口は禍の元
■セフレの弓のことが好きだと気付く槍の話。の槍視点と弓視点。
■先日ついったで開催されていたクーエミふぇすに参加させていただいた時の話です。素敵な企画をありがとうございました。
■口は禍の元だったと数年後に彼は呟きます。
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「今付き合ってる奴はいねえよ。セフレならいっけど」
恋人とどうぞという言葉と共に渡されたチケットを受け取りながらランサーはそう返した。
次の講義が始まるまでの隙間時間。空き教室でスマートフォンをいじりつつ、ランサーは窓から見える木々を見遣っていた。大学構内の木々にはちらほらと色付いた葉が混ざり始め、秋の深まりを伝えてくる。もう少しすれば鮮やかに色づいた木々がどこか寂しい秋の景色に彩り賑やかに華を添えるだろう。
その鮮やかな様を頭に描いてランサーは目を細めた。
やはりどうせ紅葉狩りに行くのであればより美しい場所が良いだろう。
そう内心頷きながら手元の端末の検索結果を確認する。先程からランサーが調べているのは近場の紅葉スポットだった。
今までランサーは紅葉には然程興味を持っていなかった。通る道の木が色付いていれば綺麗だなと思うこともあるが、それだけだ。そんなランサーがわざわざ紅葉スポットなんてものを調べているのには勿論理由がある。
先日アーチャーが、そろそろ紅葉の時期だな、とほんのりと目尻を緩ませたのである。
好きなのかという問いに、季節を感じられるし何より美しいじゃないか、とどこか嬉しそうな声で続けられてしまえば、ランサーに紅葉狩りに行かないなどという選択肢はなくなってしまった。
アーチャーというのはランサーのセフレの名前である。チョコレートのような褐色の肌、光の透ける白い髪に研ぎ澄まされた鋼の瞳。日本人としては随分と特異な見た目をしているが、季節の移り変わりを愛する大変日本人らしい感性を持っている男である。それを思えば紅葉を好きだというのも当然のことかもしれなかった。
記憶の中の紅葉だけで少しばかり空気を柔らかくしたアーチャーを思い出してランサーは胸を弾ませた。鮮やかに色付いた木々を実際に見たならば、きっとより顔を綻ばせるに違いない。
その様を想像しながら、ランサーは意外と多かった紅葉スポットに頭を悩ませている最中だった。
「そういえば」
ランサーと同じように暇を潰していたロビンフッドが突然思い出したように声を上げた。
「ん?どうしたよロビン」
「オタク水族館行きます?」
「あん?何だよ一体」
「水族館のペアチケットを貰ったんですがね、一緒に行く相手がいないんですよ。彼女は今いないし、友達と行くのもパッとしねえし。だからって無駄にするわけにはいかないんで、貰ってくれる人を探してるんですよ」
チケットを取り出しながらロビンフッドは言葉を続けた。
「で、オタクはどうかなと」
「いいのか?」
「ダメなら聞きませんよ。はい、恋人とどうぞ」
そうして冒頭に戻る。
何故か絶句して固まったロビンフッドをしり目にランサーは受け取ったチケットに目を通した。
一枚で二人まで入場できる水族館のペアチケットで、恐らくその水族館のマスコットなのだろうデフォルメされたペンギンが描かれている。有効期限は年内いっぱいで、使用できない期間はなし。ランサーは知らない名前の水族館だったが、チケット片手に調べた限りではなかなかに大きい水族館らしく、特にペンギンが園内を歩くペンギンの散歩というイベントが好評だと書かれていた。
あいつ動物好きだし、喜びそうだな。
てちてちと歩くペンギンを嬉しそうに見つめるアーチャーの姿が脳裏に浮かぶ。きっと喜ぶだろうし、もしかしたらそのままランサーの方を振り向いて、なかなか見せてくれない可愛い笑顔を見せてくれるかもしれない。
想像だけで口端が緩みそうになり慌てて引き締める。
アーチャー―ランサーの可愛いセフレは、自分には似合わないと隠したがっているが、かなりの動物好きだ。特に猫が好きなようで、ランサーが撮った猫の写真を見せてやると普段は堅い表情がふわりと緩む程である。それが見たくて最近は猫の多い道を選んで歩くようになってしまったのだが、そのことを知らないアーチャーには「君は犬さんだけでなく、猫さんにも好かれるのか。羨ましい限りだな」などと軽く嫉妬されてしまった。
そんな男が実際に動物を前にしたら、どれ程目を輝かせてくれるだろう。
そう考えてランサーは引き結んだ唇がつい解けそうになってしまった。アーチャーはきっと傍目にはわかりにくく、けれどランサーからすればわかりやすく喜色を浮かべてはしゃぐに違いない。
アーチャーが動物好きだと知っていたのに、今の今まで水族館や動物園に誘うという発想が湧かなかったことが不思議だった。絶対に喜ぶだろうに何故気付かなかったのだろうと自分に呆れてしまう。ランサー自身は然程興味がなくほとんど行ったことがない、というのも影響はしているだろうが、動物を扱った映像作品を一緒に見たりアーチャーお勧めの猫動画を一緒に見たりと、動物のおかげで見られる表情を堪能していたのだ。何故気付かなかったのかと思わず溜息が零れた。
まあ、今気付けたから良いとすっかね。
とりあえず、水族館に行ったら次は動物園に誘おうと心に決める。目にするだけでなく触れ合うことができれば尚のこと喜ぶだろうから、ふれあいコーナーがある動物園が良いだろう、とそこまで考えたところで、ランサーは目の前の友人が随分と驚いていることに気付いた。
「どうしたんだよロビン。んな驚いた顔して」
「いや、だってオタク今年の春頃にセフレとは全員別れたって聞いたんですけど」
「あん?確かに前までのとは別れたけどよ…てかオレそのことお前に言ったっけ?」
「ええはいオタクからは聞いてませんね」
というか、そんな会話をオタクとするなんてぞっとしないんですけど。
続いた言葉にランサーは全くだなと頷いた。頷きながらもならば何故知っているんだと促せば、ロビンフッドは疲れたように息を吐き出した。
「オタクの元セフレの女の子達が、何故か、わざわざ、教えてくれたんですよ。しかもその後は誰が誘っても新しいセフレにはしてくれなくなった、なんていう噂付きです」
その言葉にはたりと目を瞬かせた。
「来るもの拒まず去るもの追わず、しかも男も女も関係なし、なんて節操なしが遂に恋人を作ったんだと思ってたんですが…。あの子達が知らなかっただけで、オタクまだセフレいたんですか」
呆れたようにぼやくロビンフッドの言葉が耳を通り過ぎていく。
ランサー自身はあまり気にしていないが、ランサーの見た目は随分と人を惹きつけるらしく、昔からセフレでも良いからと誘いを受けることがよくあった。それに対して来るもの拒まず去るもの追わずというスタンスであったことは否定しない。お互いに遊び相手だと割り切ったセックスだけの関係を大いに楽しんできたことも否定しない。長く続くと遊び相手以上の関係を望むものも出てくるため、都度関係を解消してきたが、それでも常に二、三人は遊び相手がいる状態を保っていたのがここ数年のランサーだった。
しかし今、ランサーのセフレはアーチャーしかいない。
アーチャーとセフレになったタイミングで他のセフレとは関係を切ったのだ。そしてその後は誘われても断るようになっていた。
その事実を不意に突き付けられてランサーは思わず息を呑んだ。
アーチャーがいるから、と無意識に思っていた。そのことに初めて気付く。
「というかですね、オタクそれじゃ水族館なんて誰と行くつもりなんですか」
「あ?そんなのアーチャ…セフレとに決まってんだろ」
「はあッ!?」
ロビンフッドが空き教室に響き渡る叫びを上げた。そしてそのまま信じられないものを見る目でランサーを見つめてくる。
「おい待て何だよその反応」
「いやオタクこそ何言ってんですか!セフレっつうのはセックスするだけの遊び相手なんだから、家の中で雰囲気を高めるためにいちゃいちゃするのはいいけど、外でまで会うなんてごめんだわ。とか最ッ低なこと言ってたの、オレ忘れてませんからね!?」
ロビンフッドが言ったことは間違いなくランサーの信念の一つだった。セフレは恋人とは違ってただの遊び相手だ。そんな相手とデートをするものではないというのがランサーの考えである。
しかし、しかしだ。
オレ、もう何回もアーチャーとデートしてるぞ。
しかも誘うのは毎回ランサーからだった。映画館も、ショッピングも、美味しいと噂のカフェだってランサーの方から行かないかと誘いをかけていた。それどころか今チケットを手に入れた水族館だって誘うつもりだし、そもそもつい先程までスマートフォンで調べていたのはアーチャーと紅葉狩りに行くための情報だ。動物園に誘うことだって決めたばかりである。
あれ、と思わず思考が止まった。
「…あのですね、ちょっと気になるんで聞いていいですかね?」
「あ、ああなんだよ」
「オタク、今セフレ何人いるんですか?」
「一人、だけど」
「その人とセフレになったのって、今年の春頃だったりします?」
「…なんで知ってんだよ」
「…あー、はい。わかりました。わかりたくないけどわかりましたよ。ええ」
そう言うと同時にロビンフッドは長い溜息を吐いた。気付きたくなかったわーというぼやきまで聞こえてきて、何故か焦燥感に駆られる。
「おい、何なんだよ一体」
ランサーの問い掛けにじとりとした目を向けたロビンフッドはもう一度はあと重い息を吐いた。ああいやだいやだと嘆くように首を振るロビンフッドに、ランサーは再びおいと声を掛けた。
「本当に何なんだよ」
「あのですね、なんかこれ以上この話題に関わると面倒になる気しかしないんで、一回だけ言わせてもらいますけどね」
「なんだよ」
「いっつも複数人いたセフレを一人に絞って、しかも誘われれば余程のことがなきゃ受け入れていたのを断るようになって?そのうえ面倒だと切り捨てていたデートまで計画しちゃってて?オタクそれ、本当にセフレなんですか?というか、よしんば本当にセフレだとして、オタク、それ本当にセフレでいいんですかい?」
突然、爆弾が投げ込まれた。
ようやく始まった講義の時間。ランサーはかちりかちりと意味もなくシャープペンシルをノックしながらぼんやりと外を眺めていた。
出席表に名前さえ書けば単位をくれる教授の言葉は、最早只のBGMと化している。
『オタク、それ本当にセフレでいいんですかい?』
ロビンフッドの言葉はランサーにとって正しく爆弾だった。
セフレで良いのか。
全く考えていなかったそれが頭の中で反響する。セフレで良いのかも何も、そもそもセフレにならないかとアーチャーに持ち掛けたのはランサーなのだ。
アーチャーとランサーの出会いは偶然参加した飲み会だ。初めて話したにも関わらず思いのほか話が弾んだものだから、飲み会が終わった後もそのまま別れるのが何だか名残惜しく、ランサーの家で飲み直すことにしてアーチャーを家に招いたのだ。そうして楽しく飲む中で、アーチャーの酒で緩んだあどけない顔と妙に気になる色気にどうにも惹かれ、つい手を出してしまったのが始まりだった。
酒の影響も多分にあったのだろうが、アーチャーは思いのほかすんなりと雰囲気に流され、それはそれは楽しい夜になった。
そしてその翌朝に、ランサーの方からセフレにならないかと誘ったのである。アーチャーとの関係をそれきりにするのは嫌だったのだ。
その誘いに戸惑いつつも頷いてくれたあの時から、アーチャーはランサーのセフレである。
そこまで思い出したところで、ああそういえば、とランサーは無駄にノックしていた指を止めた。長く伸びてしまっていたシャープペンシルの芯が、ノートに触れてぽきりと折れる。
思えば、相手から誘われたわけでもないのに手を出したのも、ランサーの方からセフレにならないかと誘ったのも、アーチャーが初めてだった。
『オタク、それ本当にセフレでいいんですかい?』
頭の中にもう一度ロビンフッドの言葉が響く。
例えば、アーチャーがもうこの関係は終わりにしようと言ったら。好きな人ができたからセフレを止めようなどと、もし、言ってきたら。
想像だけで轟々と腹の底から何かが燃える気がした。じりじりと胸が焦げて歯を食いしばって唸りそうになる。
嫌だ、と喚き散らしたくなって、そんなことをセフレ相手に思うのも初めてだと気付いた。
ランサーの方から手を出して、セフレにならないかと誘いを掛けて。面倒なうえ、遊び相手とするものではないと考えていたデートを、ランサーの方が嬉々として計画していて。別れることを想像するだけでも黒い炎が燃え上がる。
どれもこれもセフレ相手には考えたこともなかったことばかりである。その事実に今初めて行き当たり、ランサーは愕然とした。
セフレで良いのかというロビンフッドの言葉がぐさりぐさりと胸に突き刺さる。
セフレなのだから勿論思う存分その身体を堪能していたが、抱き合った後の甘やかな空気を愛おしく思っていなかったか。セックスなどなくとも、アーチャーと過ごせることを嬉しく思っていなかったか。
自問した答えはどれも同じで、ランサーは思わず机にへばりついてしまった。
冷静に振り返ってみれば、どれもこれも、セフレに対するものではなかった。それどころか過去の恋人達と比べても、明らかにアーチャーの方が特別だということにも思い当たり、嗚呼と息を漏らした。
ここ数年は面倒になってしまって恋人など作っていなかったが、高校生の時分にはそれなりに恋人というものも存在していた。だがそれも向こうから付き合ってほしいと告白されたことによる関係だった。そしてその時にしていたデートは、ただ雑誌に載っていた場所に行くだとか、向こうから誘われた場所に行くぐらいで、アーチャーとのデートのようにランサーが心を砕いたことはなかった。その時はそれなりに相手を愛しているつもりでいたが、明らかにアーチャーに対するものとは熱量が違う。別れる時だってあっさりしたもので、後に引き摺ったことも許せないと感情を燃え上がらせたこともなかった。
ベッタ惚れじゃねえか。
辿り着く答えはそれしかなくて頭が痛くなってくる。
ベタ惚れだ。今まで全く気付いていなかったということが信じられない程に、ランサーはアーチャーに惚れていた。
「まじかよ」
思わず弱々しい言葉が漏れる。
一体いつから、と考えたところでランサーはとうとう頭を抱えてしまった。
最初からだ。本当に最初から、ランサーはアーチャーのことをセフレとしては扱っていなかった。
ランサーの方から手を伸ばして。セフレにならないかと誘って。しかもセフレになってから初めてした約束は次にセックスをする日ではなく、昼食を一緒に食べに行こうというもので。おまけに今まで誰にも渡したことのない家の合鍵だって、三度目の逢瀬の時には渡していた。
全く意識していなかったが、初めからアーチャーのことをセフレとしては扱っていなかったとしか言えない状態だったのである。
「まじかよ…」
実を言えば飲み会で出会う前から、ランサーはアーチャーのことを知っていた。
構内の外れに立つ弓道場。偶然通りかかったそこで、凛と立つアーチャーを遠目に見たことがあるのだ。研ぎ澄まされた刃のような射に目を奪われ、構えを解いた後、離れて見ていた相手に向かって優しく微笑んだ姿に思わず息を呑んだことを覚えている。
きっと、その時にランサーの心は射抜かれていたのだ。
そんな相手に飲み会の席で偶然出会えたものだから、自分の気持ちにも気付かないまま浮かれて、はしゃいで、触れたくて堪らなくなって、そうしてこんな状態になってしまったのだろう。
何故そこで自分の気持ちに気付かず、セフレになろうなどと言ってしまったのか。
胸の内で呻きつつ、再三繰り返した言葉をもう一度繰り返す。
セフレで良いのか。
良いわけが、なかった。
自分がアーチャーに向ける感情がセフレなんてものではないと気付いたところで、さてどうしたものかとランサーは顔を机に懐かせたまま重い溜息を吐いた。
どうしたいか、という話になれば答えは一つしかない。アーチャーとセフレではなく、きちんと恋人として付き合いたい。それに尽きる。
セフレなどという吹けば飛ぶような関係ではなく、互いに想い合い、ずっと共にいることを約束できる恋人になりたい。縛り付けたいわけではないが、アーチャーを自分のものだと主張し許される関係になりたい。そしてアーチャーにもランサーは自分のものだと思ってもらいたい。
そのためにどうすれば良いかが問題だった。
ストレートに告白すれば良いだろうとも思うが、そこで素直にいかないのがアーチャーという男なのである。
深く付き合うようになるまでランサーは知らなかったのだが、アーチャーという男は余程のことがなければ相手の望みを叶えようとしてしまう底抜けの奉仕精神の持ち主なのだ。そして、ランサーとセフレになったのもその行き過ぎた奉仕精神が原因だと、ランサーは睨んでいる。
散々とセフレを作ってきたランサーが言えることではないが、セフレなんて関係は正直褒められたものではない。少なくとも、生真面目でどこか古臭い考えを持っているアーチャーが良しとする関係とは思えなかった。現に以前アーチャーは、誰かとこういう関係になるのは初めてだと言っていた。
そんなアーチャーが何故、ランサーのセフレになったか。
答えは一つしかない。
ランサーが、そう、望んだからだ。
奉仕精神がきっかけだとしても、ランサーと一緒にいて楽しそうにしている姿は本物としか思えなかったし、何よりランサーがアーチャーと離れたくなかったためにその点を突っ込んだことはなかったが、この関係の始まりにアーチャーの意思はないのである。ランサーに望まれたから。ただそれだけだ。
そんな男に告白などしたらどうなるか。
火を見るよりも明らかなそれにランサーは頭を振った。望まれたから、なんて理由で恋人になるのは御免である。
ランサーは、アーチャーの心が欲しいのだ。
嫌われてはいないだろう。それなりに情を抱いてくれているだろうとも思う。奉仕精神の塊だが、ランサーを目にした時に嬉しそうに細められるあの瞳は、流石に奉仕精神なんてものから出てくるものではないはずだ。
それに、と考えたところで思わず頬を緩めた。
抱き合った翌朝、アーチャーはそっとランサーにキスをしてくれるのである。しかもランサーの胸元にまるで甘えるようにすり寄ってくるというおまけ付きだ。
アーチャーの方が朝が早いことが多いため毎回堪能できるわけではないが、ランサーが先に目覚めることができた時には必ずやってくれるそれを思い出してつい笑みが深くなる。
こちらが気付いていることを知ったら恥ずかしがってもうやってくれなくなる可能性があるため、寝たふりをしながらその行為を甘受してきたが、あれはアーチャーが自分の意思でやってくれていることだった。
それだけではない。
六月のランサーの誕生日に、アーチャーはサプライズでランサーを祝ってくれたのである。合鍵でランサーの家に入り、バイトを終えて帰ってくるランサーを料理を用意して待っていてくれたのだ。プレゼントは何が良いかわからなかったから、君を想って作った料理で勘弁してくれ、とはにかんだアーチャーは大層可愛かった。それにプラスして、サプライズで祝ってくれたことと、会う約束をしていなかった日にアーチャーの方から会いに来てくれたことが嬉しくて、かなり浮かれてしまったことを覚えている。
因みにその日以降、ランサーはもしかしたら家の中にアーチャーがいるかもしれない、という小さな期待と共に家のドアを開けているが、今のところその幸せに出会えたのは誕生日の時だけである。
というか、あいつが合鍵使ってくれたの、あの時だけなんだよな。
はあと小さく息を吐いてから仕切り直すように頭を振った。
朝のキスも、サプライズのお祝いも、アーチャーが自分からやってくれたことである。いくらセフレとはいえ、情のない相手にそんなことをするものだろうか。
セフレというのはこういうことをするものだ、などというどこか外れたことを考えての行動かもしれない。ランサーが無意識に望んでいたことを読み取って行動に移しているという可能性もゼロではない。けれど、そうだとしても、アーチャーが自分から行動したということに変わりはない。
だから、きっと、アーチャーもランサーにそれなりに情を抱いてくれていると思って問題はないはずだ。
そう自分を鼓舞しながらランサーは拳を握った。
とりあえずそれとなくスキンシップを増やすところから始めよう。そうして少しずつ言葉でも伝えていってアーチャーを絆していくのだ。
ひとまず、明日からだな。
明日はアーチャーもランサーも講義が午前しかない日で、午後からランサーの家で共に過ごすことになっていた。
想いを自覚したせいで今まで以上に楽しみになってしまったそれに、思春期のガキかよと呆れながらつい確かめるようにスケジュール帳を開く。そしてランサーはまた頭を抱える羽目になってしまった。
スケジュール帳に付けられたハートマーク。アーチャーとの予定がある日に使っているそのマークを、ランサーは今までセフレは勿論、恋人にだって使ったことはない。
完全に無意識で使っていたマークまでが己の想いを示していて頭が痛くなる。
ベッタ惚れじゃねえか…ッ!
無自覚にも関わらずあちこちに漏れ出ていた己の惚れ具合と、そしてこんなにも惚れていたくせに今まで気付いていなかった情けなさに、ランサーはいっそ泣きたくなってきてしまった。
そして翌日。寝室のベッドの上でランサーは一人打ちひしがれていた。
アーチャーと何かがあったからではない。むしろ何かあった方が良かった。事実はその逆だ。何もなかった。だからこそ打ちひしがれていたのである。
意識してもらうためにスキンシップを増やそうと思っていたのに、何もできなかったのだ。
いやスキンシップ自体はした。思う存分した。アーチャーを玄関で迎えた時にはキスを贈り、映画を見るためにソファに並んで座った時には腰に腕を回してと思う存分いちゃいちゃとした。
しかし、である。
アーチャーとのお家デートにおいては、それがいつものことなのだ。
あれ以上どうスキンシップを増やすんだよ。
もう増やしようがない程のスキンシップの嵐に、そしてそれだけのことをしながらセフレだと思っていた自分にランサーは打ちのめされてしまったのである。
何より辛いのは、そういうスキンシップの数々を、きっとアーチャーはセフレだからと受け止めているのだろうということだった。なにせランサーは最初からアーチャーに対してはこうだったのである。誰かとセフレになるのは初めてだというアーチャーにとって、ランサーがやっていたことが恐らくそのままセフレに対してやることという括りになっているに違いない。
まずこれ以上スキンシップを増やしようがないというのもあるが、もし増やせたとしても、セフレにはそうするものなのだろう、などと受け止められる未来が見える。
はあと思わず溜息が漏れた。
それならばもう言葉でも伝えていこうと気合を入れたのだが、そちらもうまくいかなかった。
気合が入り過ぎたのか、夕飯を食べている時に話の流れに乗じて、思わず毎朝お前の味噌汁を食べたいという有名なあのフレーズを口にしてしまったのである。
恋人にもなれていないのに一足飛びにプロポーズだ。好きだという言葉すら通り越してプロポーズ。気が急き過ぎている。因みにアーチャーには全く気付かれなかった。当然である。誰がセフレからプロポーズされると思う。
何してるんだオレ。
今日一日で何度も胸中で呟いた言葉にランサーはもう一度重い溜息を吐いた。
唯一の救いは、明日の朝食に味噌汁を作ろう、とアーチャーが微笑んでくれたことくらいだろう。
「ランサー?」
寝室のドアを開けたアーチャーが、頭を抱えて項垂れるランサーを訝しみながら近付いてきた。
風呂上がりだから当然だが、髪を下ろし緩めのパジャマを着た無防備な姿をしている。もう何度も見ているというのに、ランサーはそのアーチャーの姿にこくりと唾を飲み込んだ。
「やはり今日は何だかおかしいぞ。調子が悪いならもうこのまま寝た方が良いんじゃないか?」
心配そうにランサーを見遣るアーチャーの手を取って掌にキスを贈る。
打ちひしがれるのも次に向けて反省するのも明日になってからだ。今はただ純粋にアーチャーに満たされたい。
「何でもねえよ。それより、アーチャーに触れられない方が拷問だ」
な、抱かせて?
自分でもどうかと思う程に甘ったるく囁けば、アーチャーがぴくりと震えた。それが嬉しくて顔が緩む。ランサーがそっと腕を引けば、アーチャーはそのまま素直にベッドへと膝を乗せた。
「…無理をしているのなら」
「してねえよ。めっちゃくちゃ元気そのもの。それよりさっき言った通りお前に触れられない方がツライ」
な、と微笑めば、仕方ないなと小さく笑ってから掴まれていない方の腕をランサーの首に回してくる。
与えられた許しに飛びつきながら、ランサーは感謝と愛を込めてキスを贈ることから始めることにした。
ランサーが目覚めた時、腕の中にはまだ温もりがいた。良かった起きられた、とそっと安堵の息を吐く。
アーチャーからのキスと甘えるような仕草。アーチャーより早く起きられた時にしか堪能できないそれを思って頬が緩む。
む、と小さく唸りながら腕の中の温もりが身じろぐ。その目覚めの合図に慌てて寝息を装った。
目覚めたアーチャーはそっとランサーの口にキスをして、それから甘えるように、名残惜しむように胸元にすり寄って、そしてベッドを降りるのである。
晴れて恋人になれたその時には、ベッドから抜け出す身体を抱きしめてキスを返しても許されるだろうか。
そんなことを夢想しながらキスを待つこと数秒。いつもならばもう贈られているキスがなかなか降って来ない。
あれ、と思ったところで腕の中から温もりが抜けていった。
え。
思わず見開いたランサーの目に映ったのは、寝室から出ていくアーチャーの姿であった。
…え?
呆然と閉じられた寝室のドアを見つめるうちに、向かいのバスルームからシャワーの音が響いてくる。
「…え??」
キスをされなかった。すり寄っても来なかった。
今起きたことが、いや起きなかったことがようやく現実だと気付き、ランサーはがばりと起き上がった。
何か、してしまったのだろうか。そう呆然と考えたところで、さっと血の気が引いた。
突然してくれなくなったということは、原因は昨日初めてやったことにあるのだろうと考えるのが当然で、そうなると思い当たることなどランサーには一つしかなかったのである。
昨日、初めてアーチャーに好きだと言った。セックスの最中に、好きだと、愛していると告げてしまったのだ。
セックスの最中の睦言など雰囲気作りの一つだと思われてしまう可能性がある。だからそれ以外の時に愛を告げるのが先だと決めていたのに、ランサーの腕の中で蕩けるアーチャーが可愛くて、愛おしくて、つい言ってしまったのである。
ランサーの言葉にアーチャーは少し戸惑っていたような気がしたが拒否はされなかった。セックスを盛り上げるための言葉だと受け取られたのだろうと今なら思うが、その時はただただ嬉しくて、散々と愛の言葉を贈ったのだ。
それが、悪かったのか。
ランサーは起き上がった時の姿で固まったまま、呆然とシャワーの音を聞いていた。
アーチャーにとって、セフレに愛を告げられるのは許容できないことだったのだろうか。
思えばランサーもセフレがそんなことを言ってきた時には眉を顰めたことがあった。それは大抵遊び相手以上を望み始める合図であったから、それが原因で関係を解消したこともある。
アーチャーも、そうだとしたら。
カチャリとバスルームのドアが開く音が聞こえ、慌ててベッドから飛び降りた。その勢いのまま寝室のドアを開けようとしたところではたりと動きを止める。
もし、アーチャーがランサーに愛想を尽かしたとして、このまま帰ろうとしていたとして、ランサーが音を立ててドアを開けたらどんな反応をするだろうか。
きっと、逃げる。
浮かんだ答えに唾を飲み込んだ。ただの推測なのに確証に近い気持ちで思う。そんな状態であればきっとアーチャーは逃げるだろう。
逃がしたくないのならば気付かれないよう忍び寄った方が良い。
深呼吸を一つ。
急く心を落ち着かせてから、そっと薄くドアを開いた。
途端聞こえてきた水音に動きを止める。音は台所の方からだ。追い打ちのようにまな板で何かを切るとんとんという音まで聞こえてきて、ランサーはその場にへたり込んでしまった。
嫌がられたわけじゃ、なかったのか。
アーチャーと抱き合った翌朝に聞こえるいつもの音に、強張っていた身体から力が抜けていく。良かった、と安堵の息が漏れた。
けれどそれと同時に、知りたくなかったことまで知ってしまってううと小さく唸ってしまった。
今までランサーが先に目覚めた時にはキスをしてくれていたから勘違いしていたが、アーチャーは必ずキスをしてくれるわけではなかったのだ。
いつも必ずしてくれるもの、と勝手に期待して、それが本当はそうではなかったとわかって勝手に絶望して、本当に恋というやつは身勝手でどうしようもない。そう思うのに、アーチャーからの好意を感じられる大切なひと時が必ず手に入るものではなかったという事実に、ランサーは打ちのめされてしまったのである。
というか、絶対朝はキスしてもらえるとか、どんだけ自惚れてんだよオレ。
知らず抱いていた自惚れにも気付いて朝から頭を抱えてしまった。
「さて、と。これで良いか」
不意に聞こえたアーチャーの小さな声にハッと顔を上げる。耳をそばだてれば僅かにアーチャーの歩く音が聞こえてランサーは慌ててベッドの中へと舞い戻った。
朝食を作ってくれたアーチャーはいつもその足でランサーを起こしに来てくれるのである。
いい加減起きないかと呆れながら、けれどどこか優しい声で肩を揺すってアーチャーが起こしてくれるその瞬間も、ランサーにとって幸せな瞬間だった。
今日は肩に触れてきたその腕を掴んで、もう一度腕の中に囲い込むとしよう。そうして目一杯の愛を込めておはようとキスをするのだ。
そう心に決めて目を瞑る。
待つこと十数秒。ガチャリと響いたドアの音がどこか遠いことに首を捻りつつ、ランサーは大人しく待っていた。
パタンとドアの閉まる音がする。その音も何だか遠い。
おや、と思ったところでカチャンと鍵の掛ける音が小さく聞こえた。
…鍵?
ランサーの家に鍵の掛かるドアなど、玄関しか存在しない。
「はあっ!?」
今度こそランサーは寝室から飛び出した。
飛び込んだリビングにアーチャーはいなかった。その先の台所も、コンロの上に小鍋がぽつりと乗っているだけで、一等大切なアーチャーの姿は影も形もない。
一体どこへ、と半ば現実逃避を始めた脳みそを抱えながらリビングを見渡せば、何やらテーブルの上に紙が乗っているのが見えた。急いでその紙を掴んだところでランサーは再び血の気が引くのがわかった。
『おはよう。直接挨拶をしないのは申し訳ないが、私はこれで失礼するよ。きちんと鍵を掛けていくから安心してくれ。
追伸 ご要望通り味噌汁を作ってある。冷めているようであれば沸騰させないように気を付けて温めてくれ』
アーチャーからの書置きに呆然と言葉が零れる。
「なんで」
慌てて玄関へと向かう。足がもつれて転びそうになりながら辿り着いた玄関からはアーチャーの靴が消えていて、気が遠くなりそうだった。
いつも抱き合った翌朝は一緒に朝食を食べていた。それなのに、何故、突然。
いや、それよりもまず追いかけなければ、とドアノブに手を伸ばそうとしたところで、ランサーは今の自分の姿を思い出した。
今ランサーが身に着けているのは下着だけなのである。俗にいうパンツ一丁というやつだった。正直なところ今すぐにも外へ飛び出してアーチャーを追いたいが、今のランサーはどこからどう見ても不審者だ。朝早くにパンツ一丁で外を走る男。通報案件でしかない。
「チッ」
何故先程起きた時に服を着ておかなかったのか。
ほんの数十分前の自分を罵倒しつつ急いで部屋へと戻る。とにかく早く服を着てアーチャーを追いかけなくてはいけない。
一縷の望みを掛けてアーチャーに電話を掛けながらランサーはクローゼットを開いた。耳元で鳴る呼び出し音に焦りつつ目に付いたジーンズを掴む。
焦りのあまりなかなか履けないジーンズに苛立ち始めたところで、プツ、と電話の繋がる音がした。
「アーチャーっ!?」
肩で抑えていたスマートフォンに思わず飛びついた。片足をジーンズに突っ込んでいるという中途半端な体勢だったせいでどすりとベッドに倒れてしまったが、それに構っている暇はない。
「アーチャー!!」
『ランサー?どうしたんだ一体。というか、今の音は何だ?何か倒したのか?』
「んなことはどうでもいいんだよ!何でお前いなくなってんだよ!!」
『ん?ああ、リビングに書置きを残しておいたんだがまだ読んでいないのか。ちゃんと君の希望通り味噌汁は作っておいたぞ。それにきちんと玄関には鍵を掛けて出ていったから心配しないでくれ』
必死に呼びかけるランサーに対して、アーチャーはいつも通りの調子だった。そのことに僅かに安堵しつつ、そんなこと聞いてんじゃねえよ、と吠えた。
「オレは味噌汁の心配も、玄関の鍵の心配もしてねえだろ!何で、今日に限ってこんな朝早くに帰ったのかを聞いてんだよ」
『へ?』
「何だよ、もしかして何か用事でもあったのか?」
『いや、そういうわけではないが…』
「なら何でだよ!いつもは一緒に朝飯食べて、それから帰ってただろ!?」
『いや、その…』
何やら言い淀むアーチャーの次の言葉を待ちつつ急いでベッドに腰かけたままジーンズを履いた。焦ってうまく履けないのであれば、最初から座って履けば良かったんだとわかって何だか腹が立ってくる。
立ち上がって今度はシャツを手にしたところで、ようやくアーチャーが次の言葉を紡いだ。
『その、な』
「おう」
『…セフレというものは、本当はセックスをしたら、すぐ帰るものなのだと、聞いて…』
「はあっ!?」
誰だ。アーチャーにそんな入れ知恵をしたのは。
瞬間、名も顔もわからない正体不明の人間を八つ裂きにしたい衝動に駆られた。誰だ、本当に。
『それで、だな。君とのセックスは、その、長いし、夜も遅くなるから、すぐ帰るというのは物理的に難しいな、と。だから朝目覚めてすぐ帰れば良いのかと思い至ったんだが…』
何かまずかったかね…?とそっと伺ってきたアーチャーに頭を抱えた。
アーチャーの言うことはセフレであれば何も間違っていないだろう。少なくともランサーは今までセフレと朝を迎えたことはほとんどなかった。
しかし、である。
「んな一般論は忘れろ。オレは、お前がすぐ帰っちまうと寂しいし、朝だっていちゃいちゃしてえ!」
『いちゃ…っ!?』
「な、だからもう勝手に帰るのは止めろよ。つうか、やっと合鍵使ったと思ったら、家から出ていくためとかオレの心が死ぬからホントもう止めてくれ」
半ば泣きそうになりながら訴えればアーチャーが息を呑む気配がした。
『君は、それで良いのか?』
「良いのかもなにも、それがいいんだよ!」
だから、なあ。
アーチャーが縋られるのに弱いとわかったうえで情けなく縋るような声を出した。少しばかりは打算があるが、ほとんど本心から出た声だ。
『…わかった。それでは次はまた今まで通りにしよう』
「次はじゃねえ。今日も、だ」
『は?』
「今どこいるんだよ。朝飯、一緒に食いてえ」
『へ?今からか?いや、だって今日はもう』
「朝起きたらお前がいないとかいう最っ悪な朝だったんだから仕切り直しだ。迎えに行くからもう一回おはようのキスからやり直させろ」
『はあ?君何を言って』
「いいから!どこにいるんだよ!」
『…駅に向かう途中の、公園近くのコンビニの前、だが』
ランサーの勢いに気圧されてかようやく居場所を吐いたアーチャーにそっと息を吐いた。
「今すぐ行くから、そこで待ってろよ」
『いや、それなら私が戻れば良いだけで、』
「いいから!そこで!待ってろ!」
財布を尻ポケットに捻じ込んで玄関に向かう。
『君、なんでそんな熱くなっているんだ?』
恋に気付いたばかりの逢瀬で、今まで過ごしていた恋人同士のような時間を失えば誰だってこうなるわ!
声に出すわけにはいかない叫びを心の内で叫びながら玄関を飛び出した。
戻ってくるのを大人しく待っていられるような想いなら、ランサーはここまで恋にとち狂っていないのである。