[シマぬ記憶(うびぃ) 地域の沖縄戦] 比嘉弘さん(95)=読谷村
80年前、米軍上陸地となった読谷山村(現読谷村)。戦闘は1945年4月上旬にほぼ終わったが、戦後は米軍が土地の大半を接収し、住民は住む地を奪われた。村楚辺の比嘉弘さん(95)は戦中、北部を逃げ惑い、終戦2年後にようやく古里に戻れたものの、再び強制退去させられた。米軍上陸前に見た大量の戦艦、やんばるの山中を逃げ惑った40日間、収容所で聞いた楚辺から民家はなくなった話-。当時を思い起こし「先が見えなかった」と静かに語った。(社会部・當銘悠)
戦況が悪化する中、45年2月に本島中南部の住民の北部疎開が決まった。比嘉さんの母、2歳だった末妹を含むきょうだい6人は国頭村奥間へ疎開した。当時15歳だった比嘉さんは村に残り、馬車で家族に芋など食料を届けた。
だが、3月末に米軍の上陸前空襲が始まると、比嘉さんも祖父や親戚を馬車に乗せ北部へ。米軍機が飛び交う中、アダンの木に身を隠しながら歩き続けた。1日かけて奥間にたどり着き、先に疎開していた家族と合流した。
4月上旬、奥間にも米軍が侵攻したと情報が入った。「どうせ殺されるなら、古里へ帰ろう」。読谷山村に戻ることを決め、東村や久志村を通って恩納村へ。40日間ほど山中を逃げた。カエルやフキ、シイの実など食べられるものは何でも食べた。「今の子どもたちには考えられないよね」と振り返る。
避難中には奥間の住民から米を恵んでもらい、...