるようなんですが、
それぞれに特色があるということで
そのあたりについても書いておきます。↓
1. 各作品のあらすじ
『The Pareidolics』
主人公が、亡き父と同じようにタイルなどの模様から
「秘密のメッセージ」を受け取るようになります。
ダークウェブのコミュニティ「The Pareidolics」にのめり込み、
家族の忠告を無視してメッセージに従い続けます。
最終的に、父が溺死した桟橋へ誘い込まれ、
水中のエンティティに命を奪われそうになりますが、
頭の中の「小さな声」に従って
縄梯子を持参していた母親によって救出されます。
『木目』(本作)
不動産会社で働く山田が、
空き家の押し入れの木目やトイレのドアの模様に
「次に死ぬ同僚の最期の顔(死顔)」を見てしまうようになります。
実際に佐藤や高橋が予言通りに惨死したため、
山田はパニックに陥ります。
同僚の鈴木の死を回避しようと
模様のない真っ白なホテルの密室に彼女を隔離しますが、
シワや影を消すために部屋をカッターで破壊し、
自らが「鈴木を殺す狂人」と化してしまいます。
最後は、恐れずに抱きしめてくれた鈴木の涙によって模様が消え、
正気を取り戻します。
短編映画『Pareidolia』(2023年)
大学でパレイドリア現象を教える講師のシネイドが、
自らの日常風景の中に顔を見るようになり、
家に潜む超常的な存在に狙われている
と確信して追い詰められていきます。
並行して、地元の神父が霊安室で直面する奇妙な遺体を通して、
神学的な罪や過去の因縁が絡み合うホラーサスペンスです。
2. 3作品の類似点
「合理的な解釈」の崩壊
・3作品すべてにおいて、
主人公たちは当初「パレイドリア(シミュラクラ)現象
=ただの脳の錯覚」という知識を持っています。
しかし、それが単なる心理現象ではなく、
実際に命を脅かす超常的な力へとすり替わっていく過程が
恐怖の軸となっています。
視覚の汚染と孤立
・模様に意味を見出してしまうことで、
主人公たちの視野が極端に狭くなります。
・周囲の人間(母親や同僚など)から
「身内の死のショックで精神に異常をきたしている」
と見なされて孤立していくパラノイア(偏執症)的な展開が
共通しています。
自己実現的な破滅への誘導
・超常的な存在や運命から逃れよう(あるいは従おう)とする
主人公自身の行動が、結果的に惨劇の引き金となります。
・『The Pareidolics』では自ら危険な桟橋へ赴き、
『木目』では高橋を非常階段から遠ざけようとした結果転落死させ、
鈴木を安全な場所に隔離した結果自分が刃物を向ける事態を招きます。
3. それぞれの違いとアプローチの比較
・作品ごとの特徴や恐怖の質の違いを以下の表にまとめました。
恐怖の正体
「The Pareidolics」
⋯水辺に潜む悪意あるエンティティ
「木目」
⋯視覚的な「死の予言」と、運命に抗おうとする主人公自身の狂気
「Pareidolia」
⋯家の中に潜む見えない存在と、過去の罪
恐怖のベクトル
「The Pareidolics」
⋯オカルトコミュニティを通じた「外部からの洗脳・誘引」
「木目」
⋯自らの手で予言を完成させてしまう「内面からの崩壊」
「Pareidolia」
⋯暗闇から何かが迫りくる「古典的なホラー演出」
テーマ性
「The Pareidolics」
⋯父親の死という喪失感(グリーフ)と、
ダークウェブなどの現代ネットロアの融合
「木目」
⋯「絶対に逃れられない死のルール」を提示する
パニック・スリラーと密室サスペンス
「Pareidolia」
⋯宗教的な罪の意識と、パレイドリアという学術的要素の融合
救済の鍵
「The Pareidolics」
⋯母親の直感的な行動(縄梯子)と物理的な救出
「木目」
⋯鈴木の愛情(抱擁と涙)による視覚的呪縛の解除
「Pareidolia」
⋯未知の脅威との直接的な対峙
総括:
・『The Pareidolics』は、
悲しみに付け込む超常的な存在の罠に落ちる「静かな怪談」です。
・「Pareidolia (2023)」は、
現象を学術と宗教の観点から描く「ゴシックホラー」の性質を持ちます。
・『木目』は、
模様を恐れるあまり
自らが怪異のような狂人へと変貌していく姿をスリリングに描いた
「サイコスリラー」としての側面が強いのが特徴です。
呪いでどんどん死んでいくという点では「リング」だとかと似ていて、
割とよくある感じだと思うんですが、読みやすいかなと思います。
あと、死の予言から助けようしてどんどん死んでいくという点だと
映画『ファイナル・デスティネーション』というのが似ているらしいです。
ホテルで山田が狂っていくところは、
スティーヴン・キングの『1408号室』に似てるそうなんですが、
これは部屋に呪いがかかっていて、それで狂うというやつみたいです。
マンデラ・エフェクトじゃないですが、
わりとやっぱり当たり路線のものは似てくるというか、
そういうのはあるみたいですね。
日本では「シミュラクラ効果」の方で知られているみたいですね。
3つの点が顔に見えるというやつです。



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