【辺野古沖転覆事故】 守られなかった “1隻に船長2人ルール” 3年前まで抗議船船長を務めた女性が後悔語る「甘いところ、多々あった」
琉球放送
3月。名護市辺野古沖で転覆した「平和丸」。修学旅行中の高校生と船長の2人が犠牲になったこの船で、3年前まで船長を務めていた女性が今回、取材に応じました。事故から3か月。語ったのは、安全管理の甘さへの後悔の念でした。 【写真を見る】【辺野古沖転覆事故】 守られなかった “1隻に船長2人ルール” 3年前まで抗議船船長を務めた女性が後悔語る「甘いところ、多々あった」 抗議船の元船長: 「私たちは安全管理に気を配っているつもりだったけど、例えば “転覆まで想定はしてなかったな” とか… やっぱり甘いなと思うところが多々あった。もっと自分にできたことがあったんじゃないか。悔しい思い、申し訳なさは強くなるばかりです」 3年前まで船長のひとりとして活動していた女性。遺族への申し訳なさと、事故原因の究明に役立てばという思いから今回、取材に応じました。 米軍普天間基地の辺野古移設に対する海上での抗議活動は従来、その日集まったメンバーの中から、船長や海に出る船の数を決めていましたが、最近では参加者が少なくなり、あらかじめ曜日で船長を決めていました。 ■出航可否をどのように判断していたのか 転覆事故の日、現場には波浪注意報が出ていました。元船長によると、船長らは日常的に、複数の気象データと「自身の目」で海の状況を把握し、出航の判断をしていたといいます。 元船長: 「いろんな天気図、風向き、4つぐらいのサイトの情報を見て総合的判断で。最終的には目で見て決めていた。例えば名護市に出る天気予報や風向きは西海岸と東海岸と全然違うので。最終的にデータだけに頼らずに目で見て判断、という意味です」 事故が起きたのは、水深が急激に変化する「リーフ」の近く。その危険性は死亡した金井船長が一番理解していたはずでした。 元船長: 「あそこを通る時は、本当に沖の方まで出ないと危ないというのは、船長全員に叩き込まれていましたし、今いる船長の中で一番技術的にも、海況について知識も優れてたのが(死亡した)金井さんだったので、本当になぜ? という気持ち」 ■守られなかったルール「1隻に船長2人」 船を運航したヘリ基地反対協議会では2014年10月、出航準備をしていた男性が死亡する水難事故があって以降、「1隻につき船長2人体制」がルール化されていました。 しかし今回の事故では、最初に転覆した「不屈」には金井船長のみが乗船。亡くなった武石知華さんが乗っていた「平和丸」には船長と乗組員の2人で、組織のルールは守られていませんでした。