ジェットストリーム
不眠症の気がある日車をドライブに連れ出す日下部の話
ナチュラル同棲設定
甘くて優しい篤寛を見たくて書いたので、糖度高めかと思います
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「今から車出すけど。ちょっと付き合ってくれます?」
この三十数分静寂を保っていたダイニングに、不機嫌を押し殺し損ねた男の声が響く。
ダークブラウンのテーブルに腕を乗せ、椅子に深く腰かけた俺を眠そうな目で睨めつけながら彼は問う。
「今いいところなんだが。」
手の中に収めた小説を読み続けながら返事をしてやると、これまた不満たっぷりな様子で口を閉じたまま息を吐いた。
思わず口許が綻んで、寝室とリビングを繋ぐドア枠に腕を組んで寄りかかりながらこちらを見つめてくる日下部に視線を向ける。
「寝起きが悪いのは知っているが、起き抜けに不機嫌になるのは知らなかったな。」
「別にそういうわけじゃねぇけど……。それで来んの、来ないの。」
唇を尖らせてまた問われる。大きな子供の相手をしている気分になってきた。
そもそも、現在時刻は午後十一時三十分を少し回ったところ。こんな遅くに外出なんて、普段なら余程の急用でない限りすぐさま却下するところだ。
加えて俺も彼もパジャマ姿。お互い少し前まで寝息を立てていたのだから当然だが。
さらに彼はつい数分前までベッドの中だったはずだ。起こしてやらないようにそっとベッドを抜け出た時、穏やかな寝息と規則的に上下する布団の山を確かに見たのだから。
それが起きてきたと思ったら、俺の姿を見つけるや否や、急に外出欲が降って湧いたようだ。
これは間違いなく——
「面白そうだ。着替えるから少し待っていてくれ。」
そう言ってもう一度だけ本に視線を落とす。何ページ目まで読んだかを記憶してぱたんと閉じると、彼も腕を解いてクローゼットの方へぺたぺた歩き出した。
背中越しに感じる雰囲気があからさまに明るくなる。つい笑いが声に出そうになって、慌てて唇を引き締める。少し波打った口端に気づかれないといいが。
車に乗り込み帯を手繰ってシートベルトを装着する。「いくか」と溢した日下部はすっかりいつも通りの声色だった。
持ち物は適当に選んだショルダーバッグに、さっと詰めてきた財布とスマートフォンだけ。服装もどこへ連れて行かれても耐えうるものを簡単に選んできた。運転手たる日下部が気取った服を選ばなかったところを見ても特に問題はないだろう。
春が目前まで近づいて、夜でも身震いするような日は殆どなくなっているのだが、今日はほんの少し肌寒い。
車のドアに手をかけるあたりで上着を取りに戻ろうかと頭を掠めたが、なんだか興を削ぐ気がしてやめた。
キーを回してエンジンをかけるのを横目で見届けると、そろりと動き出した車は、落ち着かない俺を乗せて見慣れた近所の道を進んだ。
もう夜中だというのに、片側二車線の道路には俺達以外にも夜更かしがそこそこいる。
ちらほら見える大型トラックは、この先にあるインターチェンジでも目指しているのだろう。
対向車の真っ白いランプが目に刺さる。反射的に両目を細めると引き延ばされた光が眼前に広がる。夜の街が赤やら青やら緑やら、色とりどりの人工光を抱いていてうるさいくらいだ。
夜は音が少ない代わりに視覚情報が多い。煌々と光るコンビニチェーンの背の高い看板を見ると、駆け出しの弁護士だった頃、自分は事務所に缶詰になりながらも、日を跨ぐ前には車に乗せて家に帰してくれた姉弁のことを思い出す。
窓に肩を預けながら移り変わる景色を目で追っていると、日下部が動いた気配がして控えめにラジオが流れてくる。落ち着いた男性の声。今日最後のニュース番組だ。
今のところ会話らしい会話が交わされていない車内にその声だけが聞こえる。
幾ばくか待ってみても日下部は口を開かなかった。何度か盗み見た表情はいつも通りで、ここに至るまでの経緯がなければさして気にならなかっただろう。
時刻は十二時三分。計器に並んで淡く光るデジタル時計に目をやったとき、右から少し大袈裟に息を吸うのが聞こえた。
「お前、最近あんま寝れてないだろ」
やっと口を開いた日下部を、今度は首を捻って見遣る。
静かに、だがはっきりと芯のある口振り。返事を待っているのは明らかだが、そうだとも、そうでないとも言えず答えに窮する。
「図星?」
「いや……、半分間違っている。正しくは、眠れなくなる時期が昔からある、だな」
不眠症と自称するほど眠れないわけではないが、床に入っても寝入ることができない日が稀にある。そして一度そうなると、決まって数週間は断続して不眠が続く。
若い頃からそんな感じだ。流石に十代そこらの頃はなかったような気がするが。
「なんだそれ、初耳なんだけど」
「君と住むようになってからは初めてだからな」
「そういうことは先に言えって。心配する方の身にもなれや」
左手はハンドルに乗せたまま、窓枠に右肘を置く。呆れたような疲れたような色を浮かべて、その目は真っ直ぐ前を見ていた。
「俺が同棲にストレスを感じているとでも思ったか」
「そりゃ思うだろ。家借りたばっかで同棲解消とか言い出しにくいだろうし」
「不機嫌の理由はそれか」
心当たりのなさそうな顔をしている日下部に、「家を出る前のことだ」と付け加えれば、すぐに合点がいったようだ。
所在なさげに揺れていた右手が、ウインカーレバーを上に弾き、車体がゆっくり左に逸れる。
「半分は正解、だな」
もう半分は?
口を開くと同時に強まったエンジンの躍動と、半身に掛かる遠心力に驚いてフロントガラスへ振り向いた。
先程まで郊外の市街地を走っていたと思ったが、景色はいつの間にか車以外何もない殺風景へと変わっていた。
「なぜ高速道路に……?」
そう言えば、今日の目的地がどこであるか聞くのをすっかり忘れていた。聞き出す契機も見つけられなかったので仕方ないと言えばそうだが。
車体が風を切る音が強くなり、ラジオから流れる穏やかな音楽は殆ど隠されてしまう。壁のようなトラックが隣に並ぶと、深夜の高速の無機質さが際立った。
運転手は口許に悪戯な笑みを湛えてこちらを横目に見ている。狼狽える俺の反応も彼のドライブプランに織り込まれていたようだ。
軽く居住まいを正し、改めて顔を向ければ、ついと視線が前に逃げる。
盗み見って意外とばれているものなんだな。勉強になった。
「どこに行くつもりだ?君は明日午後から仕事だろう」
昨日の夜、急に舞い込んできた土曜出勤をひどく嘆いていた姿を思い出す。土日共にしっかり休みを貰った俺への恨み節もだ。
「そんな遠くまで行かねぇよ。用事が済んだらすぐ帰るって」
「……そうか、ならいい」
頑なに詳細は口にしない。
なら、ここは彼の意を汲んで黙っておく。
面倒だなんだと口にしても、仕事を投げる男じゃない。
俺の言葉を境に暫しの沈黙が生まれて、風音に邪魔をされて話しにくそうなパーソナリティの声だけが残った。
初めの方は聴いていなかったが、これはおそらく旅行記の朗読。カメラを片手に世界中を飛び回り、異国の文化に触れては記録に残す。記憶が記録として残り続けるその喜びが、落ち着いた声でしっとりと綴られていく。
「……さっきの続きは」
「ん?なんだっけ」
「不機嫌だった訳の話だ。もう半分は」
「あー、それ。お前が全然帰ってこねぇんだもん。」
「君……、起きていたのか」
寝息が崩れないから、てっきり寝ていると思っていた。すまない、と謝罪すれば「いいいい!気にすんな」と返される。
「布団を分けよう。きっとまた起こす」
「だぁからいいっつの!起きてもすぐ寝れんだから俺は!」
俺に適当な誤魔化しは通用しない。だからするなと言ってある。分かっている彼は「起きない」とは言わなかった。言えば突いてやるところだ。
「そうじゃなくて、寝んの諦めて本読んでんのはどうなのって話!自分の体を労われって口酸っぱく言ってきたつもりなんだけど?」
眉根を寄せた日下部と目が合う。
「不機嫌」などと形容したことに心が痛む。
蓋を開ければ全部「心配」だったじゃないか。
「……君の忠告は身に染みている。次はせめて布団に入ろう。だが、経験上眠れないとは思う。そこは勘弁してくれ」
すれ違う車のヘッドライトで浮かんでは消える輪郭を真っ直ぐ捉えて、不義理を重ねたくない一心で答える。
「そういや昔からなんだって言ってたな、それ」
「……ああ。だから付き合い方は心得ている。寝られなさそうだと判断したら書類仕事か読書に時間を使っていた」
「なるほどね」
日下部が窓枠に肘をかけていた右手で後髪を掻く。どこかバツの悪そうな表情で、「もしかして」と続いた。
「今の方が酷い?」
今、とは呪術界に足を踏み入れてからのこととみて、おそらく間違いない。
「どう、だろうか。この仕事を始める前も、全く寝られない日はない訳じゃなかったからな。……少なくとも、あの日から、夢見は悪くなったか」
聞かせるつもりのなかった自嘲が零れる。
日下部はただ黙っていた。俺もそれきり口を閉じて、いやに人間味のない道路を眺めた。
少しすると、またウインカーレバーを弾く音が聞こえて、左へ。風の音が小さくなる間に、車はサービスエリアの駐車場へ入って行った。
かなり先まで広々と取られた駐車スペースには、斜めに白線だけが切ってある。
乗用車はほとんど見られない。今この時間、このサービスエリアを利用しているのは大型車のドライバーが大多数のようだ。
食堂や土産店が内包されているであろう建物には人の気配がない。赤と白、灰色の煉瓦が敷き詰められた入口広場を、光量の強い外灯が昼間のように照らしていた。
建物の目の前、しかし入口からは少し逸れた場所に車が停まる。
「よし、着いたな」
運転疲れを癒すように控えめに肩を回して一息吐くと、かちゃりとシートベルトを外した。
「今日の目的地はここだったのか。もう営業時間は過ぎているようだが」
眼前にはもぬけの殻となった横長の商業施設。目的地とするには少々味気ないのではないだろうか。
「いーや、連れて来たかったのはあっち」
指さす方へ目を凝らす。殆ど真っ暗な商業施設の端の一角だけに光が灯っていた。
「自動販売機……?」
ガラス張りのその小部屋には、何台かの自動販売機が肩を並べている。
「ほら、いいから出ろ」
ドアハンドルに手をかけて急かす。性急にシートベルトを外しバッグを抱えると、一足先に外へ出て、車外から中を覗き込んだ日下部と目が合った。
目を細めて口角は上げて。悪戯に笑った顔を見せるのは、記憶が正しければ本日二度目だ。
「アイス食って帰るぞ」
車中から眺めた自販機だらけの部屋の中で、恐らく三人掛けの木製ベンチに詰めて座る。
俺の手にはチョコチップの棒付き、日下部の手には抹茶のコーンアイスがあった。
「このアイス、久々に見た気がする」
「俺も。ガキの頃は親にねだってよく食ってたけど」
自販機専売のアイスクリーム。あまり買った覚えがないのは、幼少期を過ごした街で殆ど見かけなかったからだろう。
日下部が口を開いたのを見て、その後を追って齧り付いてみる。冷たいけど、甘くて美味しい。
「うま。でもちょっと寒いな」
「まだ時期じゃないし、今日は肌寒いからな。なんでわざわざここまで来て食べようと思ったんだ」
アイスクリームを食べたいだけなら近所のコンビニで十分のはずだ。倍以上の時間を掛けてここまで足を運んだ理由が気になった。
「んー?お前が眠くなさそうだったから」
「俺か?……確かに、今日は朝まで読書かと思っていたが」
「やっぱな。寝れねぇ時家にいたって、寝らんねぇ〜っつって焦るだけで気が滅入るだろ。こういう時はいっそ諦めて楽しいことした方がいいの。まぁ、お前には慣れたもんだったみたいだけど」
「そこに関しては、本当にすまなかった。心配をかけてしまったな。……君は、君とこうして過ごすのが、俺の楽しいことだと思ったわけか。」
歯で削るように少々固いアイスを齧る。
染み渡る甘さに肩の力が抜け、隣が随分大口でぱくぱく食べ進めているのに気づいた。
「…………あ、待て、揶揄ったんじゃない。そう拗ねるな」
「拗ねてねぇよ」
いつの間にコーンまで辿り着いたのか、小部屋に咀嚼音が聞こえ始める。
未だ棒の先すら見えていない自分のチョコチップアイスに急いで口をつけた。
通電した自販機の低い唸り声だけが饒舌な空間で黙々と食べ進める。冷えてじんじんする口内は無視した。
「ここ、垂れそう」
「ん、本当だ」
悠長に食べていたつもりはないが、下の方から柔くなりかけている。溶けた部分は慌てて舐め取った。
再び心地よい沈黙が広がる。
既に日下部の手にはアイスは残っていない。コーンを覆っていた包装を折ったり曲げたりしながら自販機を眺めていた。
大きめのかけらを半ば口に押し込むように食べ切り立ち上がる。すっかり小さくなった包装紙を寄越せと手を差し出せば「さんきゅ」と掌が重なった。
「冷えたな」
まとめて専用のゴミ箱へ落とす。口に残ったアイスの破片を溶かしつつ同意すれば、振り返った先にはカップ式の自販機の前に立ちラインナップを吟味する彼がいた。
隣に立って上から順に視線を滑らす。
豆別に数種類コーヒーが並び、紅茶、ココア、ソフトドリンク、それにスープ類。
「ホットミルクティーがいいな。君はどうする」
「コーヒー」
「やめておけ。眠れなくなるぞ」
何か言いたげな目をしているが、「明日も仕事だろ」と諌めて先にボタンを押した。
途端、立ち上がった稼働音と共に出来上がりまでの秒数が表示される。手持ち無沙汰に後ろ手を組んで半歩下がってみた。
先程までは目に入らなかったが、カップ取出し口のさらに下には、大きく斑模様の犬が描かれている。
「かわいい」
「何が」
「ここ。犬がコーヒーを飲んでいる」
「ほんとだ」
この自販機のキャラクターのようだ。両手でカップを持って満足気な表情の犬を二人で見下ろす。
「かわいい」
本当にそう思ったのか、俺の言葉を反芻しただけなのか。そっと置くように呟いたわりに、目の奥は笑っていた、気がする。
その横顔を不躾に眺めていたように思う。視線を外すべきとも思わなかった。
「……君とこうして過ごせるようになって、よかった」
「なに急に」
「今言うべきだと思って」
取出し口の前に屈み、出来上がりを知らせるランプが赤く点滅するのを待って、ミルクティーを取り出す。
カップは意外と熱かった。底から掬うように手に収める。
「さっき、ああは言ったがな。君と過ごすようになって、以前よりも不眠は減った。一緒に住むようになってからは、汗だくで飛び起きるような夢も、あまり見なくなったな」
自販機を正面から見ていた彼は、首だけ回して目を合わせ、片眉を上げて少しわざとらしく訝しんで見せた。
「今言うべきだと思って?」
「よく分かっているじゃないか」
緩んだ口元を隠すつもりで、視線をつつ、と動かして自販機へ彼の意識を誘導する。
「君は何にする」
数秒の間を置いて、「あー、そーだな」と間延びした返事が返ってくる。
「じゃ、ココアで」
「珍しいな」
「誰かさんのおかげで選択肢が減ったんでね」
再びカウントダウンが表示され、作動音が響く。
掌の上でカップを弄ってそれを眺めていたが、はたと手を止める。
「あ、そうだ。ちょっと持っててくれ」
日下部に「熱いから気をつけて」と忠告してカップを押し付け、掛けていたバッグを漁る。大して物は入っていないのですぐ目当ては見つかった。
「なにすんの」
「写真に撮るんだ。可愛いだろう、この犬」
引っ張り出したスマートフォンを自販機に向ける。画角にコーヒー犬全体が写るまで下がってシャッターを切った。
「お前写真とか残すの?」
「いや、あまり。でもいい思い出だろう。君も撮ってやろうか」
「いやいいわ」
手をひらひら振る。声に特段拒絶の色はない。写真を撮られるのが嫌いというよりは、単に興味がないだけだと解釈させてもらった。
更に少し下がって、自販機全体を撮影する。写り込みには勘弁願いたい。そこにいるのが悪い。
撮れた写真を確認していると、目の前に渡しておいたカップが差し出された。
「できたか」
「おう」
もう側面を掴んで持つことができた。受け取ったそれを、ココアが入ったカップに近づけて写真に収める。
「ふ、悪くない」
カメラロールに増えた三枚を確認する。きっといつ見直しても思い出せる。良い記録が残せた。
さて、車に戻ろうとか、と視線を上げると、満足そうに目を細め、仄かに笑顔を湛えた日下部がいた。
少々面食らって動きが止まる。熱心にこちらを映す瞳はすぐには離れていかなかった。
無性に四枚目を撮りたくなったが、カメラを持ち上げる素振りに気づかれたようだ。
「あ、日下部!ちょっと待て!」
聞こえないふりで背を向けて、さっさと歩き出す彼の後ろに遅れてついて行く。
外に出れば、少し強くなった風に吹かれる。少し冷めたミルクティーで暖を取りながら早足で彼を追いかけた。
荷物を下ろし、シートベルトを掛け、共に落ち着ける姿勢が取れた頃、やっとカップに口をつけた。冷たくなってしまったかと思ったが、十分温かかった。
どちらともなく息を吐く。出来立てのココアの方は空気を含ませないと熱くて飲めないようで、ずずず、と少しずつ飲み下す音がした。
「なあ」
「ん?」
「お前が読んでた本、借りてもいい?」
「もちろん構わない。だが……珍しいな。君が本を読んでいるところはあまり見ない気がする」
「本棚がどんどん埋まってくからな。そろそろ読み始めないと追いつかなくなるだろ」
「……そうか。そうだな。来月また新刊が出る。それまでに追いついてくれ」
「え、今何巻出てんの」
「十五巻だな」
「そんなスピードで読めねぇっての。仕事の合間に読むんだから」
「冗談だ。ゆっくり、読み進めてくれればいい」
ずず、と甘いミルクティーを啜る。
時刻は二十五時十四分。
穏やかな空気で包まれた車内に、低く唸るエンジンの音が聞こえ始める。
綻び一つなく整備されたアスファルトの上を、滑るように進み出る。本線は目の前。一気に加速した車輪がそこに踏み出すのが、なんだか寂しく感じられた。
なんとなく飲み切らずに握っていたカップをホルダーにさす。
ぼーっとフロントガラスを眺めていると、「寝てろ」と声が掛かった。
「寝られればな」
口が緩慢に言葉を紡ぐ。
思ったより睡魔が近いのかもしれない。
「寝ようなんて思うなよ。寝落ちが一番いい」
ごおごおと聞こえるガラス越しの風音が、隣からの声と混ざる。
思考の鈍りを自覚しながら口を開く。
「あの本、君に似た人が出てくるんだ」
へぇ、と相槌。遠い前方を走るトラックを見つめたまま続ける。
「鍛えていて、短髪で、タバコの代わりに、飴を舐めて一服する。料理が上手い。あと、優しい」
「俺っぽいか?それ」
「君みたいだ。距離を取るのがうまいのに、手を差し伸べるのもうまい」
「……優しくないよ、俺」
「やさしいさ」
視界に落ちる靄にひどく安心する。
目が冴えた夜を短く感じたのは、この日が初めてかもしれない。