誤解4 「フィジカルAIはもう研究レベルでの課題は解決。後は社会実装をするだけだ」

 フィジカルAIは現時点でも基礎研究レベルで多くの課題があり、「研究レベルでの課題は解決している」と見るのはあまり正しくない。事前学習の効果・レシピ、有効な事前学習の手立てなど、人類全体にとって未知の要素がまだ多くある。こうした基礎研究レベルの課題を打破するには、機械学習について高度な知見を持った研究者が世界中で多数しのぎを削りながら暗中模索しブレークスルーを探るしかない。残念ながら、人手不足で悩んでいるユーザー企業が今の時点でいくら現場で使いどころを工夫しようとも、こうした基礎研究レベルの根本的な課題の打破に直接的に寄与できるわけではない。もし研究レベルの根本課題を打破したいのであれば、GAFAMや世界各地のスタートアップが挑んでいるのと同様、高度な知見を備えた機械学習の研究者を多数自ら抱え、数百~数千億円規模の高リスクの投資をする覚悟を決め、この世界戦に参戦するしかない。

誤解5 「フィジカルAIは人手不足の救世主になる」

 長期的にはその通りになる可能性がある。フィジカルAIがChatGPT momentを無事に迎えられればという条件付きではあるが。それがいつになるかの予測は極めて難しい。数年以内に到来する可能性もあるが、製品やサービスとしての付加価値を出せる水準にまで技術を高めるのに意外に多くの時間を要し、10年後くらいにようやくフィジカルAIでChatGPT momentを迎えるということもあり得る。自動運転が10年ほど前に一度大きく注目されたものの、その後の10年間、実用化に苦しんだのと同じことが、フィジカルAIでも起きる可能性もある。フィジカルAIは基盤モデルとしての性質を踏まえれば、いざChatGPT momentが到来すれば多大なリターンを社会にもたらすものの(高リターン)、本当にChatGPT momentが到来するか、いつ到来するかについては極めて不確実性が高い(高リスク)。典型的な「高リスク・高リターン」の技術ではあるが、リスクの度合い(開発に要する資金規模)、いざ成功した際の汎用さ・分布の広さ度合い(リターン)、そのいずれもが通常の技術とは比べものにならないほどケタ違いであることに留意する必要がある。

誤解6 「日本には資金がない。だから米中との正面勝負は難しい」

 日本の研究者や技術者は自らの開発案件で慢性的な資金不足に悩んでいることが多く、その現場感覚をそのままマクロなレベルに外挿して「日本には資金がない」とよく愚痴のように言いがちだが、この見解は正しくない。日本はかつて世界第2の経済大国であり、現在でも日本の個人金融資産は約2350兆円、企業の内部留保は合計で約630兆円もある。日本が直近で「失われた20年」を過ごしたといっても、この資金の蓄積は現在でも世界的に見て有数の規模である。「日本に資金がない」のではなく、こうした資金が「産業の血液」として適切に回ってないだけだ。個々の現場では「資金がない」という感触になるのは致し方ないが、日本全体をマクロに見たとき、資金はかなり潤沢にあると言える。日本人のリスクを恐れる保守的な性向、挑戦して失敗した者を「それ見たことか」と責める減点主義の風潮などが、これら膨大な資金の大部分を低い利回りに固定化してしまい、「血液」の一部がリスクマネーとして循環するのを拒んでいる。

日本の個人金融資産2350兆円の内訳(日銀・資金循環統計)
日本の個人金融資産2350兆円の内訳(日銀・資金循環統計)

 実際、個人金融資産の約5割は低利の銀行預金・現金であり、その多くが大企業への融資もしくは国債に向けられている。企業は630兆円もの内部留保を抱えているが、大企業の多くはイノベーションのジレンマに陥っており、工場建設など既存事業と明確なシナジーのある投資はROIを説明しやすく決断できるものの、フィジカルAIの開発のように既存事業以外の新市場にも幅広く横展開しなければ投資回収しにくい案件はベンダーとしてみたとき高リスクで、なかなか踏み出せていない。フィジカルAIのような高リスク・高リターンの投資テーマは、本来、スタートアップこそが取り組むべきものだが、後編で述べるように日本ではこれまでスタートアップエコシステムに十分な量のリスクマネーや人材が回ってこなかった。「日本には資金自体はある」のだから、資金を回す仕組み・動機付けさえ改善できれば、日本はきっと変われるはずだ。フィジカルAIの戦い・チャンスを踏まえると、残された時間は多くない。今が動くべきときだ。

誤解7 「日本は米国製のフィジカルAIを使えばよい」

 経済安全保障やセキュリティの文脈以外に、単純にフィジカルAIをベンダーとして手掛ける個別企業の観点で見た場合でも、他企業にフィジカルAIのような「ロボットの頭脳」となる要素を依存するのは、事業上、あまり好ましい戦略ではないだろう(フィジカルAIをユーザーとして使うだけの企業は別問題であり、ここでは除く)。最終的には個別企業の事業戦略やビジネスモデル次第であり、フィジカルAIを他企業に依存しても問題なく事業が成立するケースはあるだろうが、今後、ロボットやロボットサービスの付加価値において、AIやバックエンドのシステムなどソフトウエア側のウエイトが増していくことを踏まえると、その付加価値の中核となりうるフィジカルAIは内部から自社でコントロールできた方が自由度は高まる。現状ではフィジカルAIとしてオープンなモデルも一部配布されているが、それがいつまでも続く保障はなく、フィジカルAIがChatGPT momentを迎えた暁には、通常の生成AIのフロンティアモデルと同様、クローズドな方向に向かう可能性が高い。そのとき、かつてのオープンなモデルは古くて使い物にならなくなっている。ロボットではリアルタイム性確保のため、ローカル(エッジ側)でのモデル実行も必要となるが、モデルのパラメータを秘匿できる「Trusted Execution Environment(TEE)」や「Confidential Computing」の枠組みもいずれはクラウド側GPUだけでなく、エッジ向けGPUに広がる可能性もある。また、フィジカルAIの上位側のモデル(system1)についてはクラウド上でのAPI実行でも十分間に合う。そうなると、現状の生成AIと同様、ロボットの行動生成(フィジカルAI)についても世界のプラットフォーマーによる従量課金が中心となり(ローカル実行でも)、汎用ロボットが知的な動きをしようとする度にプラットフォーマーに支払う費用がかさむ構造となる。結果的にロボットのハードウエアのみを手掛けるだけでは事業としてうま味が薄れることも想定される。フィジカルAIにおいても、ハードウエア側のみを手掛けるのではなく、世界のプラットフォーマーとなれるフロンティアモデル級のものを自社で作れるようにしておくことが好ましい。

誤解8 「産業用ロボットに比べてヒューマノイドはスピードが遅い。 だから工場・FAでは使い物にならない」

 スピードが不要な作業・タスクは、工場内においても多くある。だからこそ、現在の工場内は工程によっては完全無人にできず、人がたくさんいる。そこでは、人が産業用ロボットのように目にも止まらぬ速さでビュンビュンと動いている訳ではない。フィジカルAIがいざChatGPT momentを迎えた際、インパクトをもたらすのは、こうした人が従事している数え切れないほどの「名も無いタスク」「雑多なタスク」の集合をこなすことだ。フィジカルAIは単に「物理空間で動くAI」ではなく、基盤モデルとしての性質を備えているからこそ価値がある。フィジカルAIをヒューマノイドや汎用の双腕移動マニピュレーターに実装した際も、特定タスクの絶対的な速さなどではなく、特段の開発なしに行えるタスクの幅の広さにこそ価値が出る。

 そもそも、工場内において産業用ロボットが使われるのも、プログラマビリティやフレキシビリティなど対応できるタスクに一定の幅の広さがあるからこそ使われるということが多い。絶対的な生産性や速さを求めれば、プログラマビリティなど一切ない専用機をその特定タスク向けに構築した方が速くなる。実際、売れ筋で大量生産が必要になる製品の製造では、産業用ロボットという選択肢がパスされ、その製品向けだけの専用機が採用され、究極の生産性を追い求めるということはよくある。プログラマビリティという幅の広さ・汎用性を享受するために、スピードについては専用機より劣ることを現在の産業用ロボットは既に受け入れている訳だ。産業用ロボットと汎用ロボット(ヒューマノイドなど含む)も、相対的にはこれと似た構図である。一見、産業用ロボットより動作が遅くとも、フィジカルAIの技術的成熟により、器用さや幅の広さ、汎用性が閾値を上回ればビジネスとして十分価値は出る。そもそも、フィジカルAIや汎用ロボットの最終的な主戦場は工場やFAといった特定領域ではない。現在のロボット技術では自動化が難しく、人が実施せざるを得ない幅広いタスク・作業、ひいては一般家庭内のタスクが主戦場なのであり、スピードについては速い分に越したことはないが、人と同程度の速度が実現できれば十分価値は出る。特に安全柵などなしに人と同じ空間内でこうした汎用ロボットを運用する場合は、逆に人以上の速度でビュンビュンと動くようでは安全を確保しにくくなり、危険である。「産業用ロボットより遅いから使い物にならない」という指摘は的外れといえる。

誤解9 「物理空間を把握・認識するのもフィジカルAIだ」

本記事はロボットとAI技術の専門誌『日経Robotics』のデジタル版です
本記事はロボットとAI技術の専門誌『日経Robotics』のデジタル版です

 フィジカルAIにそうした要素は必要だが、「物理空間を把握・認識する」だけではフィジカルAIは成立しない。「物理空間を把握・認識する」ことだけにフォーカスした場合、そうした領域はむしろ「Spatial AI」「Spatial Intelligence」と呼ばれている。単なる3次元再構築やGaussian splattingのような技術領域を「物理空間を扱っているから」というだけでフィジカルAIと見なすのは、やや拡大解釈の度が過ぎる。同様に、オムニバースの3次元環境やデジタルツインを構築する取り組みも、それだけではフィジカルAIとは言いにくい。正確な3次元環境があれば、Sim-to-realなどを実施しやすくなるほか、推論時も行動プランニングをしやすくなるが、あくまで環境モデリングの一種でしかない。単なるデジタルツインやIoTをフィジカルAIと見なすのは、フィジカルAIの物理的側面のみを強調しており、本質である基盤モデルとしての側面を矮小化・軽視している。VLA(vision-language-action)モデルにしろ、VAM(video-action model)にしろ、世界モデルにしろ、単に把握・認識に留まらず、行動(action)など何らかの「生成」を伴うところこそ現在技術が進化し(AI最前線「画像生成モデルが汎用視覚モデルへ」を参照)、世界から期待されている技術領域である。

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1)岡野原、「GEN-1:汎用ロボットはどこまで実用化に近づいているか」、『日経Robotics』、2026年6月号、pp.4-5.
2)進藤、「強化学習で4脚ロボが低山踏破に成功、転倒もゼロ、sim-to-realが実用レベルに」、同上、2022年4月号、pp.3-10.
3)松尾、「AIをめぐる3つの挑戦、日本の経済成長につなげるには」、『日本経済新聞』、2026年4月3日.
4)https://www.morganstanley.com/insights/articles/humanoid-robot-market-5-trillion-by-2050
5)S. Tong et al., “Beyond Language Modeling: An Exploration of Multimodal Pretraining,” https://arxiv.org/abs/2603.03276
6)岡野原、「マルチモーダル事前学習の展望」、『日経Robotics』、2026年5月号、pp.12-14.
7)進藤、「動画行動モデルの性能がLLMベースのVLAに肉薄、世界モデルでロボ行動生成、NVIDIA先駆的成果」、同上、2026年3月号、pp.3-11.
8)進藤、「NVIDIAがロボットで覚醒、VAMに本気モード、動画行動モデルを軽量化、7Hzリアルタイム実行」、同上、2026年4月号、pp.3-11.
9)岡野原、「強化学習の創始者が投げかけたAI研究の苦い教訓」、同上、2019年5月号、pp.36-37.
10)R. Sutton、“The Bitter Lesson,” http://www.incompleteideas.net/IncIdeas/BitterLesson.html
11)AIロボティクス戦略、 https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/ai_robo/dai2/shiryo1.pdf
12)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC1207B0S6A410C2000000/

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日経Robotics
出典:日経Robotics、2026年7月号 pp.3-25
記事は執筆時の情報に基づいており、現在では異なる場合があります。