第7話 高級レストラン一人前では炊き出しはできない
ダンジョンは、生き物である。
もし俺が役場時代にそんなことを窓口で言い出したら、たぶん産業医面談の予約を入れられていたと思う。
だが、今の俺の目の前には、その生き物本人――いや、本体はこの空間そのものらしいので、本人という言い方が正しいのかは分からないが――とにかく、青い癖毛の少女が立っていた。
「どうした、主よ。妾の顔に何かついておるか?」
「いや……ついてるというか、生えてるというか」
「髪なら生えておるのう」
「そういう意味じゃない」
俺は、改めて目の前の少女を見る。
青い髪。澄んだ瞳。洞窟の青白い光を受けて、妙に透き通って見える肌。
ついさっきまで、俺は右腕を焼き焦がし、左足を折り、脇腹から血を流しながら、このダンジョンの最奥で死にかけていた。
それが今は、普通に立っている。
右腕は動く。左足も折れていない。脇腹は最初から傷などないようにピカピカだ。
服は血まみれのままだが、身体そのものは、気持ち悪いくらい元通りだった。
「……本当に治ってるな」
「当然じゃ。主を死なせては、妾が困る」
「治療費、いくら?」
「ちりょうひ?」
「いや、今のは忘れろ。たぶん値段を聞いたら俺がまた死ぬ」
俺は深呼吸した。
ダンジョンは生き物。
目の前のコアちゃんは、このダンジョンの意思と機能を人間相手にやり取りするための姿。
そして、このダンジョンは欲望を糧に育つ。
ここまでは分かった。問題は、その次である。
「コアちゃん」
「うむ。なんじゃ、主よ」
「俺の身体の治療はできたわけだけど、これ、他の人も治せるものなのか? それか、身体が治る薬でもいいんだけど」
「無理じゃな」
即答だった。
「早いな」
「できぬものはできぬ」
「いや、でも俺は治っただろ」
「主の身体を直せたのは、主の欲望あってこそじゃ」
「俺の欲望」
とりあえず反芻する。ていうか治すのところのニュアンスがなんか違う気がする。
「死に際の並々ならぬ欲望。生きたいという渇望。実に美味であった。妾の身体を作ってなお、主の肉体を作り直せるほどにのう」
「待て。今、なんて言った」
「実に美味であった」
「そのあとだ、そのあと。作り直せる?」
「そうじゃよ。主、まさかあんな状態から自然に肉体が再生できるような生き物じゃったのか?」
「プラナリアじゃないから、それは無理だな」
俺は、自分の右手を開いたり閉じたりした。
指先は動くし、感覚もある。
ウォーグルフの口内で放電魔法をぶっ放した時点では、焦げて潰れて、下手をすれば切断も覚悟する状態だったはずだ。
それが、今は何事もなかったように戻っている。
治療……治癒……回復……まぁ、再生も範疇にいれていた。
だが、コアちゃんの口ぶりは違う。
「つまり……俺の身体を治したんじゃなくて、作り直したのか?」
「厳密には、主の身体を元の形へ戻した、というのが近いかのう。主の欲望と、妾の内側に残っていた力を使って、壊れた部分を補い、繋ぎ直し、主が主として動ける形へ戻した」
「怖い怖い怖い。説明が急に医療行為じゃなくて製造業になった」
「せいぞうぎょう?」
「忘れてくれ。俺も深く考えたくない」
だが、ここは大事だ。命に関わる。
それに、金にも関わる。
もしコアちゃんが重傷者を治せるなら、医療系の用途でとんでもない価値がある。もちろん、未登録ダンジョンの謎美少女に治療を頼むなど法的には地獄だが、それでも借金返済どころではない可能性がある。
しかし、コアちゃんは"無理"と言った。
「他人では駄目なのか?」
「駄目というより、足りぬ」
「足りない?」
「主のように、死に際で、なお生きたいと叫び、欲しいものを際限なく吐き出し、妾の核へ直接届くほど濃い欲を持つ者ならば、あるいは可能かもしれぬ。じゃが、普通の者を一人連れてきて、傷を治せと言われても、それだけでは足りぬ」
「つまり、俺の治療は特別料金というか、初回限定キャンペーンみたいなものか」
「主の言葉はよく分からぬが、妾が飢えきっておったところへ、主が高級な食事を持って飛び込んできた、ということじゃな」
「高級な食事」
「うむ。主の欲望は、濃くて熱くて、実に滋養があった」
「褒め方がずっと嫌なんだよなぁ」
俺は眉間を揉んだ。
だが、整理はできた。
コアちゃんは万能回復装置ではない。
俺が助かったのは、死に際の欲望が特別に濃く、しかもダンジョン核の目の前で吐き出されたからだ。
それを消費して、コアちゃんは自分の身体を作り、さらに俺の身体まで作り直した。
つまり、同じことを何度も簡単にはできない。
「じゃあ、薬も無理か?」
「今の妾には無理じゃ。主が強く望めば、小さな傷を塞ぐ軟膏のようなものくらいは作れるかもしれぬ。じゃが、失った腕を戻す薬や、死にかけた者を助ける秘薬は無理じゃな」
「秘薬で億万長者ルートは消えたか……」
「何を残念がっておる?」
「人生設計」
「主の人生設計は、いつも金額から始まるのう」
「金額から始めない人生設計は、だいたい途中で破綻する」
これは真理である。
少なくとも、借金取りに追われて未登録ダンジョンへ逃げ込んだ男の人生では、かなり重要な真理だ。
コアちゃんは、少し考えるように首を傾げた。
「主ひとり分の欲望は、とてもよい。じゃが、主ひとりは主ひとりじゃ」
「それ、すごく嫌な予感がする言い方だな」
「どれほど美味な一皿でも、それだけで大勢の腹は満たせぬ。高級な料理一人前で、炊き出しはできぬじゃろう?」
「……タイトル回収みたいなこと言い出したな」
「たいとる?」
「こっちの話だ」
俺は椅子もない洞窟の床に腰を下ろした。
なるほど。
一人分の強烈な欲望は、瞬間的には大きな力になる。
これは理解できた。
次は検証が必要だ。
「コアちゃん、俺の願いをかなえると言ったが、これはつまり、俺の欲望をなんらかの形にしてアウトプットする。合っているか?」
「そうじゃな。妾の中に主が入ってからちょくちょく願いを叶えておったのは理解しておるか?」
「ん?願いを叶えていた?」
「魔物の素材がほしいというから、ダンジョンのなかで生き残っていた魔物を主の前に連れてきた。何処かに逃げたいというから、この洞窟に主を連れてきた。理解できておるか?」
「……。」
なるほど、つまり俺が死にかけた一連の流れは俺の欲望をコアちゃんが叶えていた結果だということか。寓話かなにかかな?
「随分と意地悪な叶えかたをするんだな」
「怒るでない。願いを形にするのは難しいことなのじゃ。手本も何も見ないで林檎の絵を正確に描けるものは少ないじゃろ?」
「そういわれると、そうだな…」
「欲望を全うな形で形にするには、それ相応の具現化が必要なのじゃよ。」
「……なら、願いを正確に叶えるには……そうだな、やってみるか」
俺は、周囲を見回した。
青白く光る洞窟の床に、半ば埋まった迷宮核。
落ち着いて考えるには、いささか環境が悪すぎる。
まずは、座りたい。
非常に切実に座りたい。
「コアちゃん。椅子を作ってもらえるか?」
「椅子とな」
「ああ。座るための家具だ。できれば背もたれがあって、俺の体重を支えられて、座った瞬間に崩れないやつ。高さは膝が九十度くらいになる程度。材質は……木でも金属でもいい。とにかく、普通の椅子」
「ふむ」
俺はコアちゃんでも理解できるように、そして自分の中でもはっきりとイメージができるように口に出して聞かせる。コアちゃんは、俺の言葉を聞きながら、じっとこちらを見ていた。
「何だ?」
「主よ。今のは、なかなかよい」
「椅子を注文しただけだぞ」
「違う。主は今、かなり細かく欲を形にした。座りたい。背を預けたい。壊れぬものがよい。高さはこのくらいがよい。そうして形を思い浮かべながら、言葉にした」
「……なるほど。欲望の仕様書か」
「しようしょ?」
「こっちの話だ。続けてくれ」
コアちゃんは頷くと、洞窟の床へ手をかざした。
直後、足元の岩肌が、ぐにゃりと揺れた。
「うお」
青白い筋が床を走る。
柔らかい粘土が内側から押し上げられるように、地面が盛り上がっていく。岩とも金属とも木ともつかない質感の塊が、脚を生やし、座面を広げ、背もたれを形作った。
十秒ほどで、それは椅子になった。
色は、洞窟の壁と同じ青みがかった灰色。
表面は石より滑らかで、金属より温かく、木より少し重そうに見える。
「……椅子だ」
「椅子じゃな」
「本当に生えたな」
「生やしたのじゃ」
俺は、恐る恐る座面を押した。びくともしない。
次に、ゆっくり腰を下ろす。壊れない。軋まない。
高さもちょうどいい。
背もたれに体重を預けると、わずかにしなるような感触があった。硬すぎず、柔らかすぎず、少なくとも大学時代にリサイクルショップで買った椅子よりは圧倒的に座り心地がいい。通販番組で芸人が無茶をしても壊れることはない。そんな安心感すらある。
「……これ、売れるか?」
「主よ。座るために作ったものを、座った直後に売ることを考えるでない」
「いや、換金性の確認は大事だろ。生活再建の基本だぞ」
「主の欲は本当に忙しいのう」
コアちゃんは呆れたように言いながらも、どこか楽しそうだった。
俺は椅子に座ったまま、顎に手を当てる。
今の生成には、いくつかの情報が含まれている。
まず、具体的に欲しいものを想像して、言葉にすると、形になる。
次に、素材は地上の木材や金属そのものではなく、このダンジョンの内部物質を変形させたものらしい。
そして、おそらく重要なのは、サイズだ。
「椅子一個ならいける、と」
「いけるのう」
「じゃあ、机」
「ふむ。どのような机じゃ?」
「書類を広げられるくらいの大きさ。ぐらつかない。椅子と高さが合う。表面は平ら。できれば水に強い」
「よい。先ほどよりさらに具体的じゃ」
床がまた動いた。
今度は椅子の前に、四本脚の机が生えた。
「おお……」
俺は思わず声を漏らした。
机である――普通に机である。
書類を広げられる程度の大きさ。表面は平ら。足元も安定している。これなら、契約書を書くこともできる。
「照明もいけるか?」
「どこへ灯す?」
「机の上を照らせる位置。眩しすぎず、文字が読める程度」
天井の一部が、ふわりと淡く光った。これ、なにを燃料に光ってるのかは突っ込んでいいのだろうか?
「書類ケース、紙束を入れる箱だ。書類。現金。濡らしたくないもの。鍵がかかるとなお良い」
机の横に、蓋つきの箱が生えた。蓋には、鍵穴らしき構造まである。
「寝床」
「どのような?」
「……できれば、布団。いや、無理ならベッド。寝返りを打っても落ちない幅。背中が痛くならない柔らかさ。あと、虫が入りにくい場所」
少し離れた壁際が盛り上がり、寝台のようなものが形成された。
俺はそこで、手を止めた。
「……すごいな」
「そうであろう」
「ただ、思ったより限界が近いな」
コアちゃんの顔色が、少しだけ変わっていた。
最初に椅子を作ったときは楽しそうだったが、机、照明、保存箱、寝床と続けるにつれ、青白い光が少し薄くなっている。
本人は平然としているつもりのようだが、核の脈動がほんの少し弱まった。
「疲れてるか?」
「少しだけじゃ」
「少しだけ、は信用できないんだよ。ブラック職場で一番聞き飽きた言葉だ」
「主は疑り深いのう」
「労働環境が人をそうする」
俺は、できたばかりの机へ肘をついた。
椅子、机、照明、保存箱、寝床。
この程度なら作れる。
だが、それだけでコアちゃんは少し消耗する。
一日分の食費ならなんとか賄えそうだが、借金を返済するとなるとやはり厳しい。
「つまり、やっぱり俺一人分の欲望じゃ規模が足りないわけだ」
「そうじゃな。主の欲は濃いが、一度に使える量には限りがある」
「高級レストラン一人前では炊き出しはできない、か」
「うむ。よい例えじゃろう?」
「腹立つくらい分かりやすい」
俺は、机の上を指で叩いた。
では、次の検証だ。
「コアちゃん。生き物は作れるか?」
「無理じゃな」
また即答だった。
「また早いな」
「できぬものはできぬ」
「椅子や机はできるのに?」
「物と生き物は違う。椅子には、座れる形と強さがあればよい。机には、物を置ける面と支えがあればよい。じゃが、生き物には、もっと多くのものがいる」
「心臓、脳、内臓、血管、神経、その他もろもろ……ってことか」
「主は詳しいのう」
「小学校の理科レベルだ」
いや、それだけでは足りない。
生き物はただの構造物ではない。
動く。食べる。感じる。学ぶ。傷つけば死ぬ。
さっきまで俺を食い殺そうとしていたウォーグルフのことを考える。
あれは、確かに生きていた。
飢えて、怒って、痛みに叫び、俺を追ってきた。
あれを、コアちゃんが椅子のように「生やせる」のだとしたら、それはそれで恐ろしすぎる。
「じゃあ、あのウォーグルフは、お前が作ったわけじゃないのか?」
「違うのう」
「でも、俺が魔物でも何でもいいから出てこいって言ったら、出てきたぞ」
「主がそう望んだから、妾の内に残っていた魔物を、主の近くへ寄せたのじゃ。作ったのではない」
「……残っていた魔物」
「うむ。妾の内に棲みついておったものじゃ。長く飢えておったが、まだ生きておった」
俺は、少しだけ黙った。
つまり、あのウォーグルフは生成物ではない。
ダンジョン内に暮らしていた、本物の生物だった。
ダンジョンが作った駒ではなく、この空間に棲みつき、餌がなくなり、痩せて、最後に俺を襲った生き物。
「……魔物は基本的に、お前が無から作ってるわけじゃないんだな」
「すべてを知っておるわけではないが、少なくとも今の妾には無理じゃ。妾の内に棲むもの、外から入り込むもの、主らが魔物と呼ぶもの。そうした生き物は、妾の身体の中で生きておるだけじゃな」
「体内生態系かよ」
「たいないせいたいけい」
「いや、たぶん字面が最悪だな、これ」
だが、重要な情報だ。
ダンジョンは生き物。
その内部には、別の生き物が棲む。
人間で言えば、腸内細菌や寄生虫に近いのかもしれない。
……ウォーグルフを腸内細菌扱いするのは、だいぶ乱暴だが。
「じゃあ、将来的に魔物を増やして素材を売る、というのも簡単じゃないわけだ」
「生き物を増やすには、餌と場所と時間がいる。主が欲しいと叫んだからといって、肉も骨も魂もすべて揃った獣がぽんと湧くわけではない」
「その方が安心したような、商売の可能性が減って残念なような」
「主は忙しいのう」
「生活がかかってるからな」
ここまでで、だいぶ見えてきた。
欲望は、具体的なほど形になる。
物は作れる。ただし、規模にはリソースの限界がある。
生き物は簡単には作れない。そして、魔物はダンジョンが無から生んだ生命ではない。
なら、当面の収益化で現実的なものは、魔物素材ではなく、少量でもいいから作れる物になるだろう。
……椅子。机。箱。寝床。照明。換気。
……なにか、ここまででかかっているのだが……。
「……主よ」
コアちゃんが、ふいに顔を上げた。
「何だ?」
「外に、人の気配がある」
俺は、思考を止めた。
「外って、倉庫の方か?」
「うむ。主を探しておる。声が荒いのう」
思い当たる相手は、一組しかいない。
借金取り。
俺がダンジョンへ逃げ込む原因になった連中。
「……もう嗅ぎつけたか」
「嗅ぐのは妾の方が得意じゃぞ」
「張り合わなくていい」
俺は立ち上がった。
考えなければならないことは山ほどある。
コアちゃんの能力。
ダンジョンの生物性。
欲望の供給。
明日の食費。
だが、まずは現実の借金取りである。
「コアちゃん。入口へ戻るぞ」
「よいのか? 主はまだ休んだ方がよい」
「休みたい。心の底から休みたい。だが、入口を押さえられたら全部終わる」
ここは、俺の最後の札だ。
金貨も秘薬も出なかったが、それ以上に危険で、それ以上に価値があるかもしれない札。
誰かに奪われるわけにはいかない。
コアちゃんは、青い瞳を細めて笑った。
「ならば行こう、主よ。妾の入口を、他の者に好き勝手されては困るからの」
「その言い方、ちょっと怖いな」
「怖いくらいでちょうどよかろう。妾は迷宮じゃぞ」
青白い光が、俺たちの足元を照らした。
こうして俺は、手に入れたばかりのダンジョン管理者と一緒に、地上へ戻ることになった。
この時点ではまだ、俺は知らなかった。
外で待っている連中が、すでに倉庫の奥にあるものの匂いを嗅ぎつけていることを。
もう、誰かを引き寄せ始めていることを。
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