現場の作業者の質が良いのであれば、模倣学習などでそうした人々の動作を集めることでフィジカルAIでもよいモデルを作れる素地はあるが、既にそうした人の動作データをAIに使える形で保有できていることは稀だろう注5)。「現場データが勝ち筋」かどうか以前に、「現場データ」自体があまり存在していない可能性も高い。
日本は製造業に強いことから工作機械やプラントなど「設備の稼働データが高度に蓄積されている」といった言説もあるが、現在、技術が伸びているフィジカルAIというのは、基本的に人の肉体労働に根差したものである。既存の設備や装置の周辺で機械まかせにできない作業は現状、人が実施せねばならず、それでは自動化にならないから、人の肉体労働の軌跡を収集してフィジカルAIのモデルにし、汎用ロボットにやらせよう、という流れだ。
設備や装置で自動化しにくかった、設備や装置の“外側”に追いやられている「細々とした名も無い肉体労働」の自動化で困っているというのに、「設備や装置の内側の稼働データ」が蓄積されていても、汎用ロボット向けのフィジカルAIとしては使いようがない。IoTにおける設備・装置の故障予知や予兆保全であればこうした「設備の内側の稼働データ」は役立つが、それとフィジカルAIが混同されているように見受けられる。この点もフィジカルAIの「物理空間で動くAI」という側面のみが独り歩きしてIoTと混同され、「物理空間だから設備・装置の稼働データも関連する」と誤解されている傾向がある。フィジカルAIという名称だと、どうしてもこうしたIoTなどの設備・装置が含まれるように誤解されるため、いっそのこと人間の肉体労働をダイレクトに想起させる「ガテンAI」「レイバーAI(Labor AI)」といった名称の方がより的確かもしれない。予兆保全であれば、基盤モデルのような大掛かりな道具など持ち出さず、既存の機械学習技術で当たればよいだろう。
現状でフィジカルAIのための学習データとしては、ロボットを人が遠隔操作したデータが使われていることが多い(表1)。遠隔操作専用のデバイスとロボット本体を使い、遠隔操作時の手先姿勢・関節座標の時系列、その際のロボットのカメラ動画などを記録する。
中国などでは、ロボットと遠隔操作オペレータを大量に配置し、家庭内や店舗内などを模擬した環境でデータ収集する「データ収集工場」が多く設けられていると言われる。また、これを受け、日本でもデータ収集工場を作って追い付かねばという指摘もよく聞かれる。
しかし、データ収集手段やデータの種類は軽量化する方向に進んでいる。代表的なのが、本誌前号で紹介した米Generalist AIの「GEN-1」だ1)。「UMI(universal manipulation interface)」と呼ばれるハンドヘルドデバイスを主体にしてデータを集めた。ロボットの手首部と手先カメラのみを切り出したような装置で、それを人間が持ちながらタスクを実施・記録する。高価なロボット本体や遠隔操作用のデバイスが不要となるため収集効率が高く、同じリソース・資金下でも、より大量のデータを作れ、それもあってGeneralist AIはGEN-1で高い性能を実現できた。彼らの立場を代弁すれば、「データ収集工場でロボット遠隔操作でデータを作るなど時代遅れでナンセンス」といった風に見えるはずだ。日本ではどうしてもデータ収集工場のような目に見える箱物・インフラに注目が集まりがちで、AIで本質となる目に見えないソフト的な技術に目が行きにくい。
前述したように、Sim-to-realのようなコンピュータ上で大量の試行錯誤を行うアプローチが上半身のマニピュレーションにおいても実用レベルになると、遠隔操作やUMIで収集したデータすら、フィジカルAIにおいてほぼ不要になる可能性すらゼロではない(表1)。現状では接触力の模擬精度などに難があるが、解決される可能性がないとはいえない。そうなると、人間の動作などをアナログ的な手段・リアルタイム時間でわざわざ手間を掛けて収集しなくとも、GPU上での強化学習による探索で、人間が思い付かないような優れた動作・暗黙知すら自動発見される可能性もある。GPU上のシミュレーションでは、同時並行かつ実時間より速く時間を進められるため、1万年単位での試行錯誤を走らせることもできる。そうなると、現場データを持っているかどうかなどもはや関係なく、大量の計算資源を回せる企業こそが有利になる。「現場データが強みだ」と思っている側には、実に受け入れがたく、不都合な事態だ。
またしても苦い教訓か
人間はどうしても自分達が長年培ってきた創意工夫・知恵、専門家の高度な知識が役立つはずだ、役に立たないはずがないと思いがちである。しかし、AI・機械学習の領域では、そうした「専門家の知見」が計算資源のスケール化・探索に負けてしまうという事態は幾度となく起きており、そうした現象に既に名前も付いている。
その名も「苦い教訓(bitter lesson)」という(図9)。強化学習の領域を打ち立てた巨匠であるRichard Sutton氏によるもので、AI研究者にとっては非常に著名な警句である9-10)。
研究者としては、自らの高度な知見を生かし、優れたアルゴリズムや手法、特徴量を考案しようとするものの、最終的に人間が恣意的に作り込んだ手法は、大量のデータから計算資源を駆使して導き出した手法に負けてしまうことが幾度となく起き、研究者の立場からみると「悔しい」という意味で「苦い」と名付けられている。「人間の動作を収集するのが良い」「特定タスクのデータが役立つ」はずだという現状のフィジカルAIのレシピもひょっとすると人間側の恣意的な思い込みかもしれず、bitter lessonの事例の1つになってしまう事態はないとはいえない。
ではどうすべきか
ここまでフィジカルAIの現時点での性質をみてきた。では、このフィジカルAIというテーマに日本はどう取り組むべきだろうか。