「なーんだかなぁ……もう22時じゃん」
執務室にひとり、パソコンから顔を上げて周りの静けさに気が付く。
目を通していたのは任務化され添付ファイルを貼られた状態で送られてくる補助監督からの案件メール。
依頼内容、適任呪術師、緊急性、場所、発生時刻、想定等級、その他諸々必要事項……上手く纏められた内容を確認し、割り振りを呪術師別にしたフォルダへコピーして放り込む。その後、『任務依頼』として許可し補助監督へメールを返す。
返信して顔を上げた日下部が、ふと時計に目を向けて気怠そうに呟いた。
(忙しいっつーか、1日が24時間じゃ足りないだろうが……、明日の予定もあるし今日は帰るか……)
力無くパソコンを閉じて帰る準備を整える。資料を持つ必要が無いので基本的にそう持って歩く物もない、今は財布とスマホ、ハンカチくらいが入ればいいショルダーで事足りる。
機密事項が多く、情報漏洩があってはならない規則も有り、任務や高専にまつわる事は特に持ち出し厳禁とされるものばかりだ。
帰ってからは明日の午前に向かうシン・陰流当主として挨拶に回る場所の確認をしようと脳内にスケジュールを巡らせる(三カ所だった?遠い場所じゃねえからそれだけは運が良いと思うしかねーか……夕方は総監部に呼び出されてるし、その後は任務の打ち合わせ)……「あ~、総務に交通費精算って言ってたがまだしてなかった……」未提出の領収書を数えながら電車に揺られて帰路へつき、家に灯を付けたのは23時を迎える前だった。
「では、今日はこれで失礼します……」
翌日、普段より三割増しで髪のセットに時間を費やし、身支度にも気を使い、クリーニングのタグを取ったばかりのスーツへ身を包んだ日下部は深々と頭を下げて踵を返し、背を伸ばしたまま門をくぐる……目指すは石段を降りた先にある駐車場。
日下部は車の手前まで来るとネクタイへ指を掛けて首を2、3度揺らし抜き取った。ジャケットまで脱いでワイシャツは腕捲りをして車へ乗り込む。
「はぁ~……終わった、草臥れるわ……」溜息交じりの独り言を吐き出してエンジンをかける。……挨拶だけしときゃいいんだよ、誰に言うでもなく言葉が出る。見慣れた街の中を走り一路高専へ。
───忙しい。
高専じゃなりたくなかった学長代理、重ねてシン・陰流の当主となり、教員としての立場も当然継続したまま現役呪術師として急な対応をこなす事もいつもの事。
「帰ったら総監会議か……ああ…、どっか温泉にでも行って昼寝してえ~……」
……新宿を壊滅状態に陥らせた決戦以降、こんなはずじゃなかった、と思いながらも今はこうするしかないというのも理解できていて、悪態付きたいと思いつつ乗り切るしかないと分かっているのも確かだった。取り留めも無い事を考えているとあっと言う間に高専へ着き、会議へ乗り込む……重い扉を開けて薄暗い部屋へと入る。(……この雰囲気マジで苦手だ)外の天気から裏腹の視界の悪さに眩暈がする感覚にもなった。
「ただいま参りました、日下部です」名乗りはしたものの、それ以外の人影は障子の向こうへと遮られており顔が分からない……そもそもそこに誰がいるのかも明確ではない。(俺ここにいる理由あります……?)頭の上で見えない影が話す言葉ばかりが飛び交った。どうやら新宿での最終決戦に対して物申したい、と言うのは分かる。
(何?今更新宿のタラレバか?……報告書にしっかり書いてあるでしょーが、って言ったら終わりなんだけどなぁ。無駄な時間だ、帰らせてくれ、仕事もメールもまだまだあるんだっての……)
「五条は尽力を尽くしました、残るメンバーも当然命がけ。今より良い結果が出たはず、なんて言えたもんじゃないですよ。何のために呪術師、補助監督、生徒たちまで一丸となったのか。むしろあの状況で俺たちがこうして生きている事が奇跡だと思えます。
五条がいないからどうするかなんて、あまりに失礼じゃないですか?」
……最後のひと月に向けた特訓も、あんた達知らんでしょうが。素人が特級と戦えるまで成長させた、命かけたガキ共が負担のかかる入れ替わり訓練をして死ぬ気で過ごしたんだよ。……くっそ、胸糞わりぃ……。
『時に、最後のひと月から加わった、五条並みの才能を持つ人材とやらは……こちらへ腰を据える事にはなったのか?』
──日車の事か、厭らしい言い方してくる。
「……日車でしょうか?それとも髙羽、来栖?他にも沢山死滅回遊から覚醒した術師はいますが……」
『日車寛見』
「あー……。あぁ、……。日車、なら、まだ身の振り方を決めかねています。それは敢えて誘導するつもりは無いですが、現時点では術式と呪力、呪術界その物を勉強し理解を深めてくれてはいます、けど」
(……よりによって一番答えたくない人の話題になってんじゃん)
『違っていてほしい』と思う回答を突き付けられ、どうにか誤魔化そうと慣れない態度をとるが自分自身が不自然で仕方がなく、つい苦笑い。
その後の話はどうにか日車を囲い込め、情に訴えろ、仲間として歓迎しろ……。そんな話を今も、今までも、耳にタコができる程聞かされている。今日も例に漏れなく、どうにか呪術師としての立場を確立させろと言われた後に、日下部自身が任務の時間を理由にその部屋を出た。
「これ以上あの場所にいられねぇって……まじで面倒だ」
急激に視界が明るくなり、新緑の中を一人ボヤきながら歩き始めた。桜の若葉、見上げれば雲一つない青空。上着は要らない……腕捲りをした状態で丁度いい。
若葉の隙間から見える太陽の光がまぶしくて目を細めた。
「五条……お前の向き合ってた連中は想像以上の強欲だ」