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君という灯/Novel by 藤坂のえ

君という灯

3,437 character(s)6 mins

珍しく弱音を零した日下部さんとそれを聞いた日車さんのお話。単体で読めますが『人知れぬ特別』novel/27829271などと同じ流れの二人です。相も変わらず何でも許せる方向けです。
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 体が資本とはどんな仕事でも言うが、呪術師はその最たるものだ。直前の任務で死にかけるほどの大怪我をしようが治療さえ済めばまた最前線に蜻蛉返りだし、任務自体の数も人手に対して圧倒的に多い。
 その夜、日下部はそれはもう疲弊しきっていた。先の大きな戦いから日常らしきものが戻ってそれなりに時が経つが、失われたものは永遠に戻らない。こなす任務の多さだけならまだしも、ようやく得たはずの連休初日に突然総監部のお偉方に呼び出しを喰らい、七面倒な腹芸を強いられること約半日。とっぷりと深夜の暗闇に沈んだ街並みに、ため息すら出なかったのは致し方ないだろう。

(儘ならねぇモンだよなぁ)

 昼食から共に過ごすはずだった恋人は今頃眠っているだろうか。眠っていてほしい、と日下部は思う。せっかく買った新商品のハンバーガーは一緒に食べることもできなかった。久々の逢瀬に水を差してしまっても、事情を知る日車はきっと怒ってすらくれない。むしろ労いまでしてくれて、それから、明日があるだろう、と日付を述べるキャスターのようにさらりと言うのがありありと浮かんで、今度は深く息を吐いた。
 ただいま、と小さく呟きながら扉を開ける。電気は点いていなかった。やはり眠っているらしいと思ったところで、ふと鍵を閉める手が一瞬止まる。知らず落としていた目線の先、玄関には変わらず彼の革靴があった。

(……早めに寝ちまうか)

 思考の巡りがあまり良くない気配に、錠を落として眉間を揉んだ。そのまま、なるべく音を立てないように洗面所から浴室へと滑り込む。烏の行水で十分だった。彼の隣で休むのに足りるだけの最低限。それを終えて居間へと出ると、先ほどまで消えていた明かりが点けられていた。

「おかえり、日下部」
「ただいま。っつか起こしちまったか。悪ぃ」
「いや、ちょうど喉が渇いた」

 言いながら日車が役目を終えたところらしいグラスを洗ってしまう。気遣いなのか事実なのか判別させる男ではないのが小憎らしいと思った。朝に聞くつもりだったが起きてしまったなら、と自分の水を注ぎつつ尋ねる。

「晩飯ちゃんと食ったか?」
「冷しゃぶを作った。君の分も一応ある」

 思わぬ答えが返ってくるものだから、飲んでいる水が危うく気管に入りそうになった。

「食ってくるっつったのに?」
「……食べた気がしない、とよく言うだろう」

 日車の視線がかすかに泳ぐ。彼なりに考えた末のことなのはそれだけで痛いほどわかって日下部は口元を覆った。
 言った。確かに前に言った。実際、お偉方と囲まされる席は出される物がどれだけご立派でも、肩肘張ってあれこれと頭と口を回しながら食べたところで味も素っ気もあったものではない。だからといって、とこみ上げるものを感じつつも、日下部はゆるく目を伏せた。

「……すまんがそれ、明日の朝もらうわ。今日はちっとばかし、疲れた」

 数瞬の静寂に背が冷えるのがわかった。けれど日車はそっと日下部の手からグラスを抜き取ってきたかと思うと、穏やかに言った。

「一応、と言っただろう。それに、よく冷えた方がより旨い」

 理解ありすぎるのも考えモンだぞ、お前。よぎったもののそれに寄りかかってしまっている今を思って吞み込んだ。降りた前髪が日車の目元にかかるのを指先でそっとよけてやってから、くしゃりと頭を一度撫ぜた。


 眠っていたかは定かではないが、横になっていたのは本当らしい。ぬくもりの残る寝床に日車共々寝そべって、日下部は少しではなくほっとした。
 肝心なことには結局踏み込めないままだった。不可抗力とはいえ約束を反故にしたようなものなのに、と布団をかけ直す日車を見やる。
 と、落ち着く体勢になったのか、首をこちらに向けた日車と不意に目が合った。非難なんて単語とは対極の色を乗せた、澄んだ眼差しに射抜かれる。

「今日は災難だったな、日下部。お疲れ様」

 するりと指先がゆるやかに絡められる。心臓を真綿で絞められたならこんな感じだろうか、と馬鹿げた考えが通り過ぎた。

 ――だから、寝ててほしかったんだよ。

 背を抱き込む腕を止められないまま、日下部は日車の肩口に顔を埋めた。

「お前はさぁ、」

 声は情けなく掠れていた。肩に押しつけた額は上げられる気がしなかった。
 自分より少し低いあたたかさに肺の奥まで満たされるままに気付けば言葉は溢れていた。

「ここにいてくれよ」

 言ってしまってから我に返る。ここまで明かすつもりはなかった。一度音にかえた言葉は時に重荷にも傷にもなることは嫌というほど知っていたのに。
 日車が、ただでさえ弱さを前に目を開けていたいと心に持ち続けて一度折れるまで進んだ男が、目を逸らすことなく見つめてくる。

「……わり、今のは――」

 打ち消そうとするのも唇に当てられた指先に制される。せめて己のように何も言わずにただ流すか受け止めるだけで十分なのに、きっと、この男はそれだけでいてはくれない。

「ここにいる」

 ああ、そういう奴だよな、お前は。目線の先を誤魔化し得ない両の目も、返される言の葉も、当人はどれだけ否定しようとも眩しいくらいにまっすぐだ。
 頬に触れてくる手は少しだけひやりとして、けれどすぐに肌に馴染む。泣いてもないのに眦を辿る指先がひどくやさしいものだから、らしくない無様も思わず漏れ出た言葉も全部許された気になりそうで、日下部は留まるように眉を寄せた。

「……これ以上縛りてぇワケじゃねーんだ」

 言い終わるかどうかというところで、とん、と指で眉間を軽く叩かれる。むしろ日下部のその物言いにこそ腹が立つとばかりに、日車が声を低めてきた。

「君らしくもない自己完結だな。俺の意思だ。それ以上も以下もない」
「――そーかよ」

 それ以外、何が言えただろうか。こうもきっぱりと告げられて逃げ場なんて残されていないはずなのに、布団から逃げ出そうという気にすらならないまま、日下部は日車の頬に手を伸ばした。あたたかな薄い皮膚越しに血の巡る感触が伝わる。指先に吐息が僅かに掠める。ただそれだけのことに、胸の奥に残っていた最後の強張りも解けるのがわかった。
 意地を張ってきたがこの際だ。どうせらしくない様ばかりを見せてしまったのだからとことんまで行ってしまうのも悪くないかもしれないと思えてくる。

「な。キスしてもいいか?」
「時と場合を弁えてくれるなら、その問い自体、もう不要だと認識していたが」
「ふ、くく……悪い」

 心底不思議そうな全幅の肯定と、何を今更、と言わんばかりの日車の表情に、つい唇が緩んだ。やはり、らしくないことにもほどがある。いい年したおっさんの甘えだ、なんて言うつもりもなかった。

「そんじゃ改めて、――」

 仕切り直しといこうと寄せかけた唇を相手のそれで塞がれる。しばらく重ね合わされたと思うや離れて、また重なった時には先ほどより深く呼吸を奪われた。欲を煽るのとはまた違う、慈しむようなやわさで絡んで、やがて今度こそ離れていく。

「――してほしいなら、そう言ってくれ」

 こいつの辞書にブレーキってあるんだろうか、と明後日の思考がふと駆ける。瞳は変わらず逸れるということを知らないまま、日下部を見据え続けていた。

「たまに本気でお前が怖えーよ」

 笑いながら言われたところで戸惑うしかないのだろう、日車がきょとりと目を瞬かせる。お前はそんでいいよ、とは胸の内でだけ落とした。
 どちらの熱ともしれないほど混ざった心地よいぬくもりの中で、このまま眠ってしまえたら、と強く思った。思ったが最後口をつくそれを、日下部は今度は溢れるに任せることにする。

「そんじゃあさ、」

 日車を抱え込んだまま、日下部はそっと瞼を下ろす。気が緩んだせいか、追いやっていた眠気が一気に襲ってきていた。布団の底まで沈み込むような感覚の中、それでも伝わる温度を確かめながら、ぽそりとささやく。

「このまま昼まで寝ちまおうぜ」

 日車は頷いてくれたのだろうか、肩に頭を預けられる。労わるように襟足を撫で始めた手に、心置きなく日下部は眠りに意識を明け渡した。


「――      、     」

 支えたいのは、お互い様だ、と。
 日車が落としたひどく小さなその呟きを、夢の中にいる日下部は知らない。

Comments

  • ミッキー
    Apr 26th
  • nanao
    Apr 26th
  • 小夜双☆スカィWeb
    Apr 26th
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