願い星はなくとも
任務後に星空を見ながら雑談と約束をする日下部さんと日車さんのお話。単体で読めますが『君という灯』novel/27906850などと地続きではあるのでカプあり系でシリーズにまとめました。流れ星の講釈は雰囲気で読んでくださると幸いです。毎度ながら何でも許せる方向けです。
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雑談に脈絡なんて基本的にあったものではない。しいて言えばその夜は、やけに星が綺麗だと思ったのだ。
「流れ星見れたら願いが叶うとか言うのってなんででしょーね」
ボンネットに腰掛けながら、独り言にも近い音量で日下部はぽつりと呟いた。ビルの群れも眩いネオンサインもない澄んだ夜空は、流れ落ちこそしないもののさんざめくほどの星々が煌いていた。
今の距離感が当たり前となって以来、隣に立つ日車といてあまり沈黙に困ったことはないが、こんなどうともない話にも困ったことがない。手近な樹に身を預けていた男が、律儀にもわずかに背を起こしてこちらを見てきた。
「意外だな。そうした非現実寄りな話には興味がないと思っていた」
「実際聞かれてもテキトーに流してたけどな。なんかお前なら知ってんのかな、と」
ふとよぎった疑問をそのまま音にしただけのことで深い意味などなかった。あるとすれば返したとおりの、彼なら答えられてしまいそうだという予感だけだ。
バス停すら遠い山の麓で、補助監督の迎えが来るまで暇だった。行きに使った車は任務の最中で既にスクラップとなっているが、絶賛椅子代わりに活用している日下部本人も同じ任務に当たった日車も無事軽傷で片付いたのだからこれくらい気を緩めても罰は当たるまいと飴を転がす。
日車が、数秒ほどの沈黙の後、視線を空へと移しながら口を開いた。
「吉兆と認識すること自体、この国では今ほどは多くはなかったそうだ。そう捉える伝承ももちろんあったが、凶兆とする向きの方がどちらかと言えば優勢だった。変わってきたのは江戸時代辺りかららしい」
「……思ったよりガチなのが来たな」
「高校のレポート実習で取り上げた同級生がいたんだ」
「なんでそんな時のことまで覚えてんですかねぇ」
思わず漏れた笑いに乾いた色が混じる。少なくとも六法全書の全文は入っているに違いない、さして大きくも見えないその頭の中は果たしてどうなっているのか。二十年近く前に知ったはずの話を、昨日のことのように日車が淡々と続けた。
風の流れと葉擦れの音が時折かすめるだけの中、落ち着いた低音が心地よく響く。
「欧米では元々星が流れている間は神様に願いが直接届くという信仰があった。文明開花後にその辺りの伝承と、変化してきた見方とが噛み合って独自の解釈が深まり、今の民間伝承に落ち着いた、と締めくくられていた」
学生として聞いた授業とも違う、己が教師として話す閑話とも違う静かな語り口は、眠さを覚えることもなく聞き終わるのが惜しくすらあった。本職としての少しばかりの悔しさなど余所に素直に耳を傾けながら、元来、彼の本分もまた語る人であることを日下部は思った。
「見れたらラッキーくらいでいいだろうに色々と考えんのね」
「見れたらラッキーくらいが正直なところ丁度いいだろうな」
「あんだけご高説並べられても結論はそれなのかよ」
「時間潰しにはなっただろう?」
混ぜっ返してみたところで、それまでの堅苦しさを緩めた日車がこちらを見やって肩をすくめた。数分足らずの講義めいた空気が散って、どちらともなく笑い合う。
どうともない話はそこでひと段落となり、またしばらくの沈黙が落ちた。口の中の飴はもう随分と小さくなっていた。
今の距離感が当たり前になってから、何も言わない時間にも困ったことはさしてない。けれど、少し離れた位置に腰を落ち着けてしまっていることを、日下部は後悔し始めていた。人気などないとはいえ野外であるし、補助監督もほどなく来るからと空けた距離がひどくもどかしくなって立ち上がる。
数歩ほど大股で進めば日車の立つ樹の下まですぐに辿りつく。同じ樹にもたれかかりながら、今度は明確に聞こえるように日下部は言った。
「願いなんて大層なモンじゃねえけど、あれだな、たまには温泉にでも行ってゆっくりしてえな」
「いいな。近くに釣り場があるところというと、たしか有馬か淡路島か……」
雑談に、脈絡なんて基本的にあったものではない。ただ、一度始まった話題から枝葉のように話が移るのも、また雑談だ。星に縋るほどでもないちょっとした展望を言葉にすれば、真面目な男が口元に手をやりながら真剣な面持ちで場所の検討を始めてしまうのが、面白くもあり、なかなか口にはできないがいとおしくもあった。
ただ、その検討の中に、彼自身のことが半分ほどしか含まれていないのだけはいただけない。共に行くことはどこか当然のように考えているようでいて、どうして釣り場を探そうとするのか。
飴のなくなった棒を包装紙でくるんでしまうと、日車の、顔の元まで上がっていない方の掌を掴んだ。彼からすれば唐突なのだろう接触に、白目がちの大きな目が日下部を捉える。
「あのな。釣りも悪かないけども、俺は、お前と、ゆっくりしてえの」
わかれよ。言っている途中で照れが勝ってしまって最後はほとんどささやきに近くなったのが余計に落ち着かなかった。俺いま何つった? と反芻するにつけて耳まで熱くて仕方ない。さすがに目線は合わせたままではいられないものの、掴んだ手までは離したくなくて余計に往生する。
日車がおずおずと、けれど確かな強さでその手を握り返してきたのはそんな時だった。
「……今度、休暇の調整ができないか、聞いてみる」
見返した先、きっと、ずっとこちらを見ていたのだろう眼差しがはにかむように細まる。夜目にもわかる白い肌に朱が差して見えるのが、決して都合のいい解釈ではないことを、掌から伝わる熱や脈拍が教えていた。
「……おう」
迎えの車のものだろうエンジン音が近づいてさえいなければ、野外だろうと何だろうと今すぐ抱き込んで口付けの一つもできたのに。恨めしく思いながらも叶わない分だけ絡める指先に力を込めた。
休む暇なんて実際のところどれほどあるのかだとか、それを実現するまでにどれだけ片付けなければならない任務や業務があるかだとか、そんなもの、今交わした約束の前には些末な問題だと思った。
釣り場なんてどうでもいい。隣にこの男がいて、今夜のような何気ない時間を共にできるなら、欲を言うならば触れ合うことにためらう必要もない場ならそれ以上に何も言うことはない。
人の願いなんて知ったことではなくとも、きっと向こうでも星は綺麗だ。