ジョージア・オキーフは本当に「女性性の象徴」だったのか──新ドキュメンタリーが見落としたもの
ポール・ワグナー監督によるジョージア・オキーフのドキュメンタリー映画が「母の日前後」に公開されるというプレスリリースを見たとき、思わず顔をしかめてしまった。一体、オキーフと母の日の間に何の関係があるというのだろう? その作品、『Georgia O’Keeffe: The Brightness of Light(ジョージア・オキーフ:光の輝き)』(2026)に登場する専門家たちもよく知っている通り、彼女はそもそも母になったことはない。 【写真】美術史に残るアメリカのフェミニスト・アート30選。19世紀から現代に至る女性アーティストたちの歩み にもかかわらず、映画に登場するある人物は、彼女は母親になりたかったはずで、それを拒んだのは夫のアルフレッド・スティーグリッツだと語っている。スティーグリッツは、最初の妻との娘が産後うつを患い、その後の人生を施設で過ごさざるを得なくなったことに心を痛め、同じ苦痛をもう味わいたくなかったのだという。ただし、オキーフが子どもを望んでいたという主張の根拠とされているのは、彼女が当時30代前半で、多くの女性が子を欲しがる年頃だったという一点に過ぎない。 しかし、オキーフを「多くの女性」の1人として扱うのは見当違いだ。彼女は同級生に「私はあなたたちとは違う人生を送る。全てを捨てて芸術作品を作り続ける」と宣言していた。そして彼女は実際、その言葉通りの人生を歩んでいる。 では、なぜオキーフと母の日を重ねるのか。それ以外、女性を讃える適切なやり方が分からず困ったからだろうか? それとも、彼女が花を描いたからなのか?
スティーグリッツが作り上げた「女性性」の神話
成功を勝ち取ったパワフルな女性としてオキーフを描くドキュメンタリーは正直見飽きたが、幸いなことに、(アメリカで)6月1日からApple TVやプライムビデオで配信が始まったこの映画は深みのある内容になっている。彼女の人生や芸術をきめ細やかに描いたこの作品は、オキーフの熱狂的なファンであっても、彼女に興味を持ち始めたばかりであっても楽しめるはずだ。 しかし弱点もある。ある美術史家は「いまやオキーフの作品よりも、むしろ象徴としての彼女の方が重視されている」と語っているが、この映画はまさにそうした罠にはまるか、それを回避できるか、微妙なところで揺れ動いているのだ。 アーティストの良質なドキュメンタリーを作るのは難しいが、オキーフは題材として完璧だ。彼女の生涯と芸術はどちらも刺激的で、互いに切り離せない。ワグナー監督は、特に次の2点を的確に捉えている。オキーフとスティーグリッツの複雑な関係と、自身の絵画が「女性器的」だという解釈に対する彼女の反発だ。この2つには密接な関係がある。 スティーグリッツはオキーフのギャラリストであり、恋人であり、芸術についての相談相手であり、最終的には夫となる重要な存在だ。2人の関係が始まったばかりの頃、スティーグリッツは彼女のヌードを撮影している。息をのむほど美しく官能的な数十点の写真は、どこか近寄りがたい厳しさのある彼女の唯一無二の美しさを際立たせ、一大センセーションを巻き起こした。 スティーグリッツが彼女のヌード写真を撮り始めた1917年に、アメリカの女性はまだ選挙権を獲得していなかった。そんな時代に写真を公開して間もなく、彼は自身のギャラリー「291」でオキーフの個展を開催した。 そこではヌード写真が先に展示され、作品はその次という順番で、一方が他方の解釈に影響を与えた。さらに悪いことに、横向きの作品を誤って縦向きに展示してしまったため、ジョージ湖に反射するうねるような風景が、まるで女性器の陰唇のように見えた。少なくともスティーグリッツの友人の評論家はそう解釈したようで、彼はこの絵に描かれた丘や木々について「それらは偉大で、痛ましく、恐ろしい、女性のオルガスムだ」と記している。 幻滅したオキーフは二度とヌード写真を展示しないよう求め、それから間もなく解釈の余地が広すぎる抽象画を描くのもやめてしまった。具象画とはいえ様式化された作風を貫いたのは、かつて教えられた「目に見えたままに描写せよ」という助言をくだらないと感じていたからだ。