日車寛見が子供の姿になった。歳は五、六歳くらいだろうか。まあ未就学の頃であろう、多分。そもそも低級呪霊を祓うだけの比較的簡単な任務だったはずなのに、とんだオマケが付いてきたものだ。そこまで強力な呪いではないだろうからとりあえず様子見を、とは家入の言だ。
「それはそうとして何で俺が世話係なんだ」
「日下部さんがそういうの慣れてそうだからじゃないですか?」
悪びれる様子もなく答える三輪の頭を軽くはたきたくなるのを堪える。
「あとは一番日車さんと仲良いですし……わっ、何で叩くんですか!」
「叩いたんじゃなくてチョップだ。そういう事はわざわざ口に出して言わんでいい」
「すぐ手が出る方も問題ありますよ日下部さん」
減らず口を叩く妹弟子を軽く睨むと、小さくなった日車の前に屈む。
「あー……、とりあえず自分の名前、覚えてるか?」
「……ひぐるま、ひろみだ。君はくさかべあつや。いっしょに任務にでたことも、呪いにやられたこともおぼえている。問題ない」
こんなちんまりした姿で問題ないと言われてもな。溜め息をついてその顔をまじまじと見る。ぎょろっとした三白眼に高い鼻梁、薄い唇がそのまま幼児のパーツの大きさになって絶妙なバランスで収まっている。子供のお前、こんな顔してたんだな。意外と可愛いじゃねえかと現実逃避していると日車が遠慮がちに切り出す。
「とりあえず、服を調達してきてくれないだろうか。これではろくに身動きがとれない」
だぼだぼのスーツを引きずるように身に纏っている姿は確かに滑稽で、子供服を売っている手頃な店を探さねばと思う。呪いの影響の可能性も考えて、とりあえず今夜は俺の家に泊めて飯も食わせて。やる事が多いなと再び溜め息をついた。
結局三輪に衣料量販店で子供用の服と下着を買ってきてもらった。水色のストライプのシャツを羽織り紺色のハーフパンツを履いた日車はいつものスーツ姿と違って頼りなげというか心許なく見える。まあ子供なのだから当然なのだが。
「かわいい!こうやって年相応の格好だとなんかいつもの日車さんと全然違いますね」
無邪気にはしゃぐ三輪だが、当の本人は恥ずかしいのか俯いてしまった。そして俺のズボンの端を遠慮がちに掴みながらぼそりと喋る。いつもより高くて幼い声で。
「今日はせわになる」
「そんな改まって言わんでもいいでしょ」
初めて家に来る訳でもないんだし、という言葉を飲み込む。小さくなった連れ合いを前に、なんだか妙な気分になる。これは決して後ろ暗い感情ではないと心に言い聞かせながら。
任務も終わって報告も済ませたし、今日はもう店じまいだ。三輪に礼を言ってから二人で呪専を後にする。
「今晩何か食べたいものあるか」
日車は少し考えた後、やきそばと答えた。
「お、味覚までお子様になっちまったか?」
「くさかべのとくい料理だからな」
「了解。じゃ買い物行くか」
「手はつながなくていいぞ」
「まあ一応、念の為」
小さな歩幅に合わせて歩きながら、いつも立ち寄るスーパーへと向かう事にする。握った手はささやかで柔らかく熱い。かつて味わったことのある感覚だ、と思う。
不意に日車が空に向かって指を差した。
「昼と夜がまざってる、えのぐみたいに」
小さな指のその先には淡い橙と紫が溶け合って夕暮れが徐々に夜へと傾いていく様が見えた。
「これくらいの空の色がいちばんすきなんだ」
「そうかい。中々ロマンチストだな」
そう答えながら、子供の姿になってから発言が妙に素直というか幼さが滲んでいて、心も体に引き摺られるのだろうかと訝しむ。このまま呪いが解けずに日車が身も心も子供になってしまったら、という考えが浮かぶ。まあその時はその時だ。
「焼きそば、肉と海鮮どっちがいい?」
「いかがたべたい」
「分かった。ソース家に余ってたと思うんだよな。でも一応新しいの買っとくか」
そんな事を言い合いながら、黄昏時の街をふたり手を繋いで歩いて行く。トラブルはあれど今日も生き延びた事に乾杯したい気分だった。
「そこのキャベツ千切ってくれ。他のは俺が切るから」
「わかった」
料理する時はいつも共同作業だが、今日は包丁は使わせない方が無難だろうと半玉のキャベツを日車に渡す。素直に受け取ってぺりぺりと葉を細かくする仕草がまるで紙工作でもしているようで面白い。
切った材料を炒めて麺を入れ、蒸し焼きにしてからソースを絡める。香ばしい匂いが部屋に漂い始めた。日車に皿を並べてもらい、出来上がったやきそばを移す。冷蔵庫からは冷やしていたビールとジュースを取り出す。
「うまいな」
「ああ」
いつものちゃぶ台に向かい合っての食事。日車の皿はいつもの物より少し小さい。箸も割り箸を折って渡したのを器用に使っている。黙々と焼きそばを口に運ぶ日車を見ていると、どうしても昔あった光景を思い出してしまう。
「くさかべ。たべないのか」
日車に問われて、箸が止まっている事に気付く。何でもないと返し、麺をかき込んだ。
風呂は一人で入れるという日車を説き伏せて一緒に入浴した後、俺のスウェットを上着の方だけ着せたらだぼだぼのワンピースをまとっているようで思わず噴き出してしまった。
「そんなにわらうことないだろう」
仏頂面の日車の濡れた頭をくしゃくしゃと撫でながらすまねえと返す。多分押入れのどこかに子供サイズのパジャマがあったはずだが、それをわざわざ取り出して着せる気にはなれなかった。すまねえな、ともう一度心の中で呟く。
髪を乾かしてやっている間やたらと目をこするのでもう眠いのかと聞くと、素直に頷かれる。今日は早めに眠った方がいいだろう。
和室に敷いた二組ぶんの布団はいつもより広々としている。横になった日車は相当眠かったのかすぐに寝息をたて始めた。そのいつもより小さな姿、横顔を眺めていると、いとけないような心苦しいような感情が込み上げてきて、俺らしくもねえと布団をその首元までかけてやると目を閉じた。
目を覚ました時には日車は元の姿に戻っていた。
「おはよう日下部」
「おはよう。良かったな、思ったより呪いの力が大した事なくて」
「全くだ。でもあれはあれで中々楽しかった。君は子供相手だとますます甲斐甲斐しいな」
「そうかよ」
言葉少なにそう返すしかない。カーテンの隙間からは窓の外が見える。淡い橙色と薄紫が混じり合って、昨日帰り道に一緒に眺めた夕暮れの色とよく似ていた。でも夕暮れではない。また朝が来たのだ。
「この空も、好きな色なんだ」
日車は少し笑ってそう呟くと、布団の垣根を越えて寄り添うように俺の胸に顔を押し当てた。