流
コンビニという通過地点で大人たちがどこまで我儘を言ってもいいのかを探り合う話。
当社比15%くらいはキャッチーになっているといいなあ。と、思っています。思うのは自由なので。
こちらの話の後編です。
novel/27405728
日車さんが当たり前のように呪術師をやっている世界線。
何でも許せる方、どうぞよろしくお願いいたします。
- 90
- 102
- 1,704
《Day3−延長戦》
南の空、高い位置に一際明るい星が三つ。
かの有名な大三角形が夜の中心を占めている。
今日の月は有明月だったか。その姿こそ見えないが、東の低空だけが心なしか淡く明るい。
自然が見せる美しい天蓋の下、日下部は焦燥と諦観の狭間に揺れていた。
今さっき自由になれたのだと、一つ連絡を入れたら良かったのかもしれない。しかしそれは何だか言い訳がましく聞こえる気がして出来なかった。いいや違う。実際は逃げ道を残しておきたかっただけなのだ。遅くなってしまったから、だから待っていなくたって仕方が無いのだと。
疲れた身体に鞭を打って熱帯夜を全速力で駆け抜ける。呼吸の度に肺腑の奥から悔恨の念が込み上げるようだった。
想定外に時間を食ってしまったのだ。
事前報告では2級程度の簡単な呪霊祓除任務と聞いていたのだが、蓋を開けてみれば確実に1級相当。当初祓除対象とされていたその呪霊は謂わば擬似餌で、チョウチンアンコウのエスカのように近付いた時には既に呪霊の腹の中、というタイプの厄介な相手だった。
辛くも任務を遂行し、現場に居た補助監督達に後始末を丸投げして帰路に就く。今日しか手に出来ないチャンスを前に、明日出来る事は明日やったらいい。
斯くして通り掛かった本日二度目のコンビニはひっそりと静まり返っていた。
──流石にいないよな。
明確な時間や場所の擦り合わせをしておかなかった数時間前の自分を叩き斬ってやりたかった。否、時間を決めた所でよもやこんな時間になるとは想像だにしなかっただろうが。
あれから4時間は経った。
時刻は11時を過ぎている。
日下部は肩を落としながら店内へと足を踏み入れた。
夕方とは打って変わって人気のない店内で、待っている筈のない人の気配を追って雑誌コーナーの方へと歩み寄る。そこには彼が以前夢中になって読んでいた旅行雑誌がまだ売れ残っていた。
まるで同じ視界を共有するように、手に取ってパラパラと流し見る。一面の黄色に彼の残り香を感じた気がして思わず目を奪われた。その時だ──。
「お疲れ様。大変だったな」
求めていた声が幾度となく脳内で妄想した言葉を発するのに勢い良く振り返る。都合の良い幻聴なら今は何処かへ消えて欲しかった。
声の主、濡れた手をハンカチで拭きながらトイレの方から歩いて来たのは日車だった。
「おま……、どうして…」
幽霊でも見たような顔だな。そう言って日車は微笑んだ。
「待機要請があってな、俺もさっさまで高専に詰めていたんだ。君に限って滅多な事はないだろうと思ってはいたが…ただ待つだけというのも随分ともどかしいものだな、久しく忘れていた」
もう過ぎた事を語る声に救われながら雑誌を戻した日下部は全身を満たす安堵と共に無意識の内に手を伸ばす。そして一頻り流れた沈黙の後に、自身のしでかした事に瞠目する事となる。
日下部の両手は、日車の両手首を掴まえて強く握っていたのだ。
「日下部?どうしたんだ、大丈夫か?どこか具合が悪いなら家入の所へ…」
困惑の色を多分に含む日車の声が徐々に心配そうなそれに本格的に移行すると、慌てて手を離す。上等そうなスーツの袖口が無残にもシワになっていたが、日車は気にも留めずにもう一度大丈夫か?と問い掛けた。それが寧ろ居た堪れない気持ちになると、彼は分かってやっているのだろうか。
日下部はがしがしと後頭部を掻きながらやけくそ気味に口を開いた。
「なんでもねーよ。…ただいま」
「…あぁ、おかえり」
「待っててくれたんだな」
「俺が待ちたかったからな」
ありがとう。そう感謝の言葉を口にすると日車は少し照れ臭そうに笑ってから、今度は君が奢ってくれる番だろう?と妙に悪ぶって答えた。
勿論、何なりと奢らせて頂きますよと頷くと、彼は上機嫌に頷き返して、真っ直ぐに入浴剤が陳列されている棚へと向かって行くのでそれに続く。
迷いなく強炭酸が売りの商品を手に取って、視線だけで良いか?と尋ねて来た。それが並んでいる商品の中で一番高価な事よりも、年甲斐もなく可愛らしいおねだりを真に受けて自身の中で燻る劣情に気付いてしまい日下部は天を仰ぐ。
すると何か勘違いをしたらしい日車が残念そうにそれを棚へと戻すのに慌てて首を振った。
「いやいや、何でも買うって言ったろ?良いよ、買うから…つか、買わせてください」
「良いのか?こんな、湯に溶かして捨てるだけのものに…」
良いから。そう言って引っ掴んで来たカゴへそれを入れさせる。同じ商品を二つ入れられた際にはその強かさに多少面食らったりもしたが、それを顔に出す事はしなかった。
「他には?」
「そうだな…、じゃあ風呂上がりに食べるアイスも買って貰おうか」
知ってるか日下部、この時間に食べるアイスは背徳の味がするんだ。些細な罪悪感が格別なスパイスとなって最高だぞ。そんな事を言いながらアイスコーナーを覗き込む同年代の男に想いを馳せるなと言う方が無理な話ではないのか。掴み上げられた箱入りのアイスを見ながら日下部はそう思った。
「薄いチョコレートでコーティングされただけの一口大のアイスがたった6個入って約200円だ…これこそ極上の背徳を味わうのに相応しいと思わないか?」
風呂で食べるときっともっと凄い事になるぞと垂れた両目を見開いて輝かせるので、それだけはやめろと釘を刺してレジへと向かった。
会計を済ませて外へ出る。
熱帯夜はただ静かに二人を出迎えた。
「ん。アイス買っちまったからさっさと帰らねぇとな…」
レジ袋を差し出しながら名残惜しさが勝手に唇から零れて行って、日下部は慌ててそっぽを向いた。
それを知ってか知らずか呑気にレジ袋を漁った日車は、入浴剤を一つ引っ張り出して日下部の胸元へと押し付ける。
「ほら、これは君のだ。疲労回復に効果が高いと謳い文句が書いてある。気休めかもしれないが…まぁ、白紙も信心からというし、効果があれば御の字だろう」
じゃあな、ゆっくり休めよ。そう言って早々に踵を返す日車は数歩進んでから立ち止まり、一度静かに振り返った。そして彼は悪魔の囁きを一つ落として行く。
「明日、俺と君は同じ匂いだ」
誘蛾灯に誘われて何かが弾けたような衝撃が全身を駆け巡った気がした。
《Day4》
あれから日が落ちる時刻が徐々に早くなり、夜風は随分と涼しく過ごしやすくなっていた。
いつの間にか背景で鳴く虫の声が騒々しい蝉から軽く涼やかな音色に変わった所で、日車の生活はと言えば猛暑の頃からほとんど代わり映えのないまま推移していた。働いて、向き合って、突き付けて、報告して、食って、寝る。まるでプログラムされたまま動く機械人形のような日々。
それでも少しずつ、変わって来た事もある。例えば同僚と食事をする機会が増えた事だ。
あの日、噛み砕いたロリポップの甘さに自分が生きているという事実を突き付けられてからというもの、霧が晴れたように生き残る事に意識が向いた。誰も殺させない戦い方から、誰も殺させずそして自らも死なない戦い方を模索するようになった。生きて、生き延びて、また彼と食事がしたい。おかしな話と笑われるかもしれないが、それが日車の原動力となりつつあった。
最近では互いに任務を終えてからどちらかの家で飲もうと誘い合う日が増えていた。
例のコンビニに寄って酒とつまみを好きなだけ買い込んでから、限りなくプライベートなスペースである互いの家で、人目も気にせずだらりと飲むのが楽しみで仕方が無い。
小さな卓袱台をコンビニで買った酒や菓子や総菜でいっぱいにして、肩が触れ合いそうな距離で並んで座って、視聴人数の割に大きなテレビ画面を眺めるフリをして屈託なく笑う横顔を眺めるのが心の底から好きだった。日を追うごとに大切な瞬間が増えていって、いつしか隣にいる事が当たり前になって来ると手に入れてもないのに失う事が怖くなってしまった。そんな自らの臆心に気付いた夜、日車は妄想の中で日下部を汚した。
今日はそんな後ろめたさも冷めやらぬ内のお誘いだった。
買い物かごが缶やスナック類で順調に埋まって行く中、差し掛かった総菜コーナーで日下部は無遠慮に商品を手に取っている。あれもこれもと手に取っては積み木でも積むようにかごへと乗せて行くので、日車の指は白み今にも千切れそうになっていた。
「…なあ、せめてかごを分けないか……重」
「え?何、重たくて持てねーの?しゃーねーな、持ってやるから貸しなさいよ」
「いや結構だ」
即答で申し出を却下するとバランスを崩さないようそっとかごを持つ手を入れ替えた。
宅飲みの日に奢る担当となった者は買い物かごいっぱいの酒や食べ物を相手宅へ持参する事。場所を提供する者は何も準備しない事。後は無礼講。これがルールだ。日車の認識としては買い物かごいっぱいとは買い物かご一つ分(良識的な量で)だったのだが、日下部の認識は買い物かご一つに収まるだけ大量に、だったらしく、彼が日車の家を訪れる時にも信じられないくらいの量を買い込んで来る。恐らくは余った飲食物で人の家を占拠していくという悪い遊びをしているだけなのだろうが、だからと言って自分は出来ませんなんて言える筈がないのだ。
結局支払いを済ませて外へ出た時にはレジ袋2つに大量の飲食物を詰め込んで、それを両手に携えて始まったばかりの夜に立ち尽くしていた。
「なあ、やっぱかたっぽ持つって」
「大丈夫だ、2つに分けて貰ったからそこまで重くもない」
「その割に手首にめちゃくちゃ食い込んでるけど?」
気のせいだ。そう言って歩き出すと日下部もそれ以上何も言わずに後をついて来た。押し問答が無駄な事はお互いよく知っているのだ。
慣れた足取りで自分の家ではない、他人の家へと向かっている事実にほんの少し擽ったい気分になる。背後にいるただの同僚と、この気持ちを共有出来ない事だけが口惜しくはあった。
目的地へと辿り着いた二人分の足音は玄関扉の前で並んで立ち止まった。そして暗闇で鍵を探る日下部の背中をしばらく眺めて、間もなく開け放たれた扉を潜る。日下部が後から入って、それから施錠の重い音が薄暗い玄関に響き渡った。
するりと横をすり抜けて、然りげ無く家主が先行する。普段通りに電気をつけるのかと思われた矢先、不意に目の前の男が振り返り、両手が塞がったまま立ち尽くす日車を背後の扉へと押さえつけるようにして追い詰めた。
まるで事故のように瞬間的に重なった唇はすぐに離れて行き、甘い吐息と共に囁く声が聞こえた。
「悪いんだがよ日車、逃がしてやれるのはこれがラストチャンスだ」
《Day???》
夜桜を眺めるカップルを尻目に、日車は夜を跳ねていた。
花が咲き、暦の上ではとっくに春になったとは言えども夜はまだまだ冷える。薄手のコートで身を寄せ合いながら綺麗だね、君の方がね等と囁やき合っているのだろうと思うと羨望よりも微笑ましさが勝った。
以前、自宅で日下部と飲んだ時に同じ旅行雑誌が何冊もある事を突っ込まれた後で言い放った言葉を、彼は覚えているだろうか。唐突にそんな事を思い出す。
『そんなに行きたいなら行ってくりゃ良いのに、ひまわり畑』
『行けないだろう、どこにそんな暇があるんだ』
『バカだね〜…そんなもん、暇なんて待ってても与えられるわけねーでしょーよ。強行突破に決まってんだろ』
『それは…鍵を掛けておきながら、逃げるなら今の内だと俺に言った時みたいにか?』
『ははっ、そうそう。俺が連れてってやるよ。来年行こうぜ、ひまわり畑』
ビルの屋上での戦闘も終盤を迎え、思い切り打ち据えた呪霊が断末魔を遺して弾けるとその体液が雨のように降り注いだ。
重くなって落ちて来た髪をかき上げて汚れた口許を拭うと徐々に帳が上がって行く所だった。
高専でシャワーを借りて着替えを済ませる。
簡単な報告を終えて帰路に就く頃には間もなく日付も変わろうかという時間帯になっていた。
携帯端末には数時間前の時刻で日下部から連絡が入っていた。恐らくは飲みに誘われたのだろうが、折り返しの連絡がない事で諦めたのだろう。通知はそれきりだった。
──強行突破は不得手だ。
日車は内容を確認する事なくポケットへと押し込んだ。
家には日下部が置いていったスナックやチョコ、アルコールばかりがあって相変わらず食事としてすぐに食べられそうなものはない。面倒だが帰りにコンビニで調達して行くしかないだろう。
渋々足を向けたコンビニは何時もと変わらぬ表情で日車を迎え入れてくれた。
新商品の広告だけが残る商品棚を素通りし、値引きシールが貼り付けられた塩むすびとカップそばを手に取った日車は、今にも眠ってしまいそうな目を瞬かせながら足早にレジへと向かった。高専でシャワーを浴びて来たのが今になってジワジワと効いて来ている。明日が久し振りの休暇だという気の緩みも作用して、欠伸を噛み殺す自身の声と入店音が重なって聞こえた。幸いにも目の前の店員はみっともない己の姿を見て見ぬふりしてくれた。
「袋はどうされますか?」
「お願いします」
「さんびゃ…」
「これも頼むわ」
不意に背後から掛かった声にレジの向こうにいる店員と二人して背筋が伸び上がる。当然のようにレジカウンターへと置かれたのは10回分の紳士のエチケットを詰め込んだ小箱だった。
「………」
「えっ…と……」
「すまない、構わないから一緒に会計してくれ」
困惑する店員に謝意を述べつつそのまま仕事をするように促す間も、日車は笑い転げたいのを必死に堪えていた。店員が男性で良かったなと思う反面、妙に彼の耳が赤くなっている事に困惑している。まさか気付いて──。
会計を済ませ、外へ出る。
見上げた夜空には星一つ浮かんでいなかった。
「なあ、今の店員…」
「あ?気のせいだろ。それよか、明日オマエ休みなんだよな?」
「え?あぁ…そうだ」
来るだろ?ウチ。そう問うた日下部の表情は未だかつてない程に悪い顔をしていた。