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眠りの檻/Novel by キト

眠りの檻

5,000 character(s)10 mins

・本編終了後日車高専就職if
・同居してる まだ恋愛関係にはない
・鬱車(適正範囲内)

上下問答軸ボツ案 タイトルからして陳腐な話、中弛み
生命維持活動でさえ頑張らないといけないところに世話焼きがやってくる
湯たんぽは熱すぎて嫌な夢を見た
個人的には日車氏は本編エピローグでかなり前向きになっていると思う しかしそう思うかどうかとヘキは別の話でして

5/31大阪

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  日車が熟睡できていないという事は、一緒に暮らし始めてから日下部がまず気づいた事だった。死滅回游の混乱と宿儺との決戦、そしてその後に押し寄せた膨大な後処理。しばらくの間は日下部自身もまともに休む暇がなく、呪術師の絶対数が足りない中、生きていて動ける者は皆ひたすらに働かざるを得なかった。安眠とは程遠い状況だったのは、何も日車に限った話ではない。それでも事態がひと段落し、日常と呼べる時間が少しずつ戻ってきてからも、日車の眠りは一向に善くならなかった。夜の彼を少し注意して見てみれば、浅い夢の縁から振り落とされるように何度も目覚めるか、あるいは朝までほとんど意識を落とせないか、そんな状況が続いているようだった。
(もしかしなくても、宿儺にやられて意識が無かった時が一番よく寝てたかもしれねえな)
 などとは冗談にならない話だが。しかし今の日車は、起きている時よりも眠っている時の方が見るからに苦しそうだった。久しぶりによく眠っているかと思えば、次に見た時には眉根を深く寄せ、何度も落ち着きなく寝返りを打ち、そして時折、胸を反らしては腹の中身を引きずり出されるような唸り声を漏らし、そのたびに日下部はぎょっとさせられる。目を覚ましてから眠りの具合を訊いてみても、返ってくるのは決まって歯切れの悪い答えばかり。本人曰くただ夢を見ていただけ、しかしその内容を訊いても覚えていないという。眠ったはずなのに却って疲れた顔を見れば、内容を口にさせるのはむしろ悪いのかもしれないと日下部は踏み込めずにいる。一応睡眠薬も何度か種類を変えて頼ってみたようだが、今度は更に夢見が悪くなったらしく、結局あまり使われないままにリビングの引き出しの奥へ押し込まれてしまった。

「あまり気を使わなくていい」
 ある日の夜。ホットミルク入りのマグカップを持ってきた日下部に、日車は落ち窪んだ目で視線を送り、ぼそりとそう呟いた。案の定、昨夜も日下部が起きている間に日車が眠っている姿を見る事はなかった。ベッドの中にいる時間はある程度確保しているようだが、それで眠っているかどうかは別問題だ。
「別に俺だけがどうこうしてるわけじゃねえからな?」
 アイマスクに耳栓、温泉入浴剤、ヒーリングミュージック選、アロマキャンドル、アロマオイル、マッサージ器具にストレッチ教本、等々、日車の血色の悪い顔を見て心配した生徒たちが、思いつく限りの安眠グッズを差し入れに持ってきた。日車は困ったような顔をしながらもそれらを受け取り、律儀にすべて試した。結果は、おおむね予想通りに期待外れだった。表面上は肌艶が良くなったものの目の下の隈は取れないままで、結果として出来上がったのは、女子のような匂いがする顔色の悪い中年男である。
 虎杖にすれ違いざま「日車なんかいいにおいすんね!」と屈託なく言われた時の表情といったら、見ているこちらが居た堪れなくなった。結局使い残してしまった品々も捨てるには忍びなく、最終的には綺羅羅が喜んで引き取っていった。そのお礼にと秤から渡された、奇抜なカラーリングの猫のぬいぐるみが今はベッドサイドに置かれている。何か、の景品らしい。出元の割には意外と肌触りがよく、日車の眠れぬ夜の手慰みにはなっているようだ。
「頭と体が疲れきったらそのうち勝手に眠れる。そう気にする事じゃない」
「そりゃあ寝てるんじゃなくて気絶してるっつーんだよ」
 思わず呆れた声が出る。そういう事を平然と言うから方々から構い倒されるのだ。周りの心配顔がプレッシャーになってかえって眠れなくなるという気持ちは分かるが、今の高専には何故か世話焼きな連中が揃っているから仕方がない。冷めてしまう前にとマグカップを半ば無理矢理に手渡す。渡されれば彼はきちんと受け取る。他人の善意を無下にする事が出来ない男だった。
 取っ手を持つ指が一瞬触れた。部屋の中にいるというのにその指先はぞっとするほど冷たかった。
「お前冷えすぎだろ?!」
 日車は返事をしないまま、マグカップを両手で包み込む。唇の色も悪いとは思っていたが、それにしてもひどい冷え方だ。
「……これで温めるから大丈夫だ」
 そう言って結局、日車が空のマグカップを返しに持ってきた手も紙のように真っ白な色をしていた。口を漱いで戻ってきて、日下部の視線を避けるように寝室へ向かう日車を呼び止める。
「寝つけそうか?」
「……努力はする」
 中へ逃げ込んでしまった。この一拍の間が正直な答えだろう、今日もだめそうだ。少し丸まった背を見送った日下部は短く息を吐く。洗い物を簡単に済ませ、追って日車の寝室へ向かった。

 形だけでも眠った事にしようとしたのだろう、日車はきちんと布団に潜ってはいた。日下部が部屋に入ると気配にもぞもぞと落ち着きなく寝返りを打ってこちらを仰ぎ見た。隈は濃いが全く眠そうには見えない。日下部は迷わず布団から覗く腕を取って引き起こした。
「な、んだ」
「ちっと大人しくしとけよ」
 ベッドに腰掛け、有無を言わせずその体を抱き寄せる。日車は一瞬きょとんとした顔をして、それから人形のように完全に固まった。 抱きかかえてみて、やはり体温の低さに舌打ちが出そうになる。冷えた小動物を腕に入れたような感覚だった。そのまま大きな掌を背中に添え、とん、とん、と一定のリズムで叩く。
「いや……日下部、離してくれ」
「甥っ子が寝つかねえ時によくやってたんだよな」
「君の甥っ子は何歳なんだ、俺は」
「いいから黙って目ぇ閉じてろ」
 同じ速さ、同じ強さで背を叩き続ける。日車はしばらく何か言い訳のような事を口にしていたが、その声も次第に萎み、宙を彷徨っていた腕が迷った末に日下部の背に回される。
 時計の針が進む音。空調が低く唸る音。背を叩く乾いた音。規則正しいリズムが部屋を満たす。抱えている体から徐々に強張りが解け、少しずつ温かくなっていく。力の抜けた体が重くなった、そう感じて間もなく、胸元から静かな寝息が聞こえてきた。
「あっさり寝ちまってまあ……」
 子供の寝かしつけは大人にも効くらしい。眉間の皺は消えてすっかり穏やかな顔をしていて、口を半開きにしたまま寄りかかってくる姿は年齢よりもいくらか若く見えるほどだった。悪く言えば今まで見たことが無い間抜け面で思わず失笑した。起こす懸念がなければ写真を撮っていたところだった。日下部は日車をベッドに横たえて肩まで布団をかけてやると、眠る様子が変わりなく穏やかな事をしばらく確認してから、照明を落とした部屋からできるだけ音を殺して出ていった。
 本人が一番驚いたことに、日車は翌早朝まで一度も目を覚まさなかった。

 どうやら、今のところはこの方法でだけ日車はよく眠られるらしかった。何度か試してみると一度きりの偶然ではなく、日下部の腕の中にいる時だけ、悪夢もなくまともに眠りに落ちた。日車本人もその事実を認めざるを得なかった。まともな睡眠が取れないまま日々をやり過ごすのがどれほど身体に堪えるか、どれほど自身を危険に晒すかは、彼自身が一番よく知っている。
 数日間自力で眠ろうと試みては失敗し、浅い微睡みだけで乗り切ろうとしては、気絶する一歩手前になってから視線を床へ逸らしつつ小さな声で言ってくる。
「……あれを、頼んでもいいだろうか」
「早く頼めっつーの。歩きながら寝かけてたって聞いたぞ」
「そうは言っても流石に毎回は……」
「お前に何かあった時にはどうせ誰かがケツ拭くんだよ」
 初めのうちはやはり躊躇が見えた。いい大人になってから子供と同じように抱きしめてもらうことへの羞恥か、矜持か、理由を言葉にできない後ろめたさか、日車はどこか落ち着かない様子で身を預けてきた。しかし何度か繰り返すうちにそうした逡巡は薄れていった。まともな生活を維持するために必要なことだと開き直ったのか、次第に自分から催促をして腕を回し、遠慮のない仕草で日下部に抱きついてくるようになった。馴れてくるとなかなか図太く、たまに体を支える手の位置、背を叩く力加減やスピードに注文をつけ、果ては日下部の腹の虫の音に耳を寄せて笑うようになり、馴れすぎだろうがと眠りかけた頬を摘まれる事もあった。
 変化は目に見えて現れた。生徒たちからは顔色が良くなったと指摘されるようになり、久しぶりにきちんと眠れているらしい、と高専内で噂が立った。どうやって眠れるようになったのかと訊かれた日車は、少し考えた後で、
「冷えが良くなかったようだ」
 とだけ答えた。それをきっかけに高専内では一時的な温活ブームが起きたが、日車の言葉は全てが嘘ではないし、家で何をしているか進んで口外するものでもなかったので、女子たちの謎の腹巻きムーブメントなどに巻き込まれそうになりながらも日下部が突っ込むことは特になかった。

 それからしばらくして、日下部が一週間ほど任務で地方へ出向くことになった。
「ちっと長いが大丈夫か?」
「もともとそのくらい眠れないこともあったんだから大丈夫だろう、気にするな。代わりに湯たんぽでも入れておく」
「あっそう……ならいいけどよ」
 あまりにも淡々とした物言いに日下部は少し拍子抜けした。温活ブームで我が家にもやって来た湯たんぽを用意する日車を眺めながら、いつもはあんな感じなくせにもう少し、なんかこう、頼ってくれてもよくないか?という気持ちもないことはなかったが、まあそう言うならと、それ以上は本人に任せて部屋の留守を預けた。

 さて、仕事は恙なく終わり、久しぶりに部屋へ帰ってきた。
 玄関を開けると照明はすべて消えていて、室中はしんと静まり返っていた。今朝方予定通り帰れそうだと連絡を入れた時には、道中気をつけるよう返信があった。大体の帰宅時間がわかってから送ったメッセージには返信がなかった。その時点でやや遅い時間ではあったから日車は先に寝床についたのだろう、向こうは明日は朝が早い予定のはずだ。リビングの電気をつけ、どかっとソファに体を預ける。さすがに疲れた。肩と首をぐるぐる回していると、その途中でふと棚が目に留まった……違和感。日車の薬が入っている引き出しがほんの少し開いている気がした。
 嫌な予感がする。そしてこういう予感は大抵当たる。引き出しを開けて中を覗き、念のためごみ箱も確認する。眠前二剤。不眠時追加分。動悸時頓用。不安時頓用。発作時頓用。すべてきっちり一回分ずつ、前回見た時から数が減っていた。日下部という入眠手段のない一週間、自分の事は気にするなと見栄を切った出発前、確定した日下部の帰宅。……日車はこういう時、どうにかして体裁を繕おうとする男だ。
(フルセットじゃねえか!)
 急いで寝室へ向かった。照明は消えている。焦る気持でやや乱暴に戸を開けると、日車はベッドに寄りかかりうつ伏せになっていた。掛け布団が半ば落ちている。あと少しで乗る段までは辿り着かなかったらしい。戸が開けられた事を察知したのかこちらをゆっくりと向いた。飲んだものが効いていない事はないようで、目の焦点は合っていない。死人の顔だ。
「くさかべ」
 やや呂律も回っていない。眠りと覚醒の狭間に落ち込んで五蘊盛苦の七転八倒、逆光の日下部の影に縋ろうとして、床に倒れこんだ。日下部はすぐに日車を抱きかかえた。冷たい、今までで一番冷たい手が緩慢に動いて日下部の体を探り、胸骨の上で止まる。一週間前が見る影もない蒼白の頬が肩に乗り、ため息のような深呼吸をひとつした。
「どうした、何があった」
「ねむれないんだ……君の音は、こんなに安心するのに、自分のはうるさくて……本当にもう、本当に、うるさいんだ、頭にひびいて……こんなものが……」
「わかった、悪かった。何も言うな。何も考えんな」
 小さな断末摩の声を上げていた日車は、日下部に抱かれているうちに、それまでが嘘のように眠りに転げ落ちた。
 他人に寄生して得た睡眠のおかげで、自分の音が煩わしくなってしまった。後に日車は嘲りを含んだ口ぶりでそう笑っていた。
 日下部は部屋の戸を閉めた。暗闇の中でひとつの塊になる。腕の中で完全に意識を失った男の重みを噛み締めながら、まずいことになったな、と日下部は思った。

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    Apr 22nd
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