めずらしくセンシティブな宗教の話に踏み込みます。
Xでは時折、日本に住むムスリム(イスラーム教徒)へのヘイトを見かけます。
日本のルールを守らない。
勝手にモスクを作る。
イスラームの風習を押し付けようとする。
そんな人がいるのも事実ですし、ヘイトを感じる気持ちもとてもわかるのですが、つい、これに突っ込んでしまいたくなるのです。
「一部の問題行動を起こした外国人」と「イスラム教そのもの」がごちゃ混ぜになって語られていると。
最近流入してきた「不良外人」と、昔から日本に住んで周囲に迷惑をかけずに暮らしてきたムスリムの方々は、全く異なる人々です。
日本人は宗教に関して海外ほど身近ではないので知らなくて当然なのですが、同じイスラームでも、宗派によって考え方や生活様式が全然違うので、
「イスラームの文化と日本の文化は相容れない」という考え方も、かなり極端で乱暴な意見だと思います。
例えば先日、「ハラール食は、動物を苦しませて殺すから野蛮だ」という話題がありました。
これも誤解があって、元々は、
「動物の命を頂くのだから、できるだけ苦しまさず、よく研いだ刃物で喉元を切り裂いて短い時間に失血死させる事。また、恐怖を与えないよう、他の動物の前で動物を屠ってはならない」
という、「その時代としてはとても民度の高い考え方」のもとに制定されたルールだったんです。
それが現在、
「屠殺は、動物を苦しめないよう、麻酔を使うのが望ましい」
と進化したわけで、それに対してハラールのやり方も、「伝統を守ろう」「いや、麻酔を使おう」と、正にイスラームの中でも議論されている真っ最中なんですよね。
にも関わらず、野蛮だと決めつけるのは、それこそ野蛮なんじゃないかと思います。
そもそも、無断でモスクを作ったり、土葬を強行しようとしたり、地域のルールを守らない人は、イスラーム以前に「不良外人」ですよね。
これは分けて考えないといけない。
例えば、「日本ムスリム協会」という、1952年に設立された、日本で最初のムスリム団体があります。
この教会の目的は、
「少数派のムスリムが日本社会と協調しながら、イスラームの教義を実践していく道筋をつくること」
と掲げられています。
正に、「慎ましく望ましい隣人の姿」です。
こういう人達と、不良外人を一緒くたにして、「イスラームは悪いもの」と考えてしまわないようにしたいものだと思います。
それは自分にとって、世界に対し、敵視し、憎むものを増やしてしまう考え方になりかねません。
「憎しみを束ねても、それは、脆い!」
とか、3000年前のファラオも言ってましたよね。