2026-06-11

コロナ禍の「失われた3年間」と若者犯罪――現代都市部で「近所の怖いおじさん」をどう再構築するか

見えない凶悪化と、コロナ禍の影

最近ニュースを見ていて「若者による理不尽凶悪犯罪」が妙に目立つのではないか、という強い違和感危機感を抱いている。統計上、少年犯罪認知件数のものは長期的に減少傾向にあるという。しかし、SNSを通じて募集される「闇バイト」に手を染め、強盗傷害といった極めて質の悪い凶悪事件の実行役に加担してしま10代・20代前半の姿は、明らかに増えている。

この不気味な現状の背景を考えるとき、どうしても頭を離れない仮説がある。それは、コロナ禍における過度な行動制限――いわゆる「失われた3年間」が、子どもたちの発育に深刻な悪影響を及ぼしたのではないか、ということだ。

世代ごとに異なる「社会性の欠落」

特に、当時の中学高校の3年間をあの閉塞感の中で過ごした世代への影響は計り知れない。部活動学校行事といった、単なる娯楽ではない「生身の人間関係の衝突と和解」「他者と協力して何かを成し遂げる経験」の場が根こそぎ奪われた。他者への共感性や、自身衝動コントロールする脳の発達が最も重要な時期に、安全防波堤であるべき学校コミュニティ機能不全に陥ったのだ。

この「欠落」は世代によってグラデーションがある。当時0〜2歳の乳幼児であれば、大人が常にマスクをしていたことで「他者の表情から感情を読み取る」トレーニングが不足している。3〜8歳の幼児児童期であれば、ソーシャルディスタンスや黙食により「泥臭い喧嘩と仲直り」という力加減の学習が抜け落ちた。それぞれの年代が抱える歪みが、今、そしてこれから時間差で表面化してくるのではないだろうか。

昭和コミュニティは戻らない、ならばSNS制限と「その先」

かつて昭和時代には、こうした子どもたちの逸脱を未然に防ぐ「近所の怖いおじさん」という、親でも先生でもない『ナナメ関係』が存在した。どこまでやったら人が痛がるか、社会的に許されないか地域大人に本気で怒られることで、私たち社会境界線を肌で学んでいた。しかし、現代都心部でそれを再現するのは不可能だ。他人の子を叱れば不審者扱いされかねないリスク社会において、大人自己防衛のために無関心を装わざるを得ない。

つの強力な劇薬として、海外の一部の国のように「18歳未満のSNS利用を法的に禁止する」という案は非常に有効だと思う。闇バイト入り口を水際で遮断し、強制的リアル世界へ引き戻すことができるからだ。しかし、ここで大きな壁が立ちはだかる。SNSという「オンラインの溜まり場」を奪ったところで、現代都市部には、若者お金をかけずに集まれる「現実の溜まり場(空き地)」がどこにもないという過酷現実だ。公園に行けば禁止事項ばかり。これでは若者は行き場を失ってしまう。

地域マイクロタスク」が作る現代の新たな防波堤

自然発生的なご近所付き合いに戻れない以上、私たちテクノロジーシステムを使って「昭和の近所付き合いと同じ効果」を意図的デザインするしかない。

その具体的な解決策として私が提案したいのが、政府自治体主体となって運営する「地域マイクロタスク(お手伝い)」アプリの構築である

高齢者宅の雪かき簡単DIY、お年寄りへのスマホ操作指導地域イベント手伝いなど、中高生フットワークデジタルスキルを活かせる小さな仕事アプリ安全仲介する。作業をこなした若者には、地域通貨などの報酬と、地域の大大人からダイレクト「ありがとう」という承認が与えられる。

これによって、学校や家庭の外に「安全管理されたナナメ関係」が生まれ、別々の学校や異なる学年の子どもたちの間にも新しい絆が生まれるはずだ。SNSの闇に引きずり込まれそうな若者リアル世界繋ぎ止めるための、これから社会必要な「現代版の防波堤」は、こうした場所から再構築できるのではないだろうか。

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