ちゃんと言ってよ
novel/28277601のおまけです。
日下部さんのキス発言から付き合うまでの一週間。今度は日車さんが頑張ります。
日車高専術師if。
死滅回遊はなかった設定です。
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【二日目】
人生で取り返しのつかない失言をしたヤツは、どれくらいいるだろうか。ちなみに俺はもうやらかしてる。誰か殴ってほしい。
―――二日前。
「試しにキスしてみます?」
俺の突拍子もない提案を聞いた日車は、掴まれた腕を振りほどいて逃げ出した。あっという間に廊下の角を曲がり、見えなくなる。その姿を呆然と見つめた後、俺はすぐに後悔した。それはもう滅茶苦茶に。
そして、現在。
任務を終えた帰り道だった。補助監督が運転する車に揺られながら、流れていく景色をぼんやり眺めている。
結局、あれから日車とは会っていない。神様なんて信じちゃいないが、今回ばかりは礼を言いたくなった。あの失言の直後に鉢合わせていたら、平然を装う自信はない。
片想いしている男へ突然キスを迫ったのである。
しかも、その前にはいきなり抱きしめた。
同僚の距離感なんて何段階も飛び越えている。これが数時間で起きた出来事だと思うとゾッとした。
てか、抱きしめた時点で反省しろよ。何が「試しにキスしてみます?」だ。
口は災いの元。そんな言葉が頭の中にこびりついていた。「返報性の原理」だとか訳の分からんことを言われたせいか、今の状況でことわざなんかを持ち出してしまう。俺もだいぶ日車の思考回路に引っ張られているかもしれない。ただ、二晩も過ぎれば少しは頭が冷える。日車に惚れている事実も消えてはくれない。厄介な話だった。自分が招いたことだが、勘弁してほしい。
あの日のやり取りを思い出す。ゆっくりと自らの唇に触れる日車。逃げ出したアイツを追いかけた廊下は、西日の色に染まっていた。顔が赤かったのは、夕日のせいだったのか、本当に照れていたのかは分からない。
だが、あんなに狼狽えている日車は見たことがなかった。
少しは期待していいんだろうか。
……いや、やめだ。あんまり期待すると、振られた時にキツい。
俺はスマホを取り出した。メッセージアプリを立ち上げる。日車とのトーク画面を開き、しばらく指を止めた。何度か文章を打っては消す。
『話したいことがある』
『明日時間もらえるか』
結局、二通のメッセージを送った。このまま一人で悩み続けるのも、もう限界だった。だったら腹を括って、ちゃんと話すしかない。
自宅に帰り、ベッドへ入る頃には日車から返信が来ていた。
『了解した』
それを確認して、スマホをベッドサイドへ放り出す。いつもなら寝る前にネットサーフィンでもするのだが、そんな気になれなかった。
目を閉じる。
当然、上手く寝付けなかった。
***
【三日目】
待ち合わせ場所に指定したのは、高専の中庭だった。あまり人が来ない場所だ。授業の合間、仕事から逃げたい時、現実逃避したい時。大体俺はここにいる。ただ、日車の返事次第では、新しい場所を探さないといけないかもしれない。振られた場所へわざわざ通う気にはなれなかった。
ベンチへ腰を掛けたままスマホを確認する。時刻は約束の五分前だった。棒つきキャンディをコートのポケットから取り出し、口へ放り込む。食べ慣れた甘ったるい味が広がったが、気持ちは落ち着かない。そんなことをしているうちに、足音が聞こえた。
日車だった。
反射的に、小さくなったキャンディを嚙み砕き、口から棒を引き抜いた。
「待たせたか」
「いんや、今来たとこ。すみませんね、時間とらせちゃって」
もちろん嘘だ。とっくに来ていた。一人で覚悟を決める時間が欲しかったのだ。そもそも俺は待ち合わせに早く来るタイプじゃない。今回は例外だった。俺はベンチの隣を軽く叩いた。日車はそのまま腰を下ろす。
「それで、話というのは何だ」
先に口を開いたのは日車だった。分かっていたはずなのに、いざその時になると喉が張り付いたように動かない。
「あー…」
言え。
言えって。
「お前に伝えたいことがあって」
声は掠れていた。膝の上に置いた手に自然と力が入る。
「……この前の任務あったろ」
「ああ」
「あの時抱きしめたのは、お前だったからなんだ。お前が生きてて心底安心した。誰にでもするわけじゃない」
一度言葉を切る。
「お前だからだよ」
日車は俯いて何も言わなかった。
「つまり、特別ってことだ」
「……」
「俺はお前が好きなんだよ。キスだって試しで済ませるつもりなんてねえ。何回だってしたい」
言い終わった瞬間、どっと疲れが押し寄せてきた。風が吹き、中庭の木々が揺れる音だけが聞こえる。しばらく沈黙が続く。
「日車?」
返事がない。そっと様子を窺う。日車は下を向いたままだった。表情は見えない。
「……すまない」
ようやく出てきた言葉がそれだった。
え、俺振られた?
「あー…ごめん、急にこんなゴツイ男から告白されてもビビるよな。忘れて――」
「いや」
日車が俺の言葉を遮るように口を開く。
「そういうことではない」
「じゃあ何なんだよ」
「……」
日車は俯いたまま口を開かない。
「少し時間をくれないか」
「時間?」
意味が分からなかった。だが、数秒遅れて言葉が頭の中へ染み込んでくる。どうやら完全に振られたわけではないらしい。
「……俺のこと考えてくれるってこと?」
「違う」
「え」
「俺自身のことだ」
それ以上の説明はなかった。ベンチから腰を上げる。
「おい」
「すまない」
日車は足早に立ち去った。最後まで視線は地面へ落ちたままだった。
結局、最後までアイツの表情を見ることはできなかった。
***
【7日目】
告白した翌日から、俺は日車に徹底的に避けられていた。
最初は高専内の自販機前。財布から小銭を取り出していると、向こうから日車が歩いてきた。
「あ」
日車の動きが止まる。俺も小銭を握りしめたまま固まった。
数秒の沈黙。
日車が一歩後ずさる。そして、くるりと方向転換した。そのまま引き返していく。
「ええ……」
情けない声が漏れた。こんな分かりやすい避けられ方あるかよ。自販機に片手をついて項垂れる。
しかも、それは一度では終わらなかった。
鉢合わせれば引き返される。姿を見つければ、先に消える。気のせいだと思いたかったが、三日も続けば流石に無理だった。補助監督にまで、「日車さんと何かあったんですか」と遠慮がちに聞かれる始末である。
もう、俺は限界だった。
ちょうど廊下の向こうに日車の姿を見つけた。
目が合う。
日車の肩が微かに震えた。そして、踵を返そうとする。
――ああ。またか。
その背中を見た瞬間、何かがすっと冷めた。
「日車」
俺が呼び止めると、日車の足が止まった。少し迷うような間をおいてから、ぎこちなく振り返る。俺はゆっくりと歩み寄った。日車の視線は落ち着かない。何度か俺を見ようとするものの、その度に逸らされる。行き場を失った視線はそのまま宙を彷徨っていた。
「忘れてくれ」
「え」
日車が大きく目を見開いた。特徴的な三白眼が、信じられないものを見るように揺れている。
「お前のこと困らせたいわけじゃねえんだよ」
自分でも穏やかな声が出て驚いた。その言葉を口にした瞬間、それが本心なのだと分かる。日車の顔色が変わった。だが、もう十分だった。ずっと避けられ続けて、ようやく理解した。好きだからこそ、これ以上日車を追い詰めたくなかった。
「だから忘れてくれ。俺は平気だから」
日車は何も言わない。ただ目を見開いたまま立ち尽くしている。俺は苦笑した。
「色々迷惑かけたな。悪かった」
日車の隣を通り過ぎ、そのまま廊下の角を曲がる。振り返らない。しばらくは、ノロノロと足を動かしていた。自然と背中が丸まっている気がする。まあ、仕方がない。振られたわけではないかもしれないが、あれだけ避けられれば察するものがあった。
「日下部!!」
不意に背後から声が響いた。同時に駆けてくる足音が聞こえる。次の瞬間、ぐいと腕を引かれた。
驚いて振り返る。
「待ってくれ!」
日車がばっと顔を上げる。久しぶりに真正面から顔を見た。
「すまなかった」
「……それは何に対してだよ」
「君を傷つけてしまったことだ」
日車の人との関係に誠実にあろうとする姿勢は好きだ。相手を傷つけたと思えば謝る。自分に非があると思えば頭も下げる。そういう真面目なところが、俺にとっては眩しい。でも、今はそれがどうしても煩わしかった。
「また、返報性の原理ってやつ?」
声が尖る。
「俺が好きだって言ったら何か返してくれんのかよ」
自分でも嫌な言い方だと思った。胸の奥に溜まっていたものが勝手に溢れ出していく。
「優しいのね、日車センセイは」
日車は何か言おうとして、口を開いては閉じる。コイツはいつだって淀みなく喋る。必要なことは順序立てて説明するし、言葉に詰まるところなんて見たことがない。そんな男が、何を言うべきか分からないみたいに黙り込んでいた。
「嫌いになったわけじゃないんだ」
日車の声は僅かに震えていた。
「ただ、整理する時間が欲しかった。言い訳にしか聞こえないかもしれないが」
「……」
「君からキスを迫られた時、動揺してしまったんだ」
「だから忘れろって言ったろ」
吐き捨てるように言う。だが、日車はゆっくりと首を横に振った。
「君とのキスを考えた時、嫌な気持ちにならなかった」
「……は?」
思わず間の抜けた声が出た。
「だから、分からなくなったんだ」
日車は自分の考えを確かめるように続けた。
「君が俺のことを好きだと言った。それに対して自分はどうしたいのか考えたんだ。でも、分からなくて」
その言葉に胸がざわつく。
「顔を合わせるのが怖くなった」
そこでようやく腑に落ちた。あの不自然なほどの逃げ方も、目を合わせようとしなかったことも。
全部。
「だが、それで君を傷つけるのは絶対に違う」
俺はしばらく何も言えなかった。日車の言葉は理解できる。理解できるが、それとこれとは別だ。
「……じゃあ何なんだよ」
つかまれた腕へ俺は視線を落とす。食い込む指先は、まだ離れる気配がない。そのまま続ける。
「嫌いじゃない、キスも嫌じゃなかった。それで?」
冷たい声が出た。日車が小さく息を飲む。
「お前はどうしたいんだよ」
返事はない。ただ、腕を掴む力だけが僅かに強くなった。
「日車」
呼ぶと、日車は俺から目を逸らす。耳が赤かった。もう一度こちらを向く。その頃には頬にも赤みが差していた。眉を寄せたその顔は、ひどく困ったように見える。
「……上手くまとまっていなくて」
そう呟くと、日車は掴んでいた俺の腕を離した。何をするのかと思えば、今度は俺の手を取る。
「日車?」
そのままゆっくりと持ち上げる。振り払うより先に、俺の手のひらは日車の頬へ触れていた。
熱い。
驚くほどに。
無意識のうちに唾を飲み込む。日車はこちらを見たまま動かない。潤んだ目は落ち着きなく揺れていた。触れた頬からじわりと体温が伝わってくる。まるで火傷でもしそうな熱さだった。
「……日車」
名前を呼ぶ。日車は俺の手を頬へ押し当てたまま立っている。逃げない。目も逸らさない。
「これが俺の返事だ」
頭の中で何かが弾けた。嫌という程分かる。分かるけど、もっと欲しかった。だって、こんなに振り回されたのだ。避けられて、悩んで、勝手に諦めかけて、その末にようやく掴んだ答えがこれである。少し意地の悪い考えが浮かぶのも仕方ないだろう。何より、確信が欲しかった。
「ずりぃだろ」
「……」
「こんなんで誤魔化されると思うなよ」
「誤魔化しているつもりはない」
返ってきた声は小さい。日車はそこまで言ってようやく、俺の手を離した。
「じゃあ何だよ」
「……」
「なあ」
祈るような気持ちで口を開いた。
「ちゃんと言ってよ」
日車の肩がびくりと揺れた。何か言おうとして、結局言葉になっていない。その様子がおかしくて、愛おしい。
「無理か?」
そう言うと、日車が睨んできた。全然怖くない。むしろ必死そうで可愛かった。
「……俺は」
「うん」
頷く。日車が観念したように目を閉じてぼそりと漏らした。
「君が好きだ」
俺は笑い声を上げた。多分みっともないくらい顔がくしゃくしゃになっている。でも、しょうがないだろ。やっと両想いになれたんだから。
「今回は許してやるよ」
「君が言わせたんだろう」
日車は不満げな顔だ。そんなものは知ったことか。俺は目の前の黒髪を撫で回す。少し眉をひそめたが、嫌そうな顔はしていない。むしろ、その口元は緩んでいた。
「俺も好きだよ」
そう言うと、日車は驚いた顔をする。普段のコイツらしくない反応が嬉しかった。
「で、いつキスさせてくれんの?」
「調子に乗るな」
「俺はいつでもいいんだけど」
日車はそっぽを向く。何やらもごもごと口の中で言った後、小さく呟いた。
「また今度で頼む」
ああ、本当に。面倒くさいやつだな。そんな奴でも、逃がすつもりはなかった。