[篤寛]居酒屋あつや。・2[現パロ]
連投すみません。
「居酒屋あつや」にその日のうちに行く日車さんのお話。やっぱり道に迷う。ご飯の話しかしてないです。
- 45
- 36
- 1,301
(これは迷ったな)
日車は内心の焦りを隠しもせず、うろうろきょろきょろとかなり挙動不審気味に暗くなり始めた商店街を歩いていた。
確かこの辺りだったはずと、「居酒屋あつや」を訪ねてはみたものの、その肝心の場所が思い出せない。
もっと奥まったところにあったかと路地裏に入ったら袋小路で、出ようとしたら年配の女性に不審に思われてしまい、警察を呼ばれそうになり慌てて事情を説明する。
するとその年配の女性は、「あら、あなたがあの日車さん?」と何やらこちらを知っている風で、「篤也君のお店ならこっちよ」と年配の方とは思えぬほどの速さでサッサカと狭い道を歩いて行った。
必死に迷子にならぬようついていき、ついでに道順も今度こそ忘れまいと記憶にとどめ置き、漸く着いた時には安堵でため息を漏らしたものだ。
送ってくれた年配の女性に礼を言うと、ころころと笑って「ご贔屓に」と言うので、もしや日下部と親類関係かと聞いたが「うふふ」と笑う。
なぜ笑うのだろうとちう顔をしていた日車に、その年配の女性は「あの子の料理は私もよく食べるのよ」と何やら訳のわからぬことを言って、そのまま去って行ってしまった。
まあ良いかと、日車が暖簾をくぐると、もう店はいっぱいになっていて、各々好きなものを食べている。
ただ、和風か洋風か、それと肉か魚か卵かのどれかの定食と惣菜一パックといった具合で、これといってやはりメニューなどはない。
一応昨夜と今朝の代金ぐらいの価格設定ならばと、結局仕事場にあったサイフの中身を確認していると、店主の日下部自らちょいちょいと手招きして「日車さん、ここ空いてるから座んな」と言ってくれたので、そのご厚意に日車は甘えることにした。
そして何を頼もうかと思いつつ、「何か食べたいんだが、ここはメニューが無いな。あとビールが欲しい」と何故かにこにこ笑う日下部に釣られて笑顔で注文する。
「はいよ、ビールね。因みにうちはアルコールはビールしか置いてないから。あと管巻く酔っ払いは追い出すから」
「居酒屋なのに酔っぱらってはダメなのか。あと、何やら極端に酒の種類が少なくはないか? 居酒屋なのに」
「いやあ、居酒屋っても、うちは子ども連れてくるお客さん多いしなあ。それに大体商店街の人間だから酒なら家から持ってきて勝手に飲んじゃうし、料理さえ出しときゃ平気なのよ」
「ほう。そうなのか」
「そうそう。それで、えーと、日車さんは嫌いなものとかアレルギーとかあんの?」
「いや、特にない」
「なら、ポテサラはごろごろ? それとも潰す?」
「半々」
「果物入れても大丈夫? それとも王道?」
「果物を入れるのか……。食べてみたい」
「了解。じゃあ、直ぐに持ってくるけどビールのあてにこれ食べててくれ」
そう言われてビールと共に出されたのは、イカの塩辛だった。
カウンター席に座ったので正面から日下部の姿が見える。
その姿を眺めつつ、目の前のイカの塩辛を割り箸で突いて口に入れた。
(美味いな。これは自家製か?)
仄かに日本酒が香るそれは、あまり生臭くなくイカの風味が生きてきて、塩加減もいい塩梅だった。
そこにビールを流し込むと今日の疲れが吹き飛んだ気がする。
そこへ日下部が戻ってきて、ポテトサラダを置いて、「今日は和風? それとも洋風?」と聞いてきた。
やはりメニューは半分決まっているらしい、と、日車は「洋風で昨夜魚を食べたから今夜はがっつり肉が食いたい」と簡潔に注文する。
すると日下部はにやっと笑い、「あんたのそういうとこ、嫌いじゃないね」と楽しげな様子で去って行った。
日車は何台かある大きめの冷蔵庫を開いてタッパーを取り出して器に盛って温め直したり調理したりする日下部をまたも眺めつつ、「そこは嫌いじゃないではなく好きで良いだろう」とぶつぶつ言いながらポテトサラダを突く。
ペースト状の中にごろごろのジャガイモ、シャキシャキの胡瓜、ややくてっとして食べやすくなった人参、よくさらしてある生玉ねぎがあり、そこに甘味と酸味が加わった。
酢が少なめでその分子どもも食べやすかろうなどと日車は思いつつ、この甘さの正体はと味わい行き当たったのが林檎である。ふわりと爽やかな香りも抜けてこれも美味い。
またビールを喉に叩き込むと、今度は日車はひたすらポテトサラダとイカの塩辛を食べた。
そこへヒョイと日下部が顔を出して笑う。
「あんた美味そうに食うなあ。作り甲斐がある」
「君の料理は美味い」
「いやあ、これはまだ料理ってほどじゃあないよ」
「謙遜しないでくれ。料理が出来ない人間は本当に初歩の初歩から出来ないんだ」
「ま、それはね、上手い下手あるでしょーよ」
「イカの塩辛を作ったのも君だろう? 酒で臭みが飛んでいて塩も良い塩梅で美味かった。ビールでも良いが、ここは日本酒が良いな」
「ハハ、良かったら日本酒家から持ってまた来てくれ。それで、うちのハンバーグは大きくて分厚いからまだ時間がかかる。後もう少し待ってくれるか?」
「構わない」
「良かった。ならだし巻き卵と卵焼きどっちが良い?」
「…迷うな……」
「ハハ、ま、ビールでも飲みながらゆっくり決めてくれ」
そう言って日下部は日車に背中を向けてフライパンに向き直る。
既に美味そうな香りが立ち込めていて、日車は生唾を飲み込んだ。
(よし。今夜はだし巻き卵にしよう)
「日下部さん、だし巻き卵にしてくれ」
「はいよ!」
日下部は何台かあるコンロの一つでだし巻き卵の具をシンクでかき混ぜ、縦長のフライパンで三回に分けて投入して器用にくるくる巻きながら、焼いていく。
その手際に脱帽する間も無く、だし巻き卵が出された。
「他のは冷めても美味いけどこれはね」
「ポテトサラダなどの例外を除いて寝かせて美味くなるのは一部だしな」
「そういうこと。さ、食って食って」
「日下部さんはハンバーグに集中してくれ。早く食べたい」
「りょーかいっと」
どこか楽しげな日下部の様子を訝しく思いつつも、だし巻き卵を一切れ食べてやはり美味いとここまで来ると感嘆する。
ちりめんじゃこと紫蘇が良いアクセントを出していた。出汁もよく分からないが美味いし、卵の焼き加減もちょうど良い。
その内にだし巻き卵も食べ終わり、日下部がフライパンと睨み合っているのを眺めながらぼんやりと今日の出来事を思い出しつつ、既に緩くなり味も落ちて炭酸も抜けたビールをちびちびと舐める。
三十分ほどした頃だろうか。
日下部が急いでお盆に料理を載せて目の前に現れた。
「お待たせ! 洋風の豚肉のハンバーグ定食! 冷めない内に食ってくれ」
「ほう。合い挽きではないのか」
「好き好きだし、それこそ牛肉だけって人もいるだろうけど、うちは昔から豚肉オンリーだね。さ、食って食って」
そこで日車は改めて「いただきます」をして食べ出した。
日車は一人だと、基本一人だが、コンビニ弁当、良くて弁当屋の弁当かスーパーの惣菜程度だし、自炊もしない為にハンバーグは実家に暮らしていた時以来初めてである。
久々のハンバーグとあり、また昨夜の鯖のみぞれ煮定食が美味かったこともあり、その大人の男の手ほどもある厚み三センチのハンバーグに、それはもう期待値が高くなった。
それでもそれほど楽観していなかったのは、やはりハンバーグは各家庭の好みが分かれるからだった。
それを言ったら昨夜の鯖のみぞれ煮もそうなのだが、それはそれこれはこれである。
この何かのソースがたっぷりとかかったハンバーグまで美味かったら毎日だって通う算段だった。
そして、ハンバーグに箸を入れた途端に溢れる肉汁に、口の中いっぱいに唾液が溢れる。
「美味そうだ」
「良いから早く食べてくれ」
「ああ」
一口口に入れると、豚肉の旨みと玉ねぎの甘み、それにデミグラスソースが絡んで口いっぱいに広がった。
噛むとほろほろ解け、肉汁が溢れてそれごと飲み込む。
一口、また一口と、ビールのことを忘れてひたすら食べた。
パンは自家製なのか、それともどこからか仕入れているのか、これも温め直しているのに柔らかくもちっと嚙みごたえがあり、美味い。
これで和風だったらどうなのだろうと、気になって周囲を見渡すと、和風はどうやら大根おろしのソースがかかっている。
(今度は和風も頼んでみよう)
もう既に来る算段を付けている日車がふと顔を上げると、日下部の何やら嬉しそうな顔にぶち当たる。
首を傾げると笑われた。
「それで、また来てくれる気になった?」
「来る。毎日でも通う」
「そりゃ嬉しいね。じゃあ日車さんの口にうちの味が合った訳だ」
「ああ。正直実家の料理以上に美味い」
「おい、そりゃお母さんかわいそうだろうよ」
「しかし……」
「ま、お母さんの料理と比べるのはともかくとして、美味いなら良かった。あ、ポトフも飲んでみてよ。ん? この場合食べてみてか?」
「お言葉に甘えるとしよう」
そう言い、日車はポトフを見つめる。
大きめのカップに入れられたポトフにはキャベツと玉ねぎと人参とウインナーとベーコンが入っていて、見るからに美味そうだった。
早速スープを一口飲むと、燻製されたウインナーの香りとベーコンの脂の旨みがあっさりとしたコンソメに合っていて、美味い。
具はそれぞれ洋風おでんのように味が染み込み、噛めばほろほろと解けて肉で腹がいっぱいだとしてもこれなら入るだろう良い具合に調理されている。
ウインナーとベーコンも味は出し切ったかと期待していなかったのに、しっかりと旨味が残っており、良い具合の噛みごたえで美味かった。
「ん、美味かった。ごちそうさまでした」
「いやあ、良い食いっぷりだね、日車さん。見てるこっちまでなんか腹減って来るわ」
「日下部さんの料理が美味いからな」
「うーん、ま、良いか。あんがとさん。それで、そっちのビールはどうする? 新しいの出そうか?」
言われてみればと、ビールはまだ半分残っているというのに、ぬるく飲めたものでなくなっている。
しかし半分は美味しくいただいたのだしと、日車は日下部へ「気持ちだけ貰う」と答えた。
「できれば惣菜も食べてみたかったんだが、悪いがこれ以上は入らん。おあいそを」
「そっか。ま、あれだけ食ってくれりゃ文句は言えねえやな」
「すまない」
しゅんと項垂れた日車に、慌てて日下部が頭を上げさせる。
「良いって良いって! ハイハイ、会計会計っと! 洋風ハンバーグ定食締めて五百円円ね!」
「…え?」
「え? 高い?!」
「いや、寧ろ安すぎないか?」
「んじゃ二千円」
それに日車がまことに遺憾という顔をすると、日下部はククッと喉で笑って「ウソウソ、安心して。うちは定食全部五百円ポッキリだから。因みに惣菜は一パック二百五十円ね」と日車からきっかり五百円受け取った。
日車が「そういえば昨夜から今朝にかけては世話になった」と申し出ると、日下部は照れくさそうに「いや、腹減ったっつーし実際腹鳴るしさあ」と顔を逸らす。
日車はその様子がいたく好ましく、ずっと見つめていたくて暫し口を開くのを躊躇うほどだった。
すると照れから復活した日下部が、「そういえばまた迷ったってうちのばあちゃんが言ってたけど?」とにやりと笑ったので、今度は日車が恥ずかしがる番である。
(あのご婦人は日下部さんの祖母殿か)
その後もとやかく喋りつつ、日下部の「今度は迷うなよ」の声を背中に受けて店を後にして、日車は寝る為の家路に着くのだった。