左派・リベラル・中道が弱いのは、政策がないからではない。
むしろ問題は、その政策が「自分の明日の生活を守る言葉」として、中間層や生活不安を抱えた人に届いていないことだと思う。
日本社会は、所得、資産、雇用、健康、家族、政治参加のしやすさなどを重ねて見ると、政治を考えるための概算モデルとして、比較的強い立場の人が2割、中間層が6割、社会的に脆弱な人が2割くらいに整理できる。
もちろん、これは厳密な階級分類ではない。
ただ、政治的な多数派を考える入口として、この「2・6・2」はかなり使える。
問題は、真ん中の6割も決して安定していないことだ。
病気、介護、失業、離婚、物価高、住宅ローン、教育費、老後不安。何か一つ崩れれば、中間層は簡単に下の2割へ滑り落ちる。
では、なぜ社会的に脆弱な人や、生活不安を抱える中間層が、左派・リベラル・中道系に自然に向かわないのか。
一つは、政治に関わる余裕そのものが乏しいからだ。
生活が苦しい人ほど、情報を集め、投票に行き、声を上げる時間や気力を奪われやすい。結果として、無党派化し、棄権し、政治不信に沈みやすい。
もう一つは、左派・リベラル・中道系の政策が、生活の現場で「自分に返ってくる安心」として見えにくいからだと思う。
実際には、各党は中間層向けの政策を何も出していないわけではない。
教育費の軽減、子育て支援、医療・介護、賃上げ、住宅支援、税と社会保険料の見直し。そうした政策はある。
けれど、それが一つの生活像として届いていない。
「この政策なら、親の介護で詰まない」
「子どもの教育費で家計が壊れない」
「病気になっても仕事と生活を失わない」
「老後に一人で放り出されない」
そういう実感に翻訳されていない。
だから中間層から見ると、再分配はしばしば「自分を守る仕組み」ではなく、「誰か別の人のために自分が負担する話」に見えてしまう。
ここに大きなズレがある。
「弱者を助ける政治」は必要だ。
でも、それだけでは中間層には届かないことがある。中間層に必要なのは、「あなたも守られる側だ」という言葉であり、制度の設計だ。
医療、介護、教育、住宅、雇用、年金、子育て。
これらは一部の弱者だけの問題ではない。中間層が中間層でいられるための土台でもある。
一方で、上位の2割を単純に敵視するだけでもだめだと思う。
必要なのは、成功した人を罰する政治ではなく、社会の安定からより多く利益を得ている人には、より大きな責任を引き受けてもらうという税と再分配の設計だ。
結局、左派・リベラル・中道系の戦略は、「弱者救済」だけでも、「中間層迎合」だけでも足りない。
脆弱な人を守る。
中間層の転落不安を減らす。
上位安定層にも公正な負担を求める。
この三つを、一つの社会構想としてつなげる必要がある。
弱い人のための政治は、中間層を守る政治でもある。
そこを具体的な生活の言葉で語れなければ、どれだけ良い政策を出しても、再分配はいつまでも「自分ではない誰かのための負担」に見えてしまう。