高市さんが、自分を「(尊敬するサッチャーのような)鉄の女」と自称するのは少し変だと感じている。
あらためてFTへの寄稿文を読んでもそう感じる。
寄稿文の最後で高市首相は、
「政治的反発があっても、日本の“鉄の女”として必要な変革を実現する決意だ」
と書いている。
しかし本来、「鉄の女」とは自分で名乗る称号ではない。
周囲がその政治家の行動や実績を見て与える呼び名だ。
サッチャーが有名なのも、「私は鉄の女だ」と言ったからではない。
強硬な改革を進め、政治的リスクを引き受け続けた結果として、そう呼ばれるようになったのである。
本物の称号は肩書きから生まれるのではない。
行動の積み重ねから生まれる。
「鉄の女」は名乗るものではない。周囲が認めて初めて成立するものだ。
だからこそ、「日本の鉄の女として」と自ら書いてしまうところに、どこか演出先行の違和感を感じる。
本当にサッチャーのような政治家なら、「鉄の女」と書かなくても、人々がそう呼ぶようになるはずなのだから。