それはフィジカルAIが「基盤モデル(foundation model)」としての性質を備えており、その汎用さにより多くの用途・分野に使え、多大なリターンが望めるからだ。リターンが膨大だというと、それが約束されたものであるかのように思われるかもしれないが、前述したように基礎研究面でもビジネス面でもフィジカルAIは課題が山積しており、何も成果は約束されていない。けれど、ひとたびChatGPT momentを迎えられれば、その幅の広さにより「大きな果実」を得られる可能性があり、そのときのパイの大きさに着目して、開発熱が世界で高まっているという構図だ。

 フィジカルAIの汎用さ・幅の広さとは何なのか具体的に見ていく前に、フィジカルAIとは何を指すのか整理しておこう。フィジカルAIについては現在、様々な定義が入り乱れているが、今回の記事では、「現実世界を把握・理解した上でロボットの行動を生成する基盤モデル」と解釈する(図4)。ロボットの機能を大まかに分類すると、手でモノをつかんだり、何か複雑な作業をしたりする上半身での「マニピュレーション」、脚があるロボットでその歩行をうまくつかさどる下半身での「ロコモーション」、ロボット全体を特定の場所などに移動させる「ナビゲーション」という3つがある。このうち、現在のフィジカルAIでボトルネックとなっているのが、上半身でのマニピュレーションである。

図4 フィジカルAIとは何か
図4 フィジカルAIとは何か
ユーザーからのテキスト指示などを受けて、何らかのロボット行動を生成する。広範なタスク・用途に最小限の設定で汎用的に使える「基盤モデル」を、ロボット上半身のマニピュレーションなどに用いる。脚があるロボットの歩行動作(ロコモーション)では、浅いニューラルネットでSim-to-realによる強化学習が実用水準になっている。外部に構造化された知識源・データベースを置き(3次元空間情報などを格納)、そこに基盤モデルがRAGのようにアクセスすることも想定される。

 手は多様なモノ・道具を扱う必要があり、何をつかんで、何をするべきかをプランニングするには、多くの知識・常識がいる。動作そのものを成功させるにも、ミリ単位の器用さ、微妙な力加減などが必要だ。こうした多様な局面にロボットが自律的に対応できるようにするために、基盤モデルの汎用さが役立つと見込まれている。なお、下半身側のロコモーションについては既に技術が確立しており、実用化に向けてそれほど大きな障壁はない(図5)。

図5 フィジカルAIの最大の難関は上半身のマニピュレーション
図5 フィジカルAIの最大の難関は上半身のマニピュレーション
ヒューマノイドのような汎用ロボットを想定したとき、脚による歩行(ロコモーション)など下半身側の動作については、Sim-to-realなど技術がほぼ確立しており、もはや大きな障壁はない。残るは、手や指を使ったマニピュレーションなど上半身の動作の獲得が課題となる。上半身のマニピュレーションはタスクが多岐に渡るため、ここにロボット基盤モデルを使う形となる。マニピュレーションについては、模倣学習だけではこの先の展望が描けず行き詰まり感があったが、最近は強化学習を併用できるようになってきたことで、ロボット動作を実用レベルに近いところまで洗練させられる道筋が見えてきた。また、VAM(video-action-model)のように動画生成モデルをベースにした世界モデル系の技術もマニピュレーション向けに登場しつつある。

 ロコモーションというのは、歩行・歩容の安定化という目的が明確・単純であり、基盤モデルほどのマルチタスク性・汎用さは不要である。人間と言語を介して指示をやり取りする必然性もない。コンピュータ上のシミュレータで強化学習による試行錯誤を行ってモデルを獲得させる「Sim-to-real」というアプローチで実用水準のモデルを作れるようになっているが、そこで使われているのは基盤モデルのような大規模なモデルではなく、RNNおよびディープラーニングとは呼びにくいような浅い数層MLPを使っていることがほとんどだ。ロボットを動かすニューラルネットという意味ではフィジカルAIに含めて考えることは妥当だが、モデルに高度な知識が不要であること、既に技術が確立していること、車輪型ロボットでは不要であることなどから、今回の記事では下半身側のロコモーションはフィジカルAIには含めず、基本的に上半身側でのマニピュレーションに焦点を当てる。

汎用さや幅の広さこそ価値

 フィジカルAIについて高リターンが見込まれているのは、単に市場予測が膨大だからといったことではなく、将来の「理想的なフィジカルAI」は基盤モデルとしての性質を備えるはず、と見込めるからだ。フィジカルAIはその名称の影響もあり、どうしても「物理空間で動くAI」という点ばかりが注目されがちだが、価値の源泉はその汎用さ・幅の広さにこそあり、その技術的根拠となっているのが、フィジカルAI=基盤モデルという点である。なお、基盤モデルとは、幅広い多様なデータでモデルを事前学習させておくことで、利用時(推論時)はわずかな追加設定、多少の例示(few-shot)、もしくはプロンプトを与えるのみで(zero-shot)、多様なタスクにその場で適応できる(ICL:in-context learningができる)モデルのことである。大規模言語モデルがユーザーの多様な質問・指示に、特に追加開発もなくその場で一発で対応できているのも、基盤モデルとしての性質を備えているからである。同じことを、ロボットでも実現しようというのがフィジカルAIである。

 繰り返すが、そうした理想的なマニピュレーション向けの基盤モデル・フィジカルAIは、まだ厳密には完成していない。だが、いざ完成したら、基盤モデルの定義・趣旨からして、多様な用途・分野・国で役立つことが想定される。だから、世界中で開発が活発化しているのだ。物理空間で動くAIだから世界が熱狂しているわけでも、ヒューマノイドがダンスをしているから熱狂しているわけでもない。

 この基盤モデルの価値というのは、実はユーザーの観点ではなかなか測りづらく、ベンダーの観点でないと正しくとらえにくい(詳細は後述)。日本においてフィジカルAIを巡る議論が紛糾し混乱しやすいのも、この点に要因がある。

 図6に基盤モデルの横幅の広さを概念的に示した。横軸は、そのモデルを適用できるタスクの広さをイメージ的に示している。ロボットがこなすタスクとは、低レベルでいうと、ロボットが置かれた環境の状態(s:state)と、その状態でどのような行動(a:action)を採るかで説明できることがある。このsaの組み合わせからなるタスク空間を横軸で表した。

図6 フィジカルAIの真のインパクトは横幅の広さにある
図6 フィジカルAIの真のインパクトは横幅の広さにある
フィジカルAIは単に「物理空間で使えるAI」ということよりも、基盤モデルとしての汎用性にこそ真のインパクトがある。多様なデータで事前学習させておくことで、few-shotやzero-shot、最小限の追加設定で適応できるタスク空間を従来のAIより格段に広くしようというのが趣旨だ。この幅の広さがあることで、ひとたび実用化に必要な閾値を上回ると広範なタスク・分野で同時多発的に使えるようになり(右端の図の濃い緑色の領域)、その横幅の広さ・総面積により、結果として社会に非連続な影響を及ぼす。ユーザーの観点では、特定の狭いピークのタスク空間のみで評価しがちとなり(図中の薄い紫色の山)、基盤モデル本来の幅の広さを踏まえた議論になりにくい。なお、横軸はロボット基盤モデル(フィジカルAI)がカバーする状態・行動ペア(s,a)のタスク空間を1次元で概念的に示しており、あくまでイメージ図で、技術的に厳密な概念を説明しているわけではない。

 タスク空間は本来は多次元の空間であり、1次元で図示できるようなものではないが、ここではあくまで説明のためのイメージとして描いた。縦軸は、そのタスクs,aをフィジカルAIがどのくらいの性能で実施できるかを示す。実行の機敏さ(スピードやスループット)やタスクの成功率などが相当する。最近ではフィジカルAIの性能が向上してきており、タスク成功率では飽和して技術進化の差分を測りにくくなってきているため、スループットが性能指標として使われることが多い。

 基盤モデルとしてのフィジカルAIは、この図でいえば横幅が極めて広いモデルといえる(図6の右半分)。この図を仮にスペクトルになぞらえれば、広帯域の「ブロードバンド」「ウルトラワイドバンド」のようなイメージだ。膨大なデータを使った事前学習により、幅広いタスク空間をカバーする。ただし、現在のフィジカルAIは、水平の点線が「実用化に必要な性能水準」だとすれば、多くのタスク点s,aで不足があり、ギャップがある状態だ。物流の現場でコンテナなどを持ち上げて別の場所に運んだり、モノを仕分けたりといった限定的なタスクであれば実用できているケースもあるようだが(図中の濃い緑色の領域)、基盤モデル本来の広範なタスクでfew-shot/zero-shotで適応するという状態には至っていない。

 今後、フィジカルAIのベンダーの研究開発努力により、基盤モデルとしての性能が幅広い領域で全体的に底上げされ、濃い緑色の領域の合計面積がビジネスとして成立するレベルまで拡大していけば、そのときにフィジカルAIは初めてChatGPT momentを迎えられる。点線を越えるまでは漸進的な進化をするが、ひとたび幅広い領域でこの点線を越えると、その分布の幅の広さにより、社会的には非連続なインパクトが突然発生したように見える。様々なタスク・業種で突然、ロボットが賢くなったような効果が生まれる。なお、基盤モデルのタスク空間での分布形状には凸凹の波があるはずで、ChatGPT momentを迎えた後も、依然として実用水準に達しないタスクは当面残る。

 こうした幅の広さを持つ基盤モデルに対し、非AIの伝統的なロボット技術は、このタスク空間の上で極めて狭い棒のようなものに相当する(図6の左側)。スペクトルになぞらえれば、極めて狭いピークを持つ「ナローバンド」ということだ。特定の用途・タスクに向けて技術者が専用に動作を作り込むため、完成後は当然「実用化に必要な性能水準」を満たしているが、あくまで特定の狭い状況s,aで動作するのみでフレキシビリティはほとんどなく、他の局面で使うにはその都度開発が必要となる。これが従来のロボット技術が工場や物流など、非常に限られた業種の限られたタスクでしか実用化できなかった根本要因だ。個別に作り込めば、この「狭い棒」を様々な業種・タスクで用意することは原理的には可能だが、それでは投資対効果が合わず広く社会に浸透しなかった。

現場データは勝ち筋か

 フィジカルAIを巡っては「日本企業が持つ現場データが勝ち筋になる」という言説がよく言われる(「日本のフィジカルAI 9の誤解」を参照)。行政の文書でも近いニュアンスの文言が登場するほか、大企業の幹部や政治家なども似たような趣旨の主張をしていることがある。これは果たして本当だろうか。

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確かにフィジカルAIの性能を高めていくにはデータ...