國分功一郎『天皇への敗北』を読んだ。平成後期の政界に君臨した安倍晋三は、様々な手段を駆使しながら立憲主義を蝕んだ。それに対しリベラルが選んだのは前天皇の明仁を頼ることで憲法を守るという、民主的な立憲主義を放棄する道筋だった。これをもって國分は、日本国民は天皇に敗北したとみなす。
本書は今年の4月に刊行されたものだが、その後旧宮家養子案が持ち上がったことなどを踏まえると、重要性を増し続けている本だと言える。國分は本書の終章で、日本国憲法には基本的人権が適用されない天皇という「飛び地」がある、と主張する長谷部恭男の文章を引用している。
「憲法の認める普遍的な権利は、皇居の堀端を超えては及ばない。したがって、たとえば、『女帝』が認められないのは男女平等原則に反するという議論は、『飛び地』の外の憲法原則を『飛び地』のなかに持ち込む倒錯した議論であってまじめな考慮にあたいしない。男女平等原則を貫徹しようとするのであれば、『飛び地』そのものをなくすのが先決といえよう」
長谷部の文章は2004年に書かれたものだが、22年経った今こそ真剣に読むべきものだろう。日本の尊皇リベラルは、旧宮家養子案は女性天皇を阻止するための企みに他ならない、と批判している。それ自体は正しいが、一方で彼らは、天皇制そのものが人権侵害であることをわざと無視している。人権を重んじるはずのリベラルが、なぜ天皇の人権については気にかけないのか? リベラルは天皇に憲法を守ってもらうことで実質的に敗北した、という國分の議論を踏まえると、現状の護憲的な天皇を生み続けている制度がなくなってしまえば、改憲を推し進めようとする保守派に対抗する勢力がなくなってしまうからにほかならない。リベラルは憲法を守るための力を失っている。これに加えて、憲法を尊重する天皇すら失ってしまえば、いよいよ保守派を食い止めるものはなくなってしまう。だから、リベラルは天皇の人権と引き替えに、天皇制の温存を望んでいるのだ。
國分は本書の四章で中野重治の「五勺の酒」を読みながら、中野が「天皇制からの天皇という個人の解放」を主張していたことに着目している。「五勺の酒」には以下のような文章がある。
「恥ずべき天皇制の退廃から天皇を革命的に解放すること、そのことなしにどこに半封建性からの国民の革命的解放があるのだろう」
天皇という人権の例外があるかぎり、日本国民の人権意識の向上は望めない。天皇を解放することでこそ、日本国民はようやく自分自身を解放することができる――こうした中野の問題意識を受け継いでいる人は、今日の日本にはほとんど存在しない。保守派が初めから天皇(および日本国民)の人権になど気にかけていないことは言うまでもないが、リベラルもまた天皇におんぶにだっこなので「革命的解放」などといった考えは持ち合わせていない。國分が本書を上梓してからも、日本人は天皇制が原因で敗北し続けている。