第6話 死に際の欲望を叫んだら、美少女が生えてきた

 ダンジョン核。


 それは、ダンジョンが稼働するために必須とされる、迷宮の中枢である。


 行政資料の説明では、そうなっていた。


 内部空間の維持。魔力循環の安定。迷宮の拡大や縮小。ダンジョン内に存在する不可思議な現象の大半は、最奥に存在する核を起点にしていると考えられている。


 だから、危険なダンジョンを潰す場合、探索者が最奥まで潜り、核を破壊することがある。


 庭先や建物の地下に生まれた小規模ダンジョンを除去する場合などは、特にそうだ。

 言ってみれば、スズメバチの巣の駆除と同じである。放置すれば危険だから、巣の奥へ踏み込み、根本から処理する。


 逆に、人間が手を加えなくとも、小さなダンジョンがいつの間にか消滅していることも、そう珍しい話ではない。


 魔力反応が弱まり、入口が不安定になり、ある日を境に扉を開けても何も起きなくなる。


 そういう案件の資料だって、俺は何度も見たことがあった。


 そして、今。


 目の前にあるダンジョン核は、どう見ても消滅寸前のそれだった。


 洞窟の地面に半ば埋まり、ひび割れながら、青白い光を頼りなく漏らしている。


 宝石のように美しいと言えなくもない。


 だが、俺の目には、死にかけた臓器にしか見えなかった。


 ひびの奥で光が明滅するたびに、弱い鼓動のような気配が伝わってくる。


「……ああ、そりゃ何もないわけだ」


 乾いた声が、洞窟の奥へ転がっていった。


 もしかしたら、このダンジョンは、俺が来るずっと前からここにあったのかもしれない。


 爺さんが生きていた頃から。


 あるいは、爺さんが誰にも言わないまま、この入口の存在を知っていた頃から。


 そう考えれば、予兆はいくらでもあった。


 草原しかない内部。


 二時間歩いても、ろくに生物の気配がしなかったこと。


 ようやく現れたウォーグルフも、肋骨が浮くほど飢えていたこと。


 財宝どころか、まともな生態系さえ維持できていなかったこと。


 ダンジョンが、ダンジョンとして機能していなかった。


 それはつまり、この迷宮が、消える直前だったということだ。


「分かってた……つもりだったんだけどなぁ……」


 何もない草原を見た時点で、嫌な予感はしていた。


 ウォーグルフがあれほど痩せていた時点で、ここに豊かな資源や財宝が眠っている可能性なんて、ほとんど消えていた。


 それでも――それでも、何か一つくらいはあると思いたかった。


 俺にはもう、それしかなかったのだ。


「あーーーー! クソ! クソ、クソ、クソ!」


 声が裏返った。


「金銀財宝があれとは言わねぇよ!? そこまで贅沢言ってねぇよ! でも、もっと何かあるだろ! せめてもっと何か! 薬とか! 換金できる素材とか! 怪我して入ったぶんの治療費くらいとか!」


 右腕はまともに動かない。


 左足は硬質化で無理やり固定しているだけ。


 脇腹の傷は、冷やして誤魔化しているだけで、じわじわと身体から熱を奪っていく。


 それで命を懸けて辿り着いた最奥にあったものが、今にも崩れそうな核一つ。


「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!! もうやだぁ……」


 気力が尽きた。


 俺は、その場に仰向けで倒れ込んだ。


 洞窟の天井が見える。


 青白い光を反射する、金属のような岩肌。


 まるで綺麗な星空みたいだと思ったが、残念ながら感傷に浸る元気もない。


「あー……もう、いいかな……」


 口から漏れた言葉に、自分でぞっとした。


 よくない。


 全然よくない。


 このまま死ぬのは嫌だ。


 嫌に決まっている。


「せめて、こう……死ぬ直前ってほら……パトラッシュだっけ……?」


 意識がぼんやりしてくる。


 痛みと失血と疲労で、思考の蓋が外れていく。


「綺麗なお姉さんがたくさんやってきてさぁ……ハーレムよろしく、天国へ連れて行ってくれたり……そういうサービスくらいあってもいいだろ……」


 自分で言って、少し笑った。


 笑うと脇腹が痛い。


「ていうか……彼女もいなかったんだよなぁ……」


 人生最後の愚痴がそれでいいのかと、どこか冷静な自分が呆れている。


 だが、仕方がない。


 俺だって、彼女が欲しかった。


 ずっと横にいて、俺を支えてくれる、かわいい女の子。


 一緒に飯を食って、くだらないことを言って、寝る前におやすみくらい言える相手。


「……いいよなぁ、そういうの」


 それから、急に腹が減った。


「久々に……トンカツとか食いたいなぁ……」


 昔、どこかで聞いた言葉を思い出す。


 トンカツをいつでも食べられるくらいが、人間、偉すぎもしない貧乏すぎもしない、ちょうどいい。


「無理だっつーの……あんな生活リズムじゃ……金があっても胃が受け付けねぇんだわ……」


 焼肉もいい。


 白い米を好きなだけ頼んで、肉を焼いて、明日の出勤時間も口座残高も考えずに食べる。


 そんなことが、どうして俺には遠かったのだろう。


「残業代がちゃんと出てれば……もうちょいマシだったんだけどな……」


 言葉が止まらない。


 もう、止める必要もないのかもしれない。


「つーか、あの職場のみんな死んでくれねぇかな……特にあのクソ上司……。そもそも、あのヤクザどもも俺なんかに粘着すんなよ……あれ、完全に私怨だったろ……。金がない奴に粘着して、何の意味があるんだよ……」


 欲しかったものを、次々と口にする。


「もっといい家に住みたかったなぁ……。いや、豪邸だと掃除が面倒か……メイドさんとかいる生活、いいんだろうなぁ……」


 でも、そこまで贅沢じゃなくてもよかった。


「……普通で、いいわ」


 庭付きの一戸建てに住んで。


 かわいい嫁さんがいて。


 子供は二人。一姫二太郎。


 犬も飼って。


 毎日、何かくだらないことで笑って。


 歳を取って。


 最後は、家族に囲まれて、もう十分生きたと思いながら目を閉じる。


「……いいなぁ……」


 俺には、何一つなかった。


 手に入れたと思った家には借金がついてきて。


 仕事は失って。


 命懸けで飛び込んだ場所でも、何一つ拾えなくて。


 このまま、誰にも知られずに、誰にも看取られずに、枯れかけたダンジョンの底で死ぬ。


 そんなのは。


「あーーーーーーー……」


 声が、喉の奥から漏れた。


「死にたくねぇなぁ!!!!」


 その声は、洞窟の天井へぶつかり、青白い空間いっぱいに反響した。


 そのときだった。


 目の前で、青い髪が揺れた。


「……?」


 癖のある、透き通るような青い髪。


 俺を覗き込む、澄み切った瞳。


 いつの間にそこにいたのだろうか。


 暗い洞窟の中だというのに、妙に白い肌が光を含んで見える。少女から大人へ移り変わる境目のような、すらりとした身体。


 綺麗な少女だった。


 少女は、仰向けに倒れた俺を見下ろしながら、無垢な顔で問いかけた。


「お主が私のマスターか?」


 百年前の有名な古典でしか聞かないような台詞を、突如ぶつけられた。


 痛みと失血でまともに働かない頭が、それでも精一杯の返事を選んだ。


「……これなんてエロゲ?」


 かくして、話は冒頭へと戻る。


     ◇


「さて、名前か……」


 どうやら死なずに済んだらしい俺は、未だ状況を呑み込めないまま、目の前の少女を見上げていた。


 右腕は、先ほどまで動かせないどころか切断も覚悟していたはずなのに、指先までちゃんと動く。


 折れていた左足も、魔法で無理やり固定する必要がない。


 裂けた脇腹も、服は血で汚れているのに、皮膚の下にあったはずの熱い痛みが消えていた。


 治った。


 本当に、治ってしまった。


 その事実だけで、目の前の少女がただの不審者ではないことは分かる。


 不審者というには、美少女すぎるし。


「妾にも名をつけよ」と、少女は言った。


 この俺のネーミングセンスへ期待するとは。


 この少女、かなりデキる。


「名前をつけるのは、やぶさかではない」


「うむ。存分に妾へ相応しい名を考えるがよいぞ」


「だが、その前に聞きたいことがある」


「なんじゃ?」


 俺は、身体を起こしながら、洞窟の奥へ視線を向けた。


「お前、さっきここを『妾の中』とか何とか言っていたよな」


「言ったのう」


「どういう意味だ? あれが迷宮核なのは分かる。だが、迷宮核が身体? ここが中?」


 そう言いながら核へ目を向け、俺は眉をひそめた。


 最初に見たときとは、明らかに様子が違う。


 ひび割れは残っている。


 だが、今にも消えそうだった淡い光が、青白い脈動を取り戻している。枯れかけた臓器に、急に血が巡り始めたような明るさだった。


 少女は、得意げに胸を張った。


「うむ。妾は、このダンジョンそのものじゃ」


「……ダンジョン、そのもの?」


「そうじゃ。お主ら人間が迷宮核と呼んでおるあれは、妾の核――心臓にあたる部分。お主が歩いてきた草原も、落ちてきた穴も、ここへ続く洞窟も、すべて妾の内に育ったものじゃ」


「…………」


 何を言っているのか、理解できないわけではない。


 言葉の意味は分かる。


 だからこそ、信じがたかった。


「待て。ダンジョンは……異空間だろ? 内部に魔物と資源を持つ、発生型の特殊領域で――」


「それは、お主らがそう見ておるだけじゃな。妾たちはそういう生き物じゃ」


 少女は、当たり前のことを答えるように言った。


「人が山を見て、木と石の集まった場所と呼ぶことはできよう。じゃが、そこに獣が棲み、草木が根を張り、水が巡ることまで失われるわけではない。妾も同じじゃ。お主らは入口から入り、内側を歩き、採れるものを持ち帰り、時には核を砕いて消した。それで、妾たちがただの場所であると考えておる」


「……核を、砕いて」


 庭先の邪魔なダンジョンを除去する。


 危険な入口を閉鎖する。


 俺が仕事で何度も見た処理は、もし彼女の話が本当なら。


「それって……」


「心臓を潰しておるのと同じじゃな」


 少女は、別に責めるでもなく、淡々と言った。


 俺は言葉を失った。


 世界中の行政機関も、研究者も、探索者も、ダンジョンを生き物だとは扱っていない。


 少なくとも、俺が目を通した資料にはそんな記載は一行もなかった。


 ダンジョンには核がある。


 核を破壊すれば入口は消える。


 危険なダンジョンを排除するには、核を処理すればいい。


 それは設備の停止や、有害生物の巣の駆除と同じ文脈で語られていた。


 だが、目の前の少女は言う。


 あれは自分の心臓だと。


 俺が歩いてきた場所は、自分の内側だと。


「……じゃあ、このダンジョンが消えかけてたのは」


「腹が減っておったからじゃ」


「腹」


「うむ。飢えておった。長いこと、まともに糧を得られずにな」


 少女は、核へ歩み寄った。


 小さな手が、ひび割れた青白い表面へ触れる。


「妾たちは、欲望を糧に育つ。ここへ踏み込む者が願うもの。欲するもの。生きたいと縋るもの。そうした熱を受け取り、内側へ力を巡らせ、場を広げ、実りを育てる」


「欲望を……食う?」


「食うと言うと趣がないが、まあ、間違いではないのう」


 少女は、くすりと笑った。


「じゃが、妾のもとには長らく誰も来なかった。糧がなければ、草原は痩せ、獣は飢え、実りを生む力も尽きる。お主が財宝を見つけられなかったのも当然じゃ。妾には、育てるだけの力が残っておらなんだ」


「……俺が苦労して歩いた二時間、完全に病人の冷蔵庫を漁ってたみたいなもんだったのかよ」


「れいぞうこ、とやらは知らぬが、食べる物を探して飢えた者の腹の中へ入ったのなら、その例えはなかなか近いかもしれぬ」


「嫌な納得をさせるなよ……」


 俺は、がくりと肩を落とした。


 だが、すぐに顔を上げる。


「じゃあ、なんで急にお前は出てこられたんだ? さっきまで核は死にかけてただろ」


「決まっておろう」


 少女は、まっすぐ俺を見た。


「お主が、妾へくれたからじゃ」


「……何を」


「欲望を」


 にっこりと、少女が笑う。


「金が欲しい。死にたくない。誰にも奪われない家が欲しい。美味いものを食べたい。仕事の恨みを晴らしたい。かわいい女と暮らしたい。子を育て、犬を飼い、家族に囲まれて死にたい」


「待て待て待て待て!」


 俺は慌てて立ち上がった。


 治ったばかりの身体が普通に動くことへの感動よりも、今は別の恐怖が勝った。


「お前、あれ聞いてたの!?」


「余さずのう」


「死にかけた男の独り言を盗み聞きするなよ! プライバシー! 人権!」


「妾の腹の中で叫んでおったのはお主じゃぞ?」


「強い! 反論が強い!」


 逃げ道がなかった。


 確かに、彼女の身体の中だというのなら、俺は彼女の腹の底で自分の欲望を絶叫していたことになる。


 最低の初対面である。


「それで、お主の欲望は実によかった」


「褒められてるのか、それ?」


「褒めておるぞ。漠然と富が欲しいのではない。生きたい理由がいくつもあり、欲する暮らしの形があり、それでもなお、今すぐ死にたくないと足掻いておった。濃く、熱く、育てがいがある」


 少女は両手を広げる。


「ゆえに、妾は目覚めた。お主の欲望を糧に、こうしてお主と話すための姿を得たのじゃ」


「……この姿も、俺のせいなのか?」


「うむ。」


 迷いのない即答だった。


「己の性癖とはきっちり向き合わんとな、主よ」


「だから死ぬ前に知りたくなかったんだよ、そんな性癖……!」


 俺は頭を抱えた。


 だが、頭を抱えながらも、視線は自然と洞窟の床へ落ちていた。


 草原も、落とし穴も、洞窟も、あの核も――


 全部、この少女――このダンジョンの身体。


 つまり、ここは土地ではない。


 倉庫を増築した空間でもない。


 日本の地面の上に建った建物ですらない。


「……いや、待てよ」


 ふと、何かが頭の端に引っかかった。


「ん? どうした、主よ」


「いや……今はいい。頭が回らない」


 右腕が戻った。足も動く。脇腹も塞がった。


 けれど、死にかけた直後の頭で法律論を組み立てられるほど、俺は丈夫ではない。


 ただ。


 この事実は、覚えておく必要がある。


 ダンジョンは、場所ではない。


 少なくとも、目の前のこいつは――生き物だ。


 俺は、改めて少女を見た。


「……で、お前は、俺の欲望が……どうなるんだ?」


「うむ。お主が望み、妾が食い、妾が育てる。今の妾にできることはまだ少ないが、糧が増えれば、内側に実りを生むことも、居場所を整えることもできよう」


「金も?」


「育て方次第じゃな」


「家も?」


「ここはすでに妾の内側じゃ。主が住みたいというなら、住めるよう育てればよい」


「税金がかからない収入源も?」


「ぜいきん、というものは分からぬが、主が欲しておるなら、妾は考えようぞ」


「……よし」


 俺は、震える息を吐いた。


 死にかけて、右腕を一度は諦めて、最奥まで辿り着いて。


 得たものは、金貨でも秘薬でもなかった。


 けれど。


 もしかすると、これは。


 俺がこの地獄から這い上がるための、最初で最後の当たりかもしれない。


「名前を決めてやる」


「おお。ようやくか」


「お前は、このダンジョンの核で、ここを育てる相棒で、俺の欲望から出てきた――」


 俺は、少女を見た。それから、少しだけ考え――


「……コア」


「こあ?」


「ダンジョン核だから、コア。安直だけど分かりやすい。ついでにちゃん付けで、コアちゃんだ」


「ちゃん付けまで名前に含まれておるのか!?」


「俺の中では重要だ。可愛いからな」


「ふむ……妾の主は、なかなか軽薄じゃのう」


「死にかけたあとで重厚なネーミングまで求めるなよ」


 少女――コアちゃんは、少しだけ目を丸くしたあと、嬉しそうに笑った。


「よかろう。妾は、コアちゃん。主・網代駆の欲望を糧に、この身を育てる迷宮の核じゃ」


「よろしく頼む。俺の借金返済と、生活再建と、あとできれば人並みの幸福のために」


「欲張りじゃのう」


「欲望が飯なんだろ? だったら遠慮する方が失礼だ」


 俺がそう言うと、コアちゃんは一瞬きょとんとしてから、声を上げて笑った。


 青白い光が、洞窟の壁を淡く照らす。


 死にかけていたはずの迷宮核が、ゆっくりと、しかし確かに脈打ち始めている。


 こうして俺は。


 借金取りから逃げ込んだ未登録ダンジョンの最奥で、青髪の少女――コアちゃんと出会った。


 そしてまだ、このときの俺は知らなかった。


 彼女が「自分はダンジョンそのものだ」と名乗ったその一言が。


 やがて、役所と税務と国家を相手にする、とんでもない屁理屈の根拠になることを。


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