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エラーコードxxx/Novel by 紺屋

エラーコードxxx

44,366 character(s)1 hr 28 mins

回游軸かつDom/Subユニバースパロ。Dom日車とSub日下部。
ドムサブとしては全体的にぬるめ。ダイナミクスってめんどくせー!な話です。
二人とも他キャラやモブとのプレイについて間接的描写あり。

お借りした表紙:らこぺ様(illust/90396057)

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明らかに昨晩寝られなかったのだろうことが分かる青白い顔をした日車を、支給品の毛布と共に空き部屋に押し込んだのが少し前。
「適当に起こしてやるからちょっと寝ろ」と室内の長椅子を指差した俺に、日車は何か言おうとしてそのまま口を閉じて小さく頷いた。寝不足のパフォーマンス低下は自覚があるようだった。
「二十分経ったら起こしてくれ」
横になった彼に言われた通り、二十分後に俺は部屋の前に戻ってきた。まもなく昼休憩が明ける時間だ。有事でなければゆっくり寝かせてやりたいところだが、午後もみっちり特訓のスケジュールが詰まっている。ドアを形だけノックしてがらりと開く。
「日車、起きろー」
長椅子に横たわっていた日車は俺の呼びかけでむくりと体を起こした。にじゅっぷん、と呟きながら体から落ちかけた毛布を掴んだ彼が入り口の俺の方を向く。一応仮眠は成功したらしい、ぱちぱちと緩慢に瞬きする様子は瞼が重たそうだ。残念ながら顔色はよくないまま。しかし全く寝ていないよりは幾分マシだろう。
「起こしに来てくれたのか」
「お前が自分で言ったんでしょうが」
「……そうだったか。うん、いい子だ。ありがとう」
目を合わせて投げかけられた言葉。ほとんど反射的に「は?」と声が出ていた。日車が俺に向かってその言葉を選んだことと、言われた瞬間自分の指先がじんわり温まったような感覚があったことの両方に対しての反応だった。おそらく本人も無意識のものだったのだろう、すぐにハッと我に返った日車が慌てて椅子から立ち上がった。
「失礼した、寝ぼけていたようだ」
「午後は頼むぜ、日車さんよ」
「ああ。次はグラウンドだったな? 手洗いを済ませたらすぐ向かう」
毛布は狗巻か西宮に渡すように言い、一旦その場で日車と別れた。先にグラウンドへ足を向けた俺は、ぬくもった手で首裏をさすった。
そういえばあいつ、Domだったか。先程日車が発した『いい子』の言葉はDomがプレイで使うリワードの常套句だった。
そして俺のダイナミクス性はSubだ。俺もまさかコマンドとしての効果を持たない日車の言葉に反応してしまうとは思わなかった。案外疲れているのかもしれない。
人間は男女という生物学的性別の他に、皆それぞれダイナミクス性を持つ。ダイナミクスの力量関係によって分類される性はDom、Sub、Switch、Neutralの四つ。これらは男女の性と違って一目見て分かるものではなく、個人の内面的な気質に密接に関わってくる。大体の場合Domは支配欲や庇護欲が強く、Subは献身的あるいは被虐的な傾向がある。SwitchはDomとSubの両方の特徴を持っており切り替えが可能、Neutralはどちらの特徴も有さない人間のことだ。
ダイナミクス性の気質は顕著に出る人間もいれば影響がごく僅かの人間もいる。尊重されるべき個性の一部分という扱いなので、ダイナミクス性は個人情報としては重要度が低い方だ。俺が日車の性を把握しているのは、呪術高専との協力が決まった際に彼がご丁寧に自ら差し出した個人情報の中に含まれていたからだった。
呪術高専からすれば彼は、覚醒してすぐ死滅回游で術師を二十人殺して生き抜いている突出した実力者で、非術師を二人殺害した呪詛師なのだ。信用を得るために必要と判断したのか、彼は術式内容から生い立ちに至るまで、自分の出せる情報を不用心とも思えるほど酷くあっさりと話した。今なら分かる。あれは無害アピールなんて可愛いものではない。己が何かを間違えたときに排除されることを受け入れ抵抗しないという確固たるスタンスの表明だ。その覚悟でもないと宿儺と戦えないのは事実だが、要は日車という男はそのくらい生真面目で少し変わった術師だった。
ちゃんと発散できているんだろうか。真面目すぎてストレスを溜め込みやすそうだし、といつもより一段と濃い隈を浮かべていた顔を思い返す。ただでさえ死滅回游に巻き込まれ追い詰められたような状況にあるのだ、そこにダイナミクス性のストレスまで溜まるのは精神的によろしくない。
ダイナミクスの特性による欲求の強さもかなり個人差が大きい。Domなら『守りたい』『可愛がりたい』、Subなら『褒められたい』『尽くしたい』など、種類も様々。この欲求を満たせるのは、DomとSubの間で行われる特別な行為『プレイ』だけ。プレイはDomの使うコマンドにSubが応え、上手くできたら褒めるという形が基本だ。このプレイを頻繁に行わないとストレスで精神が不安定になるDomもいるし、何ヶ月もやらなくても全く平気なSubもいる。
程度に差はあれど、定期的にプレイを行いストレスを溜めないことが健康を保つ秘訣というものだ。しかし十月の末から慌ただしく張り詰めた日々が続いていてそうも言っていられない。日車が普段プレイをどのくらい必要としているか知らないが、お互い多少のエラーが起きるのは仕方がないだろう。
俺自身はプレイへの欲求が薄い方で、抑制剤を服用していればプレイはなくても平気なレベルだ。クソ忙しい仕事の合間に相手を見繕うのは手間、プレイ用の時間を設けるのも面倒。処方してもらう抑制剤で事足りるので普段はNeutralとほぼ変わらない生活だ。とはいえこの欲求はプレイでしか解消されないので、ごくたまに医者と簡単なプレイをすることはある。抑制剤の効果にも限度があるから、今日みたいなことも絶対に起きないとは言えないわけだ。
今は呑気にプレイに耽る気にならない切迫した事態だ。念のため抑制剤の服用量を増やしておけば十分だろう。こういうとき、自分のSub性が弱くて助かったと思う。
彼も医療班に相談するなりして自分で対処しているはずだ。他人のダイナミクス性にまで気を配っている暇はなければ、夜眠れなかった彼の個人的な事情をいちいち汲んでやる余裕もない。
日車がグラウンドにやってきたあと、午後のメニューは予定通りにこなさせてもらった。


その三日後の夜のことだ。日車が俺の部屋を訪ねてきたのは。
小さなノックの音に起こされた俺は覚醒し切らない頭でベッドから降りて部屋のドアを開いた。俯きがちに立っていた日車は俺が出てくると一瞬ほっとしたような表情を浮かべた。
「何か用か?」
「……」
用件を聞かれた日車は躊躇するように視線を動かし、何も言わないまま立ち尽くしている。長くなると直感した俺は「とりあえず入れ」と彼を室内へ招き入れた。この時間に廊下で立ち話するのは他の連中を起こしかねないし体が冷える。
促されるままそろりと部屋の中に入ってきた日車をベッドに座らせ、自分は椅子に腰掛ける。相変わらず隈の濃い顔だ。彼が纏う居心地悪くて落ち着かない空気にはなんとなく覚えがあった。記憶を漁って気付く。遠い昔、妹が夜中に怖い夢を見たと言って、時折こういう顔をして俺の布団へやってくることがあったのだ。
「その感じだと眠れないとかそういう?」
黙っていた彼は俺の言葉に小さく首を縦に振った。
「今日はどうにも寝つきが悪くて。起こしてすまない」
「もう起きちまったからいいけど。俺は安眠の役には立てないぞ」
何で俺のところに来たのだろう。歳が近くて同性となると他に頼れそうな選択肢がほとんどないのは事実だけど、普通まず行くなら医者のところだ。彼の性格を考えればそもそも弱ったときに誰かのもとに足を運ぶこと自体避けそうなのに。
日車は特訓には積極的かつ協力的な反面、俺たち呪術高専の人間との間に明確に線を引いている。よく言えば入れ込みすぎない距離を保っている、悪く言えば部外者の立場を崩さない。作戦に支障がないなら俺としてはそのスタンスにつべこべ言う気はないのだが、だからこそ意外だった。
「少しでいい、話に付き合ってもらえないか。気が紛れたらすぐ戻るから」
「人選ミスじゃねぇか?」
「現に君は、こうして部屋に入れてくれただろう」
彼は俺が相手をしてくれると思ってここに来たようだった。それこそ何で俺なんだよと思いつつ、慰めや同情を求めているわけではないのだろうと脳内で結論づける。さすがに部屋の中に入れておいてすぐ追い出すような真似をするほど俺も無慈悲ではない。適当に話をして程々で帰らせればいいということだ。
気が紛れそうな話題を脳内で探す俺の前で、日車は項垂れたような姿勢でベッドにこじんまりと座っている。水やりが足りていない植木鉢の萎れかけの花。連想された姿にふと閃く。眠れない現実から気を逸らせて、かつ上手くいけば睡眠の質の向上が期待できるアレ。これなら彼をスムーズにベッドに戻らせられる。
「お前Domだろ、プレイはいつもどのくらいやってんだ?」
その話題になると思わなかったのか目を瞬かせた日車は、口元に手を当てて首を捻った。それから数秒の沈黙。そんなに真剣に考える必要がある質問はしていないはずなのに、記憶を振り返る仕草は思ったよりも長かった。神妙な顔つきで日車は手を離して口を開いた。
「月に一、二回……だと思う」
「そんなもんか。パートナーか? そういう店とか?」
「準パートナー、といったところだな。仕事で出会ったSubで、Domの当てがない人に時々誘われるんだ。男女一人ずつ、どちらも頻度は多くないから、誘いがあれば応じるようにしている」
答える日車の表情は浮かない。DomとSubの関係においてパートナーとは、固定のプレイ相手として相互に選び合っている二人のことだ。恋人と混同されやすく、実際恋愛関係にある者も多いが、必ずしもイコールではない。プレイのみを目的とした関係というのは特に珍しいものじゃない。一緒に過ごす人とダイナミクス性が噛み合うとも限らないので、DomやSubのための店や機関も存在する。彼が自分で引っ掛かっているのはおそらく『誘われればプレイをする』という部分だ。
「自分からプレイに誘うことは?」
「……ここ何年かは全く」
へえ、と相槌を打ちながら確信する。彼は欲求の深さを自分で把握できていない。毎回飢えるより前に手近なSubから誘いがあって適度に満たされていたのだ。自分でも自分のことが分からないと気付いた彼の、覚束ない表情を眺めながら更に聞く。
「んで? 最後にプレイしたのは?」
「九月の中旬だ。十月は仕事が忙しいから予定は入れられないと伝えてあった」
ということは彼はもう三ヵ月近くプレイを行っていない。今まで月に一回以上必ずやっていたのなら急な空白で体が渇いている可能性は大いにあるだろう。自覚がなければ医者に相談するのも難しい。実際彼は家入に自分のことを「プレイ欲求は強くない」と伝えていたらしい。
花に適量の水をやるように、ダイナミクスの欲求をプレイで満たす。今の彼に必要なのはこれだ。そしてちょうどここには、Domの相手ができるSubがいる。
「簡単なプレイでよけりゃ俺が相手できるけど、どうする?」
日車は弾かれたようにバッと顔を上げ、まじまじと俺を見つめた。この反応久しぶりだな、とあまりSubっぽさのない我が身を他人事のように思う。
「Sub、なのか」
「一応な。特性薄めなもんで言うと大体今のお前とおんなじ反応される」
どうりで、と呟いた彼はそのまま口を閉ざした。俺がSubかも、という予想はあったのだろうか。部屋に来たときと同じ躊躇の空気を感じて、考え込む彼に肩を竦める。
「無理にとは言わねえよ。俺相手じゃプレイが成立するか微妙だし」
DomとSubのプレイにおいて何より重要なのが信頼関係だ。互いの信頼を前提に置かなければ、プレイは内容次第で人権や生死の問題に発展してしまう。通常、プレイの回数を重ねていくことで徐々にその信頼を深めていくが、立場や関係性によって上手くいかないこともある。こちらに一線を引く彼と俺でプレイを行ってもストレス発散の効果は大して得られずに終わる可能性が十分にあるだろう。
彼が乗り気になれないのも分からなくはない。フォローのつもりでそう言葉を吐いた俺を、彼の瞳がまっすぐに見つめた。
「君のことは信頼している」
思いがけずはっきりと告げられた言葉に虚を突かれて俺は反応が遅れた。ここで嘘を吐く理由はないし、嘘を吐くような男だとも思えない。ただ彼にそう断言される心当たりは正直なかった。
「でなければここには来ていない」
「お、おう、そりゃどうも」
この先、命を預け合うことになる相手だ、貰って困る言葉ではない。椅子に座り直して、むずりとした感覚を誤魔化す。太ももの上で手を組んでいた日車は俺を見つめたまま静かに続けた。
「君は構わないのか」
「ガス抜きは欲しかったとこだよ」
「違う。俺とプレイができるのかを聞いている」
「できないなら端から提案しねーよ」
今しがた彼が言った台詞と同じものを返す。二秒、瞼を閉じてふっと息を吐いた彼は、ようやく決心がついたようで「なら、よろしく頼む」と俺へ頭を下げた。
「セーフワードを決めてくれ」
「じゃあ無難にレッドで」
「NG事項は」
「あー、痛みを伴うもの。あと足舐めとかハードなのもキツい」
「分かった。体には触れても?」
「触るだけなら」
プレイ前にはセーフワードの設定やNG行為の共有が必須だ。軽くやるだけならそこまで細かく確認しなくてもよくないか、と思わなくもないが、こういう慎重な対応への信頼がプレイに繋がる。真面目な彼はそこを疎かにはしないだろう。聞かれたことに答え、俺からも質問を返し、プレイの準備が整った。
「おいで」
ベッドから日車が俺を呼んだ。俺は椅子から立ち上がり、日車の方へ一歩近寄った。そのまま、二歩、三歩。それであっという間に彼の目の前に着く。座ったままこちらを見る日車を、立ち止まって見下ろす。彼は俺の動きを肯定するように一つ頷いて「グッド」と口にした。
リワードに対する反応もSubによって異なり、ゾクゾクするとかテンションが上がるとか性的快感と区別がつかないとか、色々あるらしい。俺は温泉に浸かったときのように体が温まっていく感覚が近い。じわ、と背中に染み出てくる熱はリワードを正しく受け取った証拠だ。頷き返した俺に彼は次の指示を出す。
「では次はここへ座って」
そう言いながら彼がベッドの上、自身の左横の空間をぽんぽんと叩いてみせた。俺は言われた通りにそこへ腰を下ろす。日車はじっとこちらを見守っている。リワードが貰えないということは、これでは彼の要求を満たせていないということだ。
日車と俺の間には三十センチほどの空白がある。すでに十分に近い距離だ、俺は腰を右へ数センチ動かして座り直した。彼はまだ何も言わない。
今、俺がどこまで許容できるかを測っているのだ。俺がどこまで彼に近づけるか、どこから嫌がるか、どのくらい彼を信頼しているか。プレイとしては初歩も初歩のやり取りだ、この程度のコマンドに抵抗感は湧かない。動かない黒目に自分の表情や仕草を観察されているのが分かって、俺はあと少しの距離を詰めた。二人の間にあった空白は半分に縮まり、お互いの腕がぶつかるほど近づいた。
ふっ、と日車が空気を緩めた。
「よくできました」
傍に来た体温を歓迎するような声は不思議と柔らかく鼓膜を揺らす。それから、じわり、湧き上がった熱が背中から四肢に広がっていった。それは温かい茶を飲み込んだ瞬間の安堵感に似ていて、与えられたリワードに次を欲しがる気持ちがゆっくりと顔を出す。そういえば俺もプレイは久々だ。頻度が少ないせいで毎回こんな感じだったっけなどと新鮮に思うのだ。
こちらを捉える日車の視線の強さは変わらない。このやり取りに対するSubの反応を一つも逃さないであろう、鋭いDomの目だ。
「手に触ってもいいか」
「どーぞ?」
俺が素直に右手を差し出すと、彼は両手でそこに触れた。彼の手はぬくかった。俺の手も同じようにぬくかったから、触れ合っている部分は熱いくらいだった。
人差し指を摘ままれ、中指の爪を撫でられ、薬指と小指の間をなぞられる。結構くすぐったい。動くなというコマンドは出されていないから振り払ってもいいのだが、彼があまりにも興味深そうに真剣な顔で俺の手の形を確かめるので腕を引っ込めることはできなかった。
俺の掌を上に向けると、その表面に彼が指を這わせた。指の腹が掌の分厚い皮の上を行き来する。
「おっさんの手そんなに揉んで楽しいか?」
「感服する硬さだ」
「大袈裟」
マメが潰れて血が滲む掌はとっくに過去の記憶だ。獲物を使う術師の手なんて俺に限らずこんなものだろう。それに、彼の手が柔らかいかと言えばそんなことはない。術師として覚醒したばかりの彼も、一級と遜色ないレベルの身体強化でガベルを握って振るっているのだ。最近は木刀での素振りもトレーニングメニューの中にあって、彼の掌はでこぼこに荒れている。
「君はよくプレイをやるのか?」
「ほぼやらない。半年に一回もあれば十分」
「随分低燃費なんだな。その頻度ならパートナーはいない?」
「パートナーを作るほどじゃないからな。医療班のDomに仕事としてやってもらうか、たまに五条の相手をやるか、どっちかだ」
五条、と復唱された名前に頷く。五条はDomの格が強すぎてそんじょそこらの適当なSubでは相手が務まらないうえ、立場上プレイをつつがなく行えるほど信頼できる人間も周りに少ないため、比較的頑丈な俺が呼び出されることがある。といっても、俺もSub性が薄いので相性がいいわけではなく、五条とのプレイ後はほぼ毎回二日酔いのような状態になる。
あとは学生の頃に何度か冥冥とプレイをしたこともあるが、お互いの欲求の指向が合わなさすぎて全く発散できなかったからそれ以降やっていない。雑談の合間も俺の手を触っていた日車が、自分の手から力を抜いた。俺に右手を預けた彼が次の指示を出す。
「握って」
俺が下から掬って彼の手を握ると、小さな吐息が吐き出された。笑った、ような気配。握手の形になった手元を見下ろし彼がそのまま「グッド」と言う。
「なんか違ったか」
「いいや、何も」
ぽかぽかとした体の温度が心地いい。プレイは楽しくて気持ちがいいもの。大体のDomとSubがそう言うだろう。いくらかリラックスしたらしく日車の雰囲気が和らいでいるのが握った手から伝わる。
正直、彼が早々にスキンシップを取るのは予想外だった。あれだけいつも周囲の誰にも踏み込まないよう徹底して独りの立場を貫こうとしているのに、プレイではSubに触れたがるのか。どちらが素なんだろう。平時とは違う彼の一面を見ている事実にほんのりと満たされる感覚があって俺はこっそり息を吐き出した。
ダイナミクスの欲求は完全に自身でコントロールするのは難しい。抑制剤を使って見ないふりをしても決して零にはならない。だからDomもSubも欲求不満になると苦しいし、その渇きを潤してくれる相手を信頼する。そういうふうにできているのだ。信頼する相手とじゃないとプレイは成立しない、お互いに相手を選ぶ権利がある、なんて体裁のいいことを言うけれど、先立つのは感情ではなく欲求だ。欲求のためにプレイを行い、その途中で感情が芽生える。人体の仕組みとはいえダイナミクスの面倒なところだ。
Sub性の薄い俺にとってのプレイは半年に一回の身体メンテナンスのようなものだ。今回の日車とのプレイも、彼のための医療ケアに近い。プレイをすれば何かしらの感情は少なからず生まれる。そういうものだ。そこに特別な意義はない。
「日下部」
「何?」
「ルック。こちらを見て」
「こうか?」
手を握ったまま、日車に目を合わせた。彼は頷いて「しばらくステイで」と続けた。言いつけ通り、動かず間近で日車の瞳を見つめる。
黒目、小せえな。白目部分に対して控えめな瞳だ。俺を一直線に射抜く眼差しは厳粛で整然としていて力強い。己に疚しいことがあれば到底直視できないようなその目に、彼が法に携わる仕事をしていた所以を感じていっそ感心してしまう。本人の説明と、岩手の窓による報告を鑑みても、弁護士という仕事は天職だったのだろう。曲がったことを認めず、飲み込み、堪えて、今やすっかりその顔には濃い隈が染みついているけれど。
手を握っているものの手持無沙汰で、ひたすら黙って見つめ合っているのも性に合わず、雑談がてら口を動かす。
「あんたはどういうプレイが好みなんだ?」
俺が投げかけた質問に、日車はほんの少し首を右へ傾けた。隣に座って手を繋ぎ、見つめ合ってお喋りだなんて、今時やり方を習いたての学生でもここまで模範解答みたいな丁寧でささやかなプレイはしないだろう。俺に合わせているだけなら遠慮しすぎだし、これが彼のスタイルなら合わせるのは俺の方になる。
日車が唇を薄く開き回答の言葉を探す間も見つめ合ったまま。その唇が一度すっと閉じられた。ふるりと首を左右に小さく振る動きは、回答の拒否だ。答えたくない問いのようだった。言いにくい内容、というより俺がまだ彼の中で話していいと思える位置にいないためだろう。言いたくないなら言わなくていい。プレイの基本はお互いが気持ちよくなること。無理強いは御法度だ。詮索もこのプレイには必要ない。
「失望したか」
「何で? それより俺はいつまでこのままでいればいいんだ?」
「ああ、いい子だな。もう少し続けられる?」
ご褒美を与えられたうえでそう重ねられたら続けるしか選択肢はない。このコマンドを聞けば、更にリワードが貰えるのだ。そうやってDomに対して従順に仕込まれていくのがSubの性。ずっと見ていると吸い込まれそうな、暗闇によく似た色の瞳を、ひたすらに凝視する。
俺がその目を眺めている間、日車もまた俺の目をまっすぐ見つめている。プレイの高揚感のせいだろうか、彼の視線の強さのせいだろうか。じわじわとせり上がってくる居心地の悪さを自覚すると同時に、そこから目を逸らしてしまった。もっと欲しいと思っている自分を見透かされそうで嫌だったのだ。
視線を下げた視界に絡んだ手が見える。視界の上から「日下部」という彼の声がして、やっちまった、と己の体が一瞬固まった。怒られるだろうか。呆れられるだろうか。すっと日車の手が離れていく。できないことはできないと言っていいはずなのに、瞬間的な焦燥感が舌の裏を焼き、体の芯が冷える感覚した。
「グッドボーイ、そんなに落ち込まなくていい」
今しがた離れていった手がぽん、と俺の頭に乗せられ、穏やかな声がリワードをくれる。はっとして顔を上げれば再び日車と目が合った。彼は手を動かして俺の髪の毛を数回撫でたあと「見た目以上に硬いな……」とのんびり感想をこぼした。拍子抜けした俺は頭を撫でるくすぐったい手をぽいっと払い落とした。
「落ち込んではない」
「それならいい。俺はどうも目力が強いようで、このコマンドは大体どのSubにも途中でギブアップされる。君はかなり長く目を合わせてくれた方だ」
よく頑張ったな、という褒め言葉で冷えた体が一気に熱を取り戻す。我ながら分かりやすい身体だ。
「Sub殺しのコマンドじゃねぇかよ」
「できなくて責めたりはしない」
もし躾が上手くいかないとしたら原因はDomの方にある、と真面目な顔で言う日車はおそらく本当にそう思っている。Subが上手にコマンドを聞けなくても決して責めることはないだろう。こうやって丁寧なプレイをするから、彼は複数のSubから求められるのだ。ダイナミクス性の強さだけに収まらない、他人に対する彼自身の真面目で真摯な性格がこの短いプレイだけで十分に分かる。
「次で最後にしようか」
座っているベッドのマットレスが二人分の重みで少し凹んでいる。頷いて行儀よく最後のコマンドを待つ俺に向かって日車が口を開く。
「名前を呼んで」
「……日車?」
そんなことでいいのかと思いながら彼の名前を唱えると、彼は一度目を閉じた。
「パーフェクトだ。ありがとう」
たったそれだけのやり取り。だけどこうやってご褒美を貰うと、自分が何かとてつもなく凄い偉業でも成し遂げたような錯覚がする。そんなわけがないのに。どうにもこの感覚には慣れない。しかし俺がどう思おうがプレイはこれで終わりだ。
「気は紛れたか」
「ああ、付き合わせて申し訳ない」
「そういうんじゃなくて」
「……少しすっきりした。これなら何とか眠れそうだ」
日車はベッドの縁から立ち上がり、俺の方へ律儀に一礼した。確かに部屋に来たときよりは表情が解れているように見える。眠れない直接的な原因の解決にはならないただの気休めかもしれないが、多少気分が回復したのならやってよかったということだ。
ドアのレバーを掴んで廊下に出ていく直前、日車は一度立ち止まった。部屋の中を振り返って何かを言いかけた唇が音を発することはなく、小さくもう一回会釈を残して彼は自分の部屋に戻っていった。
一人になった部屋で吐き出した自分のため息の音が思ったよりも大きく響く。最後、あの唇は『また』と動いたように見えた。ただの勘だ。次があるだろうか。俺は人ほどプレイを必要としない。やらなくてもさほど不便は感じないから、今日のような特殊な事情がなければ自分からDomを誘うことはまずない。日車が優秀なDomだとしてもその方針に変わりはない。
室内の電気を消してベッドに潜り込む。体は程よく温まり、起こされたときの倦怠感も綺麗さっぱり消えている。プレイの余韻が残る中、目を閉じるとあっという間に心地よい睡魔が降りてきた。自分もここ最近気が張り詰めていたからちょうどいいストレス発散になった。もし次があるなら、日車が最後に言いかけた言葉を形にしたときだろう。そのときはそのときで。そう考えている最中に俺の意識は呆気なく眠りに落ちていた。

Comments

  • Natukaze
    Apr 27th
  • 球体タマネギ
    Mar 26th
  • あAa
    Mar 8th
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