「わたくしも、先生になってみたいですわ!」
倉本さんの部屋で、倉本さんが身を乗り出して突然叫ぶ。
「また急ですね。俺になりたいとは……」
俺は呆れた顔でメガネをかけ直し、倉本さんの話を聞く。
「わたくしはいつも、先生に助けられてばかりですわ。ですから、今日はわたくしが先生になって、代わりにお仕事、いたしますわ!」
倉本さんは腰に手を当て、鼻を高く、自信満々に宣言する。
いったい何に感化されたのか分からないが、俺の仕事を体験してみたいらしい。
しかし……。
「そうは言いましても……倉本さんはレッスンもありますし……。それに、もし香名江さんに見つかったら、また怒られますよ」
今は部屋に居ないが、倉本家のメイドである氷渡香名江さんに見つかったら厄介なことになるに違いない。
以前、倉本邸の庭で倉本さんと缶蹴りをしていたら、香名江さんに鬼の形相で怒られた。
倉本さんも楽しんでいたのに、なぜか俺だけこっぴどく叱られたのだ。
倉本さんには申し訳ないが、香名江さんは怒ると怖いので、変な行動は慎みたい。
俺にお願いをキッパリと拒否された倉本さんは。
「そんなことを言ってもムダですのよ? 篠澤さんに作っていただいた、このナカミダケカエル君を使えば、わたくしと先生が入れ替わりますの!」
倉本さんは謎の紐のようなものを出して、挑発的な笑みを浮かべて俺に見せつけてくる。
また今回も、友人の篠澤さんから変なものを渡されたようだが……。
こんなもので、人の中身が入れ替わるはずがない。
「先生! いきますわよ!」
倉本さんがその紐を頭上に放り投げると、辺りに眩い光が放たれた。
「えっ、ちょっ!?」
あまりの眩さに、思わず目を瞑った俺がゆっくりと目を開くと。
目の前に俺が立っていた────。
────理解が追いつかない。
倉本さんの体に入ってしまったらしい俺は、頭を抱えていた。
対照的に、俺の体に入り込んでいる倉本さんは。
「成功ですわ! 先生、これで今日はわたくしが先生ですわね!」
嬉しそうに小躍りしながら、部屋の中を飛び跳ねている。
俺の姿と声で、お嬢様言葉を話すのは恥ずかしいのでやめていただきたい。
俺がこの突飛な状況に絶望していると、部屋の扉がゆっくりと開いた。
「お嬢様、香名江です。……プロデューサー様、またお嬢様を怖がらせるような発言を……?」
部屋に入ってきた香名江さんが、倉本さんの姿をして絶望している俺を見て、俺の姿をしている倉本さんに詰め寄る。
「かっ、香名江!? ち、違いますわ! これには訳が……!」
鬼気迫る香名江さんの表情に怯えた俺の姿をした倉本さんは、後ずさりしながら俺に視線で助けを求めている。
……少し面白いので見守っているとするか。
「プロデューサー様に名前で呼ばれる筋合いはありません。今日はお帰りください」
俺の声で倉本さんが「香名江」呼びをするものだから、何も知らない香名江さんは眉間に皺を寄せて静かに苛立っている。
……そうか、俺は香名江さんにそんなに嫌われているのか。
以前、香名江さんに水鉄砲二丁を持たせて、サングラスを掛けてもらったことが悪かったのかもしれない。
それとも、倉本さんを家系ラーメンに連れて行って、倉本さんがハマってしまった件のせいだろうか。
香名江さんは俺の体の手を引っ張り、俺の姿の倉本さんを部屋の外に連れて行く。
「香名江っ、話を聞いてくださいまし! 先生からも、何か言ってくださいませ〜!」
俺の体で、大粒の涙を零しながら抵抗する倉本さん。
自分の体で大の大人が泣いているところを見させられて、俺はどんな顔をすれば良いのだろうか。
「またお嬢様の真似をするなんて……やはり許せません。お帰りくださいっ!」
俺の体を廊下に放り投げ、部屋の扉をしっかりと施錠する香名江さん。
屋敷の娘なのに締め出された倉本さんが、俺の体で騒ぐせいで使用人に取り押さえられているようだが、俺の姿でそれをされると今後のプロデュースに支障が出るのでやめていただきたい。
部屋の真ん中で、放心して座り込んでいる俺の隣に、香名江さんがそっと寄り添う。
「お嬢様、香名江が着いていながら、怖い思いをさせてしまい申し訳ありません。彼のプロデュースは取りやめる事にしましょう。今後は、私がプロデュースいたします」
倉本さんの──俺の手を取り、優しく撫でながら語りかけてくれる香名江さん。
優しい声で、慰めるように俺の心を癒してくれる香名江さん。
俺に対する対応とかなり違う気がするのは気のせいだろうか。
「だ、大丈夫ですよ、香名江さん。それに、彼のプロデュースは学園一なので、契約を解消するのは勿体ないです」
プロデュースの契約を解消されることを危惧した俺は、慌てて自分で自分をフォローする。
しかし、俺の言葉を聞いた香名江さんはキュッと眉を顰めて。
「香名江……さん?」
しまった!!!
倉本さんは普段、香名江さんのことを呼び捨てにしている。
倉本さんの声で「香名江さん」と呼んでしまったせいで、何かに感づかれたかもしれない。
倉本さんと俺の中身が入れ替わっていることに気づかれたら、今度こそタダでは済まされないと感じた俺は、慌てて言い直す。
「かっ、香名江! 香名江! です……わよ、ね!」
お嬢様言葉にかなりの抵抗を感じつつも、今の俺は倉本さんであるため、精一杯彼女を演じなければならない。
俺は恥ずかしさをグッと堪え、お嬢様言葉で香名江さんと接することにした。
「ほっ……良かったです、お嬢様。何かあの男に変な事でも吹き込まれたのかと、心配してしまいました」
倉本さんの声で、いつも通りの呼び捨てをしてもらった香名江さんは、安心したように優しく微笑む。
……あれ、俺にはこの笑顔を見せてくれないな。
どうやら俺は、よっぽど香名江さんに嫌われているみたいだ。
「さあ……お嬢様。いつものように、香名江が優しく抱きしめて差し上げます。暖かいですよ」
香名江さんは俺の手を取って倉本さんの大きなベッドに促す。
2人並んで腰掛けた後、香名江さんが倉本さんの体を優しく包み込む。
高級感のあるベッドとメイド服の衣擦れの音が、俺の鼓動を速くする。
やばい!
俺、この人のこと好きになっちゃう!
香名江さんの優しい温もりと香りに包まれて、俺の顔は蕩けてしまった。
今は倉本さんの顔で蕩けているから可愛いものの、これが本来の俺の顔だったら通報ものだろう。
香名江さんはその小さな口を俺の耳元に持って行き、熱い吐息をかけながら。
「お嬢様……香名江は、お嬢様が大好きですよ。何があっても、お守りいたします」
優しい声で、俺に告白をする香名江さん。
……いや、告白されたのは俺ではなく倉本さんか。
それにしてもこの状況。
未成年の女子に抱きつかれていることになるが……。
今の俺の体も、未成年女子の体なので、問題ない……。
問題ないよな?
中身の交換が解けたらお縄になるとか無いよな? な?
俺が後のことを考えて怯えていると。
「そうです! お嬢様、お耳をお掃除いたしましょう。さあ、こちらに」
香名江さんが耳かきを片手に、自らの膝をポンポンと叩いて膝枕を促す。
どうやらいつも、倉本さんは香名江さんに膝枕をされながら、耳かきをしてもらっているようだ。
羨ましいなあ……。
じゃなくて。
「あ、ありがとうございます、わ!」
ここで拒否すれば再び怪しまれると踏んだ俺は、ぎこちない動きで香名江さんの太ももに頭を乗せる。
人生初の膝枕をしてもらう相手が、担当アイドルに仕える年下のメイドか。
俺みたいな人間が、アイドルのプロデュースをしていいのだろうか。
柔らかな太ももに挟まれた俺の耳に、香名江さんが耳かきを差し込む。
「ふわぁ……わぁ……気持ちいいですわぁ……」
「ふふ……お顔が蕩けてますよ、お嬢様」
あまりの気持ちよさに声が出てしまった俺の頭を、香名江さんが優しく撫でて微笑む。
これが、名家の令嬢に仕えるメイドの超絶テクニック……。
香名江さんの耳かきで激しい快感を与えられ、俺の体──いや、倉本さんの体がビクビクと震える。
「お、お嬢様……? そんなに反応して……あっ、よだれが!」
香名江さんのメイド服の裾を握りながら快感を浴びていた俺は、いつの間にかその裾に大量のよだれを零していた。
服の裾に大きなシミができた香名江さんは、慌てて立ちあがる。
その拍子に倉本さんの小さな体が吹っ飛ばされ、俺は布団に頭からダイブした。
「あっ、お、お嬢様っ! 申し訳ありません……!」
豪華な天蓋付きベットの上で仰向けに寝転ぶ俺に、香名江さんが飛びついて抱きつく。
そのまま香名江さんは頭を優しく抱きかかえてくれるが、そのせいで俺の口元のよだれがお互いの顔に伝播する。
「お、お嬢様……」
よだれでべちょべちょになった顔で、香名江さんが俺を複雑そうな表情で見つめる。
……俺は悪くないよな?
よだれに塗れた顔で見つめあった俺は。
「か、香名江、洗いに行きましょう!」
ベッドから降りて、顔を綺麗に拭き取ろうと提案すると。
「お、お嬢様……! つ、ついに、この香名江と……お風呂に入ってくださるのですね……!」
…………ん?
恍惚とした表情で、両手を握り合わせて感激している香名江さん。
…………とっても、嫌な予感がする。
非常に、嫌な予感だ。
俺の嫌な予感が的中したのか、息の荒い香名江さんが俺の手を強く握る。
そのまま腕を引っ張っていき、部屋の扉に向かう。
「さあ、お嬢様! 香名江とお風呂に参りましょう! ついに、香名江と入ってくださる日が……! お背中、お流しいたします!」
力強く部屋の扉を開け、俺の腕を強く引っ張ったまま、屋敷の廊下を闊歩する香名江さん。
向かう先は、屋敷のお風呂なのだろう。
「かっ、香名江! お風呂ではなく! 顔を洗うだけで……っ! 香名江! ッ……香名江さんっ!」
さすがに香名江さんと一緒にお風呂に入る訳にはいかない俺は、精一杯抵抗するが、倉本さんの膂力では香名江さんに敵わず、為す術もなく連行される。
屋敷のメイド達が不思議そうな顔で、顔中よだれ塗れの俺たちを見つめてヒソヒソと囁いている。
……だ、誰か助けてくれ!
屋敷のお風呂までズルズルと引っ張られていった俺は、香名江さんに連れ込まれた脱衣所で腕を離される。
「大きなお風呂……!」
「いつも入ってますよね?」
倉本家のお風呂の大きさに思わず素の反応をしてしまった俺を、香名江さんが不思議そうに顔を覗き込む。
「そ、それより、早く身を綺麗にいたしましょう。さあ、香名江がお脱がせいたします!」
興奮した様子の香名江さんが、早口でまくし立てながら倉本さんが身に付けている衣服に手をかける。
まずい!
このままでは、俺は香名江さんだけでなく、倉本さんの裸体をも目にしてしまうことになる!
それはさすがに警察のお世話になってしまう!
「かっ、香名江! 脱がせないでくださいまし! 自分で脱げますわ! ……じゃなくて、脱ぎませんわ〜!」
「お風呂に入るのですから、恥ずかしがらずに! お嬢様の体は貧相でも、恥ずかしくありません!」
「そ、そうではなくて……! ……貧相?」
倉本さんの体で香名江さんと取っ組み合いをしながら、俺は激しく抵抗する。
香名江さんはサラッと倉本さんの体をディスっていた気がするが、気のせいだろう。
倉本さんの力では香名江さんに敵わない俺は、すぐさま床に組み伏せられてしまう。
脱衣所の床で、仰向けに寝転ぶ俺の上に、香名江さんが馬乗りになる。
香名江さんは鼻息を荒くしながら、倉本さんのブラウスに手をかけた。
非常にまずい。
俺の人生の中で、一番まずい状況になった。
もう後が無くなった俺は、枷となっている羞恥心を無視して最終手段に出ることにした。
俺は片手で口元を隠し、恥ずかしそうに赤面する。
そのまま香名江さんからそっと目を逸らし、か細い声で。
「……香名江……優しく……してくださいますか?」
上目遣いで優しくお願いされた香名江さんは一瞬固まった後。
「お、お嬢様!」
「香名江さん? うわっ、鼻血! 鼻血が出てますよ!」
真っ赤に染めた顔をした香名江さんが、鼻から深紅の血をダラダラと零している。
香名江さんは理性の崩壊した目つきで、鼻血の止まらない鼻を手で抑える。
「お嬢様! 香名江は今日、河を渡ります。禁断の愛という、厳しく流れの激しい河を」
俺の顔に鼻血をボタボタと垂らしながら、訳の分からないことを言い出す香名江さん。
俺は呆れた顔で、どうにかこの状況を抜け出せないかと頭を高速で回して思案していると。
突如、倉本さんの体が眩く光り出した!
「お、お嬢様!? 急に光って……!?」
俺は自らの意識が入っているこの体が、急に熱くなっていくのを感じた。
目の前に迫る香名江さんの紅潮した顔を隠すように、視界が明るく白に染まっていく。
その眩さに耐えかねて、瞼をギュッと瞑ると。
「お嬢様……いったい何が……プロデューサー様!?」
俺はいつもの体の感覚を取り戻していた。
篠澤さんのナカミダケカエル君の効果が切れたのか、香名江さんが取り押さえていた倉本さんの体は、俺の肉体になっていた。
いったいなぜ意識が戻るのではなく、体の方が戻ってくるのかと疑問が湧いた俺の顔に、香名江さんの鬼のような形相が詰め寄る。
馬乗りになっているのが俺の体になった途端、先程まで出ていた鼻血がピタリと止まったようだ。
いつもの見慣れた、美しいが険しい顔だ。
俺は眼前に迫る香名江さんの顔から、目をそっと横に逸らし。
「……香名江……優しく……してくださいますか? …………ウッ!!」
俺の鳩尾に、香名江さんの拳が深くめり込んだ。
ちなさん視点も見てみたい