戦場での過酷な体験で兵士らを悩ませるトラウマ(心の傷)。先の大戦に従軍した日本兵にも心の病に苦しんだ人々はいたが、ほとんど顧みられず、傷痕は歴史に埋もれてきた。戦後80年を経て、なお戦争が及ぼす影響を探る。
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30代だったあの夜、居酒屋の店内。照明が反射してグラスの氷がきらめいたその瞬間、フラッシュバックに襲われた。
夜中、軍刀を振りかざして幼い自分を追いかけ回す父。刀身が月明かりに光っている。「その光景を思い出した途端、パニックになって。自分は生きていてはいけない人間なんやと思いました」
藤岡美千代(66)=大阪府=の父、石松は、終戦後3年間のシベリア抑留を経て、昭和23年8月に帰国。34年に生まれた藤岡が物心つく頃には、昼夜を問わず酒浸りになっていた。
夜中に飛び起きては、藤岡と2歳上の兄を敵だと思い込み、畳や柱に投げ飛ばす。「あいつらが殺しにくる」。自宅の屋根を打つ雨音を恐れ、縮こまって泣いた。布団の中で、藤岡の体を触ることも。父がいる夜はいつも神経が張りつめ、ろくに眠れなかった。
43年に両親が離婚。父からの謝罪の申し入れは受け入れなかった。ほどなく、父は亡くなった。
高校卒業後、故郷の鳥取を離れ、21歳で結婚したが、夫とは言い争いが絶えなかった。同じ頃、病死だと思っていた父が自殺だったと知り、罪悪感に苛(さいな)まれた。
心の余裕がなくなり、甘えてくる幼い長女を強く振り払う。その泣き声にはっとした。自分と、父の姿が重なった。
虐待防止プログラムやカウンセリングに通い、夫とは離婚。時間をかけて父との、長女との関係を見つめ直した。
「父に必要だったのは、適切なケア。それがあれば、酒におぼれずに済んだかもしれません」
「隠されてきた」復員兵たち
《戦場での過酷な体験が原因で心に傷を負い、精神・神経疾患を発症する人が大勢いました》
厚生労働省が運営する東京・九段下の戦傷病者史料館「しょうけい館」で7月23日、先の大戦の日本兵の精神疾患に関する資料展示が始まった。小規模ながら、兵士が負ったトラウマに関して国が行った初の実態調査に基づく一般公開だ。
「心に傷を負った復員兵たちは隠されてきた」。翌24日に会場を訪れた黒井秋夫(76)=東京都=はそう語った。
父の慶次郎は、中国戦線から復員後、平成2年に77歳で亡くなるまで「抜け殻」のような人生を送った。話しかけても反応を示さず、定職にも就かない。アルバムに笑顔の写真は1枚もない。
「戦前は勉強ができて優秀だった」と聞かされたが、物心ついたときから知る父の姿が全て。父は常に反面教師だった。
転機は27年、偶然、心的外傷後ストレス障害(PTSD)に苦しむベトナム帰還兵の番組を見た。長年、悪夢に苦しんだと語る姿が、父を想起させた。
30年、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を設立。復員兵だった父親による家庭内暴力や不和に悩んできた人は予想以上に多く、会は100人以上が語り合う場になった。暴力が心の傷となり、アルコール依存や精神疾患に苦しむ参加者も少なくない。
次世代に連鎖するトラウマ
復員兵らは夫や父となったが、凄惨な戦場での経験は戦後の生活に影を落とした。
「トラウマを抱える父親は、子供と親密な関係を築くことが難しい」。立命館大教授の村本邦子(64)=臨床心理学=が指摘する。
感情の抑制が効かない父親は、子供に暴力をふるったり、家族関係が疎遠になったりする。子供にもトラウマが連鎖し、親密な関係の「手本」がないため、子供自身も第三者と関係が築けず生きづらさを引きずることもあるという。
黒井は、自身の経験や会員との交流から強く感じている。「誰も自分の父親を憎んだまま生きていきたくない。暴力や無気力の理由を知ることが、次世代の救いになる」
「命をかけたのに」敗戦の喪失感 復員兵が抱えたトラウマと遺族が受け止めてきた辛苦
=敬称略
(池田祥子、小川恵理子)