戦後タブーで研究進まず 戦病者67万人が精神・神経病との陸軍報告 これでも氷山の一角

トラウマ 埋もれた傷痕

戦場での過酷な体験で兵士らを悩ませるトラウマ。先の大戦に従軍した日本兵にも心の病に苦しんだ人々はいたが、ほとんど顧みられず、傷痕は歴史に埋もれてきた。戦後80年を経て、なお戦争が及ぼす影響を探る。

戦場でのトラウマと精神的な症状が初めて関連付けられたのは、第一次大戦を契機に欧米を中心に研究された「シェルショック(砲弾病)」だった。砲撃を受けた兵士が次々と発症。「戦争神経症」とも呼ばれたが、英国やドイツでは詐病の恐れもあるとして、しっかりと対処されなかった。

米国は第二次大戦中に心理的負傷者に対し、軍が組織的に対処し始めた。さらにベトナム戦争後、帰還兵の精神疾患が社会問題化。過酷な戦争体験を原因とするトラウマの研究が本格化し、1980(昭和55)年に米精神医学会が(心的外傷後ストレス障害(PTSD)を「疾患」として認定した。

PTSDにはフラッシュバック、他人への攻撃、不信などさまざまな症状がある。米退役軍人省の調査によると、ベトナム帰還兵がPTSDを発症する割合は男性30・6%、女性26・9%。アフガニスタンやイラクへの派遣兵士についてもPTSDや自殺者数の多さが問題となった。

日本でPTSDが広く認知されたのは、平成7年の阪神大震災以降だ。「士気の旺盛な皇軍兵士に戦争神経症は一人もいない」。戦前から、公にはそう言われていた。「心を病むことは弱さの象徴」「恥」という概念があり、兵士の心の傷は長く放置されてきた。

研究妨げた戦後の風潮

実は日本でも昭和13年には精神・神経疾患の将兵らの専門治療機関が整備されていた。国府台(こうのだい)陸軍病院(後の国立国府台病院、千葉県市川市)。20年までに約1万人が入院し、戦争神経症の治療、研究が行われてきたが、表向き存在は伏せられていた。

「大東亜戦争陸軍衛生史」によると、17~20年の陸軍の戦病者791万人のうち、8・4%(67万人)が精神・神経病とされる。しかし、「戦争とトラウマ」の著書がある上智大准教授(日本近現代史)、中村江里(42)は「対象となる期間も限定的な上、入院して医療記録が残された事例はごく少数で、実態は不明」とし、患者数は氷山の一角だと指摘する。

戦後20年の昭和40年、国立国府台病院の精神科医、目黒克己は戦時中の元患者104人の追跡調査を実施。26人(25%)は依然ノイローゼやアルコール依存などの問題を抱えていた。

目黒の着眼は戦争のトラウマ研究の先駆けといえたが、当時はほとんど顧みられなかった。中村の著書によると、目黒は、戦後になっても研究が進まなかった理由についてこう語っている。

「『戦争』とついていればすべて悪いものというのが日本中の常識でした。戦争神経症の研究に対しても批判的で、戦後の精神医学界の中では『右寄りだ』と言われましたね」(一部中略)

中村は「『戦争』『軍』とつくとタブー視されて研究に値しないという風潮が、研究を妨げた」と話す。

国民の大部分にトラウマ 口つぐんだ復員兵

戦時中に精神神経疾患と診断された元兵士だけではない。終戦後には海外の戦地などから600万人以上(民間人含む)が復員し、その大部分が何らかのトラウマを抱えていたとみられる。復員兵は生き残った罪悪感を抱いた上、価値観が変わった戦後社会の反応にも傷付き、口をつぐんだ。

上智大の中村江里准教授

中村は5年前から、全国各地の元兵士の子供や孫への聞き取り調査を続けている。大部分の元兵士は精神疾患と診断されていないが、家庭内暴力など家族関係に問題を抱える傾向も見られた。

中村は責務をかみしめる。「戦前、戦後と否定され続けた戦争のトラウマの問題を埋もれさせてはならない。広く社会で共有し、本人や家族ら次世代に与えた影響を解明する必要がある」

「良民6人殺した」罪悪感に苦しむ元兵士 密かに残された8千のカルテで浮かぶ戦争の裏面

=敬称略

(池田祥子 小川恵理子)

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