マッサージしてやろうか
安心してください、健全です。
篤寛同棲シリーズ6話目
残業で遅く帰宅した日下部に、酔っ払った日車がフェイスマッサージをする話。
二人の初めての出会いもちらっと登場します。
未読の方は1話目から読んで頂くのがおすすめです
シリーズはこちらから
novel/series/15837950
感想をいただけるととても励みになります♡
マシュマロ↓
https://marshmallow-qa.com/j4x755g103e9ek6?t=a5mlDv&utm_medium=url_text&utm_source=promotion
- 40
- 37
- 749
[お疲れ、今日残業で遅くなる、多分二十二時くらい。できたら飯用意しててもらってもいいか?先に食べてて大丈夫]
[お疲れ様。了解した。帰りは気をつけて]
スマートフォンのメッセージアプリで恋人に帰宅が遅くなることを連絡してはぁ、と深いため息をつく。
今日は職場でのジムでの緊急のミーティングが入り残業が確定してしまった。本来は定時で上がり、恋人と夕食を食べて一緒にダラダラ……という名のいちゃいちゃをする予定だったのに、こんちくしょうと思いながら資料を持って裏の会議室へと向かった。
「ただいま〜……、はぁ……疲れた……」
「おかえり、日下部。遅くまで頑張ったな」
風呂と夕食、どちらからにする?とスリッパを履いてパタパタと音を立てて玄関まで迎えに来た寝巻き姿でヘアバンドをつけた恋人に聞かれれば風呂かなぁ……と答える。
日車は一人で酒でも飲んでいたのかほんのり頬が赤く目尻が下がっている。ほろ酔いの彼にまるで飼い犬の頭を撫でるかのようにわしゃわしゃと撫でられればアルコールの香りと同時に嗅いだことのない甘い香りがした。
「……ん?なんかこう、女性ものみたいな、香りかこれ?」
「ああ、これか。君が貰った引越し祝いの中にあっただろ、シャンプーとコンディショナーのセット……忘れたか?」
ああ、あれかと疲労で重い頭の中から記憶を引っ張り出して思い出す。
彼がコーチをしている高校の剣道部の女子生徒たちから貰ったものだ。コーチがこれ、使ってたらかわいいねって話になって女子たちで買いました!と押し付けられた紙袋の中にはシンプルなヘアバンドが二つ、女性に人気のヘアケアブランドのシャンプーとコンディショナーのセットが入っていた。
今朝、夜にこれを使っていいかと日車に聞かれたのをやっと思い出した。すんすんと彼の頭に近付いて匂いを嗅げばほんのり甘いが不快感のない良い香りだった。普段彼から香らない匂いと熱っている愛おしい恋人に抱きつき、黒く艶やかな髪を触ればしっとり、指通のいい滑らかな髪質。このまま連れ込んでベッドに行くのもありか、と考えれば嬉しそうだが静止する声が聞こえた。
「こら……っ、風呂に入ってる間に着替えは俺が持ってきて夕食は準備しておく。あとは頂いたシャンプーとコンディショナーは君も使えばいい」
おー、ありがとな。といえばそのまま風呂に向かう。
君も使えばいい、と言っていたが自分にこのようなものは合わないし、いいものだから日車に使って欲しい。そう思いながら風呂場へ行き、頂きもののシャンプーでなく、いつものドラッグストアで愛用しているメンズ用のシャンプーのポンプを押した。
風呂から上がり、リビングに戻れば夕食のパスタが用意されていた。いつも料理担当ではない彼が簡単なものですまない、とほんのり眉を下げて申し訳なさそうにつぶやく。準備をしてもらえるだけでありがたい。しかも恋人が用意したものも、作ったものもどんなものでもうまい。
いただきます、と手を合わせて言えば日車もダイニングテーブルで食べ始める日下部を見届け、テレビ前のローテーブルで1人晩酌を再開する。あっという間に平らげればごちそうさま、と手を合わせて早く食器を片付ける。
皿洗いという一仕事を終えてローテーブルでお酒をちびちびと飲みながら床に正座して夜のニュースを見ている日車の後ろのソファーに座る。ふぃ〜と声を出してスマートフォンを触ろうとすればじ、っと目線を感じる。
「……日下部、その……、君はもう一人暮らし気分に戻っていないか?」
「え……?なんで…?」
「ソファに髪が乾き切っていない状態で座らないで欲しい。あと……しっかり乾かさないと、生乾き臭いぞ……」
気になってきた、まだ湿っているだろう。と小言を言われる。追加で酒を飲んだのだろうか、顔が先ほどより赤い。いつもより本音がボロボロ出る恋人がじと、っと睨んでくる。
……乾かしてやろうか、と立ち上がりソファに座る日下部に近づきわしっ、と両頬を掴まれる。突然の出来事にうべっ!?と声が漏れればぼーっと眺めてくる。
「……ところで君は、肌が綺麗だな……ふふ…」
だめだ、今日の日車は完全に酔っ払っている。顔を彼に固定されながら目線をぐるりと見渡せばローテーブルの上にニ本、床には三本、酒缶の亡骸があった。おそらく今日は二人でゆっくりするはずだったのに急遽自分が残業が入ってしまって悲しくなり、一人でやけ酒でもしたのだろう。
本来は仕事での疲労が溜まっている時に酒を飲むと稀にこうなることがある。いつも冷静沈着、論理的な彼とはかけ離れ、会話の辻褄が全く噛み合わなくなり知り合って初めの頃は日下部もどう扱っていいかわからなかった。しかし段々と彼の好きなようにすれば勝手に機嫌が良くなるということに気づいた。普段は抑えていることを酒の力を使って放出している、これが日下部が長年一緒にいて導き出した仮説。今日はこの日か、と思えば彼の好きなようにさせることにした。
自分の皮膚が少ない骨ばった頬をぐにっと掴み触ってくる。流れるように耳元から首もゆっくり触られれば何か探ってるらしい。
「もういいんひゃないんへふか、ひうう"ませんせい」
「上手く喋れてないぞ、……疲れか?顔が浮腫んでいる」
こんな顔のいい男が勿体無い、仕方がないからマッサージしてやろうか、と立ち上がりフラフラと浴室に消えた。戻ってきた時に酒缶でも蹴飛ばして転んだら大変だ、と思い床やローテーブルにあった空の缶をその間にキッチンの分別されたゴミ箱に捨てた。
「ほら、こっちに頭を乗せろ、日下部」
ここだ、ここと寝室のベッドの上でちょこん、と正座をして膝に手をペチペチと叩いて呼ばれる。
「ソファでやればいいのに」
「寝落ちしたら俺が運ぶのが大変だ、君は重いだろ」
「えー……寝る前の歯磨きもまだなんですケド……」
いいからはやく、と急かされた。二人が座ったベッドは先日の渋谷での買い物の帰りに注文した二つのベッドを一つにくっつけたものだ。ずれないように足の部分を専用のベルトで固定し、マットレスの隙間にも専用のパッドを挟み、二つを合わせたサイズのシーツをかければ大きめのサイズのベットが完成する仕組みになっている。
「……で、何してくれるんですか、これは」
マッサージだと言ってるだろ、と洗面所にある日車がよく使っている乳液を持ってきてぱち、と開けて手に取り出した。
男性は油分が足りなくなりがちで化粧水よりも乳液を肌に塗る方が大事、ということを日車は最近知ったらしい。普段はドラッグストアの安い化粧水をお気持ち程度に叩き込むだけの自分だが、ジムトレーナーという職業柄適度な運動に栄養バランスを意識せずとも正しく摂取できている、だからか年齢の割には肌質には若干自信があった。...がしかしそれでも基礎ケアは大事だ、と最近使わせようとしてくる。
「まずは浮腫んでいるから、そこから退治してやる」
恋人を自分の膝に寝ころばせ片方の耳の下から鎖骨へゆっくりとリンパを流す。もう片方も痛くない程度に力を入れて流せば……あ"〜…………と心地よさそうな声が漏れる。
何度か往復し、次は顎下、ほうれい線の横を引き上げる。乳液を軽く手につけていたからか肌同士の摩擦がなく、保湿をしながらゆっくり、丁寧にマッサージを行う。
「うわ……めっちゃきもちー……」
そうだろう、君は今日残業があったからか疲れてるしな。と頭を撫でられれば次は多分痛いぞ、と呟かれる。へ?と声を漏らせば今度はこめかみを円を描くように強めの力で刺激された。
「っイデデデデッっっ、痛い痛い日車ぁ!??」
「疲れが溜まっている証だろ、ここは肩凝りと眼精疲労に効く」
疲労が溜まっていればいるほど痛みが強いらしくごりごりと刺激されれば痛みで思わず足を軽くジタバタさせてしまった。頭皮の方へ少しだけ、ゆっくりとぐいっと持ち上げればこのマッサージは終わりのようだ。痛みは少し残るが気持ち軽くなったような気がする。
「ふぁ……痛かったけどマジで軽くなったな。……なんだか眠くなってきた」
「ふふ、そうだろう。なんなら目を瞑っててもいいぞ」
んじゃ、お言葉に甘えてとあくびをしながら目を軽く閉じる。その閉じた顔を見て日車は恋人のまつ毛がよく見たら長くはないが太く、一本一本ぴん、とハリがある事に気づいた。
今度は首に手を添え上から下にゆっくりと圧を少しかける。肩の付け根を軽く押して鎖骨周りを流せば血流が良くなり回復のスピードも上がるとのこと。最後は頭皮のマッサージ、特に男性はこれが大切らしい。疲労回復はもちろんリラックス効果もある。指の腹で日下部の頭皮を動かすようにぐっ、ぐっと触れば心地が良いのかうっ、と声が小さく漏れる。こめかみから頭頂部、後頭部と流れるように圧を加える。最後に最初行ったようにフェイスラインも軽く刺激してやれば一通りの工程は終わり。
「こんなところか、どうだった?日下部……寝てるじゃないか」
こちらの声はもう聞こえないのかいびきを少しだけかいて眠る恋人がいた。起こさないようそっと膝に乗っていた彼の頭を枕に乗せてするりと抜ける。
乳液と彼の皮脂がついた手を軽く洗い寝室の電気を消してサイドテーブルのルームライトをつけて一緒のベッドに潜り込む。三十代後半の男性らしくいびきをかいて深く眠りこんでいる、彼は自分の方を向きながら時折体勢を変える。
先ほど酒が一番回っていた時のように再度彼の頬にひた、と片手を置く。マッサージで塗った乳液のしっとりした感覚と、日下部の頬のほんの少しだけ伸びたちくちくとした髭の感覚を手のひらで同時に感じとる。
……付き合う前はこのように触れることさえできると思っていなかった。日下部との初めての出会いは自分の職場近くの道路で車椅子に乗っていて段差に苦戦していたとき助けられたことだった。
仕事が徹夜続きで事務所の階段から足を踏み外し、転んだ際に脚を痛めてしまい一週間人生初の車椅子生活となった。案外不便なもので、徒歩の時は全く気にしていなかった数センチの段差でさえ車椅子で乗り越えるのは難しい、そんなことを知らずに休憩中にコンビニに行った帰りに段差が乗り越えられずもたもたしていたときに声をかけてきてくれたのが日下部だった。
「……あ〜、大丈夫すか?車椅子押すの昔やってたんで、手伝えるんですけど……」
彼の姿を見た時に胸を打たれてしまった。夏だったからかじっとりと汗をかいた素肌、茶色がかった髪が太陽の光でキラキラと毛先が輝く。目は少し細め、眉間には皺が寄っている。なにより上半身、特に肩から胸が紺色のポロシャツからも伝わるくらい逞しく分かった。首から下げられていた社員証から今いる場所より少し距離のある大きなジムのスタッフらしいことがわかった。
「…あ、ああ……、お言葉に甘えてもいいだろうか」
頼んでもいいか、とかでよかったのにお言葉に甘えるとはなんだ、と今でも思い出すたびに恥ずかしくて顔から火が出そうになる。彼は慣れた手つきで段差を乗り越え、どこまでいくんすか?と聞かれればあそこの事務所まで、と指を刺しす。目的地までゆっくり後ろから押してくれた。
見知らぬ人になぜそこまでお人好しなのか、と聞けば彼の妹が昔車椅子に乗っていた時期があり、街中でも車椅子に乗っている人につい目が入ってしまうと。今日もたまたま寄ったコンビニから出たら段差で苦戦してる自分を見つけて気付いたら声をかけていたとのことらしい。
ここでいいすか?と声をかけられあっという間に事務所まで着いてしまった。もう少しだけ彼と話していたかったと思えば気づけば今度礼がしたい、よければ連絡先を教えて欲しいと口からこぼれていた。
……まずい、初対面であまり話もしていないのにこんなに攻めたら引かれるだろうかと思い、不安になりながら彼の顔を恐る恐るみればいいっすよ!と笑顔でスマートフォンを取り出していたのを見た時は安心という言葉はこのためにあるのか、と思うくらいホッとしたのを覚えている。
そんな昔のことを思い出しながら日車も瞼を閉じる。当時は叶わぬ恋と諦めていた、だが今は自分と最期まで共にすると誓った目前の愛おしい恋人の存在を感じながらまどろみの中に落ちていくのであった。