日車寛見は生まれた時から強い呪力を持っていた。そのため、『カミサマ』の贄となるようにと育てられていた。
村のためにと本人も納得ずくだったが、幼少期に出会った一人の少年のことが忘れられなかった。贄はこの世に未練を持ってはいけないのに、日車は未練を持ってしまった。また、あの少年に会えるようにと願掛けとして髪を伸ばしてまで。
その少年は篤也という名で、数人の大人と共に村に一時的に滞在していた。
知り合ったのは遊び場にしている森の中で、なんだかよく分からない黒いモノに追われている時に、篤也がそれを追い払ってくれたのが切っ掛けだった。
同年代だった二人は、次第に仲良くなっていった。
そして、仲良くなりすぎて、本来であれば、村のことを部外者に言ってはならないのだが、日車は篤也に話してしまった。己が贄として育てられていることを。二十歳になったら、『カミサマ』に捧げられる運命なのだと。
それを聞いた篤也少年は不機嫌そうに眉を寄せた。
「それ、どうにか出来ねぇの? 生贄ほしがる『カミサマ』なんてろくなもんじゃねぇだろ」
「厳密には『カミサマ』が贄をほしがってるわけじゃない、と俺は思ってる。封印の維持に必要なのかもしれない、俺の呪力が」
己の推察を話すと、篤也少年はますます顔を顰めた。
「そんじゃあ、封印解いて『カミサマ』をやっつけりゃいいじゃねぇか」
そう言い放った篤也少年から、日車は少年と共にやってきた大人たちのことを教えられた。彼らは呪術師といって、日本各地にいる呪霊と呼ばれる存在を祓っているのだと、この村に立ち寄ったのも、近くに呪霊が発生したからという話だった。その呪術師たちを同行している篤也少年も、大人になったらむろん、呪術師になるのだそうで。
「あ、そうだよ、そうすればいいんじゃん」
ふと、篤也少年が何か閃いたとばかりに言い、日車の左手を握った。
「俺が呪術師になったら、『カミサマ』を倒しにきてやる。そうすれば、日車は生贄にならなくていいんだよな」
至極簡単だとでも言うように、言葉を紡ぐ篤也少年がなんだか眩しかった。それは、日車が、恋に落ちた瞬間だった。
「ふふっ、そうだな。君が倒してくれたら、俺は……」
そこで日車は言葉を止めた。自分が何を言いたかったのか分からなかったから。自由になれると言いたかったのだろうか。いや、特に自由など欲していなかった。衣食住が保障された生活に不満などもない。では、なんと言いたかったのだろうか。しばし逡巡して、言葉が自然と漏れていた。
「……俺は、君と生きられるんだな」
ぽろりと、日車の大きな目から涙が一筋零れ落ちた。
その涙を篤也少年は指で掬い上げる。
「そうだよ。だから、『カミサマ』が来たら俺を呼んでくれ。死んでもお前を守るから」
死んでも守るなんて重い言葉が、年端もいかない少年から少年に送られた。この年頃の子供特有の無邪気な誓いだった。
日車は目を丸くしてから、くしゃりと相好を崩した。
「死んでもって……まるでプロポーズみたいじゃないか」
「っ……プロポーズのつもり、なんだよ」
「俺も君も男なのに?」
「俺たちが大人になる頃には、法律変わってるかもだろ」
「そう、だな。そうしたら、ずっと一緒にいて、死んでも俺を守ってくれ、篤也」
日車がそう告げると、篤也少年は眩しいくらいに微笑んだ。
それが、日車にとっては最高の思い出だった。あれから十年の月日が経過して、いよいよ日車が贄として『カミサマ』に捧げられる日がやってきた。
化粧を施されて、白無垢を着せされて、綿帽子を被せられた。贄として捧げられる、しかも長身の男が花嫁衣装などさぞ滑稽だろうと日車は内心で毒づいた。
篤也との再会に期待して十年間伸ばされた髪は、文金高島田を結う際にいくらか切られてしまった。もう、願掛けの意味をなさなくなってしまったことに、日車は落胆した。まるで、未練を断ち切られたようにすら思えてしまって。
輿に乗せられて森の中に運ばれていく。幼い頃に遊んだ森が、今は酷く恐ろしい場所に思えた。
これ以上進んではならないと言われていた注連縄の先に進んでいくと、小さな祠が一つ鎮座ましましていた。
祠の前に輿を置くと、日車を運んできた男衆は即座に来た道を引き返していった。
一人残された日車は、静かにその時は待っていた。
さわさわ、さわさわ、木々が歌う声さえ、不気味でしかたなかった。
薄暗い森の中に一人残されるのは、日車とて精神的に来るものがあった。覚悟を決めていたはずなのに、もう成人しているというのに、今にも泣きだしたくて仕方なかった。
口を真一文字に結び、折れそうな心を叱咤した。
村の為に犠牲になるくらいなんだというのだ。自分が犠牲になればろくでもない『カミサマ』はまた二十年封じておけるのだから。
いっそ、早くやってきて己を食べてしまうなり、殺してしまうなりしてくれないかとすら思う。
その時だった。
『オマエカェ。オマエカァ』
とすぐ耳元でひどく歪な声が聞こえた。
振り返るがそこには何もいない。
視線を正面に戻すと、そこに、いた。
真っ黒い、なにか、が。
ひゅっと、恐怖で喉が鳴った。覚悟をしていても、怖いものは怖かった。
『オマエ、ハナヨメ。ハナヨメ、ハナヨメ。エサエサエサエサ』
ケタケタと『カミサマ』は笑い声をあげながら日車の体に手のようなものを差し出してきた。
あぁ、俺はもう死ぬんだな。最期に、会いたかった。
日車は目を瞑って心の中で呟いた。呟いて、彼が言っていたことを思い出して、まさかな、と思いながら小さく声に出した。
「たすけて……あつや」
「言うのがおっせぇんだよ、お前は!」
聞いたことがないはずの声なのに、誰が発したのか分かってしまった。
目を開けると日車へと伸びていた『カミサマ』の腕が切断されていた。そして、日車の前にはトレンチコートの背中が佇んでいた。
「日車! 死んでもお前を守るぞ!」
十年前のボーイソプラノとは違う、低く男らしい声でそう言ったトレンチコートの男は、刀の柄を握って、重心を下げる。
「悪りぃな『カミサマ』、こいつは先約済みだ。俺のモンなんだよ!」
吠える男に向かい『カミサマ』が襲い掛かる。いくえにも腕のような物を伸ばして。
何十本もあるソレが一斉に襲ってくるというのに、男に焦りのようなものは見られなかった。ただ、静かに居合切りでもするような体勢を保っていた。
そして、気付けば『カミサマ』の伸ばしたソレを男は全て切り刻んでいた。
「『カミサマ』なんていうから、どんなバケモンかと思ったが、ただの呪霊じゃねぇか」
男は言い捨てると納刀しながら『カミサマ』に近付いていき、途中足を止めた。鞘に入ったままの刀を地面と平行にし、両膝が地に付きそうなくらいに腰を落としながら「シン・陰流居合『夕月』」と静かに呟く。
中心にいる男から、放射線状に呪力が放たれた。半径一メートルにも満たない円形だったが、前方部分だけが拡張していき『カミサマ』がその中に入ったと思った瞬間、男が数え切れない斬撃を『カミサマ』に浴びせていた。
「……フーッ」
男が斬撃を止め深く息を吐くと、『カミサマ』はドウッと倒れて、やがて霧散していった。
男が立ち上がり振り向く。その顔は、彼の面影がありありと浮かんでいて。
「篤也!」
日車は慣れない着物姿で途中転けそうになりながらも、男――成長した篤也に駆け寄って抱き着いた。
「篤也、篤也……あつ、や」
先ほどまでの恐怖、再会できた喜び、死ななくてもいいのだと安堵したのとが、全て綯い交ぜになってしまい、ただ篤也にしがみついて、名前を呼ぶことしか出来なかった。
「十年ぶりだからって、随分熱烈じゃないの。そんなに俺に会いたかったのかぁ?」
言葉自体はふざけたものだったが、声音が甘く優しいものだった。
答えたいと思ったが、喉がひくついて、涙が出てきて満足に言葉が紡げそうになかった。只管、篤也の逞しい体に縋り付くだけの日車を、篤也は優しく抱き締めてくれた。
それだけで、日車の震えは治まっていく。
なんて現金なんだろう、と日車は抱き締められただけですぅっと恐怖や不安がなくなる自分に少し呆れた。
「……ずっと、君に会いたかった」
「俺もおんなじ。お前に早く会いたかった。でも、ちぃっとばかり遅くなった。悪りぃ」
「そう、だ……来るのが遅い……俺がどれだけ怖かったか……」
口にして初めて、贄に選ばれてからずっと、怖い思いを抱いていたのだと悟る。だから、十年前の篤也との約束に縋ったのだ。縋ったが、無理だと諦めてしまって。
「悪かったって。どうすれば機嫌直してくれんの、俺の婚約者さんは」
少し考えてから、涙でぐちゃぐちゃで、化粧が悲惨になっているであろう顔を上げて篤也を見遣り、口を開いた。
「そうだな。そうしたら、ずっと一緒にいて、死んでも俺を守ってくれ」
十年前に言ったのと同じ言葉を口に乗せれば、篤也は慈しむような微笑みを浮かべた。
「言われなくてもそうしてやるさ。……ところで、助けたご褒美とかありませんかね、日車さん」
「そうだな。名前で呼んでくれたらキスでいいならやれるぞ」
「じゃあ、それでお願いできます? 俺の寛見ちゃん」
「『ちゃん』は余計だ」
不愉快だとばかりに眉を顰めてから、日車は愛しい男に触れるだけのキスを送った。