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Strawberry Darling【web再録】/Novel by 紺屋

Strawberry Darling【web再録】

43,040 character(s)1 hr 26 mins

2024年1月に発行した本の再録です。
当時お手に取っていただいた方ありがとうございます。

日下部→日車から始まる、本命童貞の日下部と恋愛経験少なめの日車が流れと勢いでお付き合いしてやたらめったらイチャイチャしている話。
篤寛の日もあれば寛篤の日もある同軸リバ。夜の匂わせがちょっとありますが本番描写は無し。お互いがお互いを超可愛いと思っている。
日車術師if、回游も呪いも知らねえ!何でもいいから平和な二人のイチャラブを摂取したい!という方向けです。

可愛いは正義だしおっさんも正義なので可愛いおっさんの二乗は大正義に決まってるんだよなあ!!(あとがき抜粋)

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1.日下部

癒しが欲しい。教室を出て廊下をだらだらと歩いていた途中、開いた窓からなんとなく外を覗いたが最後、動く気力がぷつりと途切れた。西に傾いた太陽が建物の壁を橙色に照らしているのを、口をぽかりと開けっぱなしにして眺める自分の姿はさぞ哀愁を誘うことだろう。
明日も仕事だが缶ビール一本くらいは飲んでもいいか。スーパーで寿司なんかを買って夕飯はちょっと豪華にしてやろう。布団にはできるだけ早く潜って余計な体力を使わないうちに寝よう。などと脳内で計画を立ててみるが足は窓辺の床に根が生えたように動かないので、諦めてぼけーっと黄昏の方を向いている。
もう若くないので疲れたときは肉体を休めることが最優先だ。だけどもっと一発でストレスが吹き飛ぶような癒しをメンタルが求めている。例えばそう、人肌に触れるとか、好きな奴の顔を見るとか。呼んでもないのに愛想のない真顔の男が、ビールや寿司を押し除けて思考の真ん中に浮上してくる。
俺の妄想なんだからもう少し笑顔でも見せてくれたらいいのに、まあこの仏頂面だ。意味もなくニコニコされても不気味だしこの顔なら何でも好きなので仕方ないのだけど。疲れたときに日車という同僚の顔が浮かぶようになってどのくらい経つだろう。俺は彼に片想い中だ。
気持ちを自覚しても特に行動は起こさないままでいる。玉砕するのは嫌だ。二十代ならいざ知らず、すっかり恋愛に消極的な歳になった。仕事柄、同僚に懸想すると失ったときのショックが倍増することは嫌というほど分かっている。そもそもあの恋愛に興味の無さそうな朴念仁に対しどこからどうアプローチを掛けたらいいかも分からない。疲れた日に彼の顔が見られて、ついでにちょっと話でもできたら、それだけでそこそこ元気になるので我ながら可愛くてうぶな恋をしていると思う。
運良く校内にいたりしないだろうか。呼び出して顔を拝む権利は持っていないから、大体はばったり遭遇することを期待するしかないのだ。はーあ、と口から重くこぼれたため息は疲労と恋煩いが半々といったところ。一生懸命に連勤を頑張っていて、ついでに想い人へのささやかな接触で満足するほどの純朴な気持ちを抱える俺に、何かご褒美があればいいのに。
「日下部」
ふと右側から聞き覚えのある声に名前を呼ばれた。窓際に腕を乗せたまま、面白くもない橙色の壁を見ていた視線をそちらに移す。
愛想のない真顔の男が立っていた。静かな三白眼がまっすぐこちらを見ている。硬そうな口元と、大きな鼻、歳のせいかいまいち隈が薄くならない目尻。きっちり着込んだスーツと動きの控えめな表情筋のせいでやたら暗く淡白な印象のある立ち姿。
そうそう、これだよこれ。これが見たかった。具体的にどこが、と聞かれると答えに困るのだが、その体のどこもかしこも可愛らしく見えるのが恋愛フィルターというものだ。朝きちんと整えられたはずの前髪が時間経過と共に緩く額に垂れるのを見るたびに、髪の毛柔らかそうだな、と触ってみたい気持ちになったりするのだ。
疲れすぎて妄想が形になったか、マジでご褒美が降ってきたか。つい、自制心もなく手が伸びていた。ぽふ、と彼の頭に乗せた掌に、想像より更に柔らかい髪が触れる。うわ、ふわふわじゃねぇか。手触りがよいそれをくしゃりと握ると、セットが乱れてはらりと前髪が額を隠す。一気に幼い印象になって、普段とのギャップにボルテージは急上昇。
「あー、好きだ」
とにかく疲れていた。ご褒美が欲しいと考えた瞬間に本物が現れるなんて想像もしてないから、よくできた妄想だと思った。
髪をくしゃくしゃにした己の手が頭から顔へ移動し、肌の温度を直接感じる。ぬくもりまで再現できるとは、俺の拗らせ方も結構ヤバいのかも。まあ何でもいいや。さわさわと輪郭を確かめていた俺の手が、別の手に掴まれる。
「日下部、大丈夫か……?」
真顔のはずの日車が、いくらか困惑の表情を浮かべて俺を呼んだ。はっきりと目の焦点がその瞳に合う。手の感触と体温を実感して意識が全速力で戻ってくる。
「……は、本物?」
「残念ながら偽物ではないな」
なんだか申し訳なさそうな声がそう言う。日車だ。どうやら俺の前にいるのは、俺が疲労で生み出した触れる幻覚ではなかったらしい。会いたかったはずの、触れてみたかったはずの、本物。一分前の俺、本物の日車を撫で回した挙句、うっかり口を滑らせた気がするんですけど。
「おおお、おい、マジかよ」
「すまない、あまりに疲れていそうだったから声を掛けたんだが……そっとしておいた方がよかったか」
「俺、さっきなんて言った?」
「聞き間違えでなければ、好きだ、と」
滑らせてますね、ご愁傷様です。薄暗くなってきた窓の向こうで、俺を置いて太陽が沈もうとしている。待て、帰るな、やらかした俺を一人にしないでくれ。この状況から俺を救ってくれ。
日車がそっと手を離せば、現実と妄想を履き違えていた俺の手は絶望感にだらりと項垂れる。今から言い訳できるのか。いや、すでに狼狽えすぎて言い訳が通用しない状態だろう。打ちひしがれる俺の様子に、珍しく彼もかなり慎重に言葉を選ぶようにして口を開く。
「人違い、だったりは」
「お前と別の誰かを見間違えるわけねぇだろ……」
「じゃあ、ペットを飼っていたり」
「飼ってねえよ。もういい、何も言うな、傷口が広がる」
やはり人間の体も頭も二桁連勤には対応していないのだ、だからこんなに酷いエラーが起きる。はああ、と深々とため息を吐き、弁明を諦めて窓を閉める。帰ろう。ビールも寿司も要らないから寝てしまおう。それがいい。
いつも舐めている飴をポケットから出して慰みに口に突っ込む。日下部、と何か言葉を掛けようとする彼を手で制す。
「いいって、お前にそういうの期待してない」
日車のことだからこれ以上変にほじくったりはせず聞かなかったことにしてくれるだろう。疲労から出た世迷いごととして片付けてもらおう。じゃあな、と話を切り上げて帰ろうとした俺の腕を、彼の手が引き留めた。
思わず唇をへの字に曲げて振り返ってしまう。真面目な顔をした日車がこちらを見ていて苦い気持ちで手を振り払う。口を滑らせた俺を憐れむわけでも、同性からの不意の好意を気持ち悪がるわけでもない、至って平坦な顔だ。
「思わせぶりなことすんなよ、俺が聞きたいのは同じ言葉だけだからな」
俺が嫌そうに吐き捨てれば、彼は僅かに眉尻を下げた。
「君と全く同じ言葉は返してやれない」
「そうでしょーよ」
「だが事故みたいなものとはいえ俺が勝手に暴いてしまったのは事実だ」
「だから聞かなかったことにしてくれりゃあいいだろ」
「いいから話を聞け。君にとってそう悪い話じゃない」
同じ言葉は返せないとすでに失恋の一撃を叩きつけられたのにこのあといい話が出てくるわけがない。でもこの男がむやみに人の感情を逆撫でするような悪趣味なことはしないと分かっている。誠実な眼差しを向けられると後ろめたいこちらは怯むばかりだ。この目を遠くからちょろりと眺めていられれば今のところはそれで満足だったのに。
「俺は今、両親に見合いを打診されている」
「へえ、そりゃまあ、お前もいい歳だしな」
「見合いはできればしたくないが、この先、一生一人で生きていくのは些か寂しいと思っているのも本音だ」
「はあ」
「合うかも分からない全く知らない人間と今から関係を築くよりは、付き合いもあって一緒に過ごすのが苦でないことを知っている君の方が俺としても魅力的だ」
日車の話がどう続くか、期待していなくてもさすがに分かる。丁寧にフラれるのかと身構えた俺の頭に流し込まれる甘い言葉。確かに悪い話ではないようだ。
「君にその気があるなら、俺は君の隣に座るのもありだと思っている。どうだろうか」
「なあこれ思わせぶりと何が違うんだよ」
「まあ、君からすればそうなるかもな。俺は君に選択肢の一つを提示しているだけだ、どうするかは君が好きにすればいい」
窓の外ではあっさり太陽が西の地平線に消えて見る影もない。しばらく片想いを続けてきた相手が甘い言葉で俺を誘惑してくる現実に頭がくらくらした。適当なことを言うんじゃない、と跳ね除ける無骨さなんか持ち合わせていない。せっかくの提案を蹴る理由が一つもない。疲れ切った憐れな片恋男へのご褒美がこれだったとしたらむしろ今すぐ両手を合わせて西の方角を拝みたいところだ。
相手が同性であることを問題としていなさそうだし、この場でその提案ができる程度には俺への好感度もすでにあるのだろう。これを逃さない手はない。黙って思案する俺に、日車が淡々と「同じ気持ちでなければ付き合えないタイプか?」と聞いた。
「そこまで贅沢言わねえよ、肩書きと口実が揃って手に入るならそこは別にどっちでもいい」
「そうか。ではどうする?」
どうするもこうするも、答えは一つしかない。がりがり、頭を掻いて棒を指先で摘まんで口から出す。全然、言うつもりはなかったのだけど。どうせ一度口を滑らせて聞かれているのだ、もうどうにでもなれ。
「あんたが好きなんで付き合ってもらっていいですかね」
「ああ、分かった」
こくり、当たり前のように頷いて日車がそう返事をした。秘めていた恋心を取り落として拾い上げられるまでが早すぎて自分でも全く現実感がない。というかわけが分からない。好きな人間との交際スタートにしてはかなり間抜けだということは分かる。
「なんか、締まりがねえな……」
「ムードはなかったな」
飴を口の中へ戻してぼやいた俺に日車が小さく笑った。手を再び彼へ伸ばして、その前髪をぐしゃぐしゃに揉む。若干眉を寄せつつも今度は彼に途中で遮られることはなかった。どうやら俺は今本当に、合法的に本物の日車に好きに触れられる権利を手に入れたらしい。
もう片方の手も伸ばしてぺたぺたぺたぺた、両手で彼の顔を触り頬を挟んで耳たぶをつつく。
「……楽しいのか?」
「かなり」
「物好きだな」
ちょっと困ったように彼が息を吐く。俺からすれば、日車も大概物好きだ。隣に置くならもっと可愛い年下の女とか色気のある年上の女とかがいいんじゃないだろうか。しかし権利を貰ったのはこの俺なのでひとしきり彼の形を堪能する。満足してからようやく帰宅のためにそこから歩き出した。
俺は今日の仕事は終わり。彼はもう少し残ってやることがあると言う。事務室へ向かう彼と肩を並べて歩く。すっかり崩された彼の前髪を見下ろしながら自分の頬を力いっぱい引っ張ってみる。痛みを感じるからおそらく夢ではない。
「心配なら明日の朝、連絡してきても構わないぞ。夢じゃないと言ってやる」
正直サービスも手厚くて俺に都合が良すぎる。ここまで全て、疲れて見ている幻覚だと言われた方が断然信じられる。まだ夢かと疑う俺を見て、ふむ、と彼が小首を傾げた。
それから立ち止まった彼に日下部と呼ばれる。そちらを向くと、伸びてきた手が俺の頭に触れた。くしゃ、と彼の指に前髪を掬うように頭を撫でられる。
「お疲れ。また明日」
ぽかん、とする俺を残して日車は廊下の角を曲がり事務室へ歩いて行った。頭を撫でられたのか、日車に。何で?
やったことをやり返されだけなのに、刺激についていけていない心臓が喧しい。口の端から潰れて言葉にならない声が漏れる。小さくなった飴玉がコロコロと口の中を忙しなく転がっている。
そこからどうやって帰宅したかほとんど覚えていない。でも翌朝目覚めた布団の中で恐る恐る送ったメッセージに日車から『夢じゃないぞ』と返信があってやっと全部現実であると理解した。
意味が分からないままそこから数日の連勤をすんなり乗り越えられたから、俺が単純な生き物であることだけは間違いなさそうだ。


2.日車

日下部を家に招いて並んでソファーに座っている。先程からずっとテレビの画面を見ている彼はどこか居心地悪そうな様子だ。
家に来るかと俺が聞いたときは間髪入れずに行くと返事をしたくせに、乗り気じゃなかったのか、不快なことでもあったのか。日下部という人は俺にとって無言が苦になる相手ではない。だからこのままでも特に問題はないのだが、できればもう少しリラックスしてもらいたいところではある。直接俺に好きだとうっかり漏らしてしまうくらいに、数日前の彼は疲労を溜め込んでいたのだ。身の振り方はかなり堅実で慎重派な彼にしては珍しいミスだ。余程疲れていたのだろう。
日下部は俺が好きなのだという。俺が告白を受け入れたことを夢ではないかとやたら疑っていた彼にちゃんと嘘でも夢でもないと言ってやる一方で、俺もまだ彼の告白を疲労が生んだ錯覚か気の迷いなんじゃないかとちょっと思っている。
自分でも自分のことはとっつきにくく愛想も面白味もない人間だと思う。両親もそんな自分を心配して見合いをしろと言ってくるのだ。両親からは二十代後半の頃は結婚はまだかと言われ、三十路を過ぎると何も言われなくなり、最近になって見合いの話を持ちかけられるようになった。『孫の顔を見せろとはもう言わないけれど誤解されやすいお前の味方になってくれるような人を傍に置いて私たちを安心させてくれ』と切実な声で親に言われてしまっては、あまり無碍にもできない。だけど呪術師である以上、呪いを知らない非術師と生活を共にするのは難しい。
さてどうすべきかと思っていた俺の前に、俺のことを好きだという物好きが突然転がり込んできたのだ。意外に思いつつ、日下部なら一緒に過ごす相手として悪くないのでは、と気付く。
そもそもこの機会を逃せば二度とこんな物好きとは出会えないかもしれない。彼の言葉に嫌な気持ちにならなかったならそれで十分ではないか。しかも条件良く同じ呪術師だ。
一生の伴侶が必ずしも恋愛的に好きな人間である必要はない。赤の他人と比べれば彼への感情は間違いなくプラスのものだ。いずれそういう意味で好きになる可能性ももちろんある。打算的な提案でも彼の性格なら受け入れるだろうという確信めいた自信もあった。聞かなかったことにして彼を帰してやるのが誠実な振る舞いだと分かっていたが、つい手が伸びてしまった。
で、日下部と付き合うことになった。俺もかなり勢いよく話が纏まって驚いている。思っていたより自分の中で見合いの話がストレスになっていたのだろうか。
ちらりと隣を見ると、日下部の突き出した下唇が目に入った。世渡り上手なはずの彼のあの狼狽えぶりを見ればその好意が冗談でないことは理解できたけれど、本当に俺みたいな男が好きなんだろうか。
動く唇に引き寄せられるように彼の顔を覗き込む。テレビを見ていた視界に俺の顔が横入りしてきて驚いたのか、彼がぎょっとした顔で身を引いた。
「何で逃げるんだ」
「お前パーソナルスペース広いからそりゃこの距離はビビるだろ」
「付き合っているならこのくらいの距離は不思議じゃない」
「まあそうだけど……ああもう、キスされるかと思ったんだよ」
上半身を仰け反らせソファーの背もたれの方へ逃げたまま日下部が唇を尖らせた。その言葉で『彼にとって俺がキスをする対象である』ことを把握する。勢いで交際が決まったものの、それぞれが望む関係性がどういうものかはまだはっきりしていない。
「そのつもりで近づいた」
「……俺とのキスに抵抗ない感じ?」
「それを確かめようとしたところだ」
俺の返事に彼の下唇がぴくりと動いた。それからじとりとこちらを見て、もごもごと頬の内側で何かの言葉を捏ねたあと、彼がそーっと俺の方へ顔を近づけた。
唇をぴったり重ね合わせて数秒、またそーっと日下部が顔を離した。触れただけの唇が息を詰めて子犬みたいに俺の反応を待っている。
いかにも恋愛慣れしていそうで、がさつで適当な言動を選ぶ普段の軽薄さを一体どこに置いてきたのかと思うほど、目の前の男からは必死さが滲み出ていた。なるほど、俺のことが好きだというのは本当のことらしい。もっと強引に、告白を承諾した俺のせいにして迫られるかと思ったが意外にも奥手なんだろうか。本来告白もするつもりがなかったようだから、恋愛における彼は臆病で慎重な性格に拍車が掛かるのかもしれない。
見たことのない日下部の顔を俺がまじまじと見つめていたら羞恥に耐えかねたのか彼が「何か言ってくれませんかね」と口を開いた。
「どうだった?」
「お前がそれ聞くのかよ」
「今ので足りるのか?」
「足りるか足りないかで言ったら足りないけどそういう話じゃねぇよ」
あのなあ、と重々しく彼が息を吐く。俺と彼の向こうでテレビの住人たちが騒ぐ声は全く気にならなかった。それより俺の意識は日下部に釘付けだ。
「こっちはまだお前と付き合ってる実感が湧いてねぇの。やっぱり無理キモいってフラれる可能性もあるんだから拒否られることはしたくないっちゅうわけ。お分かり?」
「まだそんなことを言ってるのか君は」
「いつからお前のこと好きだと思ってんだよ。長続きさせるためにいい子ちゃんにもなるだろ」
何だ、俺に嫌われたくないから控えめに出て反応を窺っているのか。見た目に似合わず可愛いところもあるじゃないか。
キスくらい減るものでもない。その好意に胡坐をかくのも不誠実だ、足りないならもうちょっと持って行ってもらってもいい。いじらしい彼の様子に自分の口角が勝手に持ち上がる。まだ実感が湧かないと言うなら信じられるまで付き合ってやろう。
こちらから日下部の唇に吸いつくと、ビクッと彼の肩が跳ねた。意味が分からないという顔で彼が俺を見る。
「実感は湧いたか?」
「はあ?」
「まだ足りないか」
「ちょ、うおっ、待てひぐる、……んむ、ん、 ……おい日車、ぅん」
制止しようとする声を無視して何回か唇にキスするたびに、彼の慌てた声が一瞬途切れるのが面白い。六回目あたりで彼が俺の肩を掴んでがばりと体を引き剥がした。
「俺で遊ぶな!」
はは、と思わず笑い声を上げてしまったのは仕方ないだろう。そのくらい、感情の行き場もなく俺の肩をガクガク揺さぶって怒る日下部は新鮮だったのだ。
「思ったより可愛い反応するんだな」
「悪ふざけも大概にしろ」
「まさか。したいと思ったからしたんだ」
日下部は俺の返事に一瞬言葉に詰まり、それから盛大にため息を吐き出して俺の肩を掴み直した。ゆらりと彼が俺に顔を近づけて至近距離でガンを飛ばす。拗ねた子どものような顔はやはり初めて見るもので、可愛らしいギャップに笑わないではいられない。
「いいんだな? したいからしても」
「構わないぞ」
「言質取ったからな」
先程とは打って変わって乱暴に唇が押しつけられ、すぐにぬるりと舌が口内へ押し入ってきた。悪戯に上顎を舐り、歯列をつついて舌を絡められる。彼の手の片方がゆっくり肩から後頭部へ、もう片方が腰へ回った。
口の中の柔らかい部分を舌先がつうっと撫でると背中がぞくりとする。しかし腰を支える彼の手が逃げるのを許さないとでも言うように、俺の体を更に引き寄せる。
やはり自制していたらしい先程の触れるだけのキスとは違う。ねちっこいキスをするんだな、と彼の顔を見ながら考えていたら目が合った。目くらい閉じろよ、とその瞳に分かりやすく書いてあって面白く思ったのは何秒、あるいは何分前だったか。
彼の舌遣いにだんだん呼吸が追いつかなくなり、ぞくぞくとした感覚も次第に増していくのに、キスが終わる気配が全くない。息が続かなくなったので彼の肩をばしばし叩いてギブアップする。
唇を離した日下部が肩で息をする俺を見てニヤッと口元に笑みを浮かべた。
「どうよ、お前こそ実感湧いたか?」
「……ああ」
「何? まだ足りないって?」
「勘弁してくれ、身がもたない」
俺が素直に白旗を揚げると彼はフッと笑って俺の背中を数回さすった。落ち着いてくると意識の外だったテレビの音もやっと耳に戻ってきて、俺はソファーにどさりと座り直した。日下部も膝の上で頬杖をつき、テレビに視線を戻した。
「お前キス下手だな」
「あまりする機会もなかったからな。こんなに激しいキスは君が初めてだ」
「そうかよ」
そこで彼は黙った。またちらりとその横顔を見やると、くすぐったそうに唇をむずむずさせる日下部がいて、うっかりまた笑ってしまった。自分がどういう顔をしているか、言われなくても彼も分かるのだろう。もうこちらに視線も寄越さず「次笑ったらキスだけじゃ済まねえからな」と捨て台詞を吐いた。
「そんなに怒るな、可愛いだけだ」
「お前ほんっとに優しい俺に感謝しろよ」
「そうだな。物好きな相手が君でよかったと思ってる」
俺は彼の気持ちを弄ぶような自分勝手な話を持ち掛けたのだ、幻滅されてもおかしくない。彼には怒る権利がある。でも彼は無理強いもしてこなければ文句以上のことも言ってこない。日下部は紳士的でいい男だ。
俺は褒めたつもりだったが彼は不機嫌そうに舌打ちをこぼした。何か気に障っただろうか。ぼそり、彼が呟くように言う。
「いい男だって言うなら惚れろよそこは」
「……肩書きがあればいいんじゃないのか?」
「キスまでさせてもらったら普通の男は調子乗るでしょうよ」
「まあそれもそうだ」
それについては彼に頑張ってもらうしかない。君の努力次第だなと返せば深いため息が応えた。ちょうど見ていたバラエティ番組が終わったので俺はソファーから立ち上がって日下部を振り返った。
「夕飯は食べて帰るか?」
「そうする」
不貞腐れた顔をしたまますかさず返事をする彼にまた笑いそうになって、これ以上拗ねて本当に怒らせても困るから口元に力を込めて表情を元に戻した。全部見えていたようで恨みがましい目を向けてくるこの奇特な物好きは意外と可愛らしい一面があるようだ。少なくとも簡単に嫌いになるようなことはなさそうだな、と思ったけれど余計に拗ねそうなので言わないでおいた。


Comments

  • Natukaze
    May 5th
  • 小夜双☆スカィWeb
    May 2nd
  • May 2nd
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