第2話 埋蔵金を探したら、 報告義務が生えてきた

 その向こうで、祖父の残した古い倉庫の扉が、俺を待っていた。


 ……などと、さも運命的な物言いをしてみたところで、現実はそこまで格好よくない。


「暗っ……」


 この家には、残念ながら庭を照らす灯りなんて便利なものはついていなかった。

 縁側から一歩外へ出た途端、そこは雑草と闇の世界である。空には月が出ているものの、庭木が好き勝手に枝を伸ばしているせいで、光はほとんど地面に届いていない。


「というか、何百年残ってたんだよ、この昭和レトロな家……」


 いや、さすがに何百年は言いすぎか。書類には築百年を越える古民家と書いてあった気がする。


 だが、今が二十二世紀であることを考えると、昭和の香りを全身で保存しながら未だ現役のこの家は、十分に物持ちが良すぎる。


 というより、ただ更新する金がなかっただけでは?


「……絶対、修繕必要だよなぁ」


 外壁。屋根。床下。配管。壊れているチャイム。たぶん他にも見えないところで色々と寿命を迎えている。


 借金が増えたと思ったら、今度は築古物件の維持費までのしかかってくるのか。


 せっかく家賃から解放されたと思ったのに、俺の人生、固定費の種類が変わっただけではないだろうか。


「頼むぞ……。マジで頼むぞ、倉庫……」


 この頭痛の種だらけの状況を打破できる可能性があるとすれば、祖父が残した古い倉庫――その中身だけだ。


 借金に追われて家の中の物をあれだけ売っていたのなら、倉庫にだけ価値のある物が残っている可能性は低い。


 低いが、ゼロではない。


 大昔の話では、何もかもが災いとして外へ飛び出した後、箱の底には希望だけが残っていたとかいうではないか。


 今の俺にとっては、その希望が現金か、換金可能な骨董品か、せめて明日食べる米代になる何かであってくれれば何でもいい。


 スマホのライトを起動する。


 白い光に照らされた雑草が、夜露をまとってぎらりと光った。


「庭というより、もはや小規模ジャングルだろ、これ……」


 膝近くまで伸びた草をかき分け、枝を避け、時々足元に転がる正体不明の石に躓きながら進む。


 昼間に見たときには「倉庫か、蔵か?」と思った建物は、暗闇の中で見ると、なかなかに不気味だった。


 母屋より少し奥まった位置にあり、木造なのか土壁なのか、外装はところどころ黒ずんでいる。屋根は残っているが、手入れされた形跡はほぼない。扉は両開きではなく、古い引き戸が一枚。金属製の取っ手だけが、スマホの光を鈍く返した。


「さて……」


 俺は取っ手の近くを照らした。


「鍵は……」


 ない。


 南京錠も、施錠用の金具も、見当たらない。


「……お、開くのか。よかった」


 ほっとしたのは、一瞬だった。


 よくよく考えれば、倉庫というのは普通、鍵がついているものではないだろうか。

 工具でも、農具でも、売れるかもしれない物をしまっておく場所だ。少なくとも、家の中をあれだけ空にするほど追い詰められていた祖父が、金目の物を鍵もかけずに放置していたとは考えにくい。


「いや、待て。これ、もう中身が空であることの証左では?」


 嫌な推論が成立してしまった。


「いやいやいや。見る前から諦めるな。俺はまだ負けてない。というか、今負けたら明日の飯代にも困る」


 扉の前で両手を合わせる。


 亡くなった祖父に祈るべきなのか、この家に祈るべきなのか、日本銀行券に祈るべきなのかは分からないが、今はもう対象を選んでいる場合ではない。


「頼む。何か、わずかでもいい。金目のものよ、あれぇ……!」


 念を込めながら、俺は倉庫の引き戸に手をかけた。


 古い木材が軋む。


 力を入れると、扉は思ったよりもあっさりと横へ滑った。


 その瞬間だった。


「……え?」


 風が吹いた。


 湿った夜の庭に吹く、ぬるく淀んだ風ではない。


 草と土と、どこか遠くの水の匂いを含んだ、爽やかな風だった。


 風が、俺の頬を撫で、汗ばんだ髪を揺らす。


 スマホの白いライトが要らなくなるほどの明るさが、扉の向こうから溢れてきた。


 俺は、開いた倉庫の前で立ち尽くした。


 目の前には、真っ青な空があった。


 どこまでも続くような、緑一面の草原があった。


 柔らかな風に草が波打ち、遠くでは白い雲がゆっくり流れている。


 少なくとも、埃だらけの工具や、古い農具や、現金を隠した菓子箱が並ぶ空間では断じてなかった。


「……ダンジョンじゃねぇか。これ」


 呟いた声が、草原の風に流された。


 驚いていないわけではない。


 目の前の倉庫が、本来あるべき内部空間をまるごと無視して、晴れた草原へ繋がっている。普通に考えれば腰を抜かしてもおかしくない怪現象だ。


 だが、不幸にも、俺にはこの現象を見てしまった経験があった。


 直接、自分の家で遭遇したことはない。


 ただし、書類の山と怒鳴り込んでくる住民を介してなら、嫌というほど知っている。


 ダンジョン。


 それは、西暦一九九九年七月、世界各地に突如として現れた怪現象である。


 山の中。ビルの地下。駅の構内。個人宅の押し入れ。公園の遊具の下。現れ方に法則らしい法則はなく、昨日まで何もなかった場所に、ある日突然、世界のどこでもない迷宮への入口が口を開ける。


 そしてダンジョンが現れたことで、この世界には魔力が生まれた。


 いや、正確には、ダンジョンから流出した未知の力を、人類が魔力と呼び、扱い方を身につけただけなのだろう。


 結果、人間は魔法という新たな道具を手に入れた。


 火を起こす。物を冷やす。身体を強める。機械へ魔力を流し、以前なら考えられなかった現象を安定して起こす。


 生活は変わった。産業も変わった。法律も、行政も、俺の元職場の地獄みたいな業務内容も、全部ダンジョンが変えてしまった。


 そして、ダンジョンの中には独自の生態系が存在する。


 魔物と呼ばれる生き物がいて、運がよければ財宝や希少資源が見つかる。


 そう。


 運がよければ、だ。


「……財宝、ねぇ」


 俺は、風に揺れる草原を睨んだ。


 ダンジョンへ潜って財宝を探すことを生業とする連中は、探索者と呼ばれている。


 ダンジョン事変から百年以上。探索者は今でも、子供が一度は憧れる夢の職業だ。命懸けの冒険。未知の迷宮。発見されていない宝。探索一回で人生逆転。


 だが、現実はそんなに甘くない。


 探索者一本で食べていけるのは、全体の一パーセントにも満たないと言われている。


 魔物に殺されるから?


 もちろん、それもある。


 けれど最大の理由は、命懸けで潜ったところで、価値のある財宝が都合よく出てくるとは限らないからだ。


 この世界はゲームではない。


 魔物を倒せば経験値を得て、レベルアップして、強くなったぶんだけ高価な宝箱を開けられる――なんて便利な因果関係は存在しない。


 そもそも、この世にレベルアップなんてものはない。


 弱いやつがたまたま大当たりの財宝を見つけることもあるし、腕の立つ探索者が命懸けで巨大迷宮を攻略した末、装備代と治療費の方が高くつくこともある。


 ダンジョンで一発当てるのは、宝くじを当てるようなもの。


 俺自身、窓口で何度も聞いた言葉だった。


「……いや、待て。これ、一攫千金のチャンスっていうより、悩みの種が増えただけでは?」


 頭が、急速に現実へ引き戻される。


 ダンジョン入口が所有地に発生した場合、所有者には行政への報告義務がある。


 理由は単純。危ないからだ。


 ダンジョン内部には魔物がいる。つまり、入口を放置すれば、中から魔物が外へ出てくる可能性がある。


 ここの場合は、扉を閉めればひとまず大丈夫かもしれない。


 生態系が完成している場所に住んでいる動物が、わざわざ見知らぬ木造家屋の庭へ飛び出してくる理由は薄い。扉の外が安全な餌場だと学習されでもしない限り、急に大惨事にはならないだろう。


 だが、それはそれ。


 これはこれ。


 報告義務は、俺の個人的な楽観論で免除されるものではない。


 ここを報告すれば、まず役場から担当者が派遣される。


 入口の確認。危険度調査。魔力漏出の測定。周囲への立入制限。内部の初期踏査。危険があると判断されれば、ダンジョンは封鎖対象になる。


 そして場合によっては、この土地の利用を制限される。


 さらに最悪の場合、公共安全上の理由だか、迷宮資源管理上の必要性だかをつけられて、土地ごと行政の収用対象になる可能性すらある。


 つまり。


「この俺をここまで追い詰めた、あのクソ職場に……自分から『使えそうな資産を見つけました』って差し出すことになるのか……?」


 冗談ではない。


 あそこが俺の事情を汲んでくれるわけがないことは、今日まで働いていた俺が誰よりもよく知っている。


 借金取りに追われてます。職を失いました。住居だけでも残したいです。


 そんな相談を持ち込んだところで、書式と所管と前例の話をされている間に、俺の人生の方が先に差し押さえられる。


 俺は、扉の向こうの草原を見つめた。


 風が吹いている。


 草が揺れている。


 青空の下に、いかにも「どこかに宝がありますよ」と言いたげな未知の空間が広がっている。


「……届け出るのは、中に何もなかったと確認してからでも遅くない」


 自分で言っておいて、相当ひどい理屈だと思った。


 俺が窓口側にいた頃、住民に同じことを言われたら、間違いなく頭を抱えていたはずだ。


 未登録のダンジョンへ勝手に入るな。


 安全確認が済むまで封鎖しろ。


 素人が初見で潜って財宝を拾って帰れるほど、迷宮は甘くない。


 全部、俺が知っている正論だ。


 だが、正論は借金を返してくれない。


「今すぐ行くか……? いや、せめて準備は……」


 スマホのライト一つでダンジョン探索など、自殺願望を疑われても仕方のない行動である。


 草原型なら、肉食の魔物はいないかもしれない。


 ……いや、それも根拠のない願望だ。地上の草原にだって狼もいれば大型の捕食獣もいる。まして、ここはダンジョンである。


「動物避けに爆竹でもあればな……。いや、魔法で似たようなことはできるか」


 手のひらで火花を散らすくらいなら、俺にもできる。


 動物相手なら、それで怯んでくれる可能性はある。戦うつもりはない。奥を少し覗いて、金目のものがなさそうならすぐ戻る。装備を整えるにしても、今の手持ちで買えるものなどたかが知れている。


「せめて、軍手と……何か棒になるものくらいは――」


 そう思案していた、そのときだった。


 塀の向こうから、男たちの話し声が聞こえてきた。


「……あ?」


 雑草と、無駄に枝を増やして公道へ越境している庭木のせいで、道路の様子までは見えない。


 だが、声には聞き覚えがあった。


 いや、今日聞いたばかりの声を聞き間違えるはずがない。


「兄ちゃん、もう帰ってるだろ」


「灯りついてるか見りゃ分かるって。今度はもうちっとちゃんと話そうや」


 血の気が引いた。


「今夜も来るのかよ……!」


 さっき職場に押しかけて、俺を辞職へ追い込んだばかりだろうが。


 あいつら、本当に金を取り立てる気があるのか? それとも、今日中に俺をもう一段追い詰めないと気が済まないのか?


 男たちの声が、門の方へ近づいていく。


 そのまま、玄関の方角へ回り込もうとしている。


 家の中に戻る?


 無理だ。電気はついている。さっきまで中にいたことも、庭へ出たことも、見られているかもしれない。


 裏から逃げる?


 逃げたところで、俺には行く場所がない。


 警察に電話する?


 到着するまでにあいつらに見つかったら、今度こそ玄関の修理費まで背負わされるかもしれない。


 俺は、無意識に倉庫の扉へ視線を向けた。


 扉の向こうでは、まるで地上の騒ぎなど関係ないように、青空の下で草原が揺れている。


 未知のダンジョン。


 魔物がいるかもしれない危険地帯。


 行政へ届け出なければならない未登録入口。


 常識で考えれば、追い詰められたからといって逃げ込んでいい場所ではない。


「……でも、あいつらよりはマシかもしれないだろ……!」


 そう呟いた瞬間、玄関の方から、ドン、と扉を叩く音が響いた。


「網代さーん? いるんでしょ~? ちょっと続きのお話しようよ~」


「うわっ、来た!」


 考える時間は終わった。


 俺はスマホを握り直す。


 扉の内側へ、一歩踏み込んだ。


 風が強くなる。


 身体が境界を抜けた瞬間、草の匂いと眩しい光が全身を包み込む。


 振り返れば、開いた倉庫の扉の向こうに、闇に沈んだ祖父の家の庭が見えていた。


 その向こうで、男たちの声が聞こえる。


「おーい。兄ちゃん、どこ行ったの?」


「……知るかよ」


 俺は小さく吐き捨てた。


「金が見つかるまで、帰ってたまるか」


 こうして俺は、装備らしい装備もないまま。


 借金取りから逃げるためだけに、未登録ダンジョンへ踏み込んだ。

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