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戦後日本の闇市から始まった「税金を払わない朝鮮人」の構造——特権意識と治外法権の残滓

◆1 闇市を支配したのは誰だったのか

戦後、神戸の闇市を歩いた若き中内功(後のダイエー創業者)は、
そこに “異様な光景” を見ていた。

「神戸の三宮や元町が朝鮮人、台湾人に占領されているのを黙ってみておれんのや」

(在日コリアンの戦後史―神戸の闇市を駆け抜けた文東建 p98~ )

彼の目に映ったのは、敗戦で困窮する日本人とは対照的に、
物資を独占し、闇市を牛耳り、巨大な利権を動かす朝鮮人・台湾人の組織だった。
引用にある通り、兵庫県下では闇市が45カ所もあり、
最大規模の三ノ宮高架下は 外国人勢力の支配 だった。

「闇市では法はあってないようなもので…『税金御免』がまかり通る脱税のオンパレードであり、売り上げがそのまま利益となっていった。」

(在日コリアンの戦後史―神戸の闇市を駆け抜けた文東建 p98~ )

つまり当時、
闇市=税金ゼロの巨大な利権市場
だったわけだ。
しかもその背後には、朝鮮人組織(朝連・建青)や文東建らの在日商業ネットワークがあり、米軍物資(PX)を大量に横流ししていた。

「外国人はドルを自由に使える特権も有していた」

(在日コリアンの戦後史―神戸の闇市を駆け抜けた文東建 p98~ )

日本人が使えないドルを使い、米軍物資を買い占め、
数十倍の値段で売りさばく。
これが当時の闇市の資本力の源泉だ。
日本人露店商が太刀打ちできるわけがない。

「日本人の露天商には、とうていできない大がかりな組織…納税の点でも特殊な地位にあった」

(東京闇市興亡史 猪野健治 p25)

ここで重要なのは、
“税金の有無” が、在日勢力の圧倒的な経済格差を生んでいた
という事実である。


◆2 なぜ彼らは「税金を払わなくてもよかった」のか

戦後のある時期、在日朝鮮人はアメリカから 解放国民扱い を受け、
特別配給や税制で一定の優遇を得ていた。

アメリカは当初、在日朝鮮人に対しては「解放国民」として、特配や税制上で優遇する措置をとっていた。

(在日コリアンの戦後史―神戸の闇市を駆け抜けた文東建 p118~)

だが、日本国内での無法地帯化、暴動、闇市支配が深刻化したことで
GHQは方針を転換する。
マッカーサーによって、在日朝鮮人に日本の法権に服することを指令した。
つまり1946年を境に治外法権は終わった。
しかし、現場レベルでは、制度と現実のあいだに大きな乖離があった。


◆3 税金を拒否するロジック:「外国人だから」「差別されているから」「植民地支配の被害者だから払わない」

1946年、日本政府は財産税を課すため、10万円以上の資産を持つ人々に登録を命じた。当時の在日で課税対象は1000人ほど。
しかし結果はこうだ。

「多くの在日は徹底的に反対した。
外国人には納税義務がないので、在日も課税の対象から除外されるべきという主張であった」

(李光奎 差別を生きる在日朝鮮人p95~)

自分たちは朝鮮民主主義人民共和国の公民だから、日本人と同じく税金を払ういわれはないと言うのだ。

(金昌烈 朝鮮総連の大罪 P207)

当時の朝鮮総連の見解は、あくまで
「いまだ日本は朝鮮に対して戦前の処理を終えていない。さらに日本にはいわれなき民族差別が厳然と残って降り、在日朝鮮人に正当な人権はほとんど保障されていない。まして租税条約が締結されていない状況下、在日朝鮮人が納税義務のみを強要されることは不当である」というものであった。そこで税務署で私はこう主張したのであった。
『在日朝鮮人の納税に関しては、朝日親善の見地からある程度の納税はこれを否定しないが、特段の配慮があってしかるべきである』と。
この私の主張に対して、ほとんどの税務署職員は返答につまった。この主張こそが、常に商工会の上部組織が私たちに指導していた「政治交渉」であり、現実的にかなりの効果があった。

(張龍雲 朝鮮総連工作員p53)

植民地時代に搾取するだけ搾取し、いじめるだけいじめておいていまさら「法を守れ」「税金を出せ」とは道理に合わないと「主張」し、抵抗、拒否することがあった。

(ドキュメント在日本朝鮮人連盟  呉圭祥 p371)

選挙権も被選挙権もあらへんし、会社勤めもようできん。そないに冷たい日本国のために、 誰がバカ正直に税金払うかい。

(コリアン世界の旅p100)

彼らの主張は端的に言えば、
「外国人であり、差別の被害者である自分たちは、税金を課されるべきではない」というものだった。
そして、その拒否姿勢には強い政治運動が絡んでいた。


◆4 税金を払わないためなら、政治も暴力も使う

当時の朝連(後の朝鮮総連の前身)は、
税金反対デモや日本共産党との連携を行っていた。

「日本共産党が、「一切の悪税と不当課税に反対せよ」との指令をすべての下部組織に出したが、朝運もこれを受けて
日本当局相手に税金闘争を行い、税金反対デモをくりひろげた。」

(権逸 回顧録p125)

さらに、税務署との交渉にはお決まりの技術があった。

日本の当局と交渉するにあたっては、何かにつけて「民族差別」だの「過去の歴史」だのを持ち出してことさら猛々しく振る舞い、理不尽な要求でも呑ませようとする。そうすると、敗戦によって贖罪意識を植え付けられている日本人は決まっておとなしくなってしまうのだ。この方法はたいていうまくいった。

(韓 光煕 わが朝鮮総連の罪と罰p58)

もちろん暴力も使う。

時には税務交渉で机を蹴飛ばし、灰皿を投げつけたりもした。それが高じて警察ざたになり公務執行妨害などで身柄を一時拘置されることもあったが、それは問題ではなかった。むしろそのような事態が起きれば起きるほど、私は同胞社会での評価が一段と高くなるのであった。
したがって、乱暴な税務交渉に何のためらいもなかった。私の税務交渉は喧嘩そのものであった。

(張龍雲 朝鮮総連工作員p58)

集団で押しかけて業務妨害をすることも多々あった。

商工団体の役職員と同胞らが毎日のように国税庁と東京国税局にたいする抗議行動を行なった。これにたいし、東京国税局は面会を拒否したばかりでなく、バリケードを築き100人の局員を配置して抗議を回避し無視した。(中略)商エ団体は中央レベルとともに地方でも国税局,税務署などにたいし抗議要請運動を盛んに行なった。

在日朝鮮人企業活動形成史 呉圭祥(168p~172)

この具次龍氏の事件以来、総連は気に入らないことが起きると行政官庁やマスメディアなどに「抗議」という名の「暴力」を公然とふるうようになった。私は1967年の「抗議行動」を、第二次世界大戦後、日本が総連の暴力に屈した恥ずべき日と記録している。
ここに紹介したような事例は、いまにいたるまで、あちこちでみられる。
1985年12月関東国税局は東京都北区在住の総連商工人を脱税容疑で強制捜査した。すると、関東国税局にはもっとも多い日で1日600名の「抗議」が来た。少ないときで100名である。国税局の業務は麻痺状態に陥った。

(日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか 佐藤勝巳p56)

言ってしまえば、
差別問題を交渉カードとして使い、時には集団で押しかけ
課税を回避する
これが半ば常態化していた。


◆5 実際にどれだけ税金を回避できたのか?

資料には具体例がいくつもある。

●京都

「在日朝鮮人に1200万円の営業税が賦課されたのを税務署と討議した結果、
70万円だけを納付」

(ドキュメント在日本朝鮮人連盟 1945‐1949 呉 圭祥p379 )

94%カットである。

●張龍雲の交渉術の結果は?

約10分の1の税金で決着がついた。

(張龍雲 朝鮮総連工作員p79~)

●東京

「電話税、土地建物税、都民税、その他一切の地方税を免税する協定」

(ドキュメント在日本朝鮮人連盟 1945‐1949 呉 圭祥 p379 )

●10府県

所得税を10府県に限ってみると税務署査定額の8.4%の納税で解決している。
当時あった財産税,非戦災者税も交渉過程で
在日朝鮮人は納税しなくてもよいという方向で解決をみている。

(在日朝鮮人企業活動形成史 呉圭祥 P50)

これはもう別世界の税制 だ。

●国レベルの徴税

「朝鮮人部落」などの在日朝鮮人に対する徴税については税務当局が直接徴税することを躊躇した

(ドキュメント在日本朝鮮人連盟  呉圭祥 p371)

税務署が怖がって入れない地域が、日本国内に存在したのだ。
これは歴史的事実として非常に重い。


◆6 税金を払わないは個人の問題ではなく集団文化だった

朝連(朝鮮人連盟)の公式方針でも、
“税金交渉” は最重要活動として扱われていた。

多くの場合朝鮮人の立場が理解され、協議しながら納税するという慣習的なものが生まれた。

(ドキュメント在日本朝鮮人連盟 1945‐1949 呉 圭祥p378 )

税金間題解決のために
実質的な団体交渉権を行使するようになった

(在日朝鮮人企業活動形成史 呉圭祥 168p~172)

朝鮮商工会会長(当時)の全演植氏は1992年1月14日の「朝鮮商工新聞」で次のように書いている。

「(朝鮮商工会は昨年)同胞商工人たちの税金問題を円満に解決し、日本当局との「団体交渉権」をより強固にしました」(原文朝鮮語)

(コリアタブーを解く 西岡力 P31)

税金問題を個人ではなく組織がまとめて扱う仕組みが実際に機能していたのである。

つまり、戦後の在日社会では—

① 税金は払わないのが当然
② 納めるとしても“自分たちで査定”
③ 交渉で下げられないならデモ・政治・暴力を使う
④ 最終的に日本側が折れる

この構図が制度のように定着していた。
日本人から見れば、怒りや不満が高まるのは当たり前である。


◆7 この構造は何を生み、何を残したのか?

李光奎の言葉が鋭い。

「在日は差別に抵抗しながら納税の義務を果たそうとしなかった。
これは日本人の差別感情を増幅させた要因ではなかったか」

(李光奎 差別を生きる在日朝鮮人p95~)

つまり、
“差別の原因の一部は在日側の行動にあった”
と在日内部からも指摘されているわけだ。
戦後の混乱期に作られた特権的慣習は長く尾を引き、
日本社会に深いわだかまりを残した。


■【まとめ】

戦後の闇市を出発点に、
在日朝鮮人社会には 「税金を払わない」 という共通文化が生まれた。

・闇市利権と治外法権
・外国人特権意識
・差別を交渉カードに使う戦術
・政治運動による徴税圧力
・行政の萎縮
・免税・巨額減税の実例
・集団的な納税拒否

これらが組み合わさり、
戦後日本の税制実務に異常な歪みを作った。
この問題を直視しない限り、
日本人と在日社会の”本音の関係”は見えてこない。
資料を読めば読むほど、
これは「差別の問題」ではなく、
国家の根幹である税制度に対する挑戦だった
と分かる。


____________________   以下資料 ____________________________
 

>兵庫県下においては、闇市は45カ所に及び、そのうち最大規模であったのが、三ノ宮駅から神戸駅に至る国鉄高架下付近の露天商であった。
戦後、激戦地のフィリピンから復員してきた一人の男が神戸にやって来た。流通業界に革命を起こし、「ダイエー」を創業したが、後にその「ダイエー」を経営危機に追い込んだカリスマ経営者、若き日の中内切であった。中内が目にした神戸は混沌としていた。戦時中は息を潜めて従順であった朝鮮人や中国人が我がもの顔で街中を闊歩し、闇市を仕切っていたのである。敗戦後の物価高と物不足で日本人は困窮しているのに、商品が豊富にある闇市は別世界であった。中内はその商品の流通経路に興味を示すと同時に、闇市を独占する外国人勢力に反感を覚えた。
「オレは、こんな姿で神戸の三宮や元町が朝鮮人、台湾人に占領されているのを黙ってみておれんのや。いまに必ずこの闇市を一掃してみせる!」
若気の至りもあるが、中内はこの言葉通り闇市でのし上がり、後に「主婦の店ダイエー」で成功することになる。しかしその出発点は、父親の経営する「サカエ薬局」を引き継ぎ、香港や台湾からの密輸品であるペニシリンを売りさばくことでぼろ儲けをしたことにある。
中内の商売に見られるように、闇市では法はあってないようなもので、旧日本軍の隠置物資や米軍の特配物資が堂々と売買されていた。すなわち闇市商売は、「税金御免」がまかり通る脱税のオンパレードであり、売り上げがそのまま利益となっていった。こうした濡れ手に粟の商法には、当然利権が絡み、あちこちで縄張り争いが勃発した。そして闇市の各グループは武装したり、米軍の庇護を受けたりするなどして、自衛のための組織作りに励んでいた。その闇市を仕切るグループで抜きん出ていたのが、戦勝国を自認した台湾省民と朝鮮人の組織であった。彼らはPX(進駐軍専用の売店)から食料品や日用雑貨を買い取って、数十倍のプレミアを付けて直営の闇市で売りさばいていた。また、彼ら外国人は、当時日本人が使えなかったドルを自由に使える特権も有していた。
そうした事業を運営していたのが朝連や建青の組織であり、個人商売で言うのなら、文東建ら在日の商業活動であった。
(在日コリアンの戦後史―神戸の闇市を駆け抜けた文東建 p98~ )

>アメリカは当初、在日朝鮮人に対しては「解放国民」として、特配や税制上で優遇する措置をとっていた。しかし朝鮮本国での左翼勢力の台頭や難航する米ソ共同委員会、そして日本における朝鮮人の法を無視した闇市での活動に業を煮やし、1945年11月1日、「日本占領及び管理のための連合国最高司令官に対する初期の基本的指令」を発令した。そこにおいて在日朝鮮人は、「必要の場合には貴官(筆者注:GIQ総司令官マッカーサー)によって敵国人として取り扱われる」とされた。そして明くる1946年2月19日、占領軍当局は「刑事裁判権の行使に関する件」の覚書を発し、在日朝鮮人に日本の法権に服することを指令した。すなわちこれらの処置は、敗戦後からの在日朝鮮人の「治外法権」が事実上撤廃されたことを意味した。
(在日コリアンの戦後史―神戸の闇市を駆け抜けた文東建 p118~)
________________________

>日本人の露店商には、とうていできない大がかりな組織のもとに、大量の商品取引を通じ、大規模な蓄積を行った…彼らは納税の点でも特殊な地位にあったので、その点でも日本人業者を圧倒していた
(東京闇市興亡史 猪野健治 p25~)

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>在日は平等を要求しながら日本人と同じように税金を払わなければならないということに反対運動を展開した。1946年、日本政府は財産税を課税する目的で、10万円以上の財産をもつ人々に登録を命じた。当時財産税の課税対象になる在日は千人程度であった。しかし多くの在日は徹底的に反対した。外国人には納税義務がないので、在日も外国人と同様に課税の対象から除外されなければならないというのが在日の主張であった。
在日は差別に抵抗しながら納税の義務を果たそうとしなかった。
このようなことは日本人の差別を増幅させる要因ではなかったのだろうか。

(差別を生きる在日朝鮮人 李光奎 p95~)
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在日朝鮮人商工人の中には、日本人と違う条件で商売したのになぜ日本人並に徴税しようとするのか、植民地時代に搾取するだけ搾取し、いじめるだけいじめておいていまさら「法を守れ」「税金を出せ」とは道理に合わないと「主張」し、抵抗、拒否することがあった。だから朝鮮人が集中的に居住していた地域や「朝鮮人部落」などの在日朝鮮人に対する徴税については税務当局が直接徴税することを躊躇したこともあったという。
(ドキュメント在日本朝鮮人連盟  呉圭祥 p371)

>納税に関しては日本人並みの課税を容赦なく押しつけてきた。在日朝鮮人の現状を無視した機械的な適用である。そのような現実から朝連、朝鮮人は自身の査定によって納税することを強く求めたのである。(中略)多くの場合朝鮮人の立場が理解され、協議しながら納税するという慣習的なものが生まれた。
(ドキュメント在日本朝鮮人連盟 1945‐1949 呉 圭祥p378 )

>京都では、在日朝鮮人に1200万円の営業税が賦課されたのを税務署と討議した結果、
70万円だけを納付することに決定したという。
(ドキュメント在日本朝鮮人連盟 1945‐1949 呉 圭祥p379 )

>朝連中総は東京都庁と交渉した結果、朝連組織すなわち中総、東京都本部、各本部と独立した事務所専用になっている電話税、土地建物税、都民税、その他一切の地方税に対し免税するよう協定されている。
(ドキュメント在日本朝鮮人連盟 1945‐1949 呉 圭祥p379 )

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>また一九四七年十二月に日本共産党が、「一切の悪税と不当課税に反対せよ」との指令をすべての下部組織に出したが、朝運もこれを受けて
日本当局相手に税金闘争を行い、税金反対デモをくりひろげた。朝連はこの他にも、日本共産党の先頭に立って不法破壊活動を行ってきた。この結果日本人たちは、日本共産党よりもむしろ朝連を、そして我が同胞たちを憎むようになった。日本人が同胞たちに悪い感情をもつようになったのは、他にも原因があるが、朝連の破壊的な行動に大きな原因があると言っても過言ではない。
(権逸 回顧録p125)
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>「朝鮮人だというだけで犯人扱いか!」「民族差別だ!」
私達は全員で激しく机を叩いて喚き散らした。そこにいた全員が呆気にとられてこちらを見ている。
これは我々朝鮮総連の悪い癖である。
日本の当局と交渉するにあたっては、何かにつけて「民族差別」だの「過去の歴史」だのを持ち出してことさら猛々しく振る舞い、理不尽な要求でも呑ませようとする。そうすると、敗戦によって贖罪意識を植え付けられている日本人は決まっておとなしくなってしまうのだ。この方法はたいていうまくいった。
(韓 光煕 わが朝鮮総連の罪と罰p58)
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>朝聯と商工団体の活動のもう一面は、日本当局の不当な課税に反対し、税金対策のための団体交渉を確立するために、地道にしかし強いたたかいを展開したことである。
朝聯は、中央委員会10回会議(1947年5月)と13回会議(1948年1月)をはじめ諸会議で不当課税に対する運動方針を明確にし活動した。
税金闘争(当時はそのように表現した)の目的は、ただの減税または免税だけをめざすのではなく,活動を通して課税の公正を要求し組織の拡大強化に並行させながら,運動形態としては幹部個人交渉式または面会願式をとるのではなく、大衆運動の一環として展開するようにした。
朝聯中央総本部経済局は、随時に不当な課税に反対する運動を展開し、とくに地方税務局と交渉し自主申告による査定を受け納税することと、方法としては、朝鮮人納税組合(仮称)を結成しその組合が交渉団体となり営業税,市民税などの税金に対する団体交渉を獲得しなければならないとした(「解放新聞」1947年4月25日)。
朝聯と商工団体は、不当課税反対闘争をくり広げるなかで商工人に実利を与えた。表2-5にあるように、1946年度の重加所得税は4府県に限ってみても37.3%も減税させ,1947年度には営業税。所得税を10府県に限ってみると税務署査定額の8.4%の納税で解決している。
当時あった財産税,非戦災者税も交渉過程で
在日朝鮮人は納税しなくてもよいという方向で解決をみている。
(在日朝鮮人企業活動形成史 呉圭祥 P50)

>(3) 税金問題解決への道
日本経済の不安定性,増税政策の実施,そして「韓日条約」締結以後とくに「椎名メモ」(朴正煕撃事件後,当時の日本の田中首相の特使維名悦三郎が韓国当局者に渡したメモをさす。1974年9月)を契機にした朝鮮商工人にたいする弾圧策動の強化など不利な条件が重なるなかで,朝鮮人商工団体と商工人たちは日本当局の不当な課税に反対してそれを公正に解決するための積極的なたたかいをくり広げた。
日本税務当局の弾圧策動のいくつかを羅列してみる。
1971年9月3日には法人税脱税の名目で商工連合会副会長の店を査察し,1973年9月8日には山梨県商工会副会長の店に所得税違反の名目で査察,1974年3月5日には大阪府商工会会長の店を,1975年5月12日には大阪府西成地域の金商工人の店を強制調査,1976年5月19日にも茨城県の季商工人にたいする地方税法違反容疑での査察などがあった。
商工団体は不当な税金弾圧に対処して、課税問題の公正な解決に努力した。
商工団体は税金を取り巻く状況を分析して、能動的に対処するために部道府県商工部長協議会を随時開き,彼らの役割を高め、毎年ある「3月税金申告」が順調に行なわれるよう活動した。
とくに商工団体は査察などの税金弾圧が発生するごとに抗議要請行動を力強くすすめた。
上記した商工連合会副会長の店の査察にたいしては、翌日(4日)から2週間商工団体の役職員と同胞らが毎日のように国税庁と東京国税局にたいする抗議行動を行なった。これにたいし、東京国税局は面会を拒否したばかりでなく、バリケードを築き100人の局員を配置して抗議を回避し無視した。
1971年9月16日には商工連合会副理事長をはじめとする商工団体の代表が吉田国税庁長官に直接会って主察にたいする抗議と普処を要請した。商エ団体は中央レベルとともに地方でも国税局,税務署などにたいし抗議要請運動を盛んに行なった。
日本税務当局の弾圧策動が強行されるなかでも、商工団体は在日朝鮮人の税金問題をスムーズに解決するために努力を惜しまなかった。1974年4月から約7年間商工会が取り扱った件数は表5-6のとおりである。
在日朝鮮商工人の税金問題解決のための活動で大きなヤマ場となったのは、1970年代中盤といえよう。商工団体は一貫して、共和国の対外政策を念頭におき内政不干渉の原則にもとづいて、日本の税金制度を尊重しながらも国際慣例によって(二重課税防止)解決する立場とってきた。しかし、再三の税金攻勢のなかで商工団体と商工人たちのたたかいも逆に高まった。
商工人たちの総意を反映した要請行動が活発に行なわれた。税金問題ばかりではないが現実を反映しているので、商工連合会が1975年から76年の間にかけて、日本当局に要請した内容の一部をみる。
1975年12月12日に行なわれた「不況打破・企業権擁護のための在日朝鮮商工人中央決起集会」では、在日本朝鮮人商工連合会高会長名で、日本国内閣総理大臣三木武夫に要請文を提出している。要請事項は、以下の8項目である。

1.「二つの朝鮮」又は「朝鮮の現状(分裂)固定化」政策をやめ、朝鮮の南と北,その何れにもかたよらない均等関係を保ち,朝鮮の自主的平和統一を妨害しないこと。
1.「椎名メモ」に基づく所謂「朝鮮総聯規制」等の非友好的態度を改めること。
1.朝・日間の通商貿易における一切の差別,制限措置を解くとともに輪銀使用を全面的に認めること。
1・在日朝鮮商工業者の企業活動の自由を全面的に保障すること。
1. 海外市場の調査開発,技術研究のための海外往来の自由を認めること。
1.政府系融資,自治体系融資,民間全融資機関融資等における差別融資をなくし、不況救済資金等の貸出を認め、朝鮮人信用組合に貸出代理業務の取り扱いを認めること。
1. 政府関係請負工事の入札権を認めること。
1.「査察」「特別調査」等の頻繁な発動による不当課税を改め、税金問題は朝鮮人商工会を通じて解決すること。

1976年8月6日に商工連合会会長名で田辺博通国税庁長官に提出した要望書には、おもに税金に関することが示されている。
1.在日朝詳商工業者の歴史的事情や現在おかれている諸条件にかんがみ朝鮮人業者の税金問題のすべてを朝鮮人商工会と協議して解決すること。
1.「脱税」を口実にした不当な「査察」「特別調査」等の政治的弾圧をやめること。
1.朝鮮商工業者の取引銀行および取引先等に対する調査は本人の話を得ること。
1.「推計課税」による不当な課税をしないこと。
1.朝鮮商工業者が自分の子弟教育のための朝鮮人学校に対する負担金を損金として認めること。

同年8月13日には、中小企業金融公庫総裁渡辺佳英に、同年11月2日には商工組合中央金庫理事長影山衛司に、在日本朝鮮用組合協会会長と商工合会会長とそして当該用組合理事長などの連名で、公庫や金庫の代素務取り扱いの早期実現を強く希望する要望書を出している。

このような活動を踏まえて、1976年11月に商工連合会の代表者が田辺国税庁長官と会談し、在日朝鮮商工人の税金問題に関する合意をみた。ここでは国税庁の国税課長も同席し、日本社会党の衆議院議員が立会人となっている。
その内容は、つぎのとおりである。

1.在日朝鮮人の税金問題は朝鮮人商工会との協議によって解決する。
2.定期定額の商工団体の会費は損金と認める。
3.朝鮮人学校運営の負担金については前向きに検討する。
4.経済活動のための第三国への旅行の費用は損金と認める。
5.法廷で係争中の諸案件は話合いで解決する。

この「合意事項」が成立したのは、商工団体が税金間題解決のために
実質的な団体交渉権を行使するようになったという点で貴重な成果といえる。もちろん商工団体のまえにはこの「合意」を堅固に守り抜く問題が提起される。
1970年代は、商工団体の活動でも貴重な前進を遂げた年代といえよう。

在日朝鮮人企業活動形成史 呉圭祥(168p~172)
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>商工会活動が一つの転機を迎えることとなったのは、76年10月に在日本朝鮮人商工連合会と日本国税庁の間で交わされた「五項目の合意」である。
その合意内容とは
ー、朝鮮商工人のすべての税金問題は、朝鮮商工会と協議して解決する。
二、定期、定額の商工団体の会費は損金(必要経費)として認める。
三、学校運営の負担金に対しては前向きに解決する。
四、経済活動のための第三国旅行の費用は損金として認める。
五、裁判中の諸案件は協議して解決する。
というものだ。
この「合意」がなされたきっかけは、67年12月に国税庁が警察機動隊を動員して行った、同和信用組合本店と上野支店に対する「脱税容疑」での強制捜査であった。当時は朝鮮総連が最も強かった時代で、こうした強制捜査を跳ね除ける動員力を持っていたし、マスコミをはじめとする日本社会に対しての影響力もあった。また社会党などを通じて政界の力を利用することも出来た。そこで妥協の産物として生まれたのが「五項目の合意」だった。
この「お墨付き」は朝鮮総連の財政活動にとって大きな助けとなった、在日商工人は「節税」を商工会に頼み、朝鮮総連への寄付を増やしていった。「節税」活動は朝銀が成長するにつれて、金融機関を絡めたかたちへと発展していくことになる。それは一言で言って「裏預金」の管理である。
(裏預金については次節で触れる)。
「五か条の御著文」ともいわれるこうした「合意」があったため、多くの商工会は税理士がいないにもかかわらず、決算事務の代行や税務申告の代行を行った。またそうした行為を日本の税務当局は黙認した。最近になって日本の司法当局は「法の厳格な適用」をかざし、税理士法違反で北海道の朝鮮人商工会や兵庫、京都の商工会を摘発しているが、「五項目の合意」に見られるようなこれまでの日本の国税庁と朝鮮総連の「馴れ合い」にもメスを入れてしかるべきだろう。
(朝鮮総連―その虚像と実像 朴斗鎮 126~128p)

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コリアタブーを解く 西岡力 p43
朝鮮商工新聞「実質的団体交渉権をより強固なものにし…」


>実は、日本国税庁と朝鮮総連との間に五項目の驚くべき合意があるのだ。
今、筆者の手元に朝鮮総連中央常任委員会が90年12月に発行した「朝鮮総聯」という本がある。
その56頁にその合意文が全文掲載されている。それをここに引用しておこう。

五項目の「合意事項」
1976年10月、在日本朝鮮人商工連合会と日本国税庁のあいだで合意された内容はつぎのとおりである。
1朝鮮商工人のすべての税金問題は、朝鮮商工会と協議して解決する。
2定期、定額の商工団体の会費は損金として認める。
3学校運営の負担金にたいしては前向きに解決する。
4経済活動のための第三国旅行の費用は、損金として認める。
5裁判中の諸案件は協議して解決する。

また、朝鮮商工会会長(当時)の全演植氏は1992年1月14日の「朝鮮商工新聞」で次のように書いている。
「(朝鮮商工会は昨年)同胞商工人たちの税金問題を円満に解決し、日本当局との「団体交渉権」をより強固にしました」(原文朝鮮語)。まさに先の合意が今もって効力を発揮しているということだ。これがあるからこそ多額の対北送金を生み出すことが可能となっているのだ。
(コリアタブーを解く 西岡力 P31)

それからわたしが編集長をしている月刊誌「現代コリア」7月号に、
朝鮮商工新聞94年1月4日の一面のコピーを載せました(前真参照)。
<「確定申告」は朝鮮商工会を通して)と大きな見出しがあり以下のような文章を含む社説が掲げられているのです。
「「核疑惑」云々に端を発し、共和国と総聯組織、ひいては同胞商工人の企業活動に対する日本当局の露骨な干渉と中傷は今年も予見される。
われわれは何よりも朝鮮商工会を通した税金問題の実質的団体交渉権をより強固なものにし、朝鮮商工会こそが商工人の真の企業権擁護団体であり、多様化する彼らの事業を手助けする団体であるという認識を深めて行かなくてはならない」(傍点西岡)
納税において日本人にも認められていない「団体交渉権」が認められているからこそ、巨額の送金が可能になるわけなのです。
(コリアタブーを解く 西岡力 p44)

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話を90年代初めに戻す。その頃、どうして総連は年間2000億円という天文学的金額を送金できたのか。脱税と朝銀用組合がその手段だった。だから、その二つを厳しく取り締まれば、北朝鮮は困って日本に接近してくるはずだと「救う会」はずっと考えてきた。
まず、脱税について検討しておく。総連は、1976年、高沢寅男社会党国会議員と一緒に国税庁長官に会っている。そのあと、議員会館の高沢議員の部屋で、国税庁の課長と朝鮮総連の幹部たちが協議した。それが終わったあと、朝鮮総連は「われわれは国税庁との間で五項目の合意をした」と宣伝しはじめた。
その第一項は、「すべての朝鮮商工人の税務問題は朝鮮商工会と協議して解決する」とされている。それから、総連会員のパチンコ屋、地上げ屋、金貸し屋などの税金関係の書類を朝鮮商工会が代行してつくり税務署に持っていくと、別扱いになった。
実際、在日朝鮮人兵庫県商工連合会の幹部として税務署に行き、税金の額をまけさせる交渉にあたっていた在日朝鮮人、張龍雲氏が、その実体を具体的に証言している。
<私は商工会で税金対策を担当していた。ご存じの通り総聯は日本の税務署にとっては圧力団体である。日本が戦争賠償金を支払わず、我々に日本の国籍がない以上、最低限の税金しか払う必要はない、というのが総聯の見解であり、私の表の仕事は在日朝鮮人の商工人たちに代わって税務署に行き、この主張を通すことである。私に限らず総聯の活動家はかなり厳しい仕事をしたため、この主張はたいてい通った。こうして浮かせた金の一部を、総聯は手数料として各商工人から徴収した。私はその金の一部を商工会には黙って「洛東江」[田中実さん拉致を行った日本国内地下組織・西岡補]の資金に転用した。手数料は少ない時で二、三百万、多い時は数千万に上る。そのほとんどを私は「洛東江」に回していた。当然のことながら揉め事が起こり、私は商工会では要注意人物とされたが、万景峰号に出入りしていることが知られるようになると、周りの人間はこの不正を見てみぬ振りをした>
(「横田めぐみさんたちを取り戻すのは今しかない」西岡力 p208『『文藝春秋』1997年1月号』)

1994年2月に公安調査庁が作成した内部文書「納税問題をめぐる朝鮮総聯の動向」を読むと、当局は総連の傍若無人の脱税行為をよく知っていたことがわかる。わかっていながら黙認していて、米国の圧力がかかってはじめて取り締まろうとした。
しかし、先述のように、ジュネープ合意ができて核問題が一段落し、米国からの圧力がなくなると、総連の不法活動への取り締まりはほぼ止まった。
そこで、私たちは安倍晋三氏らにこの実態を正しく伝える活動を粘り強く行った。2002年以降、安倍晋三氏は、幹事長、官房長官などの要職を歴任しながら、ほぼ1カ月に1回のペースで「家族会」「救う会」と昼食会をもって、意見交換をしていた。その場で私は、総連の不法送金を止めれば北朝鮮に強い圧力になる。そのために脱税と朝銀信組を厳しく取り締まらなければならないと繰り返し力説した。
第一次安倍政権が「厳格な法執行」方針を決めた後、税理士法違反や脱税で朝鮮商工会の関係者が次々に摘発された。兵庫、北海道、野中広務氏の選挙区のある京都、そして東京でも摘発があった。そのため、総連の脱税はほぼ止まったと見てよいだろう。これが強い圧力になった。
(横田めぐみさんたちを取り戻すのは今しかない 西岡力p210)

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>総連傘下の「在日本朝鮮人商工連合会」(以下「朝鮮商工会」という)の 機関誌「朝鮮商工新聞」に当時の全演植会長は
「(同会は昨年)同胞商工人たちの税金問題を円満に解決し、日本当局との『団体交渉権』をより強固にした」と書いている。
結論を先にいえば、ほとんどの商工人が朝鮮商工会と税務署との「団体交渉」の結果、税金を納めていないからである。
(日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか 佐藤勝巳P35 )

>総連はみずからの力を誇示するためか、
総連傘下の朝鮮商工会と国税庁のあいだに「税金に関する合意」があるといい、前述の「朝鮮商工新聞」が書く前にも、1991年「朝鮮総連」という冊子にこれを公表している。日本国民は、個々人が税務署に所得を申告する。しかるに合意の第一項目は「朝鮮商工人との全ての税金問題は、朝鮮商工会と協議して解決する」という内容である。これは、彼らが法律を守らないことが社会的地位の高さの証しと考えているからこそ公表したのである。
(日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか 佐藤勝巳p36)

>なぜ外国人のみの信用組合の設立を許可したのかには、それなりの事情があったのだと思われるが、朝銀の最大の問題は冒頭で紹介したように、彼らが公然とみずからは「治外法権」のもとにあると言ってきた事だけではなく、事実、勝手なことをやってきたにも関わらず、監督官庁である地方自治体は能力の限界もあって、でたらめな経営を見て見ぬふりをしてきたことにある。朝銀の金融犯罪は我が国の救いようのない「弱点」の反映にほかならない。
(日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか 佐藤勝巳p56)

…これを契機に総連は、全国の総連系在日朝鮮人多住地域の税務署に「抗議行動」をかけた。各地の税務署で業務妨害が発生した。このとき日本政府は、国家公務員たる税務署員にたいする公務執行妨害でこれを取り締まろうとしなかった。
国税局と具次龍氏との脱税に関する和解は1976年に成立した。その後、先に紹介した国税庁と朝鮮商工会との税金に関する「合意」なるものが交わされた。すなわち社会党の故高沢寅男衆議院議員の部屋で、氏を仲介者として国税庁と朝鮮商工会幹部の話し合いがおこなわれたのである。「現代コリア研究所」はそのときの出席者の名簿をもっている。
この具次龍氏の事件以来、総連は気に入らないことが起きると行政官庁やマスメディアなどに「抗議」という名の「暴力」を公然とふるうようになった。私は1967年の「抗議行動」を、第二次世界大戦後、日本が総連の暴力に屈した恥ずべき日と記録している。
ここに紹介したような事例は、いまにいたるまで、あちこちでみられる。
1985年12月関東国税局は東京都北区在住の総連商工人を脱税容疑で強制捜査した。すると、関東国税局にはもっとも多い日で1日600名の「抗議」が来た。少ないときで100名である。国税局の業務は麻痺状態に陥った。局内では「上はなにをしているのか。仕事にならない」という声がでた。警視庁からは「年末の忙しいときに国税はなにをやっているのか」と言う不満の声が聞かれたという。
(日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか 佐藤勝巳p56)

「先生の発言にたいして抗議の電話が殺到して、局の電話線がパンクしそうです」
まもなく私はフジテレビに出演して同様のことを話した。そのときは総連の講義団がテレビ局に来たという。
まだある。当時私は、日本テレビにもよく出演していた。あるとき日本テレビの記者が総連へ取材をしにいくと「あんな男(つまり私のこと)を使っていると総連に出入り禁止にしる」といわれたという。私はそのことを記者から直接聞いた。
あのころは私が主演する番組には抗議の電話を集中してかけていたようだ。
テレビ局は解説者のいってることの可否ではなく、講義に対応する煩わしさから、私のようなコメンテーターを敬遠することになる。かくして総連は気に入らない人間の発言をテレビ界から追放することができる。
私は公安当局者をはじめいろいろな人から「身辺に気をつけてください」といわれた。これは日本人が総連の直接間接の「暴力」をいかに怖がっているかの証拠である。
(日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか 佐藤勝巳 P58)

北朝鮮からみれば、総連を通じて在日朝鮮人は日本に税金を納めなくていいようにしたのだから「カンパをだすように」という根拠をつくったことになる。「朝鮮商工会に加入すれば税金が安くなる」という殺し文句で在日朝鮮人に加入をすすめ、ナショナリズムや「祖国統一」の心情に訴えて、安くなった分の税金を北朝鮮に献金させたのである。金日成主席の誕生日などに大口献金を集めるときには、分割して寄付できるように日にちをちがえて手形を書かせ、朝銀を使って現金化する。さらに朝銀が脱税に協力する。表にだせないカネは「仮名・借名口座」でカネをあずかる。その見返りに献金を求める。
(日本外交はなぜ朝鮮半島に弱いのか 佐藤勝巳p64)

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>この法律で、課税対象となる財産を所有する朝鮮人は、1,000名を僅かに上廻る程度であったにかかわらず,朝鮮人社会は、一体となっての施策のどんな朝鮮人に対する適用にも強く反対した。かれらは、主として精神上の根拠からこの立場をとった。朝鮮人は、この課税の必要は、日本の侵略戦争遂行の結果であって、戦争に対する責任はなんら自分たちにはないから、朝鮮人はこの税金を支払うことを要求されるべきでないと主張した。外国人はその居住する国の課税法律に服するとの国際慣行に反して、連合国国民が免除されている点が指摘された。そとで日本の専制下40年にわたり苛歛誅求の結果、貧困と奴隷に追い込まれた朝鮮人には、同様な特別の考慮が与えられるべきである。財産税の支払いは、多年の苦闘により築きあげた朝鮮人の資産を酒渇させる大負担となるであろうと主張した。この理由により、課税するどとろか、むしろ損害賠償請求権が朝鮮人にはあるはずである。なおまた(これこそ恐らく論議の真のねらいであろうが)在日外国人中、ほとんどただひとり朝鮮人のみに対し財産税を行なうことは、朝鮮の国家的矜持と威信に対する銃弾な侮辱であるというのであった。
(日本における朝鮮少数民族 エドワード・ワグナーp92 )

>1947年7月までの朝鮮人からの資本課税は徴収されなかった。
(日本における朝鮮少数民族 エドワード・ワグナーp94)

>さらに、朝鮮人は、引場同胞の配給通帳を使用して二重配給をとることになれていたが、登録はとのごまかしを暴露することになる。さらにもっともな根拠にたっていえば、朝鮮人は、登録の目的だけでかれらを外国人として区別するその法律の文句を好まなった。
(日本における朝鮮少数民族 エドワード・ワグナーp95)

>(朝鮮臨時立法議院が)総司令部に対し「朝鮮人には戦争責任がないので、かれらには財産税を免除するよう」要請した。
(日本における朝鮮少数民族 エドワード・ワグナーp118 )

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朝銀の業務で最も重要なのは、北朝鮮に送るための裏金集めだ。
献金指令は、ほとんどすべて万景峰号を通じて伝えられる。指令を伝えるのは、この船の実質的な最高責任者である「指導船長」だ。指導船長の部屋で献金指令を伝えられた幹部は、これを東京の総連中央本部に持ち帰る。
そして、中央常任委員会で献金の割り当てが決められる。
(金昌烈 朝鮮総連の大罪P197 )

>税関職員は万景峰号の船上パーティですっかり洗脳されており、総連関係者は顔パスで税関を通過することができたのである。
(金昌烈 朝鮮総連の大罪 P200 )

>ある商工人は北朝鮮でこうした金脈にかかわる幹部の家に泊まった際、 絨毯の下に日本の札束が敷き詰めてあったのを目撃した。
(金昌烈 朝鮮総連の大罪 P201 )

>総連傘下の商工会は、商工人に代わって税務署にかけあい、「節税」を迫ることもある。
自分たちは朝鮮民主主義人民共和国の公民だから、日本人と同じく税金を払ういわれはないと言うのだ。そうして「節税」に成功した人から、何割かの手数料を取る。
(金昌烈 朝鮮総連の大罪 P207)

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>当時の朝鮮総連の見解は、あくまで
「いまだ日本は朝鮮に対して戦前の処理を終えていない。さらに日本にはいわれなき民族差別が厳然と残って降り、在日朝鮮人に正当な人権はほとんど保障されていない。まして租税条約が締結されていない状況下、在日朝鮮人が納税義務のみを強要されることは不当である」というものであった。そこで税務署で私はこう主張したのであった。
『在日朝鮮人の納税に関しては、朝日親善の見地からある程度の納税はこれを否定しないが、特段の配慮があってしかるべきである』と。
この私の主張に対して、ほとんどの税務署職員は返答につまった。この主張こそが、常に商工会の上部組織が私たちに指導していた「政治交渉」であり、現実的にかなりの効果があった。 私は税務署との交渉で、財務内容の資料を提出したことはほとんどない。納税額をどの程度減額するかばかりに、交渉は終始した。
(張龍雲 朝鮮総連工作員p53)

>時には税務交渉で机を蹴飛ばし、灰皿を投げつけたりもした。それが高じて警察ざたになり公務執行妨害などで身柄を一時拘置されることもあったが、それは問題ではなかった。むしろそのような事態が起きれば起きるほど、私は同胞社会での評価が一段と高くなるのであった。
したがって、乱暴な税務交渉に何のためらいもなかった。私の税務交渉は喧嘩そのものであった。商工会の上部組織は、常々「在日同胞たちが勝ち取ったすべての権利は、私たちの積極的な闘いによって手に入れたものである。日本政府が在日のために進んでなした善意の政治など一度としてあった試しがない」と主張していたし、私もそう思っていたからである。
(張龍雲 朝鮮総連工作員p58)

>1967年、大阪国税局資料調査課は商工会会員の経営する遊技施設全店に対して一斉に税務調査を強行してきた。(中略)この事件には朝鮮総連本部が大衆動員をかけ、連日大阪国税局に押し寄せた。国税局は機動隊に要請を出し、私たちとにらみ合うこととなり、単なる税金問題が在日朝鮮人弾圧という高度な政治問題に発展していったのである。(中略)彼らが朝銀の調査に入ろうとすると、朝銀は調査その他帳簿類の提出を全部拒否したため、彼らの資料捕捉率は50%にも及ばなかった。
(張龍雲 朝鮮総連工作員p63)

>地元で尼崎小中級学校建設事業が決議され、当時の伊丹商工会副理事長がその建設委員長に推薦された。彼はこの学校建設に自ら一億円を献金することを決意し、不動産を売却して、資金を捻出しようと計画したのである。しかし、その譲渡税が約三千万と推計され、この事案が私に回ってきた。(中略)私は彼からその相談を受け、大阪国税局に直行した。応対に出てきたのは当時こわもてでならした次長であった。(中略)彼は私たちの目の前で尼崎税務署に電話をかけ「よろしく処理するように」と指示を出した。翌日私は尼崎税務署を訪れたが、署長は私たちを丁重に迎え入れ、「今時このような美談を耳にすることはない。税務署としては土地譲渡税に関しては、買い替え制度の適用を考えている」
と述べ約10分の1の税金で決着がついた。
(張龍雲 朝鮮総連工作員p79~)

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…アホくさ、わしら在日はお役所に毎年税金を納めとるのに、選挙権も被選挙権もあらへんし、会社勤めもようできん。そないに冷たい日本国のために、 誰がバカ正直に税金払うかい。
「それで、売上の5%くらいを裏預金に、というようなことをやるわけです」と苦笑しつつ、元パチンコ店オーナーのキムが打ち明ける。在日のあいだには「脱税するのは一部の悪徳業者」といった声もあるのだが、キムに言わせれば、「それは特別査察を受けていないだけで、上手に(脱税を)してるんですよ。脱税ナンバーワンの業界というのは事実なんです。」実際にパチンコ業者はここ12年連続で、国税庁調査の脱税業種第一位にランクされてきた。「脱税額5割なんていう人もおるし(裏預金を)通帳を天井まで積み上げたら、それが六列できたなんていう人もおります。日本の銀行も、ぜぇーんぶ手伝ってくれるんですよ。うちにも毎週月曜に銀行が来るから、(売り上げから抜いたカネを)ばーんと渡して、『裏は、あんたの好きな名義でやってくれ』と。あとはぜぇーんぶやってくれます。(通帳用の)印鑑は私がまとめて(土の中に)埋めてました。『マルサの女』?ええ、あれと一緒です。それにね、新しく店を作ったあと、税金をちゃんと払っていたら、店なんてやっていかれないという事情もあるんですよ」
(コリアン世界の旅p100)
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在学中に親が賭博性の強いゲーム機を設置して捕まったり、申告漏れで税務署が入ったりした家庭も多いので、すっかり慣れてしまったということもある。正直な話、 在日の商売人で税金をちゃんと払うのはバカ
と思っていた。
(金漢一 朝鮮高校の青春 p9 )
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