河野談話の禍根 語り続けるべきは外交的教訓

ソウルからヨボセヨ

自民党総裁や外相、衆院議長などを務めた河野洋平氏の死は韓国では大きく伝えられている。いわゆる慰安婦問題に関し韓国側の主張を受け入れたことで知られる「河野談話」の印象からだ。

宮沢喜一政権下の1993(平成5)年8月4日、官房長官だった河野氏は慰安婦問題で日本の責任を認め「おわびと反省」を盛り込んだ談話を発表した。当時の金泳三(キム・ヨンサム)政権は談話を高く評価し、今後は外交問題にしないとの見解を明らかにした。

韓国紙は「従軍慰安婦問題はその性格上からも愉快なことではない。日本政府の謝罪をきっかけに補償はわれわれが引き受けこの〝恥ずべき過去〟の扉はもう閉じてはどうだろうか」との社説さえ掲げている(朝鮮日報8月5日付)。

一件落着の雰囲気だったのだが、その後の事態は落着どころか、逆に問題を国際舞台にまで持ち出してふれ回り、官民挙げて「謝罪・反省・補償」を要求し続ける反日ネタとして日韓関係を長年揺さぶった。

河野談話は、日本ではいわゆる〝強制性〟をあいまいなかたちで認めてしまったことなど今も批判が強いが、振り返ればあれは日本が外交的にだまされたのだ。よかれと思ったことが禍根になった。故人にムチ打つより、手痛い外交的教訓として語り続けるべきことだろう。(黒田勝弘)

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