「許す人」は同時に「責める人」でもある
志を胸に、変革を起こし続けるリーダーに伴走するコーチ、小川恵子です。
会社の決定が、どう考えても理不尽で納得できない。
信頼していたメンバーに、期待を裏切られた。
自分の判断ミスで、チームに迷惑をかけてしまった。
ずっと尽くしてきた組織が、自分を守ってくれなかった。
リーダーという立場には、こうした出来事が付きものです。
こみあげる感情をなんとか抑え、冷静に振る舞う。
「状況は理解した」「過ぎたことだ」と自分に言い聞かせながら、「許そう」と気持ちを切り替えて前を向く。
それでもまだどこかに引っかかりが残っている。思い出すと感情が動く。
そうこうしているうちに、より緊急度の高い出来事が起き、その違和感は忙しい日常に紛れていく。
このような方も多いのではないでしょうか。
リーダーが自分の違和感をどのように扱い、成長の糧にしていくかを私の体験も交えて「許す」という視点から書きました。
「許す」ということに対する違和感の正体
私はかつて、心の違和感に蓋をしていました。違和感を感じていても、私が我慢すれば面倒なことを避けられると考えていたからです。
30代後半からコーチングやカウンセリングを学び続けてる中で、違和感に蓋をすることは自分自身から目を逸らしていることになり、ひいては他人の人生を生きることになると知りました。
それ以来、違和感を感じたらなるべくその場で向き合うようにしているのですが、過去に蓋をしてきた数々の違和感はまだ自分の中にあり続けています。
つい先日も、この本を読んでいる時に、ずっと私の中にあり続けた小さな違和感に向き合うことになりました。
許すということは「許さないという責める感情」ありきのもの。
そもそも「許す」という行為の前には、「責める」気持ちがある。
つまり、「人を許す人」というのは、同時に「人を責める人」でもある。
この部分を読んで「うっ」と苦しくなりました。私が「許す」ということに対し、感じ続けていた小さな違和感の正体がここにありました。
責める気持ちがあるからこそ「許す」がある
「許す」という行為をするためには、何か許す対象となるものが必要です。
「あの人が悪い」と責める相手があるからこそ、「許す」という行為が発生するのです。
振り返ると、かつて「許せない」と憤った出来事も、時間の経過とともに「もう許せた」「乗り越えた」と思っていたものがいくつもありました。
しかし実は、許したはずの人に対し、心にくすぶる違和感があり続けていました。
子供の頃、私をいじめた人たち。
困った時に助けてもらえず、理不尽な対応をされた会社。
誰かの裏切り行為。
私は許す人でもありながら、同時に相手を責め続ける人でもあったのです。だからこそ「許した」「辛い出来事を乗り越えた」と思おうとした時に、違和感があったのです。
リーダーの「相手を責める気持ち」
背負うものがあるリーダーという立場では、より複雑さが増します。
上からの理不尽な指示、相手への失望、自分の判断への後悔、組織への諦め。
こうした感情は、弱さの表れではありません。それだけ真剣に、仕事に、人に、組織に向き合っている証拠です。
役割、責任、チームへの影響を考え、自分の感情や違和感を抑えて「許した」「もういい」と前に進もうとする。状況的に、立ち止まりたくてもできないということも多々あるでしょう。
でも、その感情や違和感は自然になくなるわけではなく、心に残り続けます。
会議中にふと蘇る苛立ち。顔を見るたびに感じる微妙な心の距離感。深夜ひとりになると、自責の念が大きくなってくる。
「許した」はずなのに、なにかがずっとあり続けている。そのひとつが未消化のままの「相手を責める気持ち」なのかもしれません。
ではどうすればいいのか
「相手を理解しようとすること」です。
「許さなければならない」と無理に頑張る必要も、「相手を責めている自分」を否定する必要もありません。
相手の振る舞いを自分なりに理解しようとする姿勢があれば、責めるという気持ち自体が生まれず、許す必要もなくなります。
人のどんな行動にも、なにかしらの理由があります。
相手がなぜそうしたのか。
純粋な好奇心で相手の立場で理解することができたら。
その人が本当に願っていることを知ることができたら。
なにがその人にそんな行動をさせたのか、本当の理由がわかります。
もちろん他人を100%理解することはできません。
でも理解しようとすることを諦めずにかかわり続ければ、責める気持ちが一度うまれたとしても、その気持ちは少しずつ消化・昇華していき、いずれ許す・許さないという垣根もなくなります。
また、怒り、失望、孤独といった感情は自分だけのものではなく、どんな人も、同じような感情を抱えながら生きている。
人間である限り、傷つくし、責めるし、迷う。その人間共通の痛みを知ることで、一歩深い他者理解につながっていきます。
自分の感情を大切にするほど、相手の感情も大切にすることができます。
自分を尊重しながら他者を尊重するというかかわり。リーダーのこの心の成長は、本当に望む他者との関係性を育て、人生の糧になっていくと私は考えています。
まだ見ぬ自分との出会いを、恐れる必要はない
私がコーチという生き方を選択しているのは、人に対する飽くなき好奇心と、ひとりひとりが生きる人生へのまぶしいほどの畏怖の念があるからです。
出会うすべての人がひとりひとり違っていて、それぞれの人生を生き、それぞれの願いに生きている。
自分とは違う他者とかかわりあうことで、人生が彩られ可能性も、生きる世界も広がっていく。
私自身も、その成長の途中にいます。人生後半になっても、まだ見ぬ自分との出会いがしょっちゅうあります。
だからこそ人生はおもしろい。
私が「人生は冒険の旅」で「だれもが大器晩成する人生を歩んでいる」と信じる理由でもあります。
【プレゼント】自分の違和感から、成長のヒントを見つけるチェックシート
「自分にも思い当たることがある」「そこから一歩踏みだすきっかけがほしい」と感じている方へ。
現在、自分の違和感から成長のヒントを見つけるチェックシートをプレゼントしています。
プレゼントの無料申し込みはこちらからどうぞ!
かけがえのない一度きりの人生。 より自分らしい人生を叶えるために、行動を起こすきっかけにしませんか。
私のより詳細なプロフィールやご提供中のサービスは、公式ホームページでご覧いただけます。
いいなと思ったら応援しよう!
最後まで読んでいただきありがとうございます。もしよかったら、感想や気づきなど残していただけると励みになります。

コメント
2コメント失礼します。
ぼくはちょっと違いう考えかたをしてまして、
恵子さんが「自分を許すことがやさしさの始まり」の
中で言っておられた。
「失敗は誰にでもあるさ、気にしない気にしない!」は、
これ、だれにでも当てはまることだと思うんですよね。
(なんか反論しちゃって申し訳ないんだけど)、
っていうのは僕も、人を許す?!とか、
執着を手放す⁉と言った
宗教染みたことに今なんか
すごくはまるというと大げさになるんだけど、
そっちに感心が行ってて勉強中なんですよ。
ちょっと気になったんでコメントしちゃいました、
京都の老人より
和則さん、コメントありがとうございます!
人それぞれの捉え方、考え方がありますから、反論だなんてとんでもない。このnoteもあくまで私の考えです。読んでいただき、何か心に感じていただけたなら嬉しいです。
和則さんも学ばれていらっしゃるんですね。note拝見させていただきます^^