フィロソフィーのダンスが起こしたいくつかの奇跡について
フィロソフィーのダンスが6月13日LINE CUBE渋谷での公演を最後に11年の活動に終止符を打ち、活動終了となりました。
今、思えば奇跡のような事に何度も出会えたグループなのではないかと感じています。
僕は2014年にアイドル・グループの結成を企画して、2015年にオーディションで佐藤、十束の2名、スカウトで日向、奥津を集めてこのグループをスタートさせました。
2020年からはレーベルとマネージメントが移籍したため会社の組織上、プロデューサーを務める事は出来ず、オブザーバーとして参加して来ました。
本当に11年間良くやってくれたと思います。その後僕が手がけたCIRGO GRINCO(シルゴ・グリンコ)というグループは1年で活動中止になってしまったので、アイドル・グループがメンバー・チェンジなしに続けるのは本当に難しいと思います。
そもそもアイドルというのは基本的に自分で曲は書かない、歌う、踊るといったパフォーマンス以外の才能は求められないので、自分ではどうしようもない運がないと成功できないんです。
フィロソフィーのダンスのオーディションで行ったのは書類審査無し。
指定した時間と場所に飛び込みで来て欲しいという物でした。
これはそれ以前に手伝ったアイドル・オーディションでは書類審査がほぼ意味がなかったのと、このスタイルをとってみました。
2015年当時ですら写真加工の技術が進み、全く当てにならなかったんです。
それも、指定した時間と場所に来て欲しいというのはその子の本気が試せますよね。
そのかわり応募者数は少なくなり、可能性はあっても勇気がない子は参加してくれない可能性はあります
これは読者モデルの募集は時間、場所を指定して来てもらって審査するという話を聞いて思いつきました。
新宿のスタジオで2日間、何人かは覚えてないですが、100人いないと思います。
そこに清純派正統派アイドルの佐藤とオタクで2.5次元キャラの十束がいたのです。
この二人しかないと思いました。なかなかの確率だと思います。
僕の作りたかったのは歌が上手いグループだったんですが、当時はアイドル・グループに入りたいというような子は歌には自信がないという子がほとんどでした、何人かで歌えば誤魔化せますからね。
この時に僕はアイドルだけではなく、本職であるバンド、SSWの発掘育成もやっていました。
そこで日向のやっていたバンドのデモと出会いました。
歌も上手いし、音楽性は東京事変に影響受けすぎだなと感じいましたがコンタクトを取り、ライブも通いました。
ある日、日向から連絡があり「バンドがうまく行ってないので相談したい」と連絡があり会いました。彼女から「私、歌が歌えて有名になればなんでもやります」と言われたのです、多分、その時にダンスも子供の頃からやっていると聞きました。
そこで今、アイドルのオーディションをやっているから参加して欲しいと頼んだと思います。本当に偶然です。
その後しばらくして、良いSSWがいるから見た方が良いですよと、多分、ライブハウスのブッキングから教えてもらい原宿のライブハウスに奥津のライブを見に行きました。
その頃から女性SSWもファンとチェキを撮るなどする事が増えて来たのですが、SSWによっては、そういうのは嫌だという女子もいました。
奥津は抵抗なくやっていたので、アイドルも出来るかもと思いました。
そして「君はSSWでは売れるのは難しいと思うけれど、アイドルだったら売れると思うよ」と言ってスカウトしました。「私、踊れないです」と言われたのですが、ここは何とかしようと思い「手振りくらいで大丈夫にする」と嘘をついて誤魔化しました。後年、奥津は騙されたと言っていますが、本当です。その節はどうもすみませんでした。
でも彼女身体能力が優れていたので助かりました。
ご存じだとは思いますが、未経験者だとは思えないダンスを踊れるようになります。
これも僕がそれまでアイドルではなくバンド、SSW界隈にもアンテナがあってからこその出会いだったと思います。
ここでメンバーが集まりました(1名は結成数ヶ月で行方不明でその後全く行方は知れません)
このグループでやりたかったのはファンク、R&Bをアイドルで演る事でした。
リファレンスはファレルの「ハッピー」やマーク・ロンソンのワークスです。
歌詞はアイドル・ソングにありがちな10代女子の淡い恋心とかではなく普遍性と文学性があるものを目指しました。
なので歌詞はヤマモトショウ君に頼むのは大決定でした。
彼とは彼がまだ大学生からの付き合いでした、最初のバンドはボーカルが脱退。SSWだったMICOちゃんを紹介しふぇのたすを結成。メジャー・デビューして活動中でした。
何曲か作ったのですが、どうもイメージにしっくり来ませんでした。
そこで出会ったのが宮野弦士君です。
大学からの後輩の音楽専門学校のスタッフが「将来、冨田ラボになるかも知れない学生がいるんで紹介したい」と連絡がありデモを聞いたらなかなかのセンスでした。
面白いと思い、渋谷のタワーカフェで会いました。
何が好きなのと聞いたら若いのに「ナイル・ロジャースとスティリー・ダンが好きなんです」との返事。
これはセンス良いかもと思い楽曲を発注(山下達郎の「スパークル」みたいなギターのカッティングで始まる曲とオーダーしました)
そして出来たのが「すききらいアンチノミー」です。
僕はアイドルのライブを見ているとアレンジャーが違う曲がカラオケでランダムに出てきて世界観がバラバラになるのが嫌だったので、作曲家は複数いてもアレンジャーは一人にすると思っていたので彼にアレンジは任せようと思いました
ここでピンチが訪れます。僕がユニバーサル・ミュージックを2015年末で会社と意見が合わずやめる事になったのです。
ユニバーサル・ミュージックでは、まだこんな地下アイドルをやりたいなんていうスタッフはいません。ここで実は解散の危機があったんです。
ユニバーサルを辞める、グループはどうなるか分からないと話した時の奥津の暗い顔になったのは今も覚えています
僕は何をしようか考えていなかったのですが、ソニー・ミュージックの知人から「加茂さんをソニーに呼びたい、私は上に掛け合うから」と連絡がありました。
僕は当然、新人発掘でライバルだったソニーの新人発掘部署のS D事業部に来てくださいと言われるのかと思ったら「360度でやってくれるのならば何をやっても良い」とまさかのお言葉。
そこで僕は彼女達を連れてソニー・ミュージックエンタテインメントに入ります
そのREDという部署は好きな事をやっても良いけれど、スタッフはいないという事で何から何まで当初はやっていました。
デビュー1年少しで今は無き原宿アストロホールで200人もワンマンライブは出来るようになりやっと現場マネージャーがつきました。
その後、毎週末はライブ。30分のライブに1時間の特典会。月に1曲の新曲(アイドルは振り入れがあるのでまとめて曲は作れないんです)とお披露目ライブ。少しでも時間があると物販用にチェキの撮影。(何万枚も撮ったと思います)
特典会が終わると遠距離のメンバーは2時間近くかけての帰宅です。今思うと本当に頑張ってくれたと思ってます。
経費+αのお金しか払えません
そのかわりに月に一回、メンバーとスタッフで美味しいものを食べに行く会をやっていたのも良い思い出です。
佐藤は焼肉が好きで「安くても良いからお肉をお腹いっぱい食べたい」という名言を残しました。
彼女は、それまで焼肉というのは概念としてどこで食べても味は変わらない物と思っていたそうです。別のそんな貧困家庭というわけではないのに何か彼女らしい話だなと思い出します。
メンバーには不倫はするな、年収3000万以下と付き合うなという冗談でマジな事は言っていたのですが、スキャンダルはもちろん僕が知らないだけかもしれないですが男性問題も全く何もありませんでした。
不平、不満を言われる事はありましたが、十束が健康上の理由で脱退したいという話があるまで、辞めたいという相談を受けた事もありませんでした
彼女達は2020年にソニー・ミュージックエンタテインメントからソニー・ミュージック・レーベルズに移籍するわけですが、ソニーなのにメジャーじゃないの?と思う人はいると思うのですが、ソニー・ミュージックエンタテインメントはレコード協会の正会員ではないのでメジャーではないんです。
若干の移行期間はあるのですが、ソニー・ミュージック・レーベルズの中に新しく出来たマネージメント部署にフィロソフィーのダンスが所属する事になりました。
そこのチーフ・マネージャーは僕が発掘育成したBase Ball Bearの現場マネージャーだった大久保君、部署のトップは当時チーフ・マネージャーだった徳留さんだったんです。これも奇遇として言いようがありません。
余談ですが当時Base Ball Bearの小出君はアイドル大好きで当時はロック・ミュージシャンはハロプロ好きだというのは禁句だったので二人で、あんまりそういう事は言うなと言った記憶があります(その際はすいませんでした)
渋谷で偶然、小出君に会ったら「ヒューリスティック・シティって良い曲じゃないですか」と言われて、聞いてくれてるんだと思って嬉しかったです
それとライブをみた方は分かると思うのですはフィロソフィーのダンスはオケでライブをやる場合でもイントロ、間奏、アウトロを伸ばしたり、コール&レスポンスを入れたりかなりアイドルとしては画期的演出がかなりされています。
これも当時Base Ball Bearのライブ演出を担当していた本間さんという方が担当してくれています。彼女もそれまでアイドルの演出など手がけた事はなかったそうですが、やりがいがあるとすごく熱心にやっていただきました。
最後に時系列は前後しましが、奇跡が起きた事をもう一つ書きたいと思います。
ある日「加茂さんの電話番号知りたい人がいるけれど教えて良いですか?」聞かれて教えました。後日、その方から「うちの○○○○がフィロソフィーのダンスのライブを見に行きたいと言っています。本人はチケットを買っているのですが、一人で行かせるわけにも行かないので私も同行しても良いでしょうか?」との連絡
2016年7月9日 下北沢ReGの定期公演にいらっしゃっていただき、途中で帰ったらどうしようかと思ったのですが最後まで見ていただきました。
どこで知っていただいたんですがと聞いたら「ネットで見つけてさぁ」との返事
メンバーにご挨拶させてくださいとお願いすると「ここまで来て会わないわけには行かないよね」との事、メンバーに紹介すると号泣。その方からは「君たち曲のクオリティーがキープ出来れば売れると思うよ」とのお言葉。
その言葉が僕の呪いになってしまいました。
あのレジェンドが誰よりも早くフィロソフィーのダンスを認めてくれていたというのは本当に励みになりました。
今の時代、シティー・ポップさらに高中正義といったアーティストが40年以上経って再発見されてブレイクしています。
フィロソフィーのダンスの曲は、いつになっても古くならない曲にするというのは心がけていました。 いつかきっとまた世界のどこかで聴き続けられてブレイクするという奇跡がきっとまた起きると思っています。
お読みいただきありがとうございました


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