5月24日に放送されたNHKスペシャル「潤日の肖像 日本に向かう“中国”」は、コロナ禍以降に日本に移住するようになった中国人たちの実像に迫ったドキュメンタリーだ。放送中からSNSでの投稿が相次ぎ、「すごかった」「考えさせられる」といった感想が寄せられた。
筆者は、この番組の初期段階から取材協力という形で全面的にかかわってきた。中国新移民のリアルを映像化するのは不可能だと思っていたので、今回番組が放送されたことは感無量だ。制作チームの皆さんに改めて敬意を表すとともに、出演してくださった方々に感謝したい。
中国で流行しているネット用語「潤日」とは?
番組のタイトルに使われている「潤日(ルンリィー)」とは、中国で近年流行しているネット用語で、「日本に移住してより良い生活をする」という意味だ。
「潤」のピンインが英語のRUN(=逃げる)と同じでダブルミーニングになっており、日は「日本」を指すことに由来する。シンガポールの「聯合早報」をはじめとするアジアの主要メディアが特集記事を掲載したほか、英紙「フィナンシャル・タイムズ」も昨年9月に特集記事を出すなど、「潤日」現象は英語圏でも浸透しつつある。
コロナ禍を経て、もともと中国の都市部在住だった富裕層が、近くて安く、安全な日本に脱出する動きが加速した。以前のような出稼ぎ労働者ではなく、ライフスタイル重視での移住が目立つようになっているのだ。
これらの新移民によく見られる共通点としては、グローバルな視野を持つこと、一定程度の資産を持っていること、日本語の能力が低い傾向にあること、インバウンドブーム期に日本に旅行にきたことがあることなどが挙げられる。
実際に、都内に住む中国人は2018年の約20万人から現在の約30万人まで増加し、港区や文京区といった都心で特に増加率が目立つ。
東京・安曇野・宮古島の3拠点で生活
そのような新たな移住者の典型例が、ITエンジニアの郭宇さんだ。28歳の若さでFIREを実現し、2020年に微博で日本移住を発表した彼は、中国メディアでインタビュー記事が相次いで掲載されるなど、一躍時の人となった。
本人いわく、生活の質、制度の安定性、食文化などの各指標で各国を比べたときに、総合評価で日本がトップだったことから移住先に決めたという。
彼は、現在、東京・安曇野・宮古島の3拠点で生活している。自らコーヒーを淹れてくれたり、掃除がルーティンというほど地に足のついた生活を送っている。
AIが劇的に進歩したここ半年ほどで、郭さんは再びAIサービスの開発に没頭するようになっている。彼のような高度な人材をどう活用していくかは日本にとっても死活問題だろう。実際、世界を見渡すとAI人材の多くが中国人か中国にルーツを持つ人々だ。
番組では、バイトダンスで勤務経験のある彼から、世界に広まったSNSアプリ「TikTok」のアイデアが沖縄で生まれたという意外な事実も語られた。
郭さんのみならず、多くの中国人富裕層が日本に移住してきていることを端的に示すのが、中国人御用達の会員制クラブだ。中国語では「会所」という。筆者が昨年潜入した会所は都内のある見晴らしのいいエリアに人知れず運営されていた。
中にあるVIPルームで座っていると、肌を露出させた若い女性20人以上が入ってきた。こういた都内の会所では、一夜で1000万円近くお金を使うこともあると利用者は話す。
経営・管理ビザ取得者の半数は中国人
中国人富裕層が自由に日本を満喫する一方で、より裾野の広い中間層の移住には今、大きな壁が立ちはだかっている。経営・管理ビザの問題だ。
ここ数年で、中国から一定の資産を持つ中所得者が最低500万円の資本金で事業を起こし、同ビザを取得するトレンドが顕在化した。昨年半ばにかけていわゆる「外国人問題」が浮上する中で、経営・管理ビザ取得者の会社登記が一つのビルに集中しているケースがあるとの指摘が上がった。
その結果、昨年10月には省令改正に至り、要件が大幅に厳格化された経緯がある。昨今、「アジアエスニック料理店が閉店してしまう」として議論が巻き起こっている。
経営・管理ビザ取得者4万人のうち、半数の2万人ほどが中国人であることもあり、「潤日」のヒトと資金の流れに変化の兆しが出てきている。
中には、すでに帰国した中国人もいる。在留資格の要件については、国の主権が行使される領域であるものの、当事者としては納得できない思いを抱えていることも珍しくなくない。
一方で、経営・管理ビザの厳格化の影響を受け、中国人たちの関心が地方やリゾート地に向き始めている。ニセコ、軽井沢や白馬で中国人富裕層がヴィラを持つことも珍しくなくなってきた。
私が現場で感じたのは、日本的価値観と中国的価値観の衝突だった。表向き社会主義の国である中国では、改革開放以来、経済が急成長する中で、民間でも激しい競争が繰り広げられるのが当たり前。日本は逆に、資本主義の国でありながら、平等主義が根っこにあり、既存の企業プレーヤーが規制でマーケットをがんじがらめにしている側面がある。経済開発のモデルが違うのではないかという話だ。
中国マネーには経済安保の観点から警戒かんがあるのが現状だが、かといって全てを排除することも現実的ではなく、バランスが必要ということだろう。それとも、経済停滞が長年続く日本は、地方を活性化させる別の特効薬を持ち合わせているだろうか?
桁違いの規模のマネーが行き交っている
地下銀行というグレーな世界にもますます注目していく必要がある。中国では個人の国際送金上限が原則5万ドル(約800万円)となっているので、不動産購入の現場などでは非正規のルートが使われることもある。
国が把握している中国からの現金持ち込み額は年間600億円(令和6年度、片山財務大臣の国会答弁より)なので、桁違いの規模のマネーが行き交っている実態が浮かび上がる。
地下銀行の中には、マネーロンダリングで摘発された事例もある点は留意しておかなければならない。
中国出身者らが東南アジアを拠点に詐欺団地を運営しているのもまた「潤」の一種だと言える。カンボジアを拠点にしたプリンスグループのトップが日本に滞在していたことも報じられたばかりだ。
筆者には、他にも中国出身の指名手配犯が複数日本に入国しているとの情報が寄せられており、事情に詳しい政府関係者からは、「省庁間で十分に中国出身の犯罪者に関する情報がシェアされていないのでは」との声も上がる。こうした動向は今後ますますクローズアップされるようになるだろう。
さらには、子供の教育を理由に日本へ移住するパターンも近年顕在化している。筆者が訪ねた東京都中央区のある日本語教室では、中国人の子供が増加していた。近くのタワマンなどに住んでいると思われ、保護者から「月謝がこんなに安くていいんですか」との言葉があったほどの裕福さだという。有名校に入れたいと願う中国人移住者たちの教育熱は加熱する一方だ。
昨年筆者が上梓したノンフィクション『潤日:日本へ大脱出する中国人富裕層を追う』(東洋経済新報社)では、中国新移民たちが祖国を離れる背景を生々しく解説した。超富裕層や知識人の日本移住、中国人の立ち上げた「裏SAPIX」から中国人に頼らざるを得ない地方校のリアルまで、潤日の深い世界が窺える内容となっている。
総じて、今回のNスペは、「潤日」現象が日本にとって無視できない大きな現象になっていることを改めて示したと言えるだろう。